第33話 母親
おはようございますッス。彼女はあちらで話す時と同じテンションでそう言った。
こちらの世界でも彼女と会ったことは何度かある。だがそれは、指宿空蓮としての身体の調整を行い、こちらの世界について実物を見て学んだ時だけだ。空蓮が知っているのは研究者としての彼女だけ。こんな風に、家族のようなシチュエーションで挨拶をされた事は無い。にっこり笑って空蓮を覗き込むその姿は、まるで――
「あっ、母さん……」
空蓮は自分自信の設定を思い出す。それは、初めてこちらの世界に出てきた時に、彼女と一緒に考えた。高校生で両親が二人ともいないのは不自然だから、母親は一緒に住んでいることにしようと。
この家には獅子を一度呼んだだけなので特に母親の出番は無かったが、今ここに彼女が私服でいるという事は、そういう事なのだろう。
「ピンポーン! 正解ッス! 今日は空蓮くんのお母さん役で来たッス!」
「はぁ……何で知ってるんだよ、先週はいなかっただろ」
分かりやすく彼女の事を邪険にする空蓮。未だに悪い印象は抜けていないようだ。
「先週も報告をくれたら飛んで来たッスよ~。お菓子とかいろいろ用意したのに~」
「……別に今週も、僕からは報告してないんだが」
「あれ? そうッスか? まぁまぁ、細かい事気にしない気にしない!」
実際のところ、先週の件は獅子と二人で打ち合わせたため彼女の耳に入らなかったのだろう。今日の話については昼休みに教室で決まった事だ。組織の内通者に話を聞かれていてもおかしくない。最初は妥当な所でクラス担任が内通者だろうかと疑ったが、どうもそうではないらしい。
「それにしても早いな。勉強会は午後からだぞ」
「はい。お昼ご飯まだッスよね? 何か作るッスよ」
「あぁ、そうかい……」
彼女の料理に関しては、初日の事故以外は全て上出来だった。本当にただの事故だったのだろう。
「お布団も一回干しちゃいたいんで、早く動くッス!」
「はいはい……」
言われてのろのろとベッドから出る空蓮。こうしている姿を見ると、本当の親子のようである。
「あぁ、そうだ」
「ん、何ッスか?」
「名前、なんて言うんだ? 皆の前では普通に母さんって呼ぶけど、
「あ~! 名前、覚えてくれてたんッスね!」
「そりゃ覚えてるよ。こっちの勉強ができないだけで、馬鹿じゃないんだ」
「ありがとうございますッス!」
「で、ここでの名前は?」
「普通に、指宿紗月で大丈夫ッスよ」
「分かった。そんじゃ一日よろしくな、母さん」
「えっ……」
部屋を出ていく空蓮に対して、目を丸くする胡桃田紗月。彼の言葉がそんなにも意外だったのだろうか。
「はいッス!」
今までのいやらしい作り笑いとは違う、とびきりの笑顔で返事をする紗月であった。
洗濯を終え、可愛らしいピンクのエプロンを着用して台所に立つ紗月。先ほどの空蓮の返事がよほど嬉しかったのか、非常に機嫌がよろしい。
「そういえば食事の話って全然したこと無かったッスけど、空蓮くんは何か嫌いな物とかって無いッスか?」
「いや、特に無いよ。あっちの世界じゃ……特に大戦中は、好き嫌いなんてしてる余裕も無かったからな」
「あぁ、なるほど……情勢が違えば、人間の食に対する考え方も違ってくるッスもんね」
「うん。今の子供たちは贅沢すぎるって言う大人もいるけど、贅沢できるって、すごい幸せな事なんだよな……」
リビングでテレビのニュースをぼんやりと眺めながら物思いにふける空蓮。こちらの世界の時事や常識を頭に入れるのも、大切な役割である。
「そういう所を見ると、とても十五歳とは思えないッスね」
「あっちの世界じゃ、十五歳なんてこんなもんだよ」
「君の場合、勇者だからあっちの普通の人間とも少し違う気がするッスけど」
「まぁな……」
ニュースが終わり天気予報が始まると、空蓮は先ほどの会話の事を思い出す。
「なぁ胡桃田。先週の事だけどさ」
胡桃田という呼び方に、彼女はピクリと反応する。空蓮が名前を覚えていたのがそんなにも嬉しいのだろうか、綻ぶ表情を必死に隠すのであった。
先週の事というと、おそらく獅子が遊びに来た時の事だろう。
「あんた、本当に僕の人権を尊重してくれてるんだな」
以前から気になっていた所ではあった。口では人権を尊重しているといくらでも言えるが、空蓮の身体に何か仕掛けられていてもこちらからは気づきようが無い。それこそ、獅子と遊ぶ件に関してはスマホでもやりとりしていたが、その中身すらチェックされていないようだ。
「今さら何言ってんッスか。最初からそう言ってたッスよ?」
「いや、そうなんだけど……あの時はただの悪人にしか見えなかったから、全然信用してなかった」
「はは、悪人ッスか……酷く言われたもんッスね。今じゃその印象も変わったって事ッスか?」
「あぁ……悪人から普通の人間くらいにはなったよ」
「普通ッスか……それでも随分進歩したッスね」
「こっちの人間をそれ以上に評価するのは……かなり難しいだろうな」
「そうッスか……こっちのお友達もッスか?」
「あぁ……仲良くはしてるけど、結局は普通の人間だ。今の僕には、それが精一杯だよ」
最近は学校での様子も随分と楽しそうに見えるが、それもどこまでが表向きの様子なのかは分からない。実際のところ、全ては無難に三年間を過ごすための演技のような物なのだ。指宿空蓮という存在自体が、演技なのだから。
「今は……そう思ってもらえてるだけで、充分ッスよ!」
彼女は言いながら作っていた料理を盛り付け、テーブルに運んでくる。
「出来ました! 今日のお昼は焼きそばッス!」
「美味しそうだな……いただきます」
「いただきますッス!」
香ばしいソースの香りが漂う麺をずるずると食す。彼女の作る料理は、塩と砂糖を間違えない限り本当に美味しい。その道でも食べていけそうな腕前だ。
先ほどの話の続きになるのだろうか、空蓮は焼きそばを頬張りながら彼女にある質問を投げかけた。
「なぁ胡桃田……あんたたちにとって、僕たちの存在って……本当に対等なのか?」
「ん? どういう意味ッスか?」
「その……こっちの人間もあっちの人間も、全部同じ人間として認識してるのか?」
「そのつもりッスよ?」
「そうか……」
「どうしたんッスか?」
「いや、その感覚が未だに理解できなくてな……僕たちの世界から見たら、こっちの世界の人間は、やっぱり神に等しい存在に見えてしまう気がするんだ」
「なるほど……今目の前にいる人間も、君のクラスメイトも、皆神に見えるッスか?」
「いや、どうだろう……難しいな……」
こちらの世界に出てきてしばらく経つ空蓮にとって、それは一番難しい問題なのかもしれない。あちらの世界は全てこちらの世界の人間が創った物なのだ。こちらの世界の人間が神であるという認識になるのは、不思議では無いのかもしれない。
「分かりました。では仮に、ウチらが神だったとしましょう」
「え? う、うん……」
「だとしても、ウチらが人間でない理由にはならないッスよ」
「それは……神と人間は両立するって事か?」
「そうッス。君たちの世界を創ったという意味では、確かにウチらは、そしてこの世界の人間は、君たちの次元から見たら神と捉える事もできると思うッス。そして、自分たちが君たちの所有者なんだと権力を誇示して全て支配し、道具のように扱うことも……おそらく、今の法律なら全く問題なく行えてしまうッス」
「あぁ……その通りなんだろうな」
「でもその考え方って……この世界よりさらに上の世界が存在したら、すっごく虚しくないッスか?」
その言葉に、空蓮はハッとする。その視点は、今まで考えた事が無かった。自分が生まれ育った世界の一つ上を知った事が衝撃的すぎて、そこまで思考は回らなかったのだろう。だがしかし、確かに理屈の上では、ここが一番上の世界であるという保証はどこにもない。その思考を持っているからこそ、もしかすると彼女は、
「それは、何と言うか……確かにそうか……」
「そう。いつ自分の目の前に一つ上の世界の人間が現れて、自分の身内を生き返らせて、こちらの世界で学生をやれと言われても……何もおかしくないのが、この世界なんッスよ。だからこそ、ウチらが人間である以上、君たちも等しく人間なんッス」
こちらの世界での最後の戦争からどれくらいの月日が経っただろうか。非常に安全な世の中が出来上がり、人々は文化的に成長し、想像力も創造力も豊かになった。それでも、彼女のような俯瞰した視点を持てる人間は少ない。そんな彼女が相手だからこそ、
「僕たちも等しく人間……か……」
何か心に引っかかっていた物が取れた気がする空蓮。気が付くと、目の前の焼きそばを平らげてしまっていた。
「……コーヒーでも飲むッスか?」
「あぁ、よろしく頼むよ」
「了解ッス」
こちらの世界を少し理解した、日曜日の昼下がりであった。
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