第36話 二人きり

 時刻は午後五時を過ぎた頃。週末にこなさなければならない課題も一通り終わり、四人は雑談タイムに入っていた。


「空蓮、だいぶ課題の進みも早くなったじゃねーか。中間試験は良い点取れるといいな!」

「あぁ、そうだな……中間試験いつだっけ」

「五月中旬よ。ゴールデンウィーク明けたら、わりとすぐね」


 前回零点を三つ叩き出した空蓮にとって、中間試験は一つの関門である。各教科ごとに細分化されて試験の数も格段に増えるので、生半可な気持ちではいられない。


「中間テストからは、赤点取っちゃうと追試があるから……指宿くん、頑張ってね」

「あぁ、頑張るよ……」


 気を遣って空蓮の事を励ましてくれる真理だが、自分だけ心配されるというのは悲しい物である。

 楽しそうな会話を聞きつけたのか、再び部屋の扉がノックされた。


「みんなお疲れ様~。良かったら夕飯食べていく?」


 どこまでもお母さんを貫き通す紗月。そもそも空蓮自身、夕飯までにあちらの世界に帰りたいのだが、自分が食べないと申し出るのはどう考えても不自然なので他の三人には是非断ってもらいたい所だ。


「あ、ごめんなさい。俺、自分 の夕飯作らないといけないんで……」

「えぇ⁉ 上城戸くんって、自分でご飯作ってるの⁉」

「あ、はい。一応」

「凄いわねぇ、ウチの空蓮にも見習ってほしいわ」

「はは。高校生じゃ珍しいもんっすよ」

「そうね。他の二人はどう?」

「あ、ごめんなさい……私も夕飯までには帰らないと……」

「私もパスで」

「そう……それじゃ、また時間のある日に遊びに来てちょうだいね」

『はい!』


 三人元気に声を揃えて返事をする。かなり出しゃばりな母だったが、なんだかんだで全員楽しかったのだろう。空蓮としては、終始肝の冷える思いだったが。

 皆の笑顔を確認すると、紗月は部屋を出て行った。


「それじゃ、俺たちはそろそろ帰るか」

「そうね。あんまり長居しても邪魔になっちゃうし」


 片づけは大方終わっていたので、皆荷物を持って立ち上がる。


「えっと……二人とも、駅の方向?」

「あぁ。俺はこっから二駅だな」

「あれ……もしかして、英愛東?」

「おっ、好本さん、最寄り駅一緒だったか」

「うん! 有栖ちゃんは?」

「あー、私は駅とは反対方向ね。学校まで徒歩だから」

「そっか……それじゃ、また明日ね」

「うん」


 ぞろぞろと玄関へ向かい、帰路に着く三人。紗月も台所の方からひょっこり顔を出して見送る。


「みんな、またね~」

『お邪魔しましたー!』


 かくして、とても騒がしい勉強会は終わりを迎えたのだった。戸締りをしていると、紗月が台所から出てくる。


「お疲れ様ッス」

「あぁ、お疲れ……」


 おやつの時間の事で色々と文句を言いたい所だったが、真理の言葉のせいか、どうも調子が整わない。この女も、自分の事を思って色々と対応してくれているのだろうと思うと、あの騒ぎも微笑ましい物である。


「みんな良いお友達じゃないッスか」

「あぁ。そうだな」

「どうッスか? 楽しいッスか? こっちの世界での暮らしは」

「……どうだろうな」


 今までなら真っ向から否定していたであろう質問にも、はぐらかすような回答しかできない。

 頭では理解しているのだろう。自分がこちらの世界を、どこか楽しんでしまっている節がある事を。だがしかし、ここでの生活は全て仮初の物に過ぎない。三年経てば、全て無かった事になる。

 それに、仲良くしている連中だって、空蓮を人間だと思い込んでいるから友達でいてくれるだけだ。自分の正体がバレた時、その態度がどうなるか考えれば、やはりこの世界を心から楽しむ事はできない。


「迷ってくれるんッスね。ありがとうございます」

「別に、例を言われるような事じゃないだろ」

「ふふっ、そうかもしれないッスね……」


 優しく微笑みながら、彼女は続ける。


「強いんッスね、アイザックさん……勇者ッスもんね」


 その表情と、彼女の言葉に、空蓮の中で過去の記憶がフラッシュバックする。


『強いのね、アイザック……勇者だもんね』


 リリー・オルブライト。彼の母が口癖のように言っていた、アイザックの一番好きだった言葉だ。今の紗月に実の母を重ねてしまったのは不本意ではあるが、何故か悪い気はしない。


「あぁ、そうだ。そんな事より――」


 空蓮が何か言いかけた時、本日二度目のチャイムが鳴り響く。こんな時間に来客だろうか。


「あれ……? 誰か戻って来たんッスかね?」

「どうだろう、忘れ物でもしたかな」


 不思議に思い空蓮が玄関を開けると、そこにいたのは要有栖であった。


「ごめん、スマホ忘れちゃった!」

「あぁ、なるほど。とりあえず上がって」

「うん。探すの手伝ってもらえる?」

「え、うん。手伝うったって、どうせ机の下とかでしょ?」

「そうだけど……私だけで居間に上がるの、何かアレじゃん」


 靴を脱ぎながら申し訳なさそうに言う有栖。確かに尤もな意見だ。


「ほーん……それじゃ空蓮、お母さん夕飯作ってるから」

「あ、うん」


 しまった。夕飯はあちらの家で食べるつもりだったのを言いそびれた。だがしかし、有栖のいる前でそれを伝えるわけにも行くまい。


「ごめんなさいお母さん、お邪魔します」

「いえいえ、ごゆっくり」


 ゆっくりするような状況でもないだろうに、彼女はそう言い残すと台所の方へと姿を消した。


「えっと……どこだろ……」

「机の下は……無さそうだな。座布団は?」


 全員分の座布団を確認してみるが、特に下敷きになっているわけでもなかった。


「他に忘れそうな場所なんて無いけどな……」

「あ、そうだ空蓮くん、通話かけてくれない?」

「あ、そっか」


 言われて彼女のスマホを呼び出す空蓮。小さく、バイブレーションの音が聞こえてくる。


「ん……? あれ……」


 何か違和感を覚えたのだろう。有栖は持っていた鞄の中をガサゴソとまさぐり始める。


「あっ……ありました……」

「おい。忘れてねーじゃねーか」

「はは……ごめん、うっかり」


 申し訳なさそうな表情を作る有栖。意外とドジな所もあるらしい。


「ったく……早く帰らないと暗くなっちゃうぞ」


 言いながら、空蓮は居間の出口へと向かうが、有栖がそれを言葉で制止する。


「待って!」

「ん……?」


 振り向くと、彼女は急速に空蓮に距離を詰めてきた。一体何のつもりだろうか。


「えっと……空蓮くんに聞きたい事があるんだけどさ……」

「あぁ、うん……」


 この状況、考えれば彼女がわざと作り出したようにも見える。何か聞きたい事があって、スマホを忘れた事にしたんじゃなかろうか。

 この密室に男女が二人きり、聞かれる内容は何パターンか予測される。が、彼女の口から出た言葉は、予想の遥か斜め上を行く物であった。


「あの人……本当に空蓮くんのお母さん?」

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