間話 贖いと救いの道③
アドルフは、まだハイムシュタット公国に留まっていた。
今は夜、木陰に隠れて獣が寄ってこないよう、焚き火をしている。
……あいつは、生き延びていけるかな。
冷たい態度で突き放し、置いてきたリリアンを思い出す。
自分の犯した罪に比べて、彼女はまだきっと救いの余地はあるだろう。
仮に、王国に見つかったとしても、自分ほどの断罪はされまい。
そう思って、彼は彼女を解放した。
……僕は、変わったのか。それとも気の迷いか、気まぐれか。
まあ、あいつは聖女候補で教会に入り浸っていたせいか、連れ回す間、よく聞かされたものだ。
「あなたのことだって、神は、悔い改めれば、お許しくださるわ」
アドルフは、焚き火の前で焼いた魚を食べ、そのまま、座り込んで焚き火にあたる。
チラチラと揺れる火からは、時折、パチン、と薪がわりにしている小枝が火に爆ぜる。
あとは、時折聞こえる獣の遠吠え、それだけしか聞こえない。
「リリアンは、ちゃんと食べられているかな」
そういえば、逃亡期間中の食事に関しては、彼が火魔法を使える関係で、自分が二人分を用意していたっけ。
彼女は火魔法を使えない。
獣を狩れても、火で焼けないのであれば、致命的だ。
食べていけるのだろうかと、生き延びられるのだろうかと、手放しておいて、気になった。
「……彼女が気になりますか?」
突然、自分の隣から女の声が聞こえた。
黒い服、そして、顔には仮面を被り、その表情は読み取れない。
そんな、いかにも怪しい人間が、気配もなく、自分の隣に並んで座っていた。
名もなき暗部の『鳥』だ。
「……そりゃ、あいつは火も起こせないし、女一人で放り出してしまったし。……大丈夫なのかな、とは思っている」
アドルフは怪しい女だと思いながらも、なんとなく肌で力の差を感じた。
そして、リリアンと自分の関係性も把握されている。
だから、ひとまず相手に合わせてみることにしたのだ。
そうして、心に重しのように残っている、リリアンが無事であるかについての懸念を吐露した。
「……変わりましたね、あなた。あれだけ子供の傲慢さと不遜さと、力を誇示して、他者を踏み潰して生きていたというのに」
その女の言葉に、アドルフは、ぐっと息が詰まりそうになる。
なぜならそれはまがいようもなく、過去の愚かな甘やかされていた頃の自分の姿そのままだったから。
「自分の軽率な行為が、どういう結末につながるか、知ったからね。……今更もう、遅いけど」
自嘲しながら、アドルフが笑う。
この女はなんだろう。
ここまで知っているということは、とうとう刺客に捉えられたか。
一通り、自分の愚かな人生を笑ったあと、再び二人の間に沈黙が支配する。
「あなたに、選択権をあげましょう。……罪の贖い方についてです」
「……贖い?」
何を突然言い出すのだろうと、アドルフは身を構える。
「そう。罪や過ちの償いをすることをいう、古い言葉です。一つは、死をもって罪を贖う。死罪ですね」
それも当然か、と、アドルフは下を向いて笑う。それは、もうあの日から何度したかわからない自嘲だ。
「もう一つは、陛下直属の暗部の人間として一生働くこと。……私達のように。あなたの場合は、邪法を使った場合に検知かつ阻害できるよう、一生外れない魔道具をつけることが条件です。そして、仕事は清濁区別はありません。そうですね、国の裏の掃除屋のようなことも命じられます。国のために人知れず働くことで、罪を贖っていく。それがもう一つの道です」
女の言葉に、アドルフは驚いて大きく目を見開く。
「……死、以外の選択肢を与えるというのか? しかも、陛下の配下、として?」
……罪を、死以外の方法で償うことを、認めるというのか?
つうっとアドルフの頬を温かい液体が伝う。……涙だ。
それはもう、決して彼には与えられない選択だと思い込んでいたから。
与えられた生き方も、決して楽な人生ではないだろう。それでも、罪を悔い、人のために生きていけるのだ。
その選択権を与えてくれた、この女の上司……国王陛下の温情に、思わず涙が流れたのだ。
「アドルフ。私たちとともに暗部の人間として生きますか? ……決して報われない道だとしても」
そう言って、女がアドルフに片手を差し出した。彼は、決意の意思を込めた瞳で彼女と視線を合わせ、一つ頷いた。そして、その彼女の手に自らの手を預けた。
その瞬間、女の能力で転移する。移った先は、カーテンも締め切った小さな部屋。
そこに、二人の男性がいた。
ただし、他にも人の気配はあって、きっと自分が何かしでかそうとすれば、その瞬間に自分の命は奪われるのだろうと、アドルフは、ゴクリ、と唾を飲み込む。
そこにいるのは、国王陛下と枢機卿猊下。
アドルフの大罪をその場で目にされた、この国の施政者だ。
「暗部として贖罪の道に生きることを選んだようだね」
国王陛下がアドルフに声をかける。
立ち尽くしている己に気がついて、慌ててアドルフは膝を突く。
「その道を行くことをお認めくださるのであれば……、今度こそ、道を違えず、国のために働くと、誓います」
その言葉を聞いて、枢機卿猊下が満足げに頷き、懐から、鈍い銀色の指輪を取り出した。
「君は、邪法を行使する能力を得てしまっている。だから、それは、この魔道具で封印させてもらうよ。嵌めなさい」
そう言って、手渡された指輪は冷たく、何よりも重い、枷のように感じる。
けれど、彼は、もう何も知らない愚かな少年ではなかったから。意を決して、その指輪を自ら嵌めた。
「名前は、何にしようか」
陛下がしばし思案する。
「『鴉』はいかがでしょう。神の使いとしても表現される鳥です。今後は、罪を悔い、贖罪のために国に尽くすこの子には良い名ではないでしょうか」
「うん、そうだね。アドルフ、もう君はアドルフを名乗ることはない。……『鴉』それが君の名だ」
そう、アドルフは陛下に告げられる。
……『鴉』。贖罪のために、国に尽くす者。それが、俺か。
「この『鴉』、我が力をもって、陛下に、猊下に、国のために尽くします」
そう言って、アドルフは、いや、『鴉』は首を垂れた。
◆
「さってと、リリアンはどこかな……」
黒装束の少年が高い木の枝から、小さな村を見回していた。
初期訓練の合間にと彼に与えられた最初の仕事は、定期的なリリアンの監視と見守りだった。
「聖女様〜!」
その声に目を向けると、幼い二人の子供にまとわりつかれるリリアンがいた。
「私なんかが聖女な訳ないでしょう。本物の聖女様に失礼ですよ!」
その側では、彼女をこの道に導いた青年も笑いながら見守っている。
子供達を叱るリリアンの言葉に、子供達は頬を膨らませる。
「だって、お姉さんが父ちゃんの無くなった足を元に戻してくれたんだ! 父ちゃん、早速昨日野うさぎを仕留めてくれたから、僕たち、久しぶりにお肉を食べられたんだよ!」
よかったわね、とリリアンに頭を撫でられながら、彼らは『鴉』の視界から遠ざかっていく。
……アイツ、そのうち『辺境の聖女』なんて呼ばれたりして。
『鴉』は、その日の当たる明るい光景に目を細めた。
道は違えど、二人は、贖いの道を選び、少しずつ少しずつ救われていく、そんな人生を歩み始めたのだった。
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