第35話 かけがえのない存在
紗月の年齢に関する話題が済むと、勉強会は意外にもスムーズに進行していた。なんだかんだで、真面目なモードの時はとことん真面目になれる四人である。
理系科目は主に有栖が他のサポートをし、文系科目は獅子と真理が得意な所を分担するという良い組み合わせであった。普段の印象から忘れられがちだが、英語の勉強となると空蓮の無双状態になるので、四人ともに利のある勉強会である。
二時間ほど勉強を続けると、部屋の扉がノックされる。
「入るわよ~」
紗月の声だ。時刻は三時を過ぎたところ。丁度おやつの時間だろう。扉を開けると、彼女は獅子の持ってきたお菓子と湯呑をお盆に乗せてやってくる。
「上城戸くん、すごく良い和菓子じゃないのこれ。ありがとうね」
「あぁいや、そんな」
「みんな大変でしょ? ウチの空蓮、全然勉強できないから……」
「はは……確かに零点を見た時はびっくりしましたね……」
紗月が一人一人にお茶とお菓子を配る間、獅子が話の相手になっている。こういう大人と話すのに慣れている雰囲気だ。
「皆、頑張ってるわ……ね゛っ!」
最後のドスの聞いた語尾と共に、空蓮の目の前にとてつもない勢いで湯呑が振り下ろされる。見上げると、紗月の瞳は真っ赤に充血し、全身から殺気を放っていた。今なら闇魔法すら使えそうなオーラである。確実に年齢の件を聞かれていたのだろう。
「あ、ありがとう母さん……ん?」
見ると、お盆の上にはお茶とお菓子が1つずつ残っていた。この女、まさか。空蓮がそう予感した通り、彼女はそのまま空蓮の横のお誕生日席に腰を下ろす。
「おい、どういうつもりだ?」
「あらあら、お母さんにそんな口聞いて、どうしたの空蓮?」
「まさかここで一緒におやつの時間って訳じゃないよな?」
「そのつもりよ?」
たった六文字の返答にも、異様な圧力が込められている。
「ま、まぁいいじゃない空蓮くん。どうせ休憩するんだし……」
紗月の気を伺ってか、空蓮をなだめに入る有栖。どうも先ほどから紗月の気を察するのに長けている。彼女の母も同じような人なのだろうか。
「まぁ……おやつ終わったら出てけよな……」
「おいおい空蓮、あんま母さんを邪険にするもんじゃないぜ」
「そうだよ。にぎやかなお母さんで、私は羨ましいな……!」
他の二人からは意外な人気を誇る紗月である。
「あらあら、二人ともいい子ね。それじゃ、いただきます」
露骨に有栖まで省いた発言に聞こえる気もするが、それは母親役としてどうなのだろう。そんな事を考えながらお茶を啜っていると、続けて彼女からとんでもない爆弾が放り込まれる。
「ところで……みんなは恋人とか、好きな人とかいるの?」
「ぶっ‼」
分かりやすく吹き出す空蓮。そんなベタな恋バナをぶち込む母親があるか。そうツッコみたい所だが、言葉に詰まっている間に獅子が話を重ねてしまう。
「おっ、やっぱりお母さんも気になりますか!」
「あらあら、上城戸くん、何か良い話でもあるの?」
非常にまずい。この二人、相性が良すぎる。今までも節々で感じていた所だが、どことなく似ているのだ。空蓮に対する揶揄い方もそうであるが、何より話の趣味が似通ってしまっている。
「あるんですよ……まさに今週、空蓮が王子様になった事件が!」
「あっ……」
獅子の言葉に全てを察し、顔を赤らめる真理。お茶を飲んで胡麻化そうとしている。
「う、ウチの空蓮が……王子様……? 上城戸くん、その話、詳しく聞かせて!」
「えぇ……アレは体育の時間でした……俺は、この世の物とは思えない、まさに王子様のような存在を目撃したんです……」
下手な口上で語り始める獅子。こいつ、人に聞かせるために練習してやいないだろうか。
聞き手に徹する紗月の方も、やたらとリアクションが上手い。この件については既に協力者ちゃんから聞き及んでいるはずなのだが、完全に初見の反応だ。
空蓮と有栖は二人の会話を諦めた様子で眺め、真理はお菓子を食べて必死に胡麻化す。
「ってなわけで、空蓮が好本さんの王子様になったんです!」
人の武勇伝を本人の前で自慢気に語り終える獅子。紗月も非常に満足そうな表情である。
「すごい! 空蓮ったら、そんな事全然話してくれないのに……」
「い、いいだろ別に……」
いい加減この状況にも疲れてきた。お菓子も大方片付いたところなので、そろそろ退散していただきたい。何よりこの話題では真理がいたたまれない。
「要さんはどうなの?」
「えっ、わ、私⁉」
急な矛先の変更に動揺する有栖。この母親、全員を抉っていくつもりだろうか。
「私は、別に……」
「そっか。まぁまだ学校始まって二週間だものね。いいなぁ、私も青春したいなぁ」
「なぁ母さん、そろそろ……」
これ以上空気をかき乱されては面倒だと思い、部屋からの退散を要求する空蓮。紗月は一瞬むすっとした表情になるが、大人しくみんなの空き皿を回収し始める。
「そうね。みんな、引き続きお勉強、頑張ってちょうだい」
言い残すと、彼女はそのまま部屋を出て行った。
「はぁ……ごめんね、要さん」
「あっ、いや……私は別に……」
「まぁまぁ、良いじゃねーか!」
調子の良い獅子である。こいつもう少し気遣いのできる人間じゃなかったかと不思議に思う空蓮であった。
「ねぇ空蓮、お母さんって、いつもあんな感じなの?」
「えっ……それは……」
いつもというと、基本的にはあちらの世界の洞窟で話す時の事を指すだろうか。そう思い空蓮は少し言い淀む。あちらの世界の話が絡むと、迂闊な事はできないのでどうしても言葉が詰まってしまう。が、彼女との会話の件については特に問題ないだろう。
「あぁ……いつもあんな感じだよ……何かにつけて、僕の事を揶揄おうとしてくる……」
「そ、そうなんだ……」
空蓮をまるで同情しているかのような目で見つめる有栖。やはり何か思うところがあるらしい。
「まぁでも、賑やかで楽しい母さんじゃねーか!」
「楽しいもんか……あの調子で毎日まくし立てられるんだぞ」
あれだけの事をされたのだから少しくらい悪く言っても罰は当たらないだろうと悪態をつく空蓮。しかし、思わぬ所からフォローが入る。
「私は……すごく優しいお母さんに見えたけど……」
「えっ、優しい……?」
状況としては一番迷惑を
「うん……なんだろう、上手く言えないけど……」
どうも印象が先走って上手い言葉が出てこないらしい。少し時間を取り思考を組み立てる真理であった。
「えっと、指宿くんって、お母さんと二人暮らしなんだよね……?」
「え……うん」
「じゃあ……もしお母さんが凄く大人しい人だったら、この家って指宿くんにとって、どう?」
「どうったって……」
非常に難しい質問だ。この家に対して、思い入れなんて欠片も存在しないのだから、そんな状況を想定されても答えようがない。
「思うんだけど……お母さんが何も喋らない人だったら、ここって凄く居心地の悪い場所になっちゃうんじゃないかな……?」
「それは……そう、なのかな……」
「うん……高校生でお母さんと二人って珍しいと思うし、きっとお母さん、指宿くんが寂しくないように気を遣ってくれてるんだと思う。だから、人一倍元気に振舞ってくれるんじゃないかな?」
「あっ……」
言われて、何か引っかかる印象があった。今の感想は、何度か抱いた事があった。ナタリーに対して。
元々ナタリーは、あそこまで活発な少女では無かった。しかし、彼女だけあの世界に復活し、アイザックとの二人暮らしが始まってから、まるで親二人分の穴を埋めるかのようにナタリーはよく喋るようになった。
それと同じ事を、紗月もしてくれているのかもしれない。住む世界や立場は違えど、彼女は一方的にアイザックの事をよく知っているのだ。その真意は分からないが、アイザックの心が完全に閉じてしまわないよう、色々と気を遣ってくれているのかもしれない。
「寂しくないように……か……」
「そう……だから、お母さんの事を悪く言っちゃ可哀そうだよ。家族って、友達と同じくらい、かけがえのない物なんだから」
そう言いながら空蓮を見つめる彼女の顔は、暖かさに満ち溢れていた。
「そう……だな……」
紗月に対する印象が良くなったのかどうか、空蓮自身にはよく分からない。それでも、真理からの言葉に、何か彼女との関係に光が差したような気がした。
良い雰囲気になったかと思いきや、獅子と有栖は真理の言葉にいやらしい目を浮かべている。
「あ、あれ……? 二人とも、何……?」
「えー、だってねぇ? 上城戸くん?」
「あぁ、だよなぁ!」
「今のって、真理が私たちのこと、かけがえのない存在だと思ってくれてるって事でしょ? もー可愛いんだから!」
真理の元に駆け寄り、わしゃわしゃと愛でる有栖。
「ちょっ、有栖ちゃん、やめ、やめて……!」
口では拒否しながらも、やはりどこか嬉しそうな真理。たった二週間で、四人の距離は随分と近くなっている。気が付くと、あたりはいつもの昼休みと同じ空気に包まれていた。
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