第138話 新しい技術と陛下の依頼

「ところでデイジー、君はアトリエをやめて教師をしたいかい?」


 ……学校のことを言い出したのは私。でも……。


「自ら提案をしておきながら、我儘なのは承知です。ですが、私の望みは、自由にアトリエを経営することです。それと、私はまだ十歳。親御さんが子供を預けようと思っていただけるかどうか、……自信がありません」

 私は、申し訳なさに思わず下を向いて俯いてしまう。

 そんな私を見て、陛下は意外にもくすくすとお笑いになる。

「知ってるよ。大丈夫、顔を上げなさい。君のことは五歳の時から知っているんだからね」

 そうして、ニッコリ笑いかけてくださる。

 私は、顔はあげたものの、訳が分からず、首を捻る。

 そんな陛下は、宰相閣下に視線を送り、説明を促す。

「錬金術科の教師は、国の方で適任者を選定しましょう。才能あるとはいえ齢十歳の少女では、侮られたりなど不本意な思いをされるであろうことは想定済み。そして、陛下はデイジー嬢がそのような不快な思いをされることをお望みではない。また、デイジー嬢は、教師として小さく収まらずに自由に研究をされる方が国のためになりましょう。ただし、一つお願いがございます」


 ……はて、なんだろう?


「『教科書』の原案を作っていただきたいのです」


 えっと。『教科書』とはなんだろう?

 そういえば、私は勉強は自宅での家庭教師からの教えで修めてしまったから、学校に行ったことは無い。『学校』という仕組みが、そもそもいまいち具体的にはわかっていなかった。

「学校で使う教材、教本のことですよ」

 そんな私に、宰相閣下が砕いて教えてくださった。

 なるほど、それを教科書と言うのね。


「それならば、過去の先達達の書かれた錬金術の初級本で良いのではありませんか?……あ、いや、そうか。あれは、どこに何が書かれているのか探すことから苦労するし、素材の使用量等を筆頭に、具体的な記述が少ないですね」

 そう、だから私はさんざん苦労したじゃない。

 栄養剤なんて、なんて記述が酷かったことか!


「そうなんだよ。だから、これを君にひとつ譲ろう。これは『上皿天秤』という重さを量る器具で、職人に作らせたんだよ。そして、重さの単位は『エイト』と定めるつもりだ」

 そうして、宰相閣下のそばに控えていたお付きの方から、私にその『天秤』という器具が渡される。

「この平らな二つの皿の上に、重さを量りたいものを置きます。このように……」

 私が受け取った『天秤』を机の上に載せると、お付きの方が用意していたように金貨を一枚載せる。

「そして、左側の皿には『分銅』という重さの基準になるものを載せます。分銅は手でお触りにならないように。錆びて重さが変わってしまいますので。このように、ピンセットを使います」

 彼は、木の箱を出してきて、それを開ける。中には、円筒形の金属が入っていた。そして、その中からひとつピンセットで挟み取って、皿の上に載せる。その『分銅』には30という数字が書かれていた。

 いつぞや幼い頃に、あの挟む小道具が欲しくて『毛抜き!』と叫んだが、ピンセットという名前があったらしい(ちょっと思い出して恥ずかしい)。

「未使用の金貨一枚が三十エイト。これが基準値です。また、製造時の微細な誤差もあるでしょうから、基準となる金貨を一枚に決め、それを厳重に保管しています」

 そう説明して、お付きの方は金貨と分銅をしまい、宰相閣下の後ろに戻った。

「すごいわ!これなら、『教科書』に、その必要量が記載されていれば、誰でも同じ分量の素材を使って薬剤を作れるんですね!」

 なんて革新的なんだろう!私は感動で思わず胸に手を添える。


 陛下は感動して色んな角度から『天秤』を眺める私を微笑ましそうに見守っていた。

「デイジー、驚くのはまだ早い。もうひとつ君をびっくりさせるものがあるんだよ」

 そう言って陛下が、さっきのお付きの方に目配せをすると、彼は今度一冊の本を『天秤』の横に置いた。

「本、ですか?」

「中を開いてよく見てご覧」

 陛下に促されて、本を開くと、私が知っている『写本』では無い、インクか何かで字を揃えて印刷してある文章が目に入る。


「陛下、これは……」

「『活版印刷』というものを職人に開発させたんだ。この国の文字をひとつひとつ彫り出したものを作らせてね、それを、印刷したい文章に並べて印刷する……と、まあ、簡単に説明すると、そういう新しい製本技術だよ。これで、本は写本頼りだった頃よりも、大量生産でき、安く供給することが可能になる」

「……もしかして、庶民にも、『教科書』を筆頭に、本を買うことが可能になるのでしょうか……?」

「そうなって欲しいと思っている」

 そう言って、陛下はにっこりと微笑まれた。


 ……凄い、凄いわ!庶民どころか貴族ですら本を新しく買うのには躊躇うものだったのに、それが、普通に皆が買えるようになるかもしれない!なんて素晴らしいの!


「ああ、そうだ、デイジー。教科書に書く製品の品質は、『一般品』の品質で作れるようにして欲しいんだ」

 ……ん?どういうことかしら?なぜあえて『一般品』を作らせるの?

 不意にかけられた陛下のお言葉に、私は首を捻る。

「君の、性能二倍の薬品は素晴らしい。だけど、それだと庶民には値段が高すぎるんだよ。人によって求めるものが違う、それはわかるかい?」

「あっ!確かにそうですね……!ポーションが安定して手に入らない地方の住民のための施策でしたね」

 そうか、いつも私はだいたい一般品を上回る品質の製品を作ってしまう。だけど、それでは庶民の手に届かないのだ。


 こうして私は、『錬金術科』の『教科書』を作ることになったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る