第15話 影

 マーケットを離れ、りんごを頬張りながらストリートを歩くアイザック。吟遊詩人の情報はすんなり手に入ったため、昼過ぎまでどう時間を潰したものかと考える。


「ちょい早いけど、アシュリーのとこ行ってみるか」


 アシュリーというのは、昔からの知人なのだろう。漠然とそんな事を考えていると、彼の視界に気になるものが現れる。

 十数メートル先の路地裏へと続く通路から、襤褸ぼろ切れを纏った小さな子供がふらふらと歩いてくる。まだ五歳くらいだろうか、危なっかしい足取りだなどと考えていると、子供はそのままうつ伏せに倒れこんでしまった。


「っ! 大丈夫か!」


 慌てて駆け寄りしゃがみ込むが、子供の方から反応は無い。衛兵を呼ぶべきだろうかと辺りを見渡すが、直後、その子供からぐぅと鈍い音が聞こえてきた。どうやらお腹の鳴る音らしい。


「お前……腹減ってるのか?」


 言われると、子供はうつ伏せのまま軽く顔を動かしてこくこくと頷いた。顔を上げる体力も残っていないのだろうか。


「これ、食えるか?」


 言いながら、アイザックは子供の目の前にりんごを1つ差し出す。すると、子供は信じられない勢いで反応し、目の前のりんごに飛びついた。

 がぶがぶと、芯すら残さずにぺろりとりんごを平らげる。遠目からは確認できなかったが、長いまつ毛と華奢な体つきを見るに、どうも女の子らしい。りんごが無くなってしまうと、彼女は立ち上がり、アイザックの顔をじっと見上げる。


「えっと……まだ食べるか?」


 再び、言葉は返さずにこくこくと頷く少女。アイザックが袋から取り出した二つ目のりんごを、丸飲みする勢いで平らげてしまった。再び彼を見つめると、アイザックは三つ目のりんごを取り出し、彼女はそれを丸飲みする。四つ目を丸飲み、五つ目を丸飲み、六つ目を平らげると、少女はその場に座り込んでにぱーっと笑った。可愛い。非常にご満足いただけたようだ。

 これで問題ないだろうとアイザックが立ち上がると、少女も一緒に立ち上がり、何やらジェスチャーを始める。お腹を抱えたかと思うと、路地の奥の方をちょいちょいと指さし、体を大の字にしてぐいーっと手を円形に動かした。


「お前……喋れないのか?」


 こくこくと頷く少女。こういう世界だ、確かに日本と比べて識字率は悪いが、いくらなんでも喋れない人間というのは珍しい。

 この路地の奥に何かあるらしい事はなんとなく理解できたが、それ以外のジェスチャーが今一つ分からない。なんだろうかと考えを巡らせていると、少女は自分が出てきた路地の方へと走り出してしまう。


「あっ、ちょっと!」


 アイザックの理解も追いつかぬまま、彼女はとてとてと路地を進んでいく。このまま放置するのもなんとなく釈然としないので、アイザックは後を追いかける事にした。


「ちょっ、待ってくれ! 速いよ!」


 小回りが効くおかげだろうか、少女は狭い路地裏をすいすいと進んでいく。複雑に入り組んだ道を右へ曲がり左へ曲がり、一分ほど追いかけるとメインストリートの喧騒も聞こえなくなってきた。

 再び路地の角を曲がると、そこは行き止まりであった。何かがおかしいと思いアイザックは一瞬身構えるが、少女はそのまま行き止まりへと歩いていく。周囲の建物には扉も窓も無く、これからどうするのだろうかと眺めていると、彼女は行き止まりの壁に開いた五十センチほどの小さな穴にするりと身を通して向こう側へと消えてしまった。


「おーい、僕じゃここ通れないぞー」


 一応少女を追いかけようという姿勢は見せるが、今の状況には嫌な予感しかしない。昼前だというのに薄暗い路地裏。挙動のおかしかった襤褸切れの少女。そして行き止まりの壁。こういう所に誘いこまれたら、次に現れるものは決まっている。


「おい兄ちゃん! 身ぐるみ全部置いてきな!」

「あー……やっぱそのパターンのやつか……」


 やれやれといった調子で後ろに振り向くと、行き止まりの路地を塞ぐ形で盗賊のような男たちが三人立っていた。


「ほう……なんだ兄ちゃん? 盗まれ慣れてんのか? あ?」

「あぁ……まぁそういった具合だよ」

「へへっ! だったら話は早ぇ! 出すもん全部出しな!」


 先頭にいる男がそう言うと、脇の二人はへらへらと笑う。

 アイザックが勇者として名を上げ始めた頃は、こういった連中に絡まれる機会も少なくなかった。英雄と呼ばれるようになってからはアイザック・オルブライトに手を出す愚か者などいなくなったが、都合の悪いことに今は隠匿のローブを羽織ってしまっている。フードを外して正体を明かせばこのレベルの小物は退散してくれるかもしれないが、アイザックが王都に来ているという噂が広まるのはあまり好ましくはない。ここは穏便に、力押しで逃げるのが最善手だろう。


「悪い……今はこのりんご以外、何も持ってないんだ」


 そう言うと、りんごが十個以上は残った袋を盗賊たちの方へ投げて渡す。すまない、店主のおばちゃん。これも事を穏便に済ませるためなのだと心の中で謝罪した。


「嘘つけ! お前の持ってる革袋、ありゃあ相当な枚数の金貨が入ってると見たぜぇ……」


 どうやらマーケットで買い物をする様子を見られていたようだ。その後あの少女を仕込んだんだとしたら、かなり手が早い。盗み慣れしている連中なのだろうか。


「あー……やっぱ見られてたか……」


 適当な会話で場をつなぎながら、アイザックはりんごを投げた手を元に戻すように見せかけて、近くの壁に手をつく。


「ランプ・ルード」


 呟くと、ほのかな光の粒が無数に、アイザックの腕から壁へ、そして地面へと伝播していく。


「あ……? 何だこりゃあ?」


 自分たちの足元を不思議そうに見つめる盗賊。対象を見てしまっては、アイザックの思う壺だ。自分の腕で視界を覆うと、彼はそのまま大声で叫んだ。


「マキシム!」

「ぐおっ!」


 直後、薄暗かった路地裏は、強烈な光に包まれる。急な閃光に目をやられ、盗賊たちは分かりやすく怯んでいた。


「アクセル!」


 そのまま自身を加速させ、盗賊たちの脇を一気に駆け抜ける。この速度に付いて来る者などそういない。この路地裏には土地勘が無いが、適当に走り回ればすぐに撒けるだろうと高を括っていると、別の行き止まりに当たってしまった。


「おっと……思ってた以上にややこしいな……入口こっちじゃなかったか……?」


 夢中で少女を追いかけていたので、来た道を正確には辿れなかった。仕方ないから地道に外へ向かおうと考えていると、再び声がかかる。


「見つけたぞ!」


 思いのほか速い追手に驚き振り返るが、誰もいない。焦って周囲を見渡すと、対象は上空から現れた。


「なっ、飛行魔法……!」


 一瞬そう判断するが、対象をよく見ると羽が生えている。


「じゃない、獣人か!」


 能ある鷹は爪を隠すと言うが、なるほどいざという時のために翼を隠していたらしい。獣人族とは、ヒトとヒト以外の動物の特徴を合わせ持つ種族である。その能力は動物によって様々であるが、鳥系の獣人はみな飛行能力に優れている。

 飛行魔法が使える魔術師もレア度が高いが、獣人は魔力ではなく体力で飛行できるぶん厄介だ。上から見られては、少し逃げてもすぐに補足されてしまう。どうしたものかと考え込んでいると、少し遅れて他の二人も到着した。先ほど啖呵を切ってアイザックと話していた男は、ぜぇぜぇと息を上げている。


「ったく、手間かけさせやがって……よくやったぞバーディ」

「あいよ……もう逃がさねぇぜ……」


 先ほどの目くらましも、二度は通じないだろう。かといって、後ろは壁で塞がれている。相手が鳥獣人となれば、上へ逃げるのは得策ではない。もう戦うしかないだろうかと結論をつけかけたその時、目の前の鳥獣人が声を上げる。


「ぐぁっ! 痛ぇ!」

「なっ、どうした!」


 見ると、彼の両翼に二本の鋭い苦無が刺さっていた。


「苦無……? どこから……?」


 驚くほど殺意の感じられない攻撃だ。武器が見えたと言うのに、アイザックですら攻撃者の位置が全く分からない。

 困惑していると、今度は盗賊三人の周囲に、ピアノ線のような糸が何本も張り巡らされる。そのまま糸は彼らを縛り上げ、見事に動きを封じてしまった。


「うおっ! 動けねぇ!」


 バタバタと地面に膝をつく三人。普通なら第三陣営の襲来に警戒を強めるべき所であるが、アイザックはどういうわけか安心仕切っている。この攻撃を見て、心当たりがあるようだ。

 捕縛対象が自由を失ったのを確認すると、それは路地の影からぬるりと現れた。


「おっ、カゲトラ! そこにいたのか! 久しぶり!」

「もう少し警戒しろよ……俺じゃなかったらどうすんだ……」


 男はまるで忍者のような装束に身を包み、口元を布で覆っている。アイザックと盗賊を交互に確認して、状況を整理しているようだ。


「お前じゃなかったらどこにいるか分かるって!」

「やれやれ……」


 その強さを信頼しきっているのか、ニカっと笑ってみせるアイザック。目の前にいる忍者の名は、カゲトラ・イチモンジ。アイザック・オルブライトと共に魔王を倒した、元パーティメンバーであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る