九、洋学

 正月二十七日。新撰組隊士は皆、揃いの隊服を着て、将軍家茂の参内を警護するため、朝から洛中へ出ていた。敬助は残った。留守居役は斎藤だ。千歳は局長部屋と副長部屋の掃除を済ませてから、庭に出て斎藤と梅の花見をした。白梅は見頃だった。

「一杯、やりたいね」

「まだ、朝ですって」

「朝飲む酒も良いものさ」

 斎藤は酒好きだ。ついでに、原田曰く、女癖が少々悪いらしい。どう悪いのかは教えてくれなかった。

 千歳は梅を一輪取って、鼻の先に乗せた。

「何しているんだ?」

「精神統一です」

「精神統一?」

「この後、副長とのお出かけが控えているんで」

 斎藤が盛大に笑った。肩を抱かれる。

「土方さん、取っ付きにくいけど、よく話す人だぜ?」

 千歳の鼻先に乗る白梅を摘まんで、落とした。千歳による弱々しい抗議の声のなか、梅の花は萌え出した下草の上に落ちた。


 気の重い昼食を済ませ、千歳と歳三は敬助に送り出された。歳三と共に歩くのは、実に四ヶ月ぶり。京都へ来た翌日に、四条大橋から壬生村までを歩いた日以来だ。

 将軍を迎えた京都には、登城する身分にない随行の武士たちが二、三人ずつの塊になって、京都見物をしていた。千歳はゆったりと歩く京都見物者を追い抜いたり、すれ違ったりしながら、何も話さず早足に行く歳三の背を追って、四条大橋を渡った。

 歳三は四ヶ月前に千歳が寝ていた欄干に目をやった。あのときのやり取りを思い出す。


『……春生まれか?』

『……早い方の生まれだそうですけど』


 大掃除のさい、蔵で嘉永年間の暦を見つけた歳三は、つい計算をした。志都との最後の逢瀬は、立夏を前にしたころ。夏の下駄を贈ると話した日だ。あのときの子だとしたら、千歳の誕生日は正月末。十四年前の今日辺りだ。

 歳三は、未だに千歳をかわいいとは思わない。しかし、先日、副長部屋に駆け込み泣く千歳の背中を見たとき、泣かせた相手のことを必ずや糺断してやるとの気持ちが湧いたくらいには、千歳のことを気にかけていると思っている。

 祇園社の鳥居を左に曲がり、北へ行く。知恩院に続く山門の前では、華やかなかんざしを挿した色々の振袖姿の娘たちが集まっていた。足を止め、振り返る。

五間ほど後ろを袴姿の千歳が追いかけて来ていた。

周りの娘たちと同じ年頃でありながら、前髪を下ろし、帯刀までしている娘だ。痩せた頬は、この数ヶ月でいくらかマシになったが、着古した木綿の舟底袖と、母親譲りの毛量の少ない赤毛が、どうしても、細い身体をより貧弱に見せてしまう。せめて、髪を結い上げ、赤い櫛でも挿せば、もう少し娘として見られるものになるはずなのに。

 母親は柔和で美しかった。しかし、同じ顔をしたこの娘は、何か警戒するような目をして歳三と向き合い、愛おしむ隙のひとつすらない。

 歳三にも、一応、千歳をどうしようかとの考えはある。因縁を抱く相手とはいえ、仮にも北辰一刀流の道場主より預かり受けた娘なのだ。それなりの待遇で処さねばならない。

 つまり、歳三が別宅を持ち、その主人を千歳とすれば、千歳がわざわざ男の格好をして隊内にいる必要はない。敬助には否定されたが、千歳自身が望めば良い。

「おい」

「は、はい……」

 千歳が小さな声で応えた。歳三は山門へ行く娘たちの後ろ姿を指差す。

「ああいう姿をかわいいとは思わないか?」

「思います」

「では、お前もそんな男の格好はやめて──」

「でも、したくはありません」

 娘たちを見ながら、千歳が歳三の言葉を遮った。この娘は礼儀をわきまえているが、それを上回る強情さがしばしば顔を見せる。

「お参りが済んだら、本陣の門前で待っていますので、失礼いたします」

 千歳が一礼して、三門に向かって駆け出した。赤い総髪の房が揺れる。振袖の集団を追い抜いて、千歳の姿は見えなくなった。


 千歳が最後に振袖を着せられたのは、兵馬の葬式だった。高島田を結われ、赤い振袖を着た。その日の夕刻、浄土寺へ逃げる道中の千歳は女郎屋の男衆ふたりに追われた。振袖のまま、風呂敷と兵馬の小刀を抱えて走る。

『待て! そこの娘、待て!』

 夕暮れの人がまばらになりだした街道に、男の声が響いた。追い付かれると悟った千歳は、小刀を抜き、ふたりに向き合った。道を行く旅人の足が留まる。

『へへ、危ねぇよ、嬢ちゃん。大人しくしな』

『そうだよー。そのお顔に傷付けちゃ、オイラたちも困んだから』

 甘ったるい笑みを浮かべながら、ふたりの男は間合いを詰めてくる。千歳は風呂敷と鞘を後方へ投げ、下駄を脱ぎ、まくり上げた袖を帯の結びに掛けた。男たちは千歳の小太刀の構えをみても、訓練を受けた者の姿勢だとは気付かない。さらに、間合いを詰められる。

『本気かい? じゃあ、こっちも本気で行くよ』

 千歳は掴みかかりに来たひとり目の籠手を打ち、その後ろの男の脛を払った。

『クソガキがー!』

 怒号を背に聞きながら、千歳は風呂敷包みと鞘を拾い上げ、裸足で走り出した。

 あれから、ちょうど一年が経つ。千歳は知恩院の本堂へ上がった。


 兵馬は、先代の塾頭とその女将との間に生まれた一人娘の婿となるべく、佐藤家の養子に入った。しかし、その娘、加代は十七の若さで亡くなった。食中毒だった。

 千歳が八歳になった年の加代の命日。兵馬と女将が仏間で話し合っているのを聞いた。

 女将は、兵馬も三十路に達したのだから、加代のことは忘れて、他所から養女をもらい、縁組をするように言っていた。兵馬は、義父がまだ若いから、自分もまだ一人前ではないからと、話をかわしていた。女将が高い声で、兵馬に言った。

『──もしや、お志都かい⁉ 素浪人の娘だろ、近付くんじゃないよ! 父も定かでない娘までいた上に──』

『あの女とは何もありませんよ!』

 兵馬が声を張って、女将を制した。そして、悲しい、細い声で、「あれは人の女です」と言った。千歳はそれを今でも覚えている。

 それから三年後の志都の四十九日。

『若先生はどうして私のお父さまじゃないの?』

『千歳のお父さまでなくても、先生は千歳のこと大好きだよ』

 兵馬は微笑んで応えた。しかし、その両手は後ろ手に組まれていた。幼いころは、よく抱き上げたり、頭を撫でてくれた兵馬も、このころからは、千歳に触れなくなった。


 千歳は線香の香る中、本尊に手を合わせた。どうぞ、安らかにと願う千歳の心中は、穏やかではなかった。

 兵馬は一貫して、千歳を我が子と扱わなかった。志都を「人の女」と言い、千歳を志都と歳三の子と認め、志都も兵馬を千歳の父とは示さなかった。

(それならば、やはり……)

 千歳は白川沿いを上り、黒谷に向かう。苅田の畔には早春の兆しが見え、青や黄色の小さな花が下草の中に咲きだしていた。麗らかな日差しを背に歩きながら、千歳は別れ際に歳三から言われた言葉を思い出す。


『では、お前もそんな男の格好はやめて──』


 男の格好をやめて、どうしたら良いのか。それを、千歳は聞くことができなかった。兵馬に語りかける。

(先生、思うんですよ。男だったら……女郎屋に売られはしなかった。剣術師範になって先生の跡を継ぐこともできたはず。京に上ったとしても、普通の隊士として生活できた。まだちょっと、年は足りませんけど……)

 左手に黒谷の小山が見えた。歳三はあそこにいる。あそこにいるのは、父なのか?

 複数の発砲音が起こった。高く短い音が反響する。思い出したのは、歳三と敬助がしていた、会津藩が洋式砲術を採用したとの会話だ。

「……調練だ!」

 千歳は音が聞こえてきた前方に向かって走った。黒谷のすぐ東の河原にて、十数人が二列に並び、陣笠を被った男の号令に合わせて銃を掲げていた。

「──打金、下ろせ。狙え。撃て!」

 号令と共に十数本の銃が弾を放った。その銃は火縄を用いない洋式銃だ。千歳は土手の上からのぞき込むように銃を見る。

(火縄がなくて、どうやって、火を着けるんだろう? 洋式銃……)

 火縄銃の発砲に、火縄は欠かせない。引き金を引くと、火縄を着けられた撃鉄が少量の火薬の乗る火皿を叩き付け、火皿の上で小爆発がおこる。その発火が、火門と呼ばれる細い穴を通して銃身の火薬を導火し、筒内の爆発を引き起こす。爆発による圧力が筒先へと向かうことで、弾が発射される仕組みなのだ。


 河原では、「早合、込めよ!」との号令が響き、兵たちが弾込めを始めた。千歳は敬助からもらった矢立を取り出し、帳面を開く。

「ハヤゴウ……ハヤゴウって、なんて書くんだ? あれが弾? あの中、何が入ってる──」

「おい、お前ぇ!」

 土手にしゃがんで下をのぞく千歳の腕を、奥州言葉の侍が掴み、引き上げた。

「うわっ!」

「それ以上、入っちゃなんねぇ。下がれ」

「は、はい! 申し訳ありません!」

 色の白い端正な顔立ちをした三十路半ばの男だ。黒の羽織に黒の羽織紐という地味な色合いの出で立ちだが、それらは全て質の良い絹で、高位の人物であることがうかがえる。千歳が一礼すると、武士は「立って、こっから見っせい」と言い、千歳の隣に並ぶ。千歳は返事をして再び帳面に目を落とした。

 しばらくの間、武士は千歳の様子を見ていた。熱心に調練を見て、調練に疑問などを書き付けている。

「お前ぇ、どこの子だ?」

「新撰組副長お抱えの小姓、酒井仙之介でございます」

「おお、土方くんとこん子か。なじょした? ご用の帰りか?」

 歳三を土方くんと呼ぶこの男は、一体誰か。柔和で、理知に富んだ面立ちをしている。

「今、土方副長は黒谷にてご用が──」

 千歳が答える最中、「狙え、撃て!」との号令で、再び銃声が響いた。千歳の肩が跳ね上がるが、黒羽織の男は平然と続ける。

「土方くん、来てんだな。酒井くん、あれ、あの銃。なんていうか知ってっか?」

「洋式銃、ですよね?」

「ああ、ゲベールさ。阿蘭陀オランダの銃で、火縄さ使わねぇ」

「それで、どうやって発火させるんですか?」

「お、あれ、見えっか? 今、手にしてる金色の、あれが管だ」

 男が下を指差す。兵たちは、腰に付けた胴乱ポーチから、半寸ほどの円形をした金属を取り出した。

 千歳が「カン」と帳面に書くと、男は、

「雷管のカン。竹冠に……そう、太政官の官だ」

と千歳の帳面を見ながら字を教える。

「雷管とはなんですか?」

「雷の管と書いて……んだ、火縄の代わりになんだ。あん中には薬さ仕込まれてて、火門に被せて、撃鉄で叩くと発火する」

「あれが発火。火縄の代わり」

 千歳が繰り返した。洋学に関することは今まで触れたことがない。大変、興味深かった。

「先生、ハヤゴウとはなんですか? なんと書くんです?」

「貸したまえ」

 千歳から帳面と筆を借り受け、「早合」と書き付けた。そして、長方形とその先に丸を描き、それぞれに火薬と弾丸と書き込み、早合を図説する。

「火薬を詰めた紙筒の先に、鉛玉さ付ける。これを包んで、火薬の側さ下に、砲筒に突き込めんだ」

 筆を槊杖カルカに見立て、左手で作った筒に突き込む動きを見せた。

「火薬と弾が一緒になった物を、早合と呼ぶんですね」

「んだ。新撰組は、鉄砲さ扱わねぇか?」

「鉄砲はやりません。剣術、槍術、柔術、あとは長刀や棒の手です」

「たしかに、普段の市中見回りなら、それで十分だ。だけんじょ、それでは、戦時、敵にたどり着く前に撃ち倒されてしまう。──お、そろそろ終わる。ちょっと待ってろ」

 男が土手を降りて行き、陣笠を被った指揮官に何やら話していた。指揮官が河原にいる兵にいくつか指示を出してから、ふたりはそろって土手を上がって来た。指揮官の男の方も、黒羽織の男と同じくらいで、歳三よりいくつか歳上に見えた。男が陣笠を取りながら、千歳に話しかける。

「お前ぇか、土方さんの子!」

「ぼ、僕、子どもではなく、お抱えの小姓です! 酒井仙之介と申します!」

「あ? はははは! すまねぇ、酒井くん。揃って良い男だかんな。んだな、こねぇに大きな子、いるわけねかったなし」

「は、ははは……」

 千歳が歯切れの悪い愛想笑いを返した。黒羽織の男が千歳に紹介する。

山本覚馬やまもとかくまさんさ。軍事取調役兼大砲頭取だ。御所の西で洋学所さ開いてる」

 歳三が先日話していた西洋調練を会津に持ち込んだ者だろう。細い顎と丸い目をした精悍な男だった。

「あ、俺は、神保修理じんぼしゅりだ。公用方に勤めている」

 黒羽織の男が名乗った。公用方とは、大名家の役職で、幕府に関わる用務を担当する部署で、そこに勤める神保は公用人と呼ばれる。藩の中でも、「偉い人」であることは千歳も理解している。慌てて帳面を閉じて頭を下げた。

「それは……知らずとは言え、ご無礼いたしました」

「いいさ。山本さん、酒井くんは随分、洋式調練さ興味あるみてぇだ。洋学所、招いてやってはどうかね?」

 神保の提案に山本が大きく笑顔を見せた。

「おう、来たまえ。俺が開いてる塾だ。酒井くんみてぇに若ぇのが来てくれたら、嬉しいぞ」

「本当ですか⁉ 副長に聞いてみます!」

 千歳は思わず声を大きくして答えた。神保が千歳の肩に手を置いて尋ねる。

「ついでに、新撰組で砲術さ行うつもりはあっかも、聞いてくれると嬉しいね」


 用を済ませた歳三と黒谷の門前で落ち合って、帰り道を行く途中、鴨川にかかる丸太町橋を渡りながら、千歳は神保と山本に会ったことを告げ、新撰組でも砲術を取り入れないか尋ねられたことを話した。しかし、歳三の第一声は──

「どこにそんな金があるって?」

「……すみません」

「大体、お前、神保さまにお会いしたなんて、ちゃんと礼は尽くしたのか? 将来のご家老さまだぞ?」

「申し訳ありません……」

「洋学所もダメだ。お前なんかを相手にするために開かれた場じゃねぇんだから。以上」

「……はい」

 会話はそれで終わった。千歳はさっきまで浮かれていた気分が、一気に平常に戻ったのを感じた。小さくため息をつく。

(当たり前っちゃ当たり前だけどさ、わかっていたけどさ……知りたいって思ったんだもん、おもしろかったんだもん)

 神保に教わった洋式銃の構造を思い出しながら、むくれて歩いていると、歳三が急に足を留めた。危うく歳三を追い越しかけた千歳が顔を上げると、歳三は堺町御門へと正対していた。

「天子さまの御所だ」

 歳三が門に向かって深く頭を下げた。千歳も倣う。門前では、白い着物をまとった修行者が経を読み上げ、花売りの娘たちは花籠を足元に置いて手を合わせている。千歳は御所が単なる帝の住まいではなく、信仰の場所であることを理解した。頭を下げたまま、歳三を横目で見ると、目を閉じて口元を小さく動かしている。千歳は歳三が頭を上げるのを待っていた。

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