第18話 違和感
「お前、一人称が被るって! イヒヒヒヒ!」
腹筋が痛みそうな勢いで、一人で笑い続けるアイザック。この数分間、アイザックが笑い、アシュリーが彼をポカポカと叩いて静止する図が続いている。
「やめろ! お前! や、め、ろ! いい加減恥ずかしい!」
「ご、ごめんごめん!」
アイザックは謝りながらもゲラゲラと笑い続ける。
「ま、まさかそんなに、気にしてたとは、思わなくて……」
徐々に息を整えながらアシュリーを
「全く……考えてもみろ、ボクっ娘という大事なアイデンティティを、お前が後出しで潰しに来てるんだぞ」
「そ、そうか……悪かった、悪かったよ」
どうどうと、いい加減この話は終わりにしようじゃないかと静止するアイザック。対するアシュリーは、ぷいっとそっぽを向いて部屋に設置されたクローゼットの方へつかつかと歩いて行ってしまう。
「ともかく、お前が元気そうでよかったよ、アシュリー」
「それはボクのセリフだ。心配させやがって」
「あぁ……悪かった。僕の事は大丈夫だ」
わざとらしく一人称を挟む彼に、アシュリーの耳はピクリと反応するが、敢えて言葉にはせずにクローゼットの物色を始める。
「じゃあな、アシュリー。また王都に来たら顔出すよ」
「ん? 何だ、もう行ってしまうのか?」
「え? うん、ついでに顔見せに来ただけだし」
「おいおい、つれないじゃないか。この後の予定は?」
言いながら、アシュリーは着ていた部屋着をポイと脱ぎ捨てて下着姿になる。アイザックから見える位置だと言うのに躊躇がない。
対するアイザックも、あちらの世界でこのような状況になれば慌てふためくだろうに、今ばかりは平気な顔をして会話を続ける。
「えっと……昼過ぎに吟遊詩人の調査だけど」
「だったら昼飯くらい付き合え。お前がいる時くらいしか、部屋から出る機会も無いんだ」
さらっととんでもないカミングアウトをするアシュリー。どちらかというと、彼女の方が引き篭もった生活をしている。
「昼飯か……」
「何か断る理由でも?」
「いや、別に……」
あまり彼女と長話をするつもりは無かったのだが、困ったことに断る理由が無い。アイザックが悩んでいると、アシュリーは外出用のワンピースを頭から被った。
相変わらず機能性が重視されてはいるらしいが、きめ細かい刺繍の施された上等の一品だ。
「さぁ行くぞ。腹ペコの少女が行き場を失って困り果てている。助けてくれよ、勇者様」
「お前なぁ」
悪戯げに手を差し伸べる彼女の手を取り、やれやれといった調子で外へと赴くアイザックであった。
時刻はちょうど正午。二人はドレイクパピーの丸焼きを挟み、豪華な昼食を楽しんでいた。ここはレストラン『モンスターハウス』。主に魔大陸産のモンスターの素材の味がそのまま楽しめる高級料理店で、王都の貴族なんかも利用するような店だ。そのためテーブルは全て個室で用意されており、アイザックが目立たずに食事を取るのにもちょうど良かった。
ちなみに、店のチョイスは意外にもアシュリーによる物であった。こういう食事が好きなのもあるが、高級店の方が支払いを王宮のツケにするのが楽らしい。
「にしてもいいのか? 僕までこんな高級料理をご馳走になって」
「構わんだろうさ。王宮には金が有り余ってるんだ。王族の金庫から市民に金を撒いてやったほうが、国民も幸せだろう?」
「なるほど、確かに」
おそらくアシュリー自身が贅沢をしたいだけなのだろうが、尤もらしい言い訳が即座に出てくる。
肉を大方平らげると、アシュリーが頼んでいたスライムゼリーが運ばれてくる。このデザートに関しては、素材の味そのままというわけではなく、スライムを模しているだけだ。ゼリーをスプーンでツンツンと小突くと、思い出したかのようにアシュリーが口を開く。
「ああそうだ、アイザック。お前に会ったら意見を聞いてみたいと思ってたんだ」
「ん? なんだ、突然」
「いや何、適当な雑談くらいに聞いてもらって構わないんだがな。最近、この世界のあり方について考えてた時にふと思い至ったんだ」
そもそも世界のあり方について考える事がかなり常人離れしている気もするが、アイザックはそこには突っ込まない。どうせ聞いても彼女の学術的思考は理解できないのだ。
「スライムって……アレ、何だと思う?」
「は……? 何って、スライムはスライムだろ? 粘液状のモンスターだ」
「いや、それはそうなんだが……」
アシュリーの質問の意図がよく分からないアイザック。どうも、その思考に至った過程を説明しなければならないタイプの質問のようだ。
「単語の整理からしようか。まず始めに、モンスターとは何だ?」
「ん……? モンスターってのは、まぁ中央大陸語で魔物だな」
「そうだ。では魔物の定義とは?」
「それは……人間に害をなす生物……だとちょっと変か……」
少し考え込むが、今まで戦った魔物を思い返してアイザックはすぐに正解を導き出す。
「あ、魔力を持ってる生物か?」
「そう。その通りだ。王都の書物にも全てそういう定義で記述されている」
「うん。で、それがどうしたんだ?」
「スライムって、生物として色々と破綻してないか?」
「それは……」
アイザックはちょうどこの間戦ったスライムを思い出す。あれが魔物として存在している事など、この世界では誰もが知る常識だ。確かにあちらの世界で生物学でも学べば、スライムが生物である事に対する違和感も抱けるのかもしれないが、アシュリーはその違和感に自分で至ったというのだろうか。
言われて考えてみると、先ほど平らげたドレイクも、この間丸焼きにしたウルフも、皆普通の生物と変わらない生態系を持っている。それらと比べれば、確かにただの粘液の塊であるスライムは異質である。
「確かに変だな……」
「やっぱり、お前なら理解できるか」
「まぁ……いろんな魔物を実際に見てきたからな」
「そう、そこなんだよ! 何人か王宮の人間にも話してみたんだが、魔物の暮らしを観察した事の無い人間にはこの疑問が伝わらないんだ!」
初めて理解者が現れたのか、とても嬉しそうなアシュリーだった。
なるほど確かに、普段魔物の生活と触れ合う機会が無ければ、スライムとはそういう物だと済ませてしまいそうな疑問だ。だがしかし、アイザックもこう見えて賢い人間である。今まで見てきた魔物を思い返し、他にスライムのような例が無いか考えてみると、すぐに思い当たる節があった。
「でも、だったら魔物の定義の方が間違ってるんじゃないか? ゴーレムだって、明らかに生物の域から逸脱してるタイプがいたと思うけど」
「あぁ、アレは厳密には魔物じゃないんだ」
「えっ……そうなのか?」
衝撃の事実に目を丸くするアイザック。あの動く岩が魔物でないなら一体なんだと言うのだろう。
「アレは、本当にただの岩なんだ。魔力で動いているだけの」
「なるほど……誰かが魔力を流し込んで、意思を持ってるような動きに見せかけてただけって事か?」
「基本的にはな。本当に岩のような肌を持った魔物もいたが、それらは普通の生物と同じような生態系を持っていた」
「そうか……あぁでも、だったらスライムもそういう類なんじゃないのか? 僕たちが魔物だと思ってるだけで、本当は何か別の理屈で動いてるっていう」
「いや、その可能性も考えたんだがな……色々と実験してみたが、アレは本当に生物だった。自分たちで生態系を築き、考え、意思のある振る舞いをする」
「そ、そうなのか……お前結構手広くやってるんだな」
「科学者だからな」
昔同じパーティで魔法使いをしていた彼女と同一人物とは思えない。今の彼女は、名実ともに科学者なのだろう。
あちらの教科書で読んだ科学者も、様々な学問に精通していた。科学者だからという理由に籠る説得力は強い。
「で、そのスライムに対する結論は何なんだ?」
「分からん」
「え……?」
「何も分からないんだ。実験の結果、魔物だという結論ばかり出るせいで、あいつがどういう理屈の生物なのか全く分からないんだ」
「そ、そうか……」
そんなことあるのだろうかと一瞬考えるが、すぐにアイザックはこの世界の仕組みを思い出す。そもそもあちらの世界の人間が作っている世界なのだ、理屈が通っていない物が存在したとしても何もおかしくない。こちらの人間が違和感を持たないよう可能な限り調整はしているだろうが、その小さな違和感に気づいてしまうのがアシュリー・イマーヴァールという人間、もといエルフなのだろう。
「じゃあ今はその研究がメインって事か?」
「あぁ。それだけじゃないがな。この世界には、所々に小さな違和感がある。それらを纏めて、違和感の正体を突き止めるのが今の研究の最終目標だ」
違和感の正体。それはまさに、あちらの世界の人間による不備なのだろう。どれだけ精巧に作られたゲームにも、学問に照らし合わせれば違和感のある箇所はいくらでも存在する。この仮想世界においても、それは完全に突き詰められる物では無いのだ。とはいえ、スライムに関する違和感はアイザックにもすぐに理解できるくらい露骨だった。何かあちらの世界に理由でもあるのだろうか。
「そうか。頑張れよ」
「あぁ。ありがとう」
本当に久しぶりに、満足の行く議論ができたのだろう。にこやかな笑顔でスライムゼリーをトゥルンと飲み込むアシュリーであった。
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