第11話 図書室
昼休みに起こったお弁当事変は、獅子のおかずを少し分けてもらうという方法でなんとか解決された。空蓮も有栖も、幸いにも副菜の味付けは問題無かったため事なきを得たが、本当にお弁当が全滅していたら目も当てられない状態だっただろう。
その後は特に事件も起こらず、空蓮のテストの点数のおかげで話に花が咲いた。本人にとっては非常に癪な話だが、五限目の授業は英語である。この科目においてのみ、空蓮は無双することができる。
ちなみに、何故バーチャル世界出身の彼が英語だけできるかというと、あちらの世界の魔大陸語が、こちらの世界の英語と全く同じだからである。魔王を倒す旅のうち数年を魔大陸で過ごしたため、自然と認識できるようになっていた。
英語の担当教師は、空蓮たちのクラスの担任でもある中島由芽先生だ。彼女も空蓮の英語の成績には一目置いているが、当然他の科目の点数も知っている上に、初日から居眠りと奇行をやらかしたため少々風当たりが強い。明らかに指名される回数が多かった気がするが、しかし全て完璧に答えられるため、傍から見れば評価が上がるだけである。
ちなみに本日最後の六限目の授業は物理の授業であった。相変わらず、公式が示している内容なんかは一切理解できなかったが、教科書の隅に一つ、気になる名前を発見する。アイザック・ニュートン。この世界で知らぬ者はほとんどいない、高名な科学者だ。その業績は、自然哲学、数学、物理学、天文学、神学と多岐にわたるが、彼が気になったのは科学者という肩書きと、アイザックという名前だった。
「科学者か……何やってんのかよく分からなかったけど、こんなに色んな学問修めてるもんなのか……」
自分と同じ名前の科学者に、思いを馳せる空蓮。科学者については、何か心当たりがあるらしい。
「王都に行くついでに、久しぶりに寄ってみっか」
授業の内容はそっちのけで、窓から見える青空を眺める空蓮であった。
放課後、空蓮は一人で構内を探索していた。英愛高校は、教室棟の他にも特別授業棟が二棟、部室棟が一棟、その他体育館等の建物が揃っている比較的広めの学校だ。一応配布資料に地図は入っていたものの、新入生がその構造に慣れるのには時間がかかる。
ちなみに獅子は今日も部活動見学に赴いた。よって空蓮は一人でゆっくり校舎内を見ていた訳だが、しばらく歩くと本日の目的地が見えてくる。
「あっ、あそこか」
彼の目線の先には、図書室と掲げられた札があった。放課後の時間を有効活用して、自分の知識の穴埋めをしようという魂胆だ。中学レベルの知識は英語以外皆無なので、穴と呼ぶにはおこがましい程の欠落だが。
廊下の突き当りにある図書室を目指し、横目で他の教室をチラ見しながら歩みを進めるが、目的地の一つ手前の教室の中に、見覚えのある人物を発見した。黒髪に小さな眼鏡が映えるクラスメイト、好本真理の姿だ。その様子はというと、眼鏡の奥の綺麗な瞳をにこやかに輝かせながら、誰かと話をしている。教室では少し緊張気味の彼女しか見なかったので、意外な一面とも言えるかもしれない。
彼女と話しているもう一人の女性は、空蓮の知らない先輩だ。胸のリボンに入った青色のラインから察するに、三年生だろう。綺麗に整ったボブカットの黒髪とすらりとした体系から、どことなく活発そうな印象を受ける。
と、そんな事を考えながら教室の前を通り過ぎようとすると、好本さんと目が合った。空蓮が咄嗟に会釈をすると、彼女もこくりと返してくれる。そういえば、同じ委員会に所属するのが決まったが、まだ彼女とはちゃんと話した事が無かった。機会があれば一度会話しておいた方がいいだろうとも思ったが、今は先輩との談笑を邪魔するべきではないだろうと、その教室の札に目をやりつつ通り過ぎる。
図書準備室。図書室の隣にこの部屋があるのはごく自然な事だが、ふと好本さんがここで何をしていたのか気になる。そもそも、この時期に親しげに話す先輩がいる事自体、珍しい事だ。教室での様子を見るに、もっと内気な性格だと思っていたのだが、どうやら空蓮の全く知らない一面があるのだろう。丁度いい、明日にでも軽く話を振ってみようと心に決め、彼は図書室へと入室する。
「おぉ、広いな……」
中に入ると、通常の教室の四倍以上はあろう空間に、大量の本棚が所狭しと並べられていた。また、自習用スペースも設けられているらしく、自由に利用できるテーブルやパソコンが設置されている。
入口のすぐ横には貸し出しスペースがあり、図書委員のメンバーと思しき生徒が二人、軽く会釈してくれる。もうすぐ一緒の委員会になる先輩方なのだろうが、あまり図書室で話し込むのも良くないだろうと思い、空蓮もここは軽い会釈で済ませる。
「さて……学術書……でいいのかな?」
空蓮は本棚に明記された区分けを眺めながら書籍を物色する。勉強に必要な本のみならず、科学雑誌や図鑑、小説やエッセイの文庫本等、様々な書物が取り揃えられている。
しばらく探索していると、赤本がずらりと並んだ棚の一つ奥に、空蓮たちが今使っている教科書や、中学校で使用されるような義務教育用の教科書が並んでいる棚があった。
「あったあった……このあたりかな……」
言いながら、空蓮は中学一年生の教科書に手を伸ばし、特に出来の悪かった数学、理科、社会の内容をぺらぺらと流し見してみる。
「なるほど……このあたりからなら理解できそうだな」
空蓮は中学生が最初に使用する教科書を何冊か手にし、自習スペースへと移動する。家に持ち帰っても紙の本をバーチャル世界に持ち込むことはできないので、わざわざ借りていく必要は無いだろう。
現在時刻は三時半過ぎ。ナタリーには夕飯までに帰ると言ってあるので、しばらく余裕がある。これから数日はここに腰を据えて、じっくり勉強ができるだろう。高校生にとっては簡単すぎる内容を、空蓮は必死に頭に叩き込み始めた。
数十分ほど本とにらめっこしてみたが、進捗は順調である。もちろん、英語以外の全科目を三年分学習しなければならないので一朝一夕でなんとかなる量ではないのだが、おそらく並の中学生と比べれば非常に理解は早い。
向こうの世界では、幼いころから王都の魔法図書館に通い詰めた。そもそもアイザックは勇者の中でも抜群に使用できる魔法の種類が多い。これは彼の素質に起因する所もあるのだろうが、何よりも魔法に対する勉強量がその才能を引き出している。つまり、彼は勉強ができない訳ではなく、単純にこちらの世界の義務教育を受けていないだけなのだ。
「んあーー……こんなもんか……」
内容のインプットが一段落すると、彼は天井を見上げて伸びをする。ただ闇雲に内容を入れるだけでなく、定期的な復習によって学習内容というのは理解される。その点まで、彼はしっかりとわきまえていた。
「ちょっと休憩するか……」
呟きながら図書室を見渡すと、窓際に設置されているパソコンが目に留まる。この時、彼の頭に浮かんだのは、昨日の吟遊詩人であった。
「そーいや調べようとしてたな……インターネットってやつを使ってみますか」
これに関しては、書籍を当たるより検索した方が早いと判断したのだろう。ある程度興味本位の内容ではあるが、あちらの世界に存在する物をこちらの世界で調べるというのは、常識を整える上で大切な事である。実際、魔法や魔物が存在しない世界と聞かされた時の衝撃は、飲み込むのに時間がかかった。向こうの世界に当たり前に存在する物がこちらにはいないというのは、往々にしてあり得る。
「えっと……これがブラウザだったか?」
こちらの世界に来た時に軽く振れた知識でパソコンを操作していく空蓮。そのタイピングの速度は、非常にゆっくりである。
「G……I……NN……」
吟遊詩人と打ち込む間に、教科書が一ページは理解できそうだ。時間をかけて変換が上手く行ったのを確認すると、わざとらしく勢いをつけてエンターキーを押す。
「おっ、出た出た」
大手百科辞典のサイトへ飛ぶと、吟遊詩人の概要や歴史が綺麗にまとめられていた。
「はぁー……こりゃすげぇな」
まだインターネットという物に慣れていない空蓮は、ただただ人類の技術に関心する。
「なになに……元々は中世のヨーロッパで見られた人々、か……ヨーロッパってのは、確か遠くにある国の事だよな……中世って何だ……」
自分の中の薄い知識と照らし合わせながら、分からない内容は調べて補足しつつページを送っていく。
「日本史における……なんだこれ」
読み方が分からず彼がジャンプしたページは、琵琶法師について記載されている箇所であった。
「びわほうし……? あぁ、琵琶って名前の楽器があるのか……」
再び知らない単語から知らない単語へとジャンプし、最早吟遊詩人とは関係ない所へとたどり着いてしまう空蓮。しかし、この世界に対する好奇心を、インターネットというシステムが後押しする。気が付くと、彼は数十分インターネットの海を彷徨っていた。
「あっ、やべぇ……もうこんな時間か……」
慌てて最初の検索ページに戻るが、少し下の方に再び気になる文字列を見つけてしまう。
「ん……? ドラファン……? って、昨日上城戸が言ってた……」
気になって開いたのは、ドラファン20オンラインのジョブ紹介のページだった。
「なるほど、吟遊詩人のキャラクターがいるのか……」
軽くページを眺めてみるが、剣士や魔術師が存在したり、魔物の存在する世界観だったりと、あちらの世界に共通する内容が多い。
「っていうか、そもそもあっちの世界がこういうのを元に作られてんだろうな……」
そう考えると、自分の生まれた世界の真実を思い出し、少し気落ちする空蓮。自分自身の脳を含め、全てこちらの人間に作られた物に過ぎないのだ。
物思いにふけりながら画面を眺めていると、後ろから声がかかる。
「おっ? なんだ、さっそくドラファンの勉強か?」
「わぁ!」
画面に集中していたせいか、背後に迫る上城戸獅子に一切気が付かなかった。
「しーっ、ここ図書室だぞ」
「お、お前……だったらビビらすような事すんな……」
「はは、わりぃわりぃ。確かドラファンやった事ねぇって言ってたよな?」
「あぁ。ちょっと気になって調べてた……勉強の休憩に」
「なるほどな。今週末、どうだ?」
言われると、空蓮は少し考え込む。一日は王都へ行きたい。吟遊詩人の事もあるので、できれば急ぎの案件だ。
「日曜ならなんとか」
「おっ、じゃあ決まりだな! 俺んちだと弟たちがやかましいんだが……お前んち、いいか?」
「ウチか……」
これも一瞬返事に困るが、あの家の偽装は完璧だ。特に正体を掴まれる心配も無いだろう。
「あぁ、いいよ」
「やったぜ!」
「そういやお前、なんで図書館に?」
「ん? あぁいや、ここの隣が文芸部の部室になってるから、見学に来てたんだ。したら、帰り際にお前を見かけてな」
「あぁ、なるほど……」
話を聞いて、先ほど好本さんを見かけた時の疑問が解決する。おそらく、あれは文芸部の先輩と話し込んでいたのだろう。
「ってか、お前そういうのも見学してるんだな」
「ん? あぁ、全部見るつもりだぜ。今日でだいたい半分って所だな」
「なかなかのペースだな」
「まぁな。今日はもう帰るけど、お前は?」
「あぁ。僕ももう帰るよ」
時計を確認すると、既に五時半を回っていた。
「おっ、じゃあ一緒に帰ろうぜ!」
「うん。学校から近いし、家の場所教えとこうか」
「そうだな!」
使った教科書を元の場所に戻し、学校を後にする。既に日が沈みかけた町を、二人で歩いて帰るのであった。
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