十一、形見

 国学者たる芹沢に相応しく、葬儀は神式に則り、八木邸の庭で執り行われた。奏楽の中、祝詞が読まれる様子は、地鎮祭や秋祭りかのような光景だった。千歳は敬助から貸し与えられた袴に小刀を差して、最後列に参列した。

 後ろに並ぶ隊士たちは哀悼の意も薄く、様々噂し合う。

 長州者の仕業と聞かされるが、奇妙なのは手際が良すぎること。的確に芹沢を狙い撃ちし、それ以上の深追いをせず、瞬く間に消え失せた。つまり──

「追い落とし」

「やめておけ。詮索無用だ」

「芹沢局長派を近藤局長派が……」

「しっ!」

 人垣の最前列には、供物の並べられた祭壇に対して神妙に頭を下げる歳三が見えた。千歳の憤りは、一夜を明かしただけでは鎮まらない。


 式後、芹沢の居室を片付ける雅たちを手伝った。隊士による検分のさいに血は拭われていたが、その染みはありありと壁や調度の品々に残っている。

 芹沢は大量の書物や書状と共に、種々の骨董品や、博物の品を仕舞い込んでいた。千歳は無造作に重ねられた須恵器の盃を廃棄用の箱に入れた。

 源之丞が血に染まった本入れを箱の脇に置いた。重たい音から、中身を出していないことがわかる。中を検分すると、汚れていない。

「……これ、いただいても良いですか?」

「お仙さん、こないに難しい本、読まはるの?」

 源之丞が驚いて尋ねる。千歳は静かにうなずいた。これから、読んでいくつもりだ。

 片付いたころ、総司がやって来た。

「勇坊、怪我したって……」

 千歳は、縁に腰をかけて言う総司の後ろを通り抜け、玄関へ周る。倒れ込んだ芹沢の下で泣き叫んだ勇之助は、脚を斬られていたらしい。

「そやけど、平気やて。今は兄弟一緒に親戚の家で面倒見てもろてます」

「そうですか……。お気の毒に」

(お気の毒に……)

 千歳は前庭を当てもなく歩きながら、総司の言葉を繰り返した。他人行儀な言葉である。総司の手による傷かもしれないのに。

(美しい人から死んでしまう……? じゃあ、当局の安泰は確実ですね、先生)

 闇討ちなどと卑怯な行いをしながら、それを隠して、哀れんだ声をかけられるのだから。自らの手で殺しておきながら、哀悼を装って拝礼できるのだから。

 道場の傍では、薄が穂を開いていた。幾束もの銀の房は、風に揺らされて、昼下がりの日差しに照り返る。

 その足下から猫の鳴き声が聞こえた。か弱い声だ。草を掻き分けると赤毛の仔猫がいた。足先だけは白い毛が生えているが、右の後ろ足の毛は抜け落ちて、膿と血で固まっていた。千歳を見て怯えながらも、立つことが出来ずに、じりじりと後退る。

「おいで、おいでよ」

 千歳の声に、子猫は精一杯に威嚇をする。親に見捨てられたのだろうか、背骨が浮き出るほどに痩せこけていた。

「怪我してるんでしょう? 手当てしてやるから、ほら……」

 薄の中から抱き上げようとするが、仔猫は足を引きずりながら逃げる。千歳は哀れんで、仔猫の正面にしゃがみ、抱き上げた。

 仔猫が手足を振り回し、鳴き続けて抵抗した。その爪先が、千歳の左手首の内側を鋭く引っ掻く。痛みで仔猫を取り落とした。

白い手首に、鮮血が一筋浮かぶ。千歳は目が眩んだ。

(……美しい人から死んでしまうんじゃない。弱い奴から死んでいくんだ)

 芹沢の最期を思い出す。逃げ去る途中に転び、背中に突き刺さる刃。

(強くなくては殺されてしまう。ほら……こんな風に)

 小刀の鯉口を切り、抜く。構えて立ち上がり、仔猫の首に狙いを定めた。

「何をしているの!」

 総司が走り来て、千歳の右手を掴み、小刀を奪い取った。千歳は手首を握られたまま抵抗せず、総司の方に顔を向けることもしないで、虚ろに聞いた。

「殺してはいけないと言われるんですか?」

「この子が何をしたって言うの?」

「……ダメなんですか?」

「どうかしている!」

 総司は千歳の腰から鞘を引き抜いて小刀を納め、千歳の目の前に突き出す。

「君にこれを持つ資格はない!」

 師範の顔である。気迫がこもり、決してこれを討ち取ることはできないと思わせる。しかし、総司が哀れみの声を出したり、剣術を語ったりするほどに、今の千歳は総司に不信を覚えるのだった。突き出された総司の拳に手を重ねる。

「でも、芹沢先生は……」

 違うのか、お前は殺した。言わずとも、千歳の乾いた琥珀の目を受けて、総司は身体を強張らせた。一瞬の沈黙の後、呪縛を解くように、千歳を突き飛ばし、小刀と共に、仔猫を袖に抱えて立ち去った。

 千歳も立ち上がって砂を払う。敬助の袴だが、幸い汚れはしなかった。懐紙を出して、手首に当てると、そのまま、坊城通へ出た。秋の日差しの中、どこへ行くでもなく道を下った。

 強くなくては殺されてしまう。強い者の妨げになっても、殺されてしまう。しかし、強くても殺されるときはある。団結した弱い者たちには敵わない。

 彼らが舞台の主役だとしたら、観客は、威張る強者より、それを打ち倒した弱者を讃えるだろう。では、その観客とは誰だ。

 自分は違う、千歳は軽くなった腰に手を当てて思った。

(八木さんたちも。もしかしたら、他の隊の人たちだって……)

 芹沢に留めを刺す歳三の影を思い浮かべる。

 もしかしたら、芹沢を討ち倒す劇の観客は彼ら自身・・・・なのかもしれない。彼らは役者であり、その物語によって奮い立たせられる観客だ。たった一つの枡席にだけ集った観客。

(近藤局長派。総司さん、それから、あの人──)


『何をしたって言うの?』


 総司の声が思い出される。

 何もしていないのに殺すことを咎められるのならば、何かしていたら殺して良いのか。芹沢は何をしたから、殺すに足る者と見做されたのか。

 千歳の中で、生死とは、あくまで自然の力の作用であるはずだった。


 夕刻、千歳は八木邸に戻った。玄関を入ると土間にいた雅が飛んで来て、千歳の肩を両手で包んだ。

「お仙さん、どこ行てはったん! お外には──」

「もう良いんです、勝手に出たって。もう守らない」

 勝手に出歩かないことを含め、あれらの条文は父かもしれない人からの言い付けだから、守る価値があったのだ。今の千歳にとっては、破ることすら大した意味を持たない文言になっていた。

 千歳の諦念すら含む返しに、雅は言葉を継げなかった。それでも、手首の傷に気が付き、優しく階段の間に座らせる。焼酎と薬箱を出して、千歳を手当てした。その間中、微笑みながら千歳に語りかけたのだった。

「お仙さん、心配したえ。そら、どこ行かはるか、そんなんあんさんの勝手やわ、な。言わはるとおりや。そやけどな、いはる思うて、姿の見当たらへんかったら、心配してまうやろ? どこ行こ思うとります、言うてくれはったら、ウチ、気いつけてぇなぁて、見送れるやろ、な?」

 京言葉のなんと柔らかなことか。雅は約を破ったことには触れなかった。ただ、千歳を案じるのみ。

 雅が千歳の手を握る。心配と慈しみが伝わってきて、千歳は黙ってうなずいた。雅も微笑む。

「ほな、次からは、な」

「行ってきます、言います」

「ふふ……おおきに、ありがとさん。そしたら、行って来ぃや、言いますわ」

 雅は優しい。しかし、世の中には優しい人ばかりがいるわけではない。直前まで同じ祝宴で飲み交わしていた者を殺す人、暗殺の巻き添えで怪我をさせた幼な子を第三者の視点で悲痛にも哀れむ人。

「あ、脇差……」

 昼間、総司によって取り上げられたことを思い出した。


 前川邸の長屋門をくぐる。居室の隊士が気付き、対応してくれた。芹沢の葬儀のさい、千歳の前に立って参列していた若い瘦せぎすの隊士である。

「──沖田くん? 随分前に出やったけんじょ」

 京よりもさらに西国の言葉で彼は答えた。

「泊まりですか?」

「どうじゃろ」

「じゃあ、山南副長は」

「沖田くんと一緒に。どないしたん?」

「えっと……」

 千歳が言い淀んでいると、奥から斎藤が出て来た。

「なんだ、酒井くんじゃないか」

「ああ、斎藤さん。なんや、沖田くんにご用じゃて」

「僕が聞くよ。ありがとう、荒木田くん」

 荒木田と呼ばれた細っこい青年は、千歳に微笑んで奥へ戻った。

「それで、何?」

 斎藤が尋ねる。

「……預け物を返していただこうと思って」

「急ぎ?」

「……できれば。大切な物なので」

「あ、副長ならいるよ」

 山南副長・・は、荒木田曰く、総司と一緒に外出している。だとすれば、斎藤の言う副長とは──

「土方さん」

 斎藤は早口に、短くしゃべる。

「えっと……いや」

「沖田くんが帰って来たら、返してもらえるように、副長に言っておいたら? もしかしたら、副長から返してもらえるかもしれないし」

「あの、でも……」

 今から歳三と対面することは遠慮したい。こちらは、あの六か条を一方的に破約しているが、あちらの中では未だ、勝手に前川邸に立ち入らない約束が生きているのだから。わざわざ怒られに行くことはない。

 しかし、斎藤はそんな千歳の困惑を意に介さず、千歳の右手を引っ張って、中に引き入れる。

「まあ、行こうか。虫に喰われるでしょう。早く」

 斎藤は歳三に経緯を説明すると、千歳をひとり副長部屋の開けられた障子戸の前に残して行ってしまった。歳三は蚊帳の中で書き物をする。浅黄色の薄い帳を隔て、千歳は身を固まらせて、歳三と対面していた。

 千歳が副長部屋に立ち入るのは、実は二度目だ。芹沢が暗殺された日、八木邸で寝られなくなった千歳を敬助が泊めた。その日、敬助も歳三も副長部屋には戻らなかったので、千歳はひとりでこの部屋に寝て、皆が起きだす前に八木邸へ戻ったのだ。

 そのため、副長部屋にて歳三と対面するのは初めてだ。

「ここに置く約束を言ってみろ」

 筆を走らせながら歳三が低く言った。千歳は正座のまま、黙って俯いている。

「一、勝手に前川邸には──?」

 歳三がわずかな苛立ちを含んだ声で聞くので、

「……立ち入らぬこと」

と千歳は返した。ここで答えなくては話が進まない。

「今回は斎藤が勝手に引き入れたってことにしておこう。それで、なんの用だ、総司に何貸した?」

「……脇差を」

 その脇差とは、千歳が上京して来たさいに帯びていた、艶消し黒漆の上等な小刀のことだと歳三はわかった。しかし、この娘は日頃、帯刀をしていなかったはずだ。

「なんだってまた、そんなもん総司に」

「……取り上げられました」

「全く。何したよ、お前」

「……とにかく返して欲しいんです」

「総司に直接言え」

 千歳に事情を話す気がないのをみて、歳三は興味なさ気に言い捨てた。

「お前と総司の問題だ。ちゃんと謝っておけ」

「謝る……?」

「総司は剣に関わることで軽々しく動かねぇ。よっぽど態度が悪かったんだろう?」

 この娘が武士でないにせよ、他人の刀を勝手に触るなど、到底許されることではない。いくら、普段の総司が世事に疎く飄々としているとはいえ、礼儀だけは厳しく近藤に叩き込まれている。剣に関わることなら、なおのことだ。

 しかし、千歳にしてみれば、態度が悪かったなどと言われる覚えは少しもない。膝の上で裾を握り込み、震えを抑えて話した。悔しさよりも、今は恐れが勝っている。歳三に対してではない。命の重さに対してだ。

「私は……猫に刃を向けました。それを総司さんが止めに入って、殺してはいけないと言われました。そのまま、脇差を……」

「なるほど。そりゃ、総司の言い分が最もだろう」

「……そうですか?」

「ああ」

「総司さんは人を殺すのに?」

 千歳が歳三の目をまっすぐ見た。強い非難と軽蔑は、麻布越しにも強く歳三に刺さる。

「あなたも殺したのに……闇討ちで、殺したのに……」

 歳三は浅く息を吸ったきり、言葉を返せなかった。低く冷たい声が歳三に迫った。

「あの脇差は、兵馬先生が残してくれたんです。返してください、形見なんです」

 昔愛したはずの美しい目が蔑んでいた。兵馬の形見。お前が殺した。闇討ちで――

 思わず言葉が口を突く。

「俺は泊まってこいと言ったんだ。それを、お前が──」

 千歳が弾かれたように立ち上がり、乱暴にも障子を閉めた。

「静かに閉めろ!」

 歳三の耳には、去って行く千歳の荒い足音が響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る