第32話 勇者アイザック

 久しぶりの会食を済ませた四人は、再び王都のメインストリートまで戻っていた。


「いやー食った食った! やっぱり魔大陸の肉は違うな!」

「お前の馬鹿舌でも分かるんだな、スザク」

「な、なに! てめぇアシュリー、今俺のことバカにしただろ!」

「あぁ、したぞ」

「認めんなよ!」


 何かにつけてパーティメンバーの事を小馬鹿にする癖のあるアシュリー。実際のところ、彼女が一番賢いので誰も強くは言い返せない。


「それじゃ、俺は警備の任務に戻るとするよ」

「あぁ、気をつけてな、カゲトラ」

「お前もな」


 アイザックの声に小さく返事をすると、彼は日中であるにも関わらず、まるで影に紛れるかのようにふわりと消えてしまった。


「おぉ、相変わらずすごいな」


 カゲトラの身のこなしに感心するアイザック。再び魔大陸に出向く可能性が出てきた以上、自分もうかうかしていられない。


「あいつが一番、戦い続けているだろうからな」

「確かにそうか……俺も道場があるから鍛え続けられてるけど、お前ら二人は大丈夫か?」

「ボクは問題ない。日々魔術の鍛錬は積んでいる。アイザック、お前はどうだ? 雑魚モンスターを狩るばかりで腕がなまっているんじゃないか?」

「確かにそうかもな……しばらく本格的に戦ってないし、鍛えとかねぇと」

「その気になったら、いつでも相手してやるぜ!」


 言いながら、胸の前で拳を突き合わせるスザク。今すぐにでも戦えそうな気合いだが、残念ながら今は満腹である。


「あぁ……時間が取れたらお前の道場も見に行くよ」

「おう!」


 綺麗な笑顔で返事をするスザク。久しぶりに仲間と談笑できて嬉しかったのだろう。


「そんじゃ、俺もそろそろ帰るぜ! またな!」

「あぁ! 気をつけてな!」


 四足歩行で走り出すスザクの背中に、アイザックは大きな声で別れの挨拶をする。スザクの故郷とアイザックの小屋とでは方角が違うのでここでの別れだ。


「それじゃ、僕もそろそろ帰るよ」


 そう言ってアシュリーの方に振り向くと、彼女は何か寂しげな顔をしていた。


「ん……? どうした、アシュリー?」

「あぁいや、何でもない……ただ……」

「ただ……?」


 アシュリーは少し目を泳がせながら、言葉を選ぶようにして続ける。


「いや……国王も言っていたが、やはり戻ってくる気は無いのか?」

「その事か……何度も言ったはずだ、今はここにはいられない」

「そうか……そうだな……」

「あぁ……日が暮れる前に帰りたいから、そろそろ行くよ」

「待て、アイザック……!」


 彼女は、行ってしまいそうなアイザックに駆け寄り、服の裾をちょこんと摘む。少し俯いた姿勢のまま、大切な人を失わないよう、まじないをかけるような声でこう続けた。


「どうした?」

「お前のやろうとしている事は、賢いボクにも分からない。お前が田舎に引っ込んだ時にあらゆる可能性を考えたが、結局答えは出なかった」


 ナタリーと暮らすにあたって王都を離れた時、田舎に住みたい気分になったと言い訳をしたはずだが、そんなもの彼女にとっては本当に言い訳にしか聞こえていなかったのだろう。


「ただ、お前が何をしようとボクは止めないが……お前だけは、闇に堕ちてはくれるなよ……?」


 瞳に涙を浮かばせながら、掠れた声で言うアシュリー。お前だけは、と念押ししたあたり、今日の話に思うところがあったのだろう。


「闇か……」


 小さく復唱すると、アイザックはわざとらしく笑ってみせる。


「ははっ、大丈夫だよアシュリー! 僕は何があっても、最後まで勇者だ」


 元気な声でそう言い放つアイザックの瞳には、一切の曇りが無かった。

 思えば、あちらの世界の技術は全て、闇と捉えられるのだろうか。闇を、こちらの世界の理で計り知れない事象と定義するのであれば、ナタリーの存在も、指宿空蓮としての生活も、全てが闇の為せる業だろう。

 闇を一言に表すのは難しいが、少なくともアイザック自信に迷いは無い。彼が目指すのは、かつて存在した平穏な、家族全員での生活。そのために降って湧いた外の世界の力を、最大限に活用しているだけだ。その芯の通った彼の瞳に、アシュリーも心のどこかにつっかえていた緊張が取れたらしい。


「そうか……あぁ、そうだったな……」


 少しずつ顔を上げ、表情を和らげ、いつもの悪態をつく調子で彼女は続ける。


「アイザック……お前は馬鹿で鈍間で不器用で、それでいてどうしようもなく優しい……真の勇者だ!」


 ニコッと笑う彼女の瞳からは、先程の涙が翔んでキラキラと輝いていた。


「あぁ。僕は勇者だ」

「次の遠征の時も、ボクが困っていたら、何があっても助けてくれよ! 勇者様!」

「喜んで!」


 吹っ切れた様子のアシュリーを確認し、心地の良い帰路に着くアイザックであった。



 馬を走らせ、なんとか日没前に帰宅するアイザック。夕飯のいい匂いが玄関先まで漂っている。


「ただいま、ナタリー」

「あ、お兄ちゃんお帰り! 早かったね!」

「あぁ、今日は簡単な用事だったよ。夕飯は……シチューか?」

「正解! 疲れたでしょ? もうできるから荷物片付けてきて!」

「あぁ。ありがとう」


 手早く荷物を片付けて食卓につくアイザック。狼の肉をふんだんに使ったシチューと共に、畑で取れた麦から作ったパンが並んでいる。

 ナタリーが家事と農作業をしてくれるようになってから、かなり生活水準が上がっている。自給自足でパンが出てくるのは、この世界でも珍しい事だ。


「いただきまーす!」

「いただきます」

「ねえお兄ちゃん、今日は何の用事だったの?」

「国王から話を聞かされただけだよ。今後の事について」

「今後?」

「ああ……」


 アイザックは、今日の事を話すべきか否か一瞬悩む。ナタリーには直接の関係が無い話なので下手に不安を煽るのは本意ではない。しかし、自分が長期間ここを空ける可能性があるとなると、やはり予め伝えておいた方が良いだろう。

 アイザックは今日聞いた話を全てナタリーに聞かせた。


「そっか……また魔大陸に……」

「あぁ。もちろん、何も無い可能性もある。ただ、もし向こうに行かなきゃいけなくなったら、二週間以上は家を空けることになると思う」

「そう……分かった。今すぐじゃないんだもんね」

「うん。また国王から連絡が入る」


 アイザックは少し申し訳なさそうに続ける。


「ごめんな、ナタリー……せっかく今の生活が軌道に乗ってきたのに……」

「ううん……仕方ないよ、お兄ちゃんは勇者なんだから! それが仕事でしょ! 頑張って!」

「あぁ……ありがとう」

「確か明日もお出かけだったよね? 今日は早く食べて寝ちゃお!」

「そうだな」


 いつもより少し元気な様子のナタリー。これは寂しさの裏返しなのだろうかと、感謝しつつも少し気の毒に夕飯を済ませるアイザックであった。



 翌日、時刻は昼前。アイザックはこの時間にしては珍しく、洞窟の最深部へとやってきていた。本日は指宿家お勉強会の日。午後の集合に備えて、少し早めにあちらの世界に出向くところだ。


「それにしても……いらん物が増えたな……」


 あたりを見渡すと、あのピンク髪が暇を潰すために持ち込んだ趣味の物で溢れかえっている。ティーセットだけでなく、ゲーム機やバランスボールなど、家で軽い暇を潰せそうな物が多数再現されていた。人によってはここに住めそうな空間だ。


「行きますか……僕の正体は、AIだ」


 呟くと、彼の体は激しい光に包まれる。そのまま、彼の意識は現実世界の指宿空蓮の身体へと移動した。

 目を覚ますと、誰かの声が聞こえてくる。


「おはようございますッス〜」

「あぁ、おはよ……え?」


 驚いてベッドの横を見ると、そこにいたのはジーパンに縦セーターを着用した、あのピンク髪であった。

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