第17話 科学者

 ここは王都の中心部に立つ王宮の一室。図書館から引っ張ってきた大量の本に埋もれながら、何やら熱心に考え事をする少女の姿があった。

 短く切り揃えた緑髪の下に、特徴的な三角形の耳が伸びている。端正な顔立ちのこの少女は、エルフの一族であった。ワンピースタイプの洒落っ気の無い部屋着に身を包んでおり、部屋の様子から察するに、機能性を重視する性格のようだ。

 床にぺたんと座り込み、小さな頭でああでもないこうでもないと唸っている。彼女の周囲に置かれた本は、心理学や精神医学の物から生物学の論文まで、内容は様々だ。中には魔大陸語で記された文献もあり、非常に勉強熱心な様子が伺える。


「うーん……ダメだ……」


 人間で言えば十二歳くらいの体格だろうか。脳みそがショートしてしまったらしく、その身体を仰向けにぱたりと倒れる。よほど長時間、本と向き合っていたのだろう。

 彼女が天井を見つめていると、部屋の扉がコンコンと二回ノックされる。


「入れ」


 その声を確認して扉を開けるのは、アイザック・オルブライトであった。が、彼の視点からはちょうど寝転んでいる彼女の姿が見えない。綺麗な角度で本に埋もれている。


「あれ……どこだ? 魔法使い」


 そう彼女に対して呼びかけると、少女の耳がピクリと反応する。


「あーっ、お前!」


 勢いよくクイっと立ち上がると、部屋の入口と自分を阻む本の山をよじ登り、その頂点に君臨して彼女は決めポーズを取った。


「ボクの名前はアシュリー・イマーヴァール! 科学者だ!」

「おぉ、そこにいたか」


 パチパチと、本の上の彼女を見上げて軽い拍手を送るアイザック。とても行儀の悪い彼女の姿にツッコミを入れないあたり、毎度のことなのだろう。


「久しぶりだな、アシュリー」

「ホントだぞ、アイザック!」


 言いながら、彼女は本からぴょいと飛び降りて彼に駆け寄る。並んでみると、アシュリーの方が頭一つ分小さい程度の身長差だ。


「急に引き籠ったと思ったら、王都に変な噂は流れるし……し、心配したんだからな!」


 別に聞かれてもいないのにそう告げて勝手に赤面するアシュリー。賢いのか頭が悪いのかよく分からない態度だ。


「悪かったって、アシュリー。ほら、りんご食べるか? ハートベルク産の良いやつだ」

「ほう。苦しゅうない」


 マントの裏からりんごを取り出すアイザック。どうやら一つだけポケットに忍ばせていたらしい。ちゃっかりしている。

 小さな手でりんごを受け取ると、彼女はもっしゃもっしゃと頬張った。


「ほれで? 今日は何をしにひたんだ?」


 口いっぱいにりんごを詰めた状態で問いかけるアシュリー。マナー講師の地雷を踏み抜くのが趣味なのだろうか。


「あぁいや、顔を見せに来ただけだよ。噂の誤解を解くついでに」

「なるほど? ボクに会うのはついでというわけか」


 りんごの残った頬を精一杯むすっと膨らませるアシュリー。リスもびっくりの収納力だ。


「あぁ。ついでだよ。何だ? お前に会いたくて来たとでも言ってほしかったか?」

「女としては、その方が嬉しかったな」

「そうか。残念だったな」


 お互いに冗談を投げかけ続ける二人。昔から、相当仲が良いのだろう。

 アシュリーを気にかけたきっかけは、あちらの世界で物理の教科書を読んだことだったが、これは口が裂けても言えない。他人には絶対にバレないようにとあのピンク髪に釘を刺されている。

 あちらの知識が少し身についた事によって、こちらの世界の科学なら少々分かるのではないかと興味本位で机を覗いてみるが、何をしているのかさっぱりだ。アシュリーの知能は、おそらくあちらの世界の大学レベルに到達しているのだろう。


「ん? 珍しいな、お前が魔法以外の本に興味を示すなんて」

「それは遠回しにバカだと言ってるのか?」

「あぁすまん。直接言わなければ分からなかったか。バカだな」

「言葉遊びがお上手で」


 言われると、腰に手を当ててドヤっと反り返るアシュリー。行動の要所要所に幼さが垣間見える。

 本を流し見して、ふと気になる事があった。


「なあアシュリー、お前、魔大陸語も読めたよな」

「は? 何を言っているんだ。ボクは魔大陸出身だぞ?」

「あぁ、そうだったな」


 その通り。中央大陸語が流暢すぎて忘れそうになるが、この少女は魔大陸出身なのだ。

 ちなみに、エルフは中央大陸にも魔大陸にも存在する。両大陸の種族分布に基本的な違いはなく、魔大陸の方が少し人間が少ない程度の差である。


「どうした? 分からない単語でもあったか?」

「いや……最近ちょっと魔大陸語に触れる機会があってさ」

「へぇ、そうか……」


 一瞬不思議そうな表情になり、アシュリーは質問を続ける。


「なぁアイザック。お前、田舎に引きこもってでもしてるのか?」


 言われてアイザックはハッとする。この少女、知能が高いだけあってそういった勘も鋭い。あまりこの話題を広げるのは好ましくないだろう。


「い、いや……ほら、魔大陸帰りの吟遊詩人が通ってさ」

「あぁ、例の……」

「そう。それでちょっと気になっただけだよ」

「そうか……それで、その吟遊詩人に両親の捜索を頼んだというのは?」

「それは……いろいろと手違いがあってさ……」


 話を聞くうちに、アシュリーの表情は徐々に悲し気な物になっていく。


「手違い、か……なぁアイザック……お前どうしたんだ? 悲しいのか? 寂しいのか?」

「えっ……いや別に……」

「何かボクにしてやれる事は無いか?」

「そんな、何も……」

「そうか……じゃあせめて、王都に戻って来ないか?」

「いや、それは……」


 それはできない。今ナタリーと暮らす事ができるのは、あの場所だけだ。


「何故だ? どうして転居先も告げずに、一人で行ってしまったんだ? ボクが嫌だったか? それとも王都か? こんなに復興したのに、まだあの時を思い出すか?」


 あの時、というのは言うまでもない。炎の七日間の事だ。ヒートアップしてしまったらしいアシュリーは、さらに言葉を捲くし立てる。


「なぁ……一度は一緒に乗り越えたじゃないか……あの時の悲しみを無駄にしないようにって、魔王を倒して、王都を復興させて……」

「ごめん、アシュリー……やっぱりここにはいられない……」

「そうか……なら最後に一つだけ言わせてもらおう……未来を見てくれ、アイザック」


 言われると、アイザックはその言葉が心のどこかに引っかかる。自分が過去にすがっているとでも言うのか? こんなにも未来を見据えて、また家族と一緒に過ごすために頑張っている自分が。そう反論したいが、できない。何も言う事は許されていないのだ。


「過去に縋るな。ボクの両親も、君の両親も……ナタリーも、もう皆、死んでしまったんだ……この世にはいないんだよ」

「それは……!」


 とっさに言葉が出そうになる。ナタリーは死んだ。そういう事になっている。だが、改めて言われてしまうと、心臓を握り潰されたような痛みが心に走る。

 なるほど確かに、他人からすればアイザックの態度は過去に縋っているように映るかもしれない。だが、こちらの世界では、死んだ人間も元に戻せるのだ。その事実を、アイザックだけが知っている。


「そうだな……あぁ、皆死んだ……」

「……これだけ言っても、お前は達観しているんだな」


 アイザックの心を揺さぶろうとしたのだろうか。大方、ショック療法として本に書いてあった内容でも試したのだろう。だが、アイザックの側に喋れない事情がある分、問答は入れ違うばかりである。


「達観なんかしてないよ……アシュリー、信じてくれ。僕はちゃんと、未来を見据えている」

「そうか……分かったよ……」


 こいつの心は動かせないと、半ば諦めた様子のアシュリー。しかし、議題が別の内容に移ってしまう。


「ただそれ! いい加減元に戻してくれ!」

「ん? 何だ?」

「一人称だよ一人称! 昔は俺だったじゃないか!」

「あぁ、そういえばそうだったな……そんなに変か?」

「違う! そうじゃない!」


 アシュリーは、胸に手を当て、非常に真剣な表情で言い放った。


「お前が僕になっちゃったら、ボクと被るんだよ!」

「え……? あっ……ははっ、お前そんな事気にしてたのか!」

「笑うな! 大事な事だ!」


 真剣な表情で言われる分、余計に可笑しくなってしまう。ここ数日で一番という勢いで、腹を抱えて笑い転げるアイザックであった。

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