三、予感

 歳三は黒羽織を脱ぎ、袖から襷を出した。隊士たちには、いつでも軽快に動けるよう、襷を携行するように言っているが、やはり、役に立つ。

「総司、呼子」

「あります」

「貸せ。あと、山南さんにも」

 藤堂が長着の下から、首に掛けた呼子の笛を取り、敬助に渡した。

 大刀を手に取り、階段を下る。玄関では、忠兵衛が草鞋を用意していた。草鞋を履きながら、歳三が作戦を伝える。

「俺と総司、平助で表から入る。総司は向かって来た者を相手にしろ。俺は奥に逃げる奴を追う。平助は様子を見て、どちらかに加勢しろ」

「はい」

「山南さんは裏口だ。俺と山南さんとで裏から逃げる奴を挟んで逃がさないようにする」

「ああ」

「奉行所にも知らせているんだよな? うん、加勢が来るまでは切り捨てでかまわない。ひとりでふたりを相手するな」

 歳三は呼子の笛を一吹きして音を確かめた。立ち上がり、駆け出す。忠兵衛は黒装束に銘々の襷をかけた背中を見送った。歳三の襷は紅色だった。


 岩木枡屋は、大通りに面した間口十間の大店だ。当然、今日は正月休みのところ、浪人たちに押入られたらしい。店の前に着く。総司が格子戸から様子をのぞくと、忠兵衛の言ったとおり、五人の浪人が店主に迫っている。店主は急ぐなと言いながら金を出すのを引き延ばしているようだ。

 裏手から、笛声が短く響いた。敬助も準備が整ったらしい。

「行くぞ」

 歳三の号令に藤堂が抜刀し、真っ先に飛び込んだ。

「控えろ!」

 浪人たちが声の主を振り返る。小柄で色白な少年が刀を構えているのを見て、ひとりが声を挙げた。

「坊ちゃん、帰りゃ」

 浪人勢が笑い声を上げる。そこに、歳三と総司が店に入った。ふたりはずっと長身だ。

「新撰組だ」

 下段に構えた歳三が低い声で言った。その目は鋭く、浪人をひとりずつ見ていく。遣い手は赤茶の羽織を着た長身の男と、左頬に縦一文字の傷がある総髪の若者だろう。

「商家押し入りはご法度。神妙にすれば、怪我はさせない」

 歳三が店主のいる上がり座敷に登り、後ろ手で店主へ逃げろと指示を出す。店主は二階に駆け上った。

「三人でやるつもりがか?」

 刀を抜いた赤茶の羽織の男の言葉は、土佐言葉に違いない。歳三が答える。

「んなわけねぇだろ。今に新撰組の本隊と奉行所とが飛んで来らぁ。逃げんなら、今の内だぜ。沖田総司と、藤堂平助だ。知ってっか? 新撰組随一の遣い手だよ」

 歳三は浪人たちの後ろに回り込むよう、座敷をゆっくりと奥に進む。沖田と藤堂と聞き、浪人達の身体が強張った。

「お前らこそ、たった五人でやるつもりか?」

「おまん……土方か?」

 頬に傷のある男が歪んだ笑みを浮かべて、柄に手をかける。

「ああ、土方歳三さ」

 歳三が刀を構える。一瞬の沈黙。

「掛かれ!」

 歳三の声で、総司と藤堂が一番手前の男に同時に斬りかかり、素早く倒した。残りの四人の内、ふたりを総司と藤堂がそれぞれ相手する。歳三は土間に飛び降り、彼らと、赤茶羽織、一文字傷の男の間に入り、掛け声を挙げた。赤茶羽織の男が引けと叫ぶと、ふたりは裏口に走る。上手くいった。ふたりの行く手には、敬助が柄に手をかけて待ち構えている。

 赤茶羽織の男が敬助に斬りかかる。敬助はその太刀をかわし、すねを狙って抜刀したが、受け止められた。そのまま鍔迫り合いになる。敬助の方が頭ひとつ小柄だが、力では負けない。押し返して間合いを取り、正眼に構えた。

 裏口を固める敬助。敬助に向き合う赤茶羽織の男と、それと背中合わせに歳三を相手取る一文字傷の総髪の男。

 歳三は土間の狭い通路を少しずつ進み、間合いを詰めた。手練れであると見た通り、総髪の若者は歳三に間合いを詰められるままに、刀を構えている。場慣れしているのだろう。

 歳三が仕掛けた。踏み込んで、籠手を撃つ。相手も応じて鍔で受けた。その瞬間、歳三は蹴りを食らわせ、相手を座敷の縁に倒した。すかさず突きを入れる。一撃、相手は身を左によじってかわしたが、その右腕に歳三の二の太刀が入る。叫び声が挙がった。

 赤茶羽織の男は敬助と鍔迫りになっていた。歳三が総髪の男にさらに斬りかかろうとしたとき、「土方さん!」と総司の声が聞こえた。

 血にまみれた男が表の総司の手を抜けて、裏口に走って来ていた。小刀を抜き、歳三に斬りかかる。歳三は一太刀をかわし、胴を払った。男の身体が崩れる。

 同時に、もうひとりの声が響いた。敬助だ。歳三が表からの男に対峙した隙に、総髪の男は赤茶羽織の男へ加勢し、敬助に襲いかかったのだ。

「山南さん!」

 歳三が振り返り、赤茶羽織の背中を斬りつける。男は敬助に覆いかぶさるように倒れ、一文字傷の総髪の若者は、裏口から逃げおおせた。


 外科医の手配に苦労した。正月の三日だ。出稼ぎの医師たちは、郷里に戻っている。ただでさえ、市中に残っている医師の数が少ないというのに、症例は刀傷だ。左上腕と右肘の下には切創、右手親指の付け根には刺し傷。倒れた時に打った左のこめかみの打撲。

 敬助は京屋の二階に寝かされていた。左腕の傷は大きいが、浅い。右腕の傷は小さいが、刃は深く達した感覚があった。親指の付け根はまだ血が止まっていない。

 総司がさらし布を代える。その顔は悲痛だ。

「総司くん、僕は生きているんだけどなぁ」

「そうですよ。だから、こんなに血が出るんだ」

 総司は決して口にしないが、自分があの男を取り逃がさなかったら、歳三が総髪の男から離れることもなく、敬助が傷を負うこともなかったのだと悔やみ、唇を噛んでいた。平助が相手していた男を斬ったさい、倒れた男が総司の袴を引いた。足を取られた総司の元から、あの男は逃れたのだ。

 敬助の右手からは、鮮血が流れる。敬助は、どうにも眠たくなって目を閉じた。


 目を開けると、慣れ親しんだ試衛館の面々が敬助の枕許を囲んでいた。近藤は今にも泣きそうにしているし、永倉などは既に泣いている。

「……僕、やっぱり死んだのかな?」

 敬助が口にすると、近藤が堪えきれずに涙をこぼして、敬助の胸に手を当てた。

「良かった、良かったよ! 山南くん! 目が覚めて良かった!」

 障子の向こうは既に夕闇だった。敬助は自分の手がきれいに包帯で巻かれていることに気付く。思ったよりも深く眠ってしまったらしい。医師が来たこともわからなかった。

「局長、申し訳ありません。ご心配をおかけしました」

 敬助が布団の中から微笑んだ。近藤が首を振る。

「謝ることなんて何もない。よく働いてくれた。本当に……!」

 近藤が涙を拭いた。総司も少し安堵した顔をしている。藤堂は敬助の左手を握っていた。

「平助……」

「山南先生、ごめんなさい」

「ありがとう」

 敬助はまた目を閉じた。身体が重く、耳に膜がはったように、皆の声が遠かった。

「歳三くんは?」

 目を閉じたまま敬助が尋ねた。岩木枡屋で見送られてから、歳三を見ていないことに気付いたのだ。

 近藤の声が答える。

「奉行所への報告に行っているよ」

「そうですか。……ひとり取り逃がしました」

「気にしてはいけない」

「はい」

 敬助は大きく息を吸って、吐いた。また、眠気が来る。

「皆は、年賀状、もう出したかな?」

「僕はまだです」

「俺も」

 総司と原田が答えると、皆が同意した。

「間に合って良かった。どうか、今日のこと……僕のことには……触れずに──」

 そのまま、敬助は眠りについた。


 八日。将軍家茂の一行が、大坂湾に入港した。

 翔鶴しょうかく丸、朝陽ちょうよう丸、順動じゅんどう丸……歳三の目に映ったのは、十年前、江戸湾に現れた如き蒸気船の艦隊だ。世に、攘夷の嵐が吹き荒れた。皆が、大砲で脅された開国の条約など無効だと主張し、脅しに屈した老中たちは腰抜けだと論じた。新撰組も、破約攘夷を唱え、今日まで来ている。

 そも、新撰組の発足は、文久三年の春、将軍上洛にさいしての洛中警護を目的とした清河八郎きよかわはちろう率いる浪士組にある。ところが、清河は上京した途端に、浪士組の目的は将軍警護ではなく、尊王攘夷だと明かし、江戸へ帰ってしまった。

 そのとき、清河へ従わなかった者が、芹沢鴨や近藤たちの一派である。当初の目的どおり、洛中警護を行うとして壬生浪士組を結成した。清川とは袖を分かったが、新撰組の本願は攘夷の先鋒。大坂湾──摂津における攘夷戦の一手となることだった。京都に直結する摂海に、異国船を入れることなど、あってはならないことなのだ。

 それが、今の大坂湾には、日の丸を掲げた夷狄の軍艦がひしめく。

 歳三は近藤を見遣った。近藤は、将軍の出迎えという晴れがましい日にはまるで似つかわしくない厳しい顔で湾を見ていた。その隣の総司は、船の煙突の数を数えるさすがの平然ぶりだったが。

 攘夷の本懐を遂げるまでは、幕臣の身分は受け取らない。近藤は会津にそう言って禄位の辞退を申し出たが、その本懐は、永遠に達成されないのではないか。そんな疑念が近藤と歳三の胸に広がっていた。

 将軍からして、黒船に乗っているのだから。

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