第38話 ぶっちーとりっちゃん
週が明けて月曜日。昨日の勉強会の甲斐もあってか、空蓮は少しずつ理系の授業の内容も理解できるようになっていた。といっても、まだ単語や公式の意味が分かるようになってきた程度の話で、このまま中間試験を受けようものなら赤点まっしぐらである。
とはいえ、こちらの世界の常識も整ってきたおかげか、空蓮が授業中に大きなミスをする事も無くなってきた。今日は体育の授業のドッジボールで、空蓮をどちらのチームに入れるかという真剣な議論が行われたが、それは些細な話である。
そんな体育終わりの昼休み。三日ぶりの授業からの束の間の解放の時間。四人はいつものように昼食を取っているのだが、どこか空気がおかしい。
「なぁ……お前ら何かあったのか?」
「えっ……いや、別に何も……なぁ、有栖?」
「えぇ。何もないわよ」
「そ、そうか……? 何か……元気無くないか?」
空蓮と有栖から溢れる不思議な雰囲気に、黙っていられなくなる獅子。真理もその様子を心配そうに眺めている。傍から見れば、喧嘩でもしたかのように映るのだろう。
それもそのはず。昨日の今日で普段通りの会話が出来るほど、二人は成熟しきっていない。お互いにとても特殊な立場にあるとはいえ、二人ともまだ十五歳の高校生なのだ。空蓮としては、自分の正体を知っている同級生が判明したというプレッシャーが強く、有栖としては昨日かなり無茶をした事実を引きずっているらしい。
「ほ、ほら……さっきドッジボールだったし、お前も疲れたろ?」
「いや、それはそうだけど……お前絶対あの程度じゃ疲れたりしないだろ」
「するする! 僕だって人間なんだし……」
軽快に言ってみせるが、この発言も有栖の前で言うとなんとなく気持ちが悪い。いっそ昨日の事を全て話してしまえれば楽なのだろうが、それは絶対にできない。全て二人で抱えなければならないのだ。
「ごちそう……さまでした……」
寂しそうに弁当箱を片づける真理。昼休みは残りあと五分程度なので、かなり長時間このテンションである。
四人で気まずい空気を垂れ流していると、いつものように夏弓が教室へと戻ってきた。
「えっ……」
明らかに様子のおかしな四人を見て、恐る恐る声をかけてくる。
「あ、あなたたち……また何か企んでるの……?」
先週の一件があり、悪巧みの後の沈黙と勘違いしたのだろう。
「あ、岩淵さん……そうじゃなくってな……」
獅子は夏弓に耳打ちするように二人の様子がおかしい事を話す。
「あぁ、なるほど……」
彼女も納得したように、獅子にだけ聞こえるように返した。
「ほっときなさい。一緒にお昼食べてたんなら、どのみち大したことじゃないわ」
「まぁ……それもそうか……」
「そういうのは時間が解決してくれるものよ」
「おう……」
ドジである事を省けば、やはり四人よりも何か一つ抜きんでている夏弓であった。彼らと少しだけ距離がある分、客観視できているのかもしれないが、それでも高校生にしては大したものだ。
このまま昼休みが終わってしまうのかと思われたが、嫌な沈黙はある人の乱入によって破られることとなる。
「指宿! 好本! いるか⁉」
教室の扉を勢いよく開けて現れたのは、図書委員長の七嶋六華であった。突然の先輩の来訪に、教室中が何事かとざわめいている。
「あ……ここです……!」
いち早く気が付いた真理が、手を上げて先輩に合図する。
「いた! お前ら!」
大きな声で叫びながらずいずいと近づいてくる六華。勢いが激しいが、怒っているという様子ではない。四人のテーブルまでやってくると、彼女は夏弓の隣に立って両手を丁寧に合わせ、腰を深く曲げてぺこりとお辞儀をする。
「すまん! 今日の放課後の委員会の当番、代わってくれないか!」
元気な声で二人に懇願する六華。少し息が上がっている様子を見るに、おそらく他のクラスを回って断られた後なのだろう。でなければ、まだ一年生の二人に白羽の矢が立つはずはない。
「なるほど……僕は大丈夫ですよ」
「私も、大丈夫です……!」
「おぉ! 本当か! よかった!」
六華は頭を上げて二人に感謝する。
「この埋め合わせはいつか絶対にするからな!」
大きな声で言い放ち、ニコッと笑う六華。先ほどの空気などどうでもよくなるような勢いである。
「よ、好本さん……? この方は……?」
流石の獅子もその勢いに押されているようだ。初対面ともなれば尚更だろう。
「あ、えっと……図書委員長の七嶋六華先輩。私の場合、文芸部の先輩でもあるかな」
「そ、そっか……」
聞くと、獅子と有栖は軽くぺこりと会釈する。が、それ以外にもう一人、驚いたような表情で彼女を見つめる者がいた。
「り……りっちゃん先輩……?」
「ん?」
六華はその言葉に、自分の隣に立つ夏弓へと目線を向ける。
「おー! 誰かと思えば! ぶっちーじゃないか!」
「ぶ、ぶっちーはやめてください!」
懐かしい顔なのか、夏弓の肩を掴みゆらゆらと戯れる六華。ぶっちーとは、おそらく岩淵から取られたニックネームだろう。
「そうか! お前この二人と同じクラスだったか! いやー立派になったな! 新入生代表がお前だったのはびっくりしたよ! あんなにド――」
そう言いかけた六華の口を、夏弓は片手でがっしりと塞ぐ。その先のセリフを、この場で大声で言われるわけにはいかない。
「先輩……私は今、清楚で有能なクラス委員長なので……」
その言葉には、空蓮ですら鳥肌が立つような殺気が籠っている。
「その先の単語は、禁句ですよ……」
空蓮たちより古い仲という事は、六華は夏弓のドジ要素をちゃんと把握しているのだろう。
「ふ、ふまんかった……まさかほんな事とは……」
塞がれた口でもごもごと謝罪する六華。彼女が大人しくなったのを確認すると、夏弓は口の拘束を解除する。
「まったく……」
「えっと……岩淵さん……? 七嶋先輩と、知り合いなの……?」
「えぇ。中学の時、一緒の部活だったのよ」
「そういう事だ!」
「っていうか……先輩、文芸部なんですか?」
「あぁ、今や立派な文学少女だぞ!」
えっへんといった様子で六華は胸を張る。久しぶりに可愛い後輩に会えて嬉しいのだろう。
「なるほど……陸上、辞めちゃったんですか?」
「あぁ、最初は高校でも陸上部に入ったんだがな。いろいろあって辞めた! ぶっちーは……まぁ、クラス委員長ならそんな暇ないか」
「はい。私はそもそも、運動は中学だけでいいと思ってたので」
「そっか」
その言葉が終わると同時に、昼休み終了のチャイムが鳴り響く。
「あっ、やば! そんじゃ好本、指宿、放課後頼んだぞ!」
「あ、はい……!」
「了解です」
「ぶっちー、高校生活、楽しめよ!」
終始同じテンションではあるが、その言葉には何か貫禄のようなものがあった。振り向き様に、彼女はどこか寂しそうな表情をみせるが、それに気づいた者はいないらしい。
台風のような勢いで、陰鬱な空気を吹き飛ばしていった七嶋六華であった。
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