九、企て

「諸君。足下悪い中お集まりいただき、誠にご苦労。それでは、このたびの隊名拝領を祝し、また、今後ますますの研鑽を誓い合う乾杯の音頭を、筆頭局長に取っていただく」

 近藤がよく響く声で松の間の隊士たちに告げた。隊士は五十人ほど。そこに、酌婦の芸妓衆もいる。千歳は壁を背にして座る敬助と総司の間に収まっていた。上座に近いため、居心地が悪い。

 芹沢が立ち上がり、近藤以上に朗々とした声で語り出した。

「筆頭局長芹沢鴨である! ここはいつもの冴えたる論舌を封印して……ははは、封印してだな! 各々、酒は手にあるか? では、我ら新撰組の前途を祝して、乾杯──!」

「乾杯──‼」

 銘々の杯が高く掲げられた。

 敬助も総司も、その中身を水にするようこっそりと芸妓に頼んでいたことを千歳は知っていた。千歳には問答もなく、水杯が差し出された。


井上源三郎いのうえげんざぶろうさん、原田左之助はらださのすけ永倉新八ながくらしんぱち藤堂平助とうどうへいすけ。これに、総司と山南さん、俺を加えて、試衛館の門弟たちだ」

 歳三が次々と紹介していく。千歳は歳三が言い連ねる各人の名を、せめて名字だけでも覚えようと口の中で繰り返した。

 三十代後半の、小柄で、温厚そうな顔立ちの井上。原田は、白く血色の良い肌に、パッチリとした目をしている。永倉は小柄な方で、柔らかそうな丸い頬をした青年だ。藤堂は際立って小柄だ。一番年若なくらいだろうか。丸い面持ちと唇が、少年らしさを残していた。

 歳三が千歳を指して、紹介する。

「この前、俺を訪ねて来た酒井仙之介だ。生まれは江戸で、昔世話になった人の妹の子だ」

「ひ、土方さん。まさかとは思うがねぇ。この坊ちゃんは……」

 永倉が千歳と歳三を見比べながら尋ねた。千歳は皆の視線が自分に集まるのを感じて、目線を膝に落とす。

「妄想は控えろ。──ほら」

 歳三に促され、千歳は両手を着き、頭を下げた。

「さ、酒井仙之介と申します。八木さんのところでお世話になっております。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「なんでまた、京都まで? 仙之介坊ちゃん」

 今度尋ねてきたのは、原田だった。「昔世話になった人の妹の子」だなど言われたら、興味を持たずにはいられない。

「あの……母が亡くなりまして、ご挨拶に」

「おお……それは、どうも、ご愁傷さまでございます。……それで、あんたは──」

「すまねぇ。こいつには別室で食べるように用意しているんだ。挨拶だけさせようと思って連れて来た。料理も冷めちまう。案内してくれるか」

「へぇ」

 歳三が場を切り上げて、千歳を退出させる。千歳は一礼してから立ち上がり、案内の芸妓を追った。原田は総司に耳打ちする。

「……おい、総司。甥っ子じゃねぇってよ」

「そうなんですってね。聞き間違いかしら」

 たしかに、甥と聞こえたはずだが、違うというなら、そうなのだろう。

「かわいい坊ちゃんでしたね」

 藤堂が永倉に言うと、永倉は首を傾げて返す。

「お前ぇが十八のときの方が、もっとかわいかったぞ」

 藤堂がため息をついて、酒を飲んだ。井上は苦笑いで当時を思い出す。かわいいと言われたら、鬼のように怒り出し、一度怒ると手に負えなかった藤堂も、いざ歳下の子を見たらかわいいと評する。もっとも、井上からみれば、双方の年に大差はない。

 

 原田が副長部屋に呼ばれたのは、前日の夜半だった。心当たりである斎藤との賭け花札を思い出しつつ、頭を掻いて副長部屋に入る。そこには、敬助と歳三の他、近藤、井上に総司までいた。いよいよ、尋常ではない。

『おとろしや、切腹かなもし』

 原田は普段、皆に合わせて江戸言葉でしゃべるが、ふざけるときは故郷の伊予言葉を使う。しかし、おとろしや──怖いな、と言ったのは冗談ではない。総司など、今すぐにでも人を斬れそうなくらいの殺気を放っている。十代で斬り損ねた腹を遂に召す時が来たかなと、原田は自身の腹に手をやった。

 近藤が一言、座れと言う。入り口のすぐに側へ腰を下ろすと、もっと寄れと井上が手招いた。真冬でもないのに、皆、寄り合っている。なるほど、コレは暗殺だなと原田は間を詰めた。

 討つは芹沢一派。

『宴席では、呑ませろ。足も立たぬくらいに。屯所に戻してから、長州者の体をして襲う』

 歳三が八木邸の間取りを開き、それぞれの部屋を指して、誰がいるか説明した。その間取り図は、敬助が千歳に饅頭を渡しに行ったとき、隊士の部屋割りを変えるとの名目で邸内を調べたものだった。

 庭から入って手前の東の間、ここが芹沢。南に続く二部屋にはそれぞれ、芹沢の配下がいる。

『呼ばれたってことは、俺がやるのか?』

『ああ、後は、俺と総司と……』

『私だ』

 敬助が強くうなずいた。普段は厚いまぶたが目を隠しているが、この時は少し灰がかった目が原田を見返していた。


 原田の手にある杯も、やはり水だった。酒が飲めないのは残念だが、ただでさえ目が効かない夜に襲撃するのだから、足許に影響を与えるわけにはいかない。

 ふと気付く。今、紹介された子ども、仙之介坊やは八木邸にいると言った。雅や子どもたちの寝床は確認したが、あの子の位置は聞いていない。

「おい、土方さん」

 原田が立ち上がり、膳と妓を避けて歳三に近付いたとき、

「おう、土方よ! こっち来い、こっち来い!」

とよく響く声で芹沢が上機嫌に歳三を呼んだ。

「はーい、ただ今。──すまねぇ、左之助。また後で」


「一応、紹介はしてるみてぇだな」

 芹沢が歳三に注がせた杯を傾ける。歳三はすぐに空になる杯に銚子で並々と注いだ。

「お前ぇ、あいつとちゃんと向き合ってやれよ」

 歳三は芹沢の杯の残りを見た。このまま、二合ほどは飲ませたい。銚子の中身はまだあった。

 芹沢は答えない歳三を指差して、「仙坊のことだぜ」と言った。歳三が小さくため息をついたのを見て、芹沢はニヤニヤと笑った。

「察するにアレだ、昔の女の子どもが……お前ぇの子かは知らねぇが、頼る人もなく、お前ぇを訪ねて来たわけだ。違うかい?」

「……お察しのとおり」

 この男は酔いどれのようで、人の心を読むことが上手い。つまり、相手の欲しい言葉を与えられる反面、突かれたくない弱点をも意地悪く突くことができるのだ。

「お前ぇ、仙坊をどうするよ」

 歳三の手から銚子を取り、手酌する。歳三は芹沢の肩を越えて向こうの屏風を見つめていた。屏風には、唐の緩やかな衣装を着た娘子がふたり、団扇を手に蝶々と遊んでいる。歳三は滔々と答えた。

「しばらくはこのまま、八木さんに預かっていただこうかと思っております。それから、元服を迎えるころには、義兄の縁でも頼って、どこか養子に──」

「お前ぇ自身が、あいつに何をしてやるかって聞いてんだ」

 芹沢が歳三の言葉を遮る。その顔の赤らみは、酔いからくるものだけではないだろう。歳三は鋭い目に捉えられた。

「私自身……」

「そうだ」

「私なんぞは……何も」

 再び銚子を取ろうと伸ばした歳三の右手を、芹沢が鉄扇で叩く。鈍い音が響いた。歳三が手を引くのと同時に、芹沢がその襟首を掴んで、引き寄せる。

「全く、なんて情けねぇんだ、土方! あいつはなぁ、お前ぇさんが父さまかどうか知りたくねぇんだと。なんでか、わかるかい? わかってねぇだろうなあ!」

 わからない。父を尋ねて京都にまで上って来たのではないか。睨み返す歳三に芹沢は声を絞って言った。

「お前ぇさんに、父さまじゃねぇと突き放されたら、天涯孤独が決まっちまうからだろうが!」

 芹沢が手を離し、歳三は襟を直す。敬助が歳三を案じて目配せしたが、平気だと手で制した。今夜死に逝く男の説教くらい、最後まで聞いてやるのが礼儀だ。

「お前ぇが否定しなければ、父さまかもしれねぇから、自分は天涯孤独とは決まってない。そんな、儚いはかない希望を後生大事に抱えるほど、あいつぁ孤独なんだよ。わからねぇかい? お前ぇさん、あいつのこたぁどう思ってんだよ。仙坊をかわいく思わねぇのかい?」

 正直に言えば、昔自分を振った女にそっくりな娘が現れて、素直にかわいがれるはずもないと思っている。しかし、ここでかわいくないと答えて説教を長引かせ、呑ませる酒の量が減ってしまっては困る。かわいいとは思うと答えよう。そう口を開きかけたとき、

「言ってみろよ。どうせ俺もすぐに死ぬ。墓場まで持っていくさ」

と芹沢が杯をあおった。

 歳三の顔が動揺に青ざめる。

「どうなんだ?」

 この鋭い目の前では、嘘など通らない。今の芹沢は酒を飲んでいても、酔ってはいない。道場で稽古を付けるときの顔だ。

「……い、いきなり現れて、かわいいとは思いません」

 歳三の口から、上擦った声が漏れる。

「境遇を聞くに同情はするが、かと言って……」

 愛することはできない。

 志都を初めて見たときから、きれいな娘だと思った。志都が兵馬へ思いを寄せていると知りながら、唇を重ねた。付き合う内に、いずれ、自分だけを見てくれるだろうと。それが、一年も経たぬころ、避けられ始め、兵馬に挑まれた剣術の試合では負けた。

 十三年が過ぎ、先日。千歳が志都と生き写しであると気付いた瞬間、愛しんだはずの容貌は、歳三の奥底から嫌悪を呼び起こした。

「あれは私にとって、若塾頭に負けた証みたいなものです。剣術でも……惚れた女でも、私は敵わなかった」

「なるほど、気位の高ぇお前ぇさんらしい理由なこった」

 歳三はため息をつき、額に手を当てて、頭を振る。芹沢は歳三の心の揺らぎを意にも留めず続けた。

「まぁ、俺もよく知らねぇが、兵馬の子だろうな、あいつぁよ。素直さ、優しさ、聡明さ。お前ぇさん譲りたぁ思えねぇよ。良い子だなぁ!」

「ええ、ええ。私もあの子はあの人の子だと思っています」

 歳三が投げやりに答えると、芹沢が、馬鹿と怒鳴った。

「んなこたぁどうでも良いんだよ。一度愛した娘の子だろうが。父親としてでも良い、師匠としてでも良い、あいつにとって信頼できる人間になってやれ」

 芹沢は歳三に杯を持たせて、酒を注ぐ。

「どうせ、お前ぇもいつとも知れぬ身だ。与うる限りの情をかけろ。あいつ自身が信じ合うに足る相手を自力で見つけ出せるまで」

 歳三は手の中で揺れる酒を見た。これを飲むわけにはいかない。今からの計画に支障をきたす。しかし、芹沢の言葉は、歳三の胸を強く突いて、自身の未熟を露呈させる。

 歳三は一口で杯を飲み干した。

「あいつの人生が孤独かどうかは、お前ぇさんの向き合い方にかかっていると思うがねぇ」

 芹沢は歳三の杯を取り上げると、歳三などいないものかのように手酌で呑み続けた。

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