第23話 英雄の代償

 運動場の一角がざわつく。皆、目の前で起こった光景に目を疑っていた。一度空蓮の運動能力を見ていた獅子までもが、その異常さに冷や汗を書き、全く動けずにいる。

 おそらくこの状況は、空蓮自身がなんとかしなければならない。あの屈強なゴンケンまでもが、動きかけた姿勢のままで空蓮をじっと見つめている。その視線には、何やら警戒心のような感情が宿っているように見えた。


「い……今の何……?」

「は、走ったのか……?」


 ちらほらと、戸惑いの声が聞こえてくる。明らかに全員が動揺している。

 何とかしなければならない。だが、流石に言い訳が思いつかない。たまたま尋常じゃない速度が出た、なんて稚拙な嘘が通るだろうか。

 それに、他にも問題がある。


「なんか、叫んでたよな……?」


 その通りだ。空蓮はダッシュする直前、いつもの癖で魔法を使おうとしてしまった。実際にはこちらの世界で魔法が使える訳ではない。今のは指宿空蓮の、そしてアイザック・オルブライトの素の状態での俊足である。だがしかし、奇声を上げて奇行に及んだ事実に変わりはない。

 実際、空蓮は登校初日に少し良くない目立ち方をしてしまっている。その印象がまだ残っている人間もいるだろう。この一週間で仲良くなったのはせいぜい周囲の三人のみ。それ以外の人間とは、ほとんど話してすらいない。


「あの子、何者……?」

「好本さん、大丈夫かな……?」

「なぁ、誰か何か言えよ……」


 周囲の喧騒が少しずつ大きくなる。これ以上の放置は駄目だ。


「い、今のは――」


 そう空蓮が口を開きかけた時だった。


「す、すごーーーーい‼ 指宿くんって、すっごく足が速いんだね!」


 大声を上げて立ち上がり、あたりの注目を集めたのは、要有栖であった。


「しかも今の一瞬で好本さんの危険を判断して駆け付けたんでしょ! それにその姿勢、まるで王子様じゃん!」

「なっ……」


 何か言いそうになるが、有栖の方からウィンクが飛んでくる。おそらく何も言うなという合図だろう。


「先生! 今の、かなり危なかったですよね……!」

「え!? お、おう……!」


 急に話を振られ、一瞬たじろぐゴンケン。しかしすぐに気を取り直して、今の状況を説明してくれる。


「あのままだと、要は骨折していただろう! 俺も助けようと思ったが、間に合わなかった! 指宿! ありがとう!」

「は、はい……」


 ゴンケンの本来の勢いもあってか、他の生徒は一切身動きを取れずにいる。皆、事の行く末を見守っているといった具合だ。

 次に沈黙を破った声は、空蓮のすぐ下から聞こえてきた。


「あ、ありがとう!」

「え、あっ、ど、どういたしまして……」


 好本真理が小さく縮こまりながらも、空蓮の方をじっと見つめて可愛らしい口を動かしていた。

 その声を合図にしたかのように、今度は後方から拍手が聞こえてくる。


「ブラボー、空蓮! かっこよかったぜ!」


 声の主は獅子であった。先ほどの戸惑いは表情からかき消え、力強い称賛を送っている。

 獅子に続くようにして、有栖もパチパチと手を鳴らし始めた。


「かっこいー!」


 彼女の方は少々揶揄うような言い方になっているが、寧ろその方が自然であろう。

 しばらくすると、初めて教室でやらかしたあの時のように、拍手は少しずつ伝播していく。


「す、すごかったよな……!」

「指宿くん、かっこいいかも……!」

「何か部活やってんのかな?」


 瞬く間に、クラスの声は称賛へと変わっていった。が、しかし、まだ違和感を残す生徒もいる。


「さっき叫んでたの何だったんだろう……?」

「た、確かに……」


 残る問題は、空蓮の言い放ったアクセルだけである。だが、おそらくこの言い訳が一番難しい。しかし、これも耳聡い有栖が聞き逃さなかった。


「にしても、さっきの叫び声かっこよかったよねー! あれ何だっけ? 何か聞き覚えあるんだけど……」

「えっ、えっと……」


 空蓮が戸惑っていると、再び有栖からウィンクが飛んでくる。このまま自分に任せろというつもりらしい。


「あ、あれだ! 昔放送してたぷにきゅあ! 王子様が叫ぶやつ!」


 言われて空蓮は一瞬心臓が飛び出しそうになる。まさか、偶然セリフが被っている作品が存在するのだろうか。

 ちなみにぷにきゅあとは、日曜の朝に放送している女児向けアニメである。もちろん空蓮はそんな作品を把握してはいない。が、これは有栖のはったりであった。


「あー……」

「そんなのあったっけ……?」

「あった気がする……俺ちょっとだけ見てたわ」

「あー、周りには恥ずかしくて言いにくいやつな……」

「指宿くん、ちょっと可愛いかも……!」


 どうやら有栖の判断は正しかったらしい。小さい頃に見ていた、記憶の彼方に存在する女児向けアニメ。そのセリフの一部となると、言われてみれば有ったような気がしてくるという絶妙なラインである。

 有栖の発言により、空蓮を奇異の目で見る者はいなくなった。小さい頃にぷにきゅあを見ていたという可愛い印象と引き換えに。


「あ、あの……指宿くん……」

「は、はい!」


 安心していたせいか、突如自分の下から聞こえた声に空蓮は大袈裟に驚いてしまう。


「えっと……その……降ろして……」

「あっ……」


 冷静に考えれば、一連の騒動の間、ずっと好本さんを抱えたままだった。あちらの世界で勇者をやっていたせいかこの体勢には慣れていたが、やはりこちらで意識してしまうと恥ずかしい物がある。好本さんと同じくらい顔を赤くして、そっと彼女を降ろす空蓮であった。


「ひゅー! かっこよかったぜ、王子様!」

「お前がいれば好本さんも安心だな!」

「王子様ー! 私も抱いてー!」


 空蓮を揶揄う者こそいれど、怖がるような者は残らずに済んだ。ほぼ全て、有栖のおかげである。

 列に戻ろうとする空蓮に、有栖は小声でこう告げる。


「今回限りだと思いなさいよね」

「え……お、おう……ありがとう……」


 一体どういう意味だろうか。冷静に考えたら、何故彼女は自分を庇うような事をしてくれたのだろうか。分からない事は多いが、窮地を脱した事に変わりはないので、空蓮は有栖に感謝する。

 この後、無事に好本さんの計測も終わり、体育の授業は幕を閉じたのであった。



 薄暗い部屋の中、液晶のモニターが何十枚と光り輝く。その映像はどれも、この世界とは異った、平原、城、王都のマーケット等、中世のヨーロッパのような世界の物であった。

 ここはとある建物の地下に備えられたモニタールームである。


「んあー……今日も平和ッスねぇ……」


 眼鏡の奥の赤い瞳でモニターを眺める、ピンク髪に緩い白衣の女がぼやく。真剣な目つきで眺めてはいるが、どこかつまらなさそうな言動だ。

 机に足をかけて椅子をフラフラと遊ばせていると、部屋の扉がスライドして一人の男が姿を表した。白衣と眼鏡に無精髭という、研究者のテンプレートを重ね合わせたような風貌だ。


「やぁ、胡桃田くるみだくん。今日のお昼は唐揚げ弁当だよ」

「あっ、先輩! パシリお疲れ様ッスー!」

「うん、君はもう少し先輩に対する態度を改めなさいね……」


 胡桃田と呼ばれた女は、先輩が買ってきた弁当を即座に回収して、ギザギザの歯で貪り始める。


「何か変わった事は?」

「んにゃ、特に無かったッス」


 大きな唐揚げを頬張りながらも、かなり聞き取りやすい発生をする。器用な人だ。

 尋常でない勢いで唐揚げを食べていると、胡桃田のスマホに通知が入った。


「おや? 君のスマホに連絡なんて珍しいね?」

「ちょっ、失礼ッスよ先輩!」

「君が言うかね……」


 呆れる先輩をよそに、胡桃田はメッセージアプリを確認する。


「あー、協力者ちゃんからッスね」

「あぁ、学校も今は昼休みか……それにしても、珍しいね」

「はい……あー……何か皆の前で爆速で走っちゃったみたいッス」

「空蓮くんが?」

「はい。体育の授業ッスね……これも英雄を選んだ代償ッスかねぇ……」

「そうか……それは……今回も自己顕示のような症状かな?」

「いや……怪我しそうな女の子を助けようとして、ついやっちゃった感じみたいッス。不可抗力っぽいッスね」

「なるほど、それはよかった。クラスの反応は?」

「どうにか収まったみたいッスよ。それも、空蓮くんがより溶け込むような形で」

「そうか……」


 先輩も彼女の隣の席に座り、暗い天井を仰いで呟く。


「今度こそ、上手く行ってくれるといいんだがな……」

「大丈夫ッスよ、彼なら」


 何やら訳ありらしい会話を続ける、二人の研究者であった。

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