第41話 二つの世界
委員会の仕事が終わり、放課後。アイザック・オルブライトは、いつものように洞窟へと帰還する。
「あ! お帰りなさいッス~」
「ただいま。こっちで話すのは久しぶりだな」
いつもの紗月の挨拶にそう返事をするアイザック。そのまま帰路に就こうとするが、彼女から返事がない。不思議に思いその顔を見ると、紗月は目を見開いてアイザックの事をじっと眺めていた。
「な、なんだよ……」
「え、いやだって……今ただいまって言ったッスか……?」
指摘されるとむず痒そうに目を逸らすアイザック。どうやら自分でも返事に対する意識はあったらしい。
「それがどうした……お帰りって言われたんだから普通だろ」
「ほぇぁ~……」
非常に頭の悪そうな鳴き声を出して
「ほうほうほう……これはこれは……何か心変わりでもあったってことッスかねぇ~」
「あー始まった……」
いつもの調子を取り戻した紗月に対して、やはりいつのもようにわざとらしく鬱陶しがるアイザック。だがしかし、このやり取りにも今までとは違う心地よさのようなものを感じてしまっている。
「昨日もいろいろあったッスけど、今日は大丈夫だったッスか?」
「まぁなんとかな……有栖とは、二人で話して落ち着いたよ」
「そッスか……」
有栖の名前が出ると、分かりやすく安心した表情になる紗月。彼女の扱いには、やはりいろいろと思うところがあるのだろう。アイザックも自分が踏み込む領域ではないと理解しているが、二人の関係性を聞いてしまったことは報告すべきかもしれない。
「有栖の家族のことも、軽く聞いた」
「なるほど……色々と、黙っててごめんなさいッス」
「仕方ないさ。複雑な事情っぽいしな」
「アイザックさん……優しいッスね」
「別に……それで、有栖とはこれからは二人で協力して学園生活を送っていこうって話で落ち着いたから、安心してくれ」
「はいッス!」
もう一言、アイザックは何か言おうとして言葉に詰まる。これを言ってしまうと、どうせまた紗月に揶揄われるんだろうなと直感が告げている。しかし、今日は何故か気分が良い。言いたいことは言ってしまおう。
「あっちの世界もさ……なんつーか、悪くないなって思ったよ」
「アイザックさん……どうしてそう思ったのか、聞いてもいいッスか?」
「えっと……今日、委員会の時間に真理と色々話してさ。世界の構造とか、そういう何か、哲学っぽいこと」
「なるほど」
「それで……なんつーか、あんたと似たような考え方だったんだ。どの世界も、一番上の世界である保障は無いってやつ」
「あぁ、昨日リビングで話したやつッスね」
「うん……それで、最初は高校生にもそんな考え方のやつがいるんだなって印象だけだったんだけど……それが妙に嬉しくってさ」
「そッスか……それは良かったッス」
アイザックは紗月から返事が来る度にその顔色を窺っている。が、ついに彼女からアイザックを揶揄うような言葉は出なかった。
「胡桃田……笑わないのか? いつもみたいに」
「どうして笑うんッスか。ウチらはアイザックさんにそう思ってもらいたくて実験してるんッスよ」
「あぁ……そうか……」
だとしても、普段の彼女ならしっかり弄ってきた発言だったであろう。それを咄嗟にしなかったということは、きっと紗月も嬉しかったのだ。意外にも、そういう反応は素直に表には出ないらしいが。
「アイザックさん……ホントはもう少し時間が経ってから聞いてみようと思ってたんッスけど……」
「何だ?」
「えっと……あちらの世界、楽しんでもらえそうッスか?」
彼女の真剣な質問に、アイザックは少し間を開けてから答える。
「あぁ、そうだな……どうせ三年間過ごすなら、とことん楽しんでやろうって気にはなったよ」
「アイザックさん……!」
嬉しそうに彼を見つめる紗月の顔は、とびきりの笑顔に包まれていた。
「それで……お前、今週は何をしに来たんだ?」
場面は変わり週末の王都。外出用の服で王宮の廊下を歩くアシュリーと、なんだか機嫌の良さそうなアイザックの姿があった。
「ん? いや、さっきも言っただろ? お前と少し話したくなっただけだって」
「そ、そうか……」
ここ数ヶ月のアイザックの事を考えるとどうにも違和感のある態度だが、真っ直ぐな瞳でそう告げられるとアシュリーも返す言葉が無いらしい。
「どうした? 嬉しくないのか?」
「あのなぁお前……そりゃ嬉しいさ。嬉しいに決まってるとも。だがしかし、少しは情緒という物を考えろ」
「情緒?」
「先週のあの感じ、次に会うのは再召集の時だ、みたいな雰囲気が出ていただろうが」
「あー……そうだっけ?」
「全く……相変わらず、そういうところには鈍いんだな」
「はは……」
アシュリーの指摘を渇いた笑いで誤魔化すアイザック。結婚したら尻に敷かれるタイプかもしれない。
「それで、何か話題があって来たんだろ?」
「あぁ、うん……」
アイザックとしても、ただ雑談がしたくて来たわけではなかった。最近いろんなところで話題に上がったシミュレーション仮説について、こちらの世界の住人である彼女に意見を聞いてみたくなったのだ。
今までこの件について話をしたのは二人ともあちらの世界の人間であった。そうなると、こちらの世界の人間の意見も気になるところではある。しかし、そもそも文明レベルのそう高くないこちらの世界でシミュレーション仮説を理解できる人間がどれほどいるのか分からない。そこで思い至ったのが、アシュリー・イマーヴァールという存在であった。彼女なら、こちらの世界において飛躍した発想の話でも、説明すればすぐに理解し、自分の意見を持つであろう。
しかし、アイザックには一つだけ懸念するところがあった。それは、彼女にこの世界の真実がバレてしまわないだろうかということである。常人に対してシミュレーション仮説を説明したとして、この世界がシミュレーションの中にあるという真実までたどり着くなどという事は有り得ないだろう。しかし、相手は幼少の頃より天才と謳われた彼女である。どのような思考を持ってどのような結論に至るのか、想像も付かないのが彼女の怖いところだ。
「アイザック? どうかしたか?」
「あぁごめん。ちょっとややこしい話だから、どう説明しようかと思って」
一瞬考え込んだのを見透かされてしまったのだろう。アシュリーは不思議そうに彼の顔を眺めている。
「そうか。まぁいい、モンスターハウスにでも行ってゆっくり話そう」
「そうだな」
話しているうちに王宮を出て、二人は王都のメインストリートへと繰り出していた。またモンスターハウスかというツッコミはもはや発生しない。
「ん? なんだ?」
ストリートの広場へと目をやるアイザック。何やら人だかりが出来ている。
「大方、また吟遊詩人でも来ているんだろう? 休日のこの時間じゃ、珍しくもないさ」
「まぁ、それもそうか」
時刻は昼を過ぎた頃合い。見物人を集めるのにはもってこいの時間だ。が、少し近づいてみると、その中心に立っていたのはいわゆる芸人に分類される職業の人物ではなかった。
「つまり、この世には我々の住むこの世界以外にも、様々な世界が広がっているのです!」
見ると、声高らかに話を説いていたのは、教会の司祭であった。稀に広場で訳の分からない話をしているのを見かけたことがあるが、今日はいくらか聴衆が多いように感じる。
「なんだ、教会の人間か。また科学的根拠の無い訳の分からん話を……行くぞ、アイザック」
「あ、あぁ……」
科学者を自称するアシュリーにとって、ああいった手合いは最も苦手な部類なのかもしれない。しかし、アイザックはその話に妙な胸騒ぎがした。
「そして、それら多くの世界を取りまとめる、一つ上の次元の世界、言うなれば、神の世界が存在するのです!」
聴衆はその声に、興味津々といった様子で聞き入っている。ただの宗教的な話に聞こえるが、きっとここまでの説明がリアリティを持たせるものだったのだろう。そう考えれば済むだけの話なのだが、アイザックは彼の話に嫌な予感が募っていく。そしてその予感は、彼の次の言葉によって的中することとなった。
「その世界の名前は、ニッポン!」
マズい。非常にマズい事態になった。アイザックの頭の中はその言葉に支配される。彼がシミュレーション仮説のような考えの下に世界の構造を説くだけの宗教家であれば何の問題も無かっただろう。しかし、その口から出た単語はマズい。ニッポンなんて単語は、この世界には存在しないのだ。
「どうした、アイザック? 行くぞ?」
「あ、あぁ……」
あの司祭、確実にあちらの世界に関する何かを知っている。でなければ、ニッポンなどという単語がこちらの世界の人間から出てくるはずがないのだ。否、もしかしたらアイザックが知らないだけで、宗教にそういう用語があるのかもしれない。その可能性にかけて、アイザックはアシュリーに話を振る。
「なぁアシュリー、ニッポンって何だ?」
「知らん。きっと奴のこしらえた造語だろうさ。そんな単語はどの宗教の世界にも無い」
「そ、そうか……」
知識の化け物である彼女がそう言うのだから、間違いないだろう。
「さぁ、行くぞアイザック。腹が減った」
「あぁ……そうだな」
昼食の事よりも、あの司祭をなんとかしなければならない。しかし、今アシュリーを放置してあの司祭を気にかけるのは、それこそ不自然すぎる行為だろう。まるで、自分が必死にニッポンの存在を隠そうとしている風に映ってしまう。
今はダメだ。司祭の顔は覚えた。アシュリーと別れてから、様子を見て対処をしよう。
『世界の構造については、誰にもバレちゃダメッスよ? この妹さんを含む、誰にもね……』
アイザックの頭の中では、あのピンク髪と初めて出会った時の言葉が、何度も何度も繰り返し鳴り響いていた。
ボクの正体は、AIだ。 越山嘉祈 @tabeho
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