二、幼な子のdésir
一、会合
千歳は時折、歳三の目を盗んで前川邸の裏門をくぐった。離れと母屋の板塀の間を通り、母屋の厨を抜けると、東庭に建つ蔵の隣に簡素な作りだが、新しい厩舎がある。馬がいるのだ。
その日の夕方も厩舎に忍び入って磐城丸を撫でていると、母屋が騒がしくなった。副長助勤は広間に集まれと呼ぶ声が聞こえる。
千歳は皆が広間に集まるころを見計らって、見つからないうちに表門から出た。
集合をかけたのは、近藤だった。昼間、敬助としていた話が発端だった。
但馬国生野で変事が起きた。
農兵隊に想定していた地元の農民層が兵として集まる。これは、多摩の農兵隊編成にも影響を与えると近藤は見たのだ。
『山南くん、どう思うね。今回のように反乱が起きたとき、外部の者が兵を扇動して、意のままに運用する事態は想定されるべきだぞ』
『ええ。農兵隊自体、僕はあまり良いとは思いません。内乱に繋がりますから』
武力を持つ少数の者を都会に集住させ、君主が武力を管理し、武力を持たない多数の者を従える。戦国の世は、この仕組みによって治ったのだ。
武力を持つ者と、持たぬ者。この明確な仕切りが、身分を保つ。武装農民を再び作り出すことは、武士の持つ力への疑いが制度に現れることになる。
『武士は、武士になるべく武と学を修めます。武と農を修める農兵隊を兵と見做しては、今回のように変事に加担する者が出てしまうのも、道理であるかと思います』
敬助のゆったりとした声に、近藤は眉間にシワを寄せて、引き結んだ大きな口を開ける。
『その理屈でいくと、新撰組が……元より武家身分でもない者も多い我々が、武士になるということは身分秩序を崩すことになるのだろうか』
近藤は会津から打診された、直参としての召抱えの話を引き出した。
近藤の出自は農民だが、武家と町人の中間身分である道場主に養子縁組し家督を継いだ。江戸にいたころより、苗字帯刀を許されている。敬助も仙台浪人を名乗っているが、その実、中間身分の学者の生まれだった。土方の家は富裕ながらも、その身分は農民だ。歳三が土方を名乗り出したのも、上洛の直前になる。敬助が歳三とふたりきりのとき、「歳三くん」と呼びかけるのは、このためだ。新撰組を治める幹部三人は揃って武家身分でなかった。
『山南くん、直参へのお取り立て、応じるべきかと思うかね? いや、畏れ多くもお申し出に迷いを見せる不忠は百も承知で』
敬助は、近藤のこの生真面目さ、律儀さが好きだった。ひたすら、役割に応えようとする姿勢だ。
『近藤さん。武士の身分は免許制ではありませんか? 主君が与えもすれば、奪いもする。我々は与えられるだけの武と徳を修めた者と認められたのです。それは誇りに思って良い』
『そうか』
『ですが、僕は……』
『反対か』
『はい。我々、当初の目的は攘夷を遂げんとする大樹公のご上洛をお助け参らすこと。今日、我らの任務はもっぱら市中警護となっていますが、本願は攘夷の先駆けとなることです。それを叶えずして俸禄だけをいただくのは、筋が通りません』
『うーん』
『近藤さん自身は……』
『……迷っている。やはり、皆で一度話し合おう』
こうして、北の広間には副長助勤以上が集められた。車座になって向かい合う。
「では、まず挙手をしていただきたい。御公儀からのお抱えのお申し出、お受けすべきと思う者」
歳三の声かけに、まず井上が手を挙げた。井上家は
井上に続いて、武田、尾形が手を挙げた。迷いを見せながら藤堂が手を挙げ、最後に歳三も手を挙げる。
「反対する者?」
敬助が挙げた。永倉と原田、斎藤、島田も続く。最後に安藤が控え目に挙げた。
「……誰だ? 挙げてない奴」
歳三が指を折り、首を傾げる。「総司くん?」と敬助が尋ねた。
「ええ、挙げてません」
「どっちだい?」
「意見なしです」
ダメだ、とすかさず歳三に口を出され、総司は隣に座る近藤へと座りながらに身を寄せた。
「えー、じゃあ、勇先生に合わせます。勇先生が挙げた方に、僕も挙げますから」
「お前なぁ、自分で考えて意見示せったら。そのために集めてんだぞ」
説教の姿勢を見せる歳三に、総司は駄々っ子のような甘えた声を出す。
「勇先生だって、手ぇ挙げてないじゃないですかぁ」
「お前みたいに、勇先生の入れた方に入れる奴がいるからだろう」
「それの何が悪いんです? 土方さん。勇先生は新撰組の総領なのに」
「だから、総領であっても、それは名簿での話だって何度言ったらわかるんだ。お前は内弟子で、どこまでも勇先生にくっ付いて行くつもりだろうが、他所の者はそうもいかねぇだろうが」
「他所の者って?」
内外の線引きは難しい。試衛館の門弟は、歳三と総司、井上、それから敬助。後の永倉以下は、食客であって、門弟ではない。しかし、新撰組の前身、浪士組の立上げよりの同士であって、他所の者とは言えない。では、京都に来て以降の者が他所の者かと言えば、決してそんなつもりもない。
答えに窮した歳三を見て、永倉が声を挙げる。
「しかしですよ、前の主人がいる奴の中には、お召抱えとなったときのご挨拶が中々面倒な奴、いますよねぇ。まあ、誰とは言わないけども」
そう言いつつ、隣に座る斎藤を小突いた。
斎藤は旗本に仕える家の末っ子だったが、二年前、旗本の跡取りを喧嘩の末に斬り殺し、京都へ逃げて来ている。直参となり、旧主の身分に並ぶとなれば、まず先方に報告をするのが筋だが、報告を入れたら遺族の旗本が黙っていないだろう。
しかし、斎藤は我関せずと平然たる表情で、
「まあ、旧主も驚くでしょうねぇ。誰かさんみたいに、フラッとお屋敷から抜け出したまま行方不明の奴が、いきなり『徳川さまにお仕えしてもよろしいかなもし』と訪ねて来ては」
と言って、たまに伊予言葉を話す隣の青年の袖を引っ張った。
「俺かよ! それを言うんなら、せっかくお武家さんの婿養子になったのに、悪い友に引っ張られて、お家を抜けて来ちゃった奴だっているぜ」
原田が正面に座った島田を指差した。島田は参ったなぁと頭を掻きながら、永倉を見る。悪い友とは、島田が剣術修行に江戸に出ていたとき親しくしていた永倉のことだ。
歳三がため息をついた。
「なんだ、お前ら。反対派はみんな、スネに傷持ちかよ。──安藤さん、どっちに挙げるか迷ってたようですけど、あなたもですか?」
安藤は白髪混じりの頭を振って応えた。この初老を過ぎた元僧侶は小さな声で話し出した。
「私は……ほうですねぇ、新撰組の行く末を考えたならば、お召抱えは受けん方が良えかと思います」
「なぜですか?」
「ほうですねぇ、新撰組は朝廷から市中警護の任を受けとりますんで……新撰組がこんまま王城守護を旨とするならば、雇い主は――」
安藤が黙った。歳三が続きを促す。
「雇い主は?」
「天皇さんが良えでしょうな」
穏やかな笑顔にて言い切られ、皆が沈黙した。尊王を唱えはするものの、まさか、朝廷直属の組織になろうとまでの大それた考えは、誰も持ち得なかった。歳三が辛うじて言葉を発する。
「み、帝……?」
「はい」
「いやいや、いやいや……」
近藤が顔の前で手を振った。敬助とは先程、武士身分になることさえためらわれるという話をしていたのに、朝臣など望みを抱くことすら恐れ多い。
安藤は意見が取り合われずとも、気に掛けない。
「ほうですか。山南副長はどうお考えでしょう、反対に挙げてござったが」
「我々の目的は攘夷を遂げることです。それが果たされないうちに褒美だけいただくわけにはいきません」
「なるほど。平助、お前は?」
歳三は賛成派で手を挙げた藤堂に話を振った。藤堂は、宙を見つめて、寄せた眉根に悲壮をにじませながら語り出す。
「俺も……一応、旗本家の跡取りではあるし……たぶん、まだ。知らないところで、勘当されてなければ、だけど。お取り立てとなると、親父へなんと説明して良いやら」
父親との折り合いが悪くて家に居着かず、道場に入り浸っていた男だ。無理はない。
「だけど、やっぱりね。格ってものは大事だと思うんですよ。初めは、十数人の浪士の集まりだったけれども、今や六十人の大所帯だ。これから、隊が広がっていくんなら、俺は近藤先生を総領として、新撰組を一個の家となすべきじゃないかなぁと思います」
家とは何だと原田が尋ねる。藤堂は車座の中で、敬助と総司に挟まれた近藤を指して言った。
「家長が近藤先生。今はこうして車座だけれど、俺、父さまは奥に座って、子はそろってその方向を見るべきだと思う」
永倉が口を挟む。
「そりゃ、違ぇよ。俺たちは同士だ。同士として、集まってんだ。上段、下段なんかに広間を分けられては困る」
「だけど、これからもっと増えていくんだから。上下を明確にするのは軍の基本だ」
「憚りながら、私もよろしいですか?」
武田が大振りな白い扇を手に申し出た。小柄な、鋭い目の学者然とした武田は、見た目に相応しい整然さで語り出す。
「私もお取り立てには賛成です。藤堂くんの言う通り、戦場においては、指揮系統が明瞭かつ、意思決定が素早く行われる必要があります。すなわち、我々は近藤先生の家臣としてその下命を──」
「だから、武田さん! 俺たちは家臣とかそんなんじゃねぇ。言ってみれば、惣だ。寄合だ」
今度は原田が口を出した。島田も続く。
「僕も、新撰組の隊務は戦場ではないんですから、ことさら上下をつける必要もないんじゃないかと」
「ばってん、内の形と、外に見られよる格とは、別に考える必要のあっと思いますたい」
肥後言葉で話すのは尾形だ。色の白い物静かな漢学者だった。
「今、新撰組ば権威付けよるは、浅葱羽織です。武力ですばい。ばってん、それは脆かと。力による権威は、力に疑問ば持たれたら終いですたい。新撰組に、直参いう格の付けば──」
「浅葱羽織のどこが悪いっていうんだい? 尾形さん。俺たちは、力を以って新撰組の名をいただいたんだ」
「永倉さん、ばってん──」
紛糾し出した。近藤は腕を組んで、議論の行く末を見ている。敬助も議論の落ち着くのを待った。総司は完全に余所事で、指を刃筋に見立てながら素振りをしていた。
歳三は、あくまで今の寄合的集団のままでいたい永倉たちと、指揮系統を明瞭化して組織立たせたい武田たちと、それぞれの言い分を聞きながら、目を閉じる。どちらも、主張に筋は通っているだけに、落とし所が難しい。
「土方さん、土方さん」
井上が手を挙げながら発言した。それまで、喧々諤々と議論していた永倉たちも、井上が発言したことで、静かになる。
「土方さん、あんたは賛成だろう? どうして、さっきから何も言わねぇのかい?」
「考えてるんですよ」
歳三は言葉を切って、両手を袖口に差し入れて腕を組んだ。秋の夕風は涼やかに、米の炊ける甘い匂いを厨から運び込む。一息、吸い込んでから、口を開いた。
「東庭で飼われてる馬……なんだっけ? 常盤丸?」
「磐城丸です」
武田がすかさず訂正した。栗毛の牝馬は、芹沢が大坂との連絡用に買い付け、命名したものだ。
騎乗は武士にのみ許される。浪人集団とはいえ、新撰組隊士もまた、馬に乗った。しかし、京都市中での騎乗は、中級以上の武士でなくては許されない。
「俺は、近藤さんには騎乗で町を歩いてほしいんだ。だけど、今回のお話だと……どうも、そこまでの身分ではないようだなぁ」
「土方くん」
近藤が歳三を諌めた。
「そんな、お話にケチを付けるような物言いは──」
「近藤さん、俺は平助たちの意見、もっともだと思うし、同時に永倉たちの意見も絶対に軽んじられねぇと思うんですよ」
格式や統率の効率を優先して考えれば、直参の地位と隊内での明確な身分差を求めない理由がない。近藤がそう発言しないのは、いくら望ましくても、同士と言って寄り合った者たちへは、同士として接しなくてはならないためだ。
近藤の局長の座も、歳三の副長の座も、皆の同意に基づく。それを揺るがさないことが秩序であり、上に立つ者の役目だ。敬助へと視線を移すと、小さなうなずきが返される。
「それでは、土方くんは此度のお話、なんとお答えすると言うんだい?」
「そうだな。反対が出なけりゃ、俺はお取り立てに応じても良いと思ったが、こうとなれば……もっと良い条件を引き出すまで、保留ってことにしねぇか?」
歳三がニヤッと笑って見せた。斎藤が声を立てて笑う。
「はははは、土方さん。それは任侠の考え方ってもんですぜ。値段の釣り上げなんて」
「上げれるだろう? そんな機会を作ってこそ、新撰組らしいんじゃねぇか? 働けば良いんだ」
「土方さん!」
永倉が膝を叩いて応じた。
「俺は働くぜ!」
歳三が笑う。こういう表裏のない実直さが、永倉の良いところだ。俺もと原田が勢いよく手を挙げて、島田、沖田とそれぞれが意志を見せた。
「ってなところが、俺の意見だが──」
歳三は大きくうなずいて場を落ち着かせると、沖田と島田の間で動かずにいた尾形へと顔を向けた。
「尾形くん、隊服を新調しようと思うんだが、どうだろう?」
「……良かと思います!」
「隊の編成も考え直す必要があるな、平助」
「はい!」
「それでは――」
「俸禄のお話、どうしましょうか、局長」
歳三から言葉を引き継いだ敬助が、姿勢を正して近藤へと尋ねた。近藤は一座を見回してから、良く響く声で決議を述べる。
「今回は辞退を申し出る。俸禄に相応しい働きと、隊の体制を整えられてから、もしありがたきことに再び禄位のお話をいただけたら、そのときは平伏して受ける」
各々、これまで以上に隊務に励むようにと結ばれて、会議は解散となった。
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