第26話 箸
「あなたたち……ここで何をしているの……?」
突如入室してきたクラスメイトを見て、夏弓は徐に立ち上がる。その周囲には、明らかに相手を威圧する用のオーラを纏っていた。
まずい。これは良くない。何かと秘密が多い彼女の、よりにもよって密会現場を目撃してしまった。
「ち、違うんです岩淵さん……! こ、これは団長がやれって……」
言いながら、真理はその小さな身体を有栖の後ろにすっぽり隠してしまう。
「うぇ⁉ ちょ、真理! あんた私を売る気ね!」
「すまん岩淵さん! 要さんに免じて許してくれ!」
「ちょっと! あんたまで!」
流石に獅子の巨体は有栖の後ろには入りきらない。頭隠して他全てが見えている。
「そう……で、指宿くん……? あなたの弁解は……?」
未だ何も発言していない空蓮に詰め寄る夏弓。一番最初に彼女の本性を見てしまった人物だ。何かあれば真っ先に疑う対象となってしまう。
「えっと……岩淵さん、いつも昼休みいないから、どこでお昼食べてるのか気になるって……有栖が……」
「あ、空蓮くん⁉ あなたまで私を売るの⁉」
昨日の会話を思い出しながら空蓮が弁解するが、そういえば言い出しっぺは有栖であった。弁解の余地無しである。
「そう……」
状況を察すると、夏弓はぬるりと有栖に這い寄る。空蓮も反応できない速度の距離の詰め方だ。その気迫はさながら
「要さん……こんにちは……」
「こ、こんにちは……!」
「あなた……どこまで知ってるの……?」
有栖は尻もちをついた体勢で、顔を引きつらせながら首を横に振る。
「な……何も知らない……」
「そう……本当に、何も……知らないのね……?」
今度は必死にコクコクと頷く有栖。ここは夏弓の意のままの回答をしなければ、ともすれば命が危ない状況だ。
おそらく夏弓のこの詰め寄り方は、自分のドジがどこまでバレているのか判断するための問いであろう。さて、この後はどうなるのだろうかと四人とも構えていると、思わぬ所から助け舟が出る。
「夏弓、この子たちは……?」
そうだ、夏弓の迫力が強すぎて存在を忘れかけていた。話題を変えてくれたのは、彼女の密会相手の男性であった。
そもそもこの人は何者なのだろうか。ここで二人きりで、いったい何をしていたのだろうか。サイバー犯罪の可能性は限りなく低いにしても、何か教わっていたらしい事は確かである。
様々な疑問が浮かぶが、この人物の正体は夏弓の返事でさっそく解決した。
「あ、ごめんお兄さん!」
「お」
「に」
「い」
「さん……?」
瞬間、四人は理解が追いつかなくなる。岩淵夏弓の、お兄さん。その単語に、脳が麻痺してしまったらしい。
「四人とも、私のクラスメイトなの」
「あぁ、なるほど」
お兄さんと呼ばれた男は立ち上がり、四人の元にやってきて丁寧に挨拶をする。
「初めまして。僕は
『は、初めまして!』
四人は救世主の登場に正座して挨拶をする。これで夏弓の怒りが逸れてくれればと願うばかりだ。
「妹がお世話になっているみたいだね。ありがとう」
言いながら、お兄さんは彼らの持っている弁当箱を確認する。
「よかったら、ここで一緒に食べていくかい?」
「ちょ、お兄さん……!」
「いいじゃないか、友達なんだろ? それに、さっきの反応を見るに、何人かは夏弓のドジを知ってると見た」
「あ、改めて言わないでよ! 好本さんとか、知らないハズだから!」
突然自分の名が上がり、そっぽを向いて唇を尖らせる真理。誤魔化しているつもりなのだろうか。
「はは、ごめんごめん。さぁ、君たちも座って。机と椅子だけは無駄に多い部屋だから」
言われると、四人は顔を合わせて軽く頷く。
「そ、それじゃお言葉に甘えて……」
有栖を先頭に、ぞろぞろと席につく四人であった。
見ると、岩淵兄妹の弁当箱も卓上に広げられている。普通に弁当を食べていただけなのだろうか。
「それにしても、どうしてここまで来たのよ……」
「ご、ごめん……岩淵さんがどこでお昼を食べてるのか、気になっちゃって……」
先ほどの気迫で完全にやられてしまったのか、少々しおらしい態度の有栖。顔を傾け、上目遣いになっている。
今しがた空蓮から聞いたのと同じ言い訳を聞くと、夏弓は額に手を当てて続ける。
「はぁ……それで探偵ごっこというわけ……」
見ると、二人は探偵帽を被ったままであった。
「その……別にあなたたちくらいならいいんだけれど……わ、笑わないでよ?」
夏弓はそう言うと自分の席に戻り、食べかけのお弁当に再び手をつける。
その姿を見ると、彼女が教室で昼食を取らない理由は一目瞭然だった。箸の持ち方が明らかにおかしい。
「あ……岩淵さん、もしかして、それか……?」
こういう点にいち早く気付くのは、やはり獅子であった。
「そ、そうよ……悪い……?」
「いや、別に気にする事じゃねぇと思うけどな……ウチの弟もまだ直らねぇし」
「お、弟と高校生じゃ別でしょうが!」
「そ、そっか……」
確かに高校生ともなると箸の使い方が曖昧な日本人は少なくなってくるが、存在しないわけではない。わざわざ隠すような事でも無いはずだが、極度に人の目を気にする彼女にとっては別なのだろう。
「僕も流石に気にする事じゃ無いって言ったんだけど、聞かなくてね……それで、ここで一緒にお昼を食べながら矯正してたってわけだ」
お兄さんから補足説明が入る。なるほど、ここで昼食を食べていた理由には納得が行ったが、細かい所が気になったらしく今度は真理が質問する。
「あの……ここって他に人は来ないんですか? 一年生にも、入部希望者がいてもおかしくないと思うんですけど……」
「あぁ……その可能性は一応あるけど、勧誘活動は一切していないからね。現行の部員も少なくて、ほぼ僕の個室みたいな状態なんだ」
「なるほど……」
確かに、校舎の屋上や中庭で食べるよりも、ここの方が人目につかない空間のようだ。
「あれ……そっか、ここって部活なんだよな」
二人の会話を聞いて、空蓮は何か気にかかったらしい。
「そりゃあ、部室があるんだから部活だろ」
何を当たり前の事をといった様子の獅子だが、空蓮の疑問は彼に対する物だ。
「上城戸、確か部活全部見学に行ったって言ってたよな? だったら、ここにも来たんじゃないのか?」
「えっ、全部⁉︎ 全部って何⁉︎」
空蓮から飛び出した言葉に、理解が及ばないらしい有栖。これが普通の反応だろう。
「言葉通りの意味だよ。今この学校で動いてる部活、全部見学に行ったんだ」
「あ、あんたすごいわね……」
獅子から補足が入り、ただただ感心する有栖であった。
「なるほど……すまない、先週の放課後は用事があったから僕は把握していないな」
「あぁ、はい。木曜日と金曜日の放課後に来たんすけど、二日とも閉まってたんで廃部にでもなったもんだと思ってました」
「はは……見ての通り、廃部寸前の状態ではあるけどね。多分僕が卒業したら、ここは空き教室になるんだろう」
見ると、彼のネクタイピンは青色。三年生である。
「ともあれ、つまり君は今日このタイミングに、本当の意味で全ての部活へ見学に行ったわけだ。おめでとう、上城戸くん」
「あ、ありがとうございます」
少し変わった言い回しでお兄さんは獅子を褒める。夏弓の兄ということもあり、かなり親しみやすい印象だ。
「ねえお兄さん、そういえばこの部活って何をしているの?」
皆が気になっていた疑問を、夏弓が代表して質問する。お前だけは把握しているべきなんじゃないかと思う面々であったが、あえてツッコみはしない。
「そうだな……パソコン関係の事なら大体なんでも取り扱ってきたけど、今はAI関連の物を中心に活動しているよ。活動と言っても、僕一人だけど」
「AI……」
文字通り身に覚えのある単語に、空蓮は無意識に反応する。
「お、AIに興味がおありかな? 申し訳ないけど、ここでは新入部員は募集していない。もし気になるなら、図書室にもたくさん文献があったから当たってみてくれ」
「あぁ、いえ……ありがとうございます」
パソコン部に関する話が一通り終わると、お兄さんは一息ついて話題を変える。
「僕の話ばかりになってしまったね。君たちの話も聞かせてくれ。この学校で一週間過ごしてみて、どうだ? できれば、普段の夏弓の様子も知りたいな」
「ちょ、お兄さん! 私の事はいいでしょう!」
それ以降は、昼休みが終了するまで、先週の話に花が咲いた。会話の流れで夏弓のドジが全員に余す事なく知れ渡ることとなるが、それは最早些細な話であった。
授業開始まで残り三分といったところか、腕時計を確認するとお兄さんが話題を変える。
「そろそろ時間だね。僕はここを施錠してから出るから、君たちは先に戻りたまえ」
「おぉ、もうこんな時間か」
言われて獅子もスマホを確認する。
「それじゃお兄さん、また後で」
「あぁ。気をつけて帰るんだよ」
「はい」
これが岩淵家の通常の挨拶なのだろうか。
「お邪魔しましたー!」
有栖の元気な挨拶とともに、パソコン部を後にする五人の一年生であった。
突如として、パソコン部からは騒々しさが失われる。ここにいるのは岩淵賢介ただ一人。しかし、時計が時を刻む音が聞こえるような静けさの中、突然、艶かしい女性の声が響く。
「今日は随分と賑やかじゃったな」
少し古風な喋り方をする声だが、この部屋に賢介以外の姿は無い。
「あぁ、すまない……少しうるさかったか?」
彼は、パソコンのモニターに向かって返事をした。誰かと通話でも繋がっていたのだろうか。
「いいや、我も楽しめたぞ……」
「そうか、それはよかった。それじゃ、僕も授業に行くよ」
「あぁ待て……これは女の勘じゃが……あの指宿とかいう少年、気をつけよ」
「ん? あぁ、AIに興味を持ってた子か」
「そうじゃ……あやつ、何かあるぞ」
「何か……? 分かった、気に留めておくよ」
言い残すと、部屋を消灯して授業へと向かう岩淵賢介であった。
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