第10話 お弁当

 4月7日、水曜日。本日から、英愛高校の一年生も本格的な授業が開始する。数学や社会等の授業は中学の軽い復習から入るわけだが、この時点で空蓮にはさっぱり分からない。やはり個人的な勉強が必要だろうと改めて気合を入れる午前の授業であった。

 四限目終了のチャイムが鳴ると、いつものように目の前の金髪が腰をひねって話しかけてくる。


「午前中の授業、どうだったよ?」

「あ、あぁ……まぁまぁだったよ……!」


 言葉を濁しながら、あからさまに視線を逸らす空蓮。その反応に、獅子も気の毒そうな表情である。


「お前……本当に勉強できないんだな……」

「な、何も言ってねぇじゃねぇか!」

「3+5は?」

「8だ! 馬鹿にすんな!」


 いくらなんでも馬鹿にしすぎなレベルの問題で空蓮をからかう獅子。声を荒げてはいるが、空蓮の方もどことなく楽しそうな雰囲気である。


「早いとこ中学レベルの問題までは理解しねぇと……」

「ははっ、その様子じゃ、確かに部活やってる余裕もねぇか」

「ほんと、興味無い以前の問題だったよ……そういや上城戸、お前昨日あの後も見学行ってたんだっけ?」

「あぁ。色んな運動部見に行ったけど、今んとこ剣道が一番しっくり来てっかなぁ」

「そっか。なんつーか、どこ入るにしても頑張れよ」

「ん? おぉ」


 何か達観したような、薄い含みのある空蓮の発言に、獅子は戸惑いながらも返事をした。


「そうだ空蓮、お前昼飯は?」

「あぁ、弁当持ってきた」

「おっ、じゃあ一緒に食おうぜ!」

「おう」


 英愛高校にはお弁当を持ってくるという手段以外に、購買部で何か買うという選択肢もある。が、朝起きてこちらの世界に出てくると、指宿家のリビングには弁当箱と共に書き置きが残してあった。


『君が購買部に行くと何かやらかしそうなんでお弁当作っといたッス。感謝するッス』


 あの女、文章でもあの口調なのかと呆れつつも、手作りの弁当には感謝して持ってきた次第だ。

 空蓮が弁当箱を開けるウチに、獅子は自分の席をくるりと半回転させる。近くの席同士をくっつけて食卓にする、小学校で自然と覚えるアレだ。


「へぇ、美味そうじゃねーか。お前の母さん、料理上手なんだな」

「あぁ、そうだな……」


 向こうの世界ではプログラミングした料理を渡そうとしてくる女だ。認めたくはない所だが、確かに鶏肉やサラダがバランスよく詰められた弁当箱の中身はとても魅力的に見える。

 対面した獅子も弁当箱を開封するが、こちらの玉子焼きやほうれん草のお浸しもなかなかの物である。


「お前の弁当も美味そうじゃねぇか」

「お、そうか? サンキュー、今日のは自信作なんだ」

「あ……? もしかしてお前その弁当、自作か?」

「おう! ウチは親二人とも忙しいからよ!」

「マジか……すげぇな」


 事情が事情なだけに、親のいない家庭の大変さは分かっている空蓮。周囲と比べて遜色のない自作弁当を出してくる獅子に、ただただ関心していた。


「ところでよ、空蓮……声かけなくていいのか?」

「あ……」


 昨日の今日で、獅子が言わんとしていることは流石に一瞬で理解した。授業中は特に気になる事は無かったのだが、やはり見られている。斜め前の席の赤髪、要有栖に。


「アレか……? 一緒に昼飯食べようって事か……?」

「おっ、分かってんじゃねぇか空蓮! よし、その意気だ!」

「いや違ぇよ……」

「ほう……つまりあれか、お前は昼休み中ずっと彼女に見つめられた状態で飯を食べたいと、そういう訳か!」

「なっ、お前……!」

「いや~まさかお前にそういう趣味があったとはなぁ~」

「ちげぇよ!」


 そう言われると突然顔が赤くなる空蓮。いくら魔王を倒した勇者といえど、精神的にはまだ十五歳なのだ。

 再び横目で彼女を見ると、目が合った瞬間、なんとなく鼓動が早くなっているのが感じられる。一度意識してしまうと、このまま弁当を食べるというのも心地が悪い。


「あぁもう……分かったよ……」


 獅子の説得を諦め、体を斜め前に傾ける空蓮。緊張を悟られぬよう、一呼吸置いてから彼女に話しかける。


「有栖、よかったらお昼一緒にどう?」

「えっ……」


 ずっと空蓮の方を見ていたのだ、二人のやり取りはある程度把握していただろうに、彼女は驚いた素振りを見せる。


「えっと……いいの?」

「あぁ、もちろん!」

「おう! 席も近い事だし、せっかくだからよ!」


 すかさず二人にフォローを入れる獅子。だったら最初からお前が声をかけてくれよと内心思う空蓮であったが、そういう訳にはいかないのだろう。


「そう。じゃあお言葉に甘えて」


 有栖もこちらに机を合体させると、空蓮の方に向き直った獅子が何かに気が付いたかのように空蓮の後方へと声をかける。


「あっ、岩淵さんも一緒にどうだ?」

「えっ……?」


 その言葉に空蓮も振り向くと、後ろの席の岩淵夏弓がお弁当箱を持って立ち上がった所だった。


「あっ、ごめんなさい。私、他の人と食べる約束してるの……」

「おぉ、そうか」


 別に謝る事でもないだろうに、細かい所に律儀な夏弓であった。


「また今度誘ってちょうだい。それじゃ」

「あぁ」


 言うと、夏弓は教室を出て行ってしまう。登校三日目にして、もう他のクラスの人間と交流を持っているのだろうか。流石は委員長といった所なのかもしれない。


「それじゃ、いっただっきまーす!」


 元気な挨拶と共に手を合わせる有栖。男子二人も、これに続いて箸をとる。


「要さんの弁当も美味そうだな!」

「でしょー。ってか、さっき聞こえたけど、上城戸くん手作りなんだね」

「おう!」

「この歳で自分のお弁当作ってるなんて、なかなか—―」


 言いながら、最初のおかずを口に運ぶ有栖であったが、箸を咥えたまま動きがピタリと止まってしまう。そのまま一瞬で、顔が真っ青に染め上がってしまった。


「有栖……?」

「要さん、大丈夫か……? 毒でも盛られたか?」


 その様子に、二人は心配そうに有栖の顔を覗き込む。


「あ……あ……」


 今にも吐き出してしまいそうな声で、彼女は精一杯言葉を作る。


「あまい……」


 甘いと、彼女は確かにそう言った。先ほど有栖が食べたのは、どう見ても鶏肉のようであるが。


『えっ……?』


 二人の困惑の声が重なる。そんなベタなミスが有るだろうかと、自分の耳を疑ったほどだ。


「これ……絶対に塩と砂糖間違えてる……」


 男子の前で一度口にした物を吐き出す訳にもいくまいと、有栖は必死の形相で鶏肉を飲み込んだ。


「んっ……! はぁ……はぁ……」

「おぉ、お見事……」

「いや、褒めてる場合じゃないだろ上城戸……この弁当で鶏肉が全滅となると、主菜無しの食事だぞ」

「確かに……ちょいしんどそうだな……」


 言いながら、獅子は目線を空蓮の弁当箱へと向ける。自分の物ではなく。


「ほう……なるほどなるほど……」


 空蓮は何やら嫌な予感がする。獅子が考える事が、だんだん分かるようになってきたらしい。


「いやぁ空蓮、お前の弁当にも、偶然にも鶏肉が入ってんなぁ!」

「あー始まった……」


 最早彼の恒例行事だと、諦めて反応を口に出す空蓮。その様子を気にせず、獅子は続ける。


「なぁ要さん、せっかくだから空蓮の弁当ちょっと分けてもらえよ!」

「えっ、あっ、いや……」


 言われて一瞬赤面する有栖。どうやら空蓮以上に耐性が無いらしい。


「こんな機会めったに無いぜ?」

「いや、その……」


 二人の会話を聞き流しつつ、自分も弁当を食べ始める空蓮。彼もまた同様に、一つ目の鶏肉を口へと運ぶ。


「なぁ空蓮、女の子が困ってんだぜ? ここで意地悪したら男が廃るってもんだろ?」

「どっちかっていうと、意地悪してるのはお前だと思うんだがな」


 言いながら、もごもごと鶏肉を噛みしめる空蓮。その様子を見て、赤面していた有栖は何かに気が付いたかのようにハッとする。


「あっ……ちょ、待っ……」

「あ……あ……」

「ん? 空蓮……?」


 そんな偶然が有るだろうかと疑う獅子だったが、珍しい事もあるものだ。


「あめぇぇぇえええええ!」


 鶏肉に味付けされた砂糖の濃さに、飛び上がる空蓮。

 二人の母親が同時に塩と砂糖を間違えるという天文学的な確率のミスをやらかし、この卓の主菜の約六割が全滅したのであった。

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