第27話 先輩

 4月14日、水曜日。時刻は放課後。空蓮と真理は授業終わりに図書室へと向かっていた。今日は初めて図書委員の仕事を担当する日だ。委員集会の日はこれからどうなる事かと落ち込みもしたが、この数日で一気に真理と打ち解ける事ができたので空蓮の心は非常に軽やかであった。


「指宿くん、なんだか嬉しそうだね?」

「えっ、そ、そうかな……?」


 顔に出ていたのだろうか、真理に指摘されて少し驚く空蓮。こちらの世界の楽しみ方を徐々に覚えてきているのだろうが、本人にあまりその自覚は無いらしい。


「指宿くんは、本読むの好きなの?」


 真理の方から、単なる雑談として質問が飛んでくる。が、彼女にとっては雑談でも、空蓮にとっては一つ一つが命取りとなる鋭利な刃物になる可能性を秘めている。特に、本人の好みに関する質問は切れ味が良い。これは慎重に答えなければならない所だ。


「うーん……まぁまぁかな……」


 曖昧な返答をして話を続けにくくする。話が続かなくなった所で安全な話題を被せて難を逃れるというのが、空蓮が最近よく使用する技である。


「そっか……どういう本を読むの?」

「あー……最近は中学の勉強を取り戻すので精一杯で……」

「あっ……そういえば、零点があったって……」

「うん。だから最近は教科書しか読んでないな……好本さんは、どんな本読むの?」

「私はね――」


 作戦成功だ。話題の主格を彼女にすり替え、自分が聞き手に回る事によって、こちらの情報の深堀を防ぐ、高等テクニックである。

 真理は昨日の探偵ごっこからも想像される通り、ひとたび火が付くと止まらない性格のようだ。最近読んだ本を列挙し、内容をかいつまんで話してくれた。


「へぇ、面白そうだね。今度読んでみるよ」

「うん!」


 空蓮を見上げてにっこり微笑む真理。眼鏡の奥で綺麗な瞳が輝いている。

 読書の話をしていると、あっという間に図書室に到着した。扉の前では七嶋先輩が美しい立ち姿で待機している。図書室の鍵に付けられたキーホルダーのリングに指を入れて、くるくると回す様子が妙にかっこいい。この綺麗なスタイルから察するに、昔何かスポーツでもしていたのだろうか。


「お、来たな! 図書室へようこそ!」

「お疲れ様です!」

「お、お疲れ様です!」


 空蓮の元気な挨拶に倣い、真理もぺこりと頭を下げる。ずっと人に仕える立場だった事もあり、こういう所には慣れている空蓮であった。


「はは、元気がいいな! だが、図書室の中では極力小声で喋るようにな」

「はい」

「わかりました」


 空蓮の後に真理の返事が続く。なんとなく、二人の性格が現れているような挨拶だ。


「よし。図書室の鍵は、先週説明した通り準備室に保管されている。準備室は基本的に文芸部の誰かが我先にと開けているだろうが、開いていなければこっちの鍵は職員室にある。その時は、自分で取りに行ってくれ」


 言いながら、七嶋先輩は図書室の鍵を開ける。電気の付いていない図書室にはカーテンの隙間から日の光が差し込み、幻想的な雰囲気を醸し出していた。どことなく、王都の魔法図書館にも似ている。


「部屋に入ったら、まず全ての電気を付けて、パソコンの電源を入れる。混雑時用に念のためパソコンは二台置いてあるが、基本一台しか使わない」


 先輩は説明をしながら手際よく部屋の準備を進める。

 ちなみに、この時代においてパソコンの基本操作が分からない人間というのはほぼ存在しない。空蓮もこちらの世界に出てくるにあたって、真っ先に叩き込まれたのが文明の利器の操作方法であった。タイピングは未だに鈍足だが、操作方法は一通り頭に入っている。


「図書委員が最初に覚える仕事は、本の貸し出しの管理だ。最初の数か月は、この仕事だけをこなしてもらう事になる。他にも、図書室回りの仕事が複数存在するが、それは追々説明する。それじゃ、貸し出しの説明をするから、二人ともカウンターの中の椅子に座って待っててくれ」


 言うと、先輩は手ごろな本を取りに行った。

 二人並んで椅子に座ると、本棚の方を向いたまま、真理の方から声がかかる。


「七嶋先輩って、なんて言うか、仕事のできる女って感じするよね」

「あぁ、確かに。かっこいいよな、ああいう人」

「スタイルもいいし、何か運動してたのかな?」

「それ、僕も思ってた」


 第三者に関する話題の雑談は、空蓮が一番気を抜ける瞬間だ。話の矛先が自分に向かう可能性が低い。


「そういえば、指宿くんは何か運動してたの? このあいだ助けてくれた時、すごい動きだったって聞いたけど」


 あくまでも可能性が低いだけである。こういう変化球も稀にあるものだ。


「うぇっ、僕⁉」

「えっ、う、うん……」


 油断していたせいか、変な声が出てしまった。真理も何かまずい事を聞いただろうかと少し不安げな表情である。


「あぁ、えっと……昔じいちゃんに剣道みたいなの習ってたから、それで素早く反応できたのかも」


 確か剣道部で運動能力を披露した時にそのような言い訳をしたはずだ。咄嗟に今までの話と帳尻を合わせるのも上手くなっている。


「剣道……! すごい!」

「はは、ありがとう」

「あっ……でも指宿くん、何も部活やらないんだっけ?」

「うん。勉強の事もあるから、留年しないように頑張らないと……」

「真面目なんだね。そういう所、いいと思う」

「ん……?」


 いいと思うとは、どういう事だろうか。聞き返そうかと横目で真理を見ると、何故かその顔は赤面していた。これは放置するべきだろうか、それとも何かフォローした方がいいのだろうか。そんな事を考えていると、正面から突然声がかかる。


「コホン……いい雰囲気の所を邪魔してすまないが、仕事の説明を続けてもいいか?」

「あっ、すみません!」

「ふぇ⁉ そ、そんな、いい雰囲気だなんて!」


 ほんの一瞬、お互いに気を取られすぎて、本棚から戻ってきた先輩に気が付かなかったらしい。真理の反応からどことなく嬉しそうな感情も読み取れるが、きっと気のせいだろう。


「よし。では説明を続ける。私がこの本を借りたいと言い、持ってきたとする」


 言うと、彼女は本棚から持ってきた数学の参考書をカウンターに置く。


「その時、まず図書委員が要求するのは、学生証だ」


 説明しながら、彼女は胸ポケットから学生証を取り出した。


「これが無ければ、この図書室で本を借りる事はできない。まず始めに、この学生証をスキャンするんだ。今回は……パソコンに近い指宿が画面の確認役、好本がスキャン役で行こう」

「はい」

「分かりました」


 言われると、好本さんはバーコードリーダーを手にする。


「学生証の裏にバーコードが付いているから、これを読み取ってくれ」

「えっと……こうですか?」

「そうだ」


 慣れない手つきで、好本さんはリーダーをかざす。ピッと反応があり、パソコンの画面に変化が現れた。


「今表示されているのが、私が借りている本のリストだ。分かるか、指宿?」

「はい」

「よし。その後に、今持ってきた本のコードを読み取る」


 再び好本さんがリーダーを翳すと、彼女のリストの中に今持ってきた本が追加される。


「これで貸し出し完了だ」

「なるほど」

「基本的に、スキャン役は今の行動を繰り返すだけで大丈夫だ。既に貸し出している本を読み取ると、そのリストから削除される。これで返却が完了した事になる」

「今のところ……簡単ですね」


 あまりにも単純な作業に少々困惑する真理。いったいどのような規模の物を想像していたのだろうか。


「貸し出しの業務についてはこの程度だ。画面を見ている側は、何か不都合があったらパソコンに表示されるから、その指示に従えばいい。たいていは貸し出し期間の延滞だな」

「分かりました」

「説明は以上だ。あとは実践あるのみ……と言いたい所だが……」


 そこまで話すと、先輩は腕を組み、胸を張って言い放つ。


「ぶっちゃけわざわざ本を借りるのなんて図書委員と文芸部員くらいなので安心してくれ! はっはっは!」


 少々虚しさの籠った、乾いた高笑いであった。


「せ、先輩……」

「なんだか少し可哀そうです……」

「おい、好本……可哀そうとか言わないでくれ……」

「ご、ごめんなさい……」


 図書室の利用が少ない事は、図書委員長として気にしている所なのだろう。


「まぁ何だ。あまり集中して仕事をしなきゃいけない訳じゃないから、作業の時以外は静かにしてたらここで何しててもいいぞ。読みたい本を読んでるやつが一番多いな」

「い、いいんですか⁉」


 素早く反応して、目を輝かせる真理。こういう時の返事は誰よりも俊敏だ。


「あぁ。二人とも、今持ち合わせが無ければ、何か取ってきていいぞ」

「あ、私はちょうど読んでる本があるので」


 言いながら、彼女は鞄から文庫本を取り出す。表紙には『宇宙から見る世界の構造』と書かれていた。


「へぇ……てっきり小説ばかりかと思ったが、そういう本も読むんだな」

「はい。ちょっと興味があって」

「なるほど。指宿は?」

「あ……じゃあちょっと取ってきますね」

「あぁ」


 空蓮は立ち上がり、教科書の棚へと向かう。業務中に勉強が出来るのは目論見通りだ。本日は古文の勉強と行こう。

 教科書を手に取り、カウンターに戻ると、先輩が珍しい物を見るような目で空蓮の手元を見ている。


「なぁ指宿……? それ、中一の教科書か?」

「あ、はい」

「せ、先輩! 揶揄っちゃダメです! 指宿くん、最初のテストで三つも零点取っちゃったんですから!」

「なっ……!」


 先輩は空蓮に対して、化け物でも見つけたかのような視線を向ける。今の発言に悪気が無いあたり、好本さんが一番 たちが悪いのだが、あえてそこには触れない空蓮であった。

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