六、恋慕
武田による説教以来、千歳は身なりと挨拶に気を配った。すれ違う隊士とは挨拶を交わすようにすると、一気に隊士たちの顔と名前を覚えられた。話しかけられることも増え、その内、顔見知りの隊士とは世間話をするようになっていた。
そうすると、若衆姿は隊士の目を惹き始めるのだった。
始まりは八木邸の庭に咲く紅梅の枝を千歳が折ったことからだった。
「梅は匂ひよ 木立はいらぬ 人は心よ 姿はいらぬ」
踏み台の上で小唄を歌いながら、千歳は鋏を鳴らす。梅は三分咲きだ。千歳はなるべく多くの花が咲いている枝を選んで切り取り、小刀の柄に掛けた手付きの竹籠に挿れる。
「やあ、梅売りさん」
「藤堂さん」
千歳は鋏を懐に仕舞い、竹籠を手に取って藤堂の方へ差し向た。
「山南先生のお部屋に飾ろうと思いまして」
「そうか。──梅は匂ひよ 木立はいらぬ」
「はい。──人は心よ……」
千歳は籠に挿した紅梅の枝から、一輪を摘み取り、藤堂の鼻先にかざした。
「……姿はいらぬ。ああ、一輪ですら、良い匂いだ」
「はい」
「好きなんだよね、梅。春の先駆けだから」
「では、これは
千歳の手から、「魁先生」が梅の花を受け取った。現場に真っ先に突入していく藤堂の勇敢さにつけられたあだ名だ。
「藤堂さんに相応しい花ですね」
「ふふ、ありがとう」
そんな場面を見られていた。
夕刻、八木邸に分宿する隊士から、梅を取ってくるように頼まれた。一輪だけとの注文だ。千歳は庭に降りて、梅の花を摘み取った。
ひとりに渡すと、もうひとり、またひとりと梅の花を求める者が出て来る。馬越も千歳に求めた。馬越は梅の花の代わりに、きれいな薄紅色をした料紙をくれた。千歳はそれを切り分けて、本の栞とした。
そんな梅の花を求める声は、二、三日の内に、八木邸から前川邸まで広がった。頼まれる度に庭に降りるのを面倒臭がった千歳は、小籠に摘んだ白梅を持ち歩き、求められる度に一輪ずつ手渡した。
馬越は、紅白で揃えると縁起が良いと言って、白梅ももらっていった。今度は薄絹の料紙をくれた。切り分けるには惜しまれる良品だったため、千歳はそれを敬助の紙入れ箱に入れた。敬助は代わりに携帯用筆記具である矢立と、帳面をくれた。千歳は硯箱が欲しくなったので、しばらく甘味は控えてお小遣いを貯めようと決めた。
梅配りが日々の習慣になりつつあったころ、副長部屋への南の縁を行く途中、すれ違いざまに武田から呼び止められた。
「武田先生も梅ですか?」
「いりません。座りなさい」
武田が即答して斬り捨てた。千歳は、たしかに無礼な返答ではあったが、説教を受けるほどではないはずだとの不服を抑えて座った。それすらも、武田は見過ごさない。
「君は案外、顔に出ますね。なんで説教食らうのか、わかっていないのが問題なんですよ」
「それは、あの……失礼いたしました」
「はっきりお返事なさいと言ったことは、ご記憶ですか?」
「はい、覚えております!」
千歳がようやく背筋を正したことで、武田は白い扇子を手に語り出した。なぜ、皆が千歳から梅を欲しがるかという話だった。
「良いですか? この男しかいない──しかも、血気盛んな若者ばかりが集まる隊内においては、皆、女子の存在を希求するのです」
「僕、女子じゃ──」
千歳は冷や汗を流して、慌てて抗議するが、武田は相手にしない。
「聞きなさい。君が女子でないのはわかっています。じゃあ、男か? 違いますね。君は若衆です。わかりますか? 稚児とも言われますがね、要は君、男色のお相手に見られているんですよ」
「ダンショク……?」
「衆道」
武田が短く答える。衆道なら千歳もわかる。男が少年を寵愛する形の恋愛だ。
「ああ……って、僕はそんなんじゃありません」
「君が自分をどう思っているかなんて、関係ないんです。どう見られているか、それに尽きるんですよ。わかっていませんね? 若衆たる君が方々に花を配り歩くだなんて、君は隊内の風紀を乱していることに思い至らないんでしょうかねぇ」
「……申し訳ありませんでした」
深く頭を下げようと、二度と梅を配らないと誓言しようと、武田の説教は終わらなかった。
「土方副長は君を前川邸から遠ざけていましたが、正解ですね、全く。君はお勉強の方はできるようですが、もう少し、周りの様子を伺うことに気を配るべきです。好意を寄せる人間全員を近付けるだなんて、どう考えても賢い人間のすることじゃありません」
途中で説教を聞き流し始めていた千歳には、勉強が
「聞いていますか? こら、酒井くん!」
武田が声を立てて、扇で自身の膝を叩く。ちょうど身支度を整えた歳三が部屋から出てきた。
「武田さん、ウチのが何かしましたか?」
「副長。少しばかり説諭をいたしておりました。衆道について」
「な、なんてもん教えてくれてるんですか……!」
苦々しく返す歳三の背後へと周り、千歳は武田の矢面から逃れた。意図したとおり、武田も立ち上がり、歳三と向かい合う。
「副長。彼を手の内で清らに育て上げたい気持ちはわかりますが、それでは彼自身の自分がどう見られているか気付く力を奪ってしまいます。こういうことは、遠ざけずに――」
「わかりました、では続きは私の方からしますので」
歳三はその返事の大半を武田の言葉に被せて、話を切り上げた。武田は素直にも一礼すると土間へと降り行った。歳三が千歳に尋ねる。
「お前。何教えられた」
「じ、自分が思っているとおりに、人は自分を見ていない……ということだと思います」
「なんだ、そりゃ。まあ、お前もあまりうろうろ歩き回るな」
歳三の耳にも千歳の梅配りの話は届いていた。
副長部屋の床の間に置かれた竹籠には、満開の紅梅が香る。庭には白梅もあった。良い眺めだと敬助は火鉢に当たりながら言った。
副長部屋の掃除をするようになっていた千歳は、ハタキを手に小唄を歌った。
「花を散らすは嵐の咎よ いや あだしのの鐘の声」
「全く……『梅の月』なんて、子どもが歌う歌じゃないよ」
「こんなのも知っていますよ。──黒髪の むすぼれたる 思ひをば とけてねた夜の 枕こそ ひとり寝る夜の 仇枕……」
男に振られた女が独り寝の寂しさを募らせる歌だ。座敷でよく好まれる。
「……積もるとしらで つもる白雪」
千歳が歌い終えた。なかなか良い声だと敬助は拍手をする。
「誰だい? そんなの、教えたのは」
「ふふふ、原田さんです」
「また、あいつか。説教だな」
「どうしてですか? 歌、好きなのに」
「選曲ってものがある」
「あはははは」
わざとらしい敬助のしかめっ面に、千歳は笑った。とても自然な笑顔だった。敬助は千歳が初めて壬生を訪れた日を思い出す。痩せた身体、表情は強張っていた。女物の着物を見た途端、売らないでと泣いた。あれから、四ヶ月が過ぎた。
「ああ。火が消えてしまう」
「あ、いけない」
千歳が急いで火箸を取り、炭を立てた。口をすぼませ、ゆっくりと息を吹きかける。身なりこそ少年のものだが、表情や仕草には大人びた様子が見え、女らしさを感じさせた。
いつまで、この若衆姿でいられるだろうか。敬助は考える。
(女の子に戻る気はないかい?)
敬助の視線に気付き、千歳が顔を上げる。
「……なんですか?」
「君は髪が赤いね」
敬助が何事もなく返すと千歳は左手で前髪を隠す。人が気にしていることを、と文句を言った。
「気にしているのかい?」
「当たり前ですよ。艶々ふさふさの黒髪をどれほど夢見たか」
「僕も小さいころは細くて赤い髪だったけど、大人になって変わったよ」
敬助も色が白い。明るいところで見ると、目の色はわずかに青みが指している。東北の者には、稀にだが見られるのだという。それでも、髪色は黒かった。
「髪、黒くなるもんなんですか?」
「うん。君も変わるかもね」
千歳が笑った。敬助は千歳の娘姿を想像する。きっと、かわいらしいと思うのだ。
夜。千歳は敬助の着替えを手伝った後、部屋を下がり、廊下を抜け、厨に降りた。そこで八木邸に戻る馬越と一緒になり、共に前川邸の裏門をくぐる。
「梅の花な、押し花にして大切にしとるよ」
「あ……はい。どうも」
千歳は悪いと思いながら、少し距離を取った返事をした。昼間、武田に注意されたばかりだ。若衆云々とは不本意とはいえ、本当にそう見られているとなれば、話がややこしくなる。正月の半月を共に過ごした馬越には申し訳ないが、ここは身の周りの安寧の方が重要だ。
早足で離れようとするが、馬越はいつのまにか千歳の袖を掴んでいた。
「君は、十四歳やったね」
「ええ」
「
「馬越さんだって十七? じゃないですか」
坊城通を横切り、八木邸の庭へ入る。千歳は馬越の手から自分の袖を外させた。
「……つれんのう。君は決めた人がいとるん?」
馬越が千歳の前に立ち、小さな声で聞く。馬越からはほのかに白檀の香りがした。
「ほれとも、恋をしたことがないの?」
千歳は記憶を訪ねた。
『僕たちはあくまでも親心だから』
敬助の言葉が浮かび、同時に兵馬の顔も思い出す。思わず笑った。千歳は馬越の横を走り抜ける。風呂から上がったところの雅に呼びかけると、縁に腰を下ろして草履を脱いだ。
「お仙はん、次、お風呂入らはる?」
「はい、そうします」
馬越は庭に取り残されて、千歳の姿を見ていた。
風呂から上がった千歳は、雅と源之丞に就寝の挨拶をして階段を昇った。部屋の前に人が立っていることに気付く。馬越だった。この寒い廊下で千歳が戻るのを待っていたのだ。
「おかえり」
「……冷えませんか?」
「入れてくれるん? おおきに」
大層自然な流れで、千歳の部屋へ入り込もうとする。千歳はこういうときの賢い対応に慣れていない。めんどくさいと思って、馬越を無視し、障子を閉める。
即座に開けられた。障子に手をかけたまま、馬越が言う。
「付き合うてよ、お話くらい」
「僕、勉強しないといけないので」
「ほな、見とる」
「……なんですか、急に」
「敵が増えたみたいやけん」
つまり、小正月の焚き上げのさい、手を握られたのもそういうことだと千歳は気付いた。見分け方がよくわからない。同じく手を握ってきた藤堂には、まさか恋い慕われているわけがないのだから。
ため息をつき、馬越に背を向けて座る。千歳としては、相手にしないという意思表示のつもりだが、馬越は反論がないのを良いことに、障子を閉めて、その場に座った。
千歳はその行動に驚くが、本気で無視をしてやろうと、行燈に火を点け、『古事記伝』を広げた。正月の間にだいぶ読み進め、あとわずかで全てを読み終わる。
一時は過ぎた。千歳は馬越の存在を忘れて、本を読みきった。最後の頁を読み終えたとき、気配を微動だにも動かさなかった馬越に感心して、そっと振り返った。
「やっと、見とくれた」
馬越がかわいらしいえくぼを見せて笑いかけた。しかし、今の千歳にとっては、したり顔にしか受け取れない。考えなしに引っかかった自分が馬鹿らしく思える。うんざりとため息をつき、再び馬越に背を向けた。
(そろそろ、女将さんに助けを求めるか? でも、退路固められてるからな)
どうしようか考えながら、読み終えたばかりの本を漫然と繰る仕草から、読書に集中していないことを気取られる。
「ほれ、僕のこと、気になり出したやろ? 良えね、もっと君の中に入りたい」
千歳は大きく音を立てて本を閉じ、本棚から『日本後紀』を引き出した。開いた頁に馬越からの薄紅色の料紙が挟まれていたので、開き直し、食い入るように見つめた。その素直な反応も、馬越にはかわいく思える。
「熱心やねぇ。いつも、この時間は勉強しとるの?」
「ひとりで勉強、好きなんです。集中できますから。おすすめですよ」
「僕も本は好き。ほなけんど、応えてくれる生身の人間の方が好きやな」
千歳は嫌味が通じないと見て、音読をし始めた。「神護景曇三年……」と読み上げる声にめげずに、馬越は話しかける。畳半畳分、いざって間合いを詰めた。
「……君の気持ちが知りたいんよ。ひとつくらい、質問答えてくれたって良えやない。……君、決まった人はいとるの?」
「いない」
音読を中断して、背を向けたまま答える。
「ほうなん。ほな、恋をしてみとうない? うん?」
「もう、ひとつ答えた」
「ははは、律儀で結構。ねぇ、僕、この短い間やけんど、君のこと理解してきたえ」
馬越がさらに間合いを詰め、千歳の背中に語りかける。千歳は首元を冷たい何かがはうように感じた。
馬越の小さな声が、なぜか耳に響く。
「酒井くん……寂しいやろ?」
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