第37話 要有栖

 突然投げられた質問に、空蓮の頭は真っ白になる。本当にお母さんなのか。そんな質問、どういう思考に至ったら発生するのだろう。

 完全にカモフラージュできていると思っていたが、この家に怪しい所でもあったのだろうか。それとも、母の見た目の若さからその可能性が過ぎったのだろうか。

 それよりもまず大前提として、このような質問を普通するだろうか。相手方の事情によっては、ともすれば地雷になりかねない内容である。本当の母ではない可能性に思い至ったとして、それを口に出すのははばかられるものではないのか。

 真っ白な頭の中で精一杯あらゆる可能性を考えていると、有栖はさらに言葉を続ける。


「ねぇ、どうなの? 反論しないって事は、やっぱりお母さんじゃないの?」


 そのままぐいぐいと距離を詰め、空蓮を壁に追いやる有栖。一体どこからその自信が出てくるのだろうか。

 完全に真実に迫られているため分は悪い状況だが、何か答えなければならない。


「い、いや……ちょっと質問の意味が……母さんは、母さんだよ……」

「そう……」


 彼女は少し俯くが、声のトーンは変わらない。


「お母さんの名前は?」

「い……指宿紗月……」

「お母さんの得意料理は?」


 まるで尋問でもしているかのような質問だ。しかし、有栖が母親の詳細なプロフィールまで把握しているはずがない。彼女の動機は掴みかねるが、これはおそらく反応速度を見ているのだろう。そう判断し、空蓮は違和感の無い範囲で即答する選択を取る。


「焼きそば……」

「お母さんの誕生日は?」

「12月24日……」

「血液型は?」

「え、A型……」

「そう……」


 納得しているのかいないのか、よく分からない返答をする有栖。この尋問はまだ続くらしい。


「玄関に置いてあったピンクの鞄、あれお母さんのよね?」

「え? う、うん……」


 そんな物、置いてあっただろうか。記憶には無いが、紗月以外の物である可能性は無いだろう。


「ネームタグに胡桃田って書いてあったけど、誰?」

「なっ……‼」


 あの女、そんな間抜けなミスをしたのか。一瞬心の中で悪態をつくが、今はそんな事を考えている場合ではない。この状況をどうにかする事に全神経を集中すべきだ。

 空蓮は必死に頭を動かす。大丈夫、まだ胡麻化す方法はいくらでも存在するはずだ。


「何、その反応?」

「あ、いや……ほら、母さんの旧姓だよ、それ……」

「へぇ、そう……」


 尤もな言い訳は出たが、最初の反応で怪しまれただろうか。彼女は相変わらずじっと空蓮の瞳を見つめている。


「お母さんの職業は?」

「えっと……専業主婦……」

「ふーん……」


 尋問が終了したのか、有栖は空蓮の前から一歩下がる。そのまま部屋を見渡すと、今度は雑談のような質問が始まった。


「この家、お母さんと二人暮らしなんだよね?」

「う、うん……」

「いつ引っ越して来たんだっけ?」

「えっと……先月……」

「へぇ……綺麗すぎない?」

「それは……」


 痛い所を突かれてしまった。確かに、この家には人の住んでいる痕跡が無い。ほとんど誰も住んでいないのだから。

 その点は上手く胡麻化されているように見えたのだが、やはり違和感が出るのだろうか。


「まるで、この一か月、ここに誰も住んでいないみたいだね……」


 一体どうしてそこまでの事が分かるというのだろう。まさか本当に探偵だったなんてオチだろうか。もし仮に本当にそうだったとして、なぜ指宿家の事情に首を突っ込むのだろうか。わざわざこんな事を依頼する人間もいないだろう。


「ねぇ、空蓮……」


 尋問のための口調だろうか、それとも本来の調子なのだろうか、空蓮を呼び捨てにして再び彼女は問い詰める。


「空蓮って……この世界の人間?」

「っ……‼」


 これはまずい。一瞬でそう判断した。ここまでの質問だけなら、家を見て気になる物かもしれないし、いくらでも胡麻化しようのある内容だった。しかし、その質問はいくらなんでも常軌を逸している。、出てこない質問のはずだ。

 空蓮は即座に彼女の腕と背に手をまわし、足を引っかけて床に取り押さえた。有栖がうつ伏せで畳に押し付けられ、その上から空蓮が腕を押さえて馬乗りになる形だ。


「ごめん……友達にこんな事、したくなかったけど……」

「えっ、ちょっ、何今の動き⁉」

「要有栖……」


 有栖の言葉を無視して彼は続ける。この女に対して、指宿空蓮を貫き通すのは難しいと判断したのだろう。その気迫も行動も、完全にアイザック・オルブライトの物であった。


「お前……何を知っているんだ……?」


 言いながら、彼女の腕を少しずつ締める。じわじわと痛みを与えて、逆尋問を行うつもりなのだろう。が、対する彼女は劣勢を判断したのか、すぐに降参を宣言した。


「ご、ごめん! ギブギブギブ! 助けて!」

「ダメだ」

「違う! 助けて胡桃田!」

「は……?」

「はーい、そこまでッス~」


 見ると、いつの間にか部屋の扉が開いている。そこに立っていたのは、いつもの口調の胡桃田紗月であった。


「空蓮くん……いや、アイザックさんッスかね。彼女、解放してあげて大丈夫ッスよ」

「え……ちょ、母さん……?」


 どういう風の吹き回しだろうか。有栖が紗月に助けを求め、紗月はこの場でアイザックの名を口にした。有栖にはバレても問題ないという事だろうか。そこまで考えると、ようやく一つの可能性に至る。


「あっ……協力者って……」

「ピンポーン。もう大丈夫ッスから、放してあげてくださいッス」

「あぁ……」


 恐る恐る彼女の背中から離れる空蓮。まだ状況を飲み込み切れていないが、紗月がここにいる以上、安全なのだろう。


「説明してもらおうか……」

「はいッス。でもその前に、有栖!」

「は、はい……」


 言われると、彼女はゆっくりと立ち上がり、空蓮に対して深々とお辞儀をする。


「ごめんなさい、空蓮! さっきのは全部、私のわがままなの!」

「わがまま……?」


 てっきり、紗月の命令で何かテストでもしていたのだろうと思ったが、一体どういう事だろうか。


「そう……今日のは全部、私が発案して、やらせろって胡桃田に……」

「なるほど……」

「その通りッス。そんじゃ、順を追って説明しますッス」

「手短に頼むぞ……夕飯までに帰りたいんだから」


 空蓮も状況を全て察したらしく、あちらの世界の事を言うのにも躊躇が無くなっている。


「はいッス。まず最初に、先ほどお話した通り、彼女はウチの組織の協力者ちゃんッス。アイザックさんのプロフィールや事情なんかも、大方話してあるッス」

「そうか……じゃあさっきの質問も、全部知った上で聞いてたわけか」

「う、うん……」

「ただ、一つだけ理解しておいて欲しいのは、彼女は組織の人間じゃないって事ッス。あくまでも、学校に通って空蓮さんの目立った行為を報告してもらってるだけで、他は普通の女子高生ッス」

「なるほどな……じゃあなんで、今日みたいな事したんだ?」


 空蓮は紗月ではなく、有栖に問いかけるようにそう言う。


「その……空蓮の事を、知りたくて……」

「知りたい? 胡桃田に聞くんじゃダメだったのか?」

「いや……そうじゃなくて、なんて言うか、空蓮の、その……」


 いつもと比べて非常に歯切れの悪い有栖。立場の事もあり、話しにくい事が多いのだろう。


「有栖……もう何言っても怒らないから、話してくれ」

「ほ、ほんと……?」

「あぁ」


 少し怯えているような表情の有栖に、空蓮は優しく返事をする。


「えっと……その、空蓮のやろうとしている……目的があるでしょ? そのために、空蓮がどこまでやれる人なのか、興味があったの。仮に友達みたいな人が危険因子になった場合、状況を切り抜けられるのかって……」

「あぁ、そういう……で、結果は?」

「想像以上だったわ……ちょっと怖かったくらい」


 勇者の力で捕えられたとなると、こちらの世界の人間であれば誰でも恐怖するだろう。


「あれは……謝らないからな」

「うん……私が悪いわ」


 大事な所に芯を通している点は、お互い共通しているらしい。


「なんつーか……僕の事情はだいたい知ってるみたいだし……身体能力も見てるはずだし、よく手を出そうと思ったな」

「それくらい……確かめてみたかったのよ……家族のために、どこまでできる人なのか」


 家族、というのは、当然あちらの世界の家族の事を指しているのだろう。やはり空蓮の最終目標まで聞き及んでいるらしい。


「そっか……でも、僕に正体を明かしてよかったのか? 協力者ってんなら、秘密にしたまま監視してもらった方がよかったんじゃ……」

「ウチも最初はそう思ってたんッスけどね……」

「『それじゃ一方的すぎる、空蓮の人権が保障されてない』って主張したら、この人あっさり許可してくれたわ」

「あぁ、なるほど」


 少し強引な気もするが、信念がある以上、紗月もそういう所には弱いのだろう。


「で……これからも監視は続くんだよな?」

「うん……でも、ホントにその日起こった事を日誌みたいに報告してるだけだから……」

「そっか……」

「うん……その、だから――」


 有栖が何か言おうとした所に、空蓮が言葉を被せる。


「だったら、これからも友達でいてくれよ」

「えっ……」

「僕の事情を知ってる友達がいるの、なんとなく気分が楽だしさ」


 その言葉に、緊張していた有栖の表情が一気に和らいだ。


「うん!」


 一件落着したのを確認すると、紗月が口を開く。


「さて、そんじゃ今日は帰りますッス!」

「ちょっと待て、その前に一つだけ言いたい事がある」

「あ、それ私も一緒かも……」

「ん……?」

「あんた普通に喋れんじゃねーか!」

「あんた普通に喋れんじゃないの!」


 へらへらとした表情の紗月に、二人は言葉を重ねて言い放った。


「何の事ッスか?」


 わざとらしく目を泳がせて、ギザギザの歯でニカっと笑って見せる紗月であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る