第9話 吟遊詩人
昨日と同じ薄暗い洞窟の中、アイザック・オルブライトは激しい光に包まれて現れる。この洞窟の最深部の祠は、アイザックが現実世界と行き来しているのを他人に見られないようにするため作られた場所だ。
バーチャル世界へ戻ってくると、昨日より早く声がかかる。
「お帰りなさいッス~」
「いい加減その挨拶諦めろよ」
昨日と同じ調子で、アイザックに挨拶を求める女性。その応対から、二人の間柄が伺える。おそらくは最近知り合った仲で、彼女の方が無理に距離を詰めようとしているのだろう。残念ながら、一連の流れは恒例化してしまっているようだが。
「まぁまぁ、いいじゃないッスか。今日も半日お疲れ様ッス!」
「お疲れ様はいいとして……なんだそのテーブルは」
見ると、彼女は繊細な彫刻のなされた洋風のテーブルと椅子を用意して、お菓子と紅茶を美味しくいただいていた。
「いやぁ~、どうせ今日もホームルーム終わったら直帰だろうと思ってスタンバってたんッスよ~。したら女の子に声かけるわ部活動見学に行っちゃうわで、なかなか帰ってこないもんッスから、暇を持て余して作っちゃったッス!」
「作っちゃったねぇ……外の世界の技術ってのは、すごいもんだな」
「あれ、まだ驚いちゃう感じッスか? 流石にもう慣れたもんかと思ったッスけど」
「技術としては大差無いのかもしんねぇけど、人を生き返らせるのと、精密な机を作るのとじゃ、こっちの受け取る印象は違うって事だよ」
「あ~、なるほどッスねぇ」
何やら物騒な言葉が聞こえた気もするが、二人の間では共通認識のある会話なのだろう。適当な返事で受け流して、彼女は本題に入る。
「明日から丸一日授業ッスけど、大丈夫そうッスか?」
「問題ない。周りの人間とはそれなりの関係性が築けてるし、話を合わせるコツも掴めてきた。当面の問題は成績だけだ」
「そこが高校生の本分ッスけどね……」
「部活の勧誘は断ったし、委員会も一番有効活用できそうな図書委員にした。中間テストの成績を楽しみにしててくれよ」
「分かりましたッス。で、結局食料のサポートは大丈夫なんスね?」
「あぁ、いらない。僕はこっちの世界の人間だ」
「了解ッス。それじゃ、何か困ったことがあったら言ってください」
「分かったよ。じゃあな」
「あ、これ渡しておくッス!」
言うと、彼女は長い白衣のポケットから手帳のような物を取り出す。
「これは……?」
「スマホッス」
「え?」
「厳密にはマジックアイテムッス。あっちの世界で連絡先交換しても、こっちにいる間ずっと返事できないんじゃ色々と不便かと思ったッス。向こうのスマホで出来ることがそのままそれで出来るようになってるッス」
「なるほど……確かに、休日の間ずっと連絡がないんじゃ不自然か」
「完全に引きこもるつもりッスね……」
「別にいいだろ。こっちの生活があるんだから。これ、マジックアイテムって言ってたけど、他に特性は?」
「君以外の人からはただのメモ帳に見えるようになってるッス。この世界じゃスマホなんて、オーパーツみたいなもんッスからね」
「なるほどな……便利なもんだ」
「というわけで、あっちの人たちとの連絡も、積極的に取ってください! 特に、女の子からの連絡は早めに返した方がいいッスよ~」
にやにやと顔を歪ませて、明らかにアイザックの反応を楽しんでいる様子だ。
「興味ないよ。どうせ三年後には無かったことになる縁だ」
「ただのアドバイスじゃないッスか~。三年間無難に過ごすための」
「ふん……まぁいい。以上か?」
「はいッス。それじゃ、行ってらっしゃい」
「はいはい……」
呆れたように返事をし、洞窟を歩き始めるアイザック。ここを出るまで特にすることは無いので、道中スマホの中身を確認する。洞窟の中でもしっかり繋がるあたり、現実世界のスマホよりも便利かもしれない。
アプリを確認すると、早速今日連絡先を交換した二人からメッセージが届いていた。
『そーいやお前ゲーム好きって言ってたけど、ドラファンってやったことあるか?』
『今週末新作出るから、一緒にどうよ?』
獅子からのメッセージだ。ゲーム好きという情報は最初の自己紹介でしか言っていない気がするが、まさか全員分覚えているのだろうか。
「ドラファンか……あっちの家には無かったな……金は融通するって言ってたし、やってみっか」
意外にも好感触な反応を見せ、返事をするアイザック。何だかんだで、現実世界の出来事も楽しんではいるらしい。
次のメッセージは、要有栖からの物だった。
『空蓮くん、そういえばテスト大丈夫だった? 昨日ほとんど寝てたみたいだけど……』
メッセージを確認して、一瞬獅子のセリフが脳裏を過る。
『ありゃあ十中八九、お前に気があるぜ』
浮かんだ傍からブンブンと頭を振り、彼のセリフを払拭するアイザック。彼女に見られているのは確かなようだが、気があるはずはない。これはただの日常会話だと自分自身に言い聞かせる。
「しかし……こっちの世界で空蓮って文字を見るのは、しばらく慣れなさそうだな……」
あまり話を広げない程度に無難な返事を済ませ、洞窟を後にするアイザックであった。
日没後、オルブライト家の食卓ではいつものように兄妹二人が楽しい晩餐の時を過ごしていた。燻製用のウルフを狩った話が終わると、今度はナタリーの方から話題が提供される。
「そうだお兄ちゃん。今日ね、吟遊詩人さんが通ったんだ」
「吟遊詩人? 珍しいな、こんな所に」
「うん! なんでも魔大陸帰りで、王都に向かうところだったって」
「へぇ、魔大陸に……ってことは、あっちの言葉も喋れるんだな」
「そう! 魔大陸語のお歌も聞かせてもらっちゃった!」
「そっか。良かったな!」
「うん! それでね、全国を旅する吟遊詩人さんならと思って、お父さんやお母さんの事、聞いてみたの」
それまで楽しそうに妹の話を聞くアイザックであったが、彼女の言葉に一瞬ピクリと口角が反応する。
「そ、そうか……」
「二人の名前は知らないって言ってたけど、世界のどこかに封印されてるって話をしたら、旅の道中で気にかけてくれるって!」
「ナタリー……」
「これで、ちょっとは二人の発見に近づいたかな?」
「なぁナタリー……あんまり無闇に二人の事を話しちゃ駄目だ……」
「えっ、どうして……?」
「それは、その……」
昨日怒鳴ってしまった事を気にかけているのだろう、慎重に言葉を選ぶアイザック。しかし、その態度にナタリーは少しずつ目を潤ませていく。
「お兄ちゃんは……二人を見つけたくないの……?」
「違う、そうじゃない。ただ……」
「……話してよ」
震えかけのナタリーの声に、小さな圧力が加わる。
「お兄ちゃん、ずっと、私に何か隠してるよね……?」
「えっ……?」
彼女から出た意外な言葉に、明らかな動揺を見せるアイザック。
「今だって、何て答えようか考えてる顔してる……」
「ち、違う……! これはほら、ちゃんと説明しようと……」
「じゃあ、なんでお父さんやお母さんの話をしちゃ駄目なの?」
「それは……ほら、今は皆大変な世の中だし、一方的に人に頼るのは駄目だろ……」
「そんなの、良い話が聞けたら畑のお野菜を分けてあげればいいじゃない! それで等価交換でしょ!?」
「それは、そうだが……」
苦し紛れに捻り出した言い訳は、妹に一瞬で論破されてしまった。
「けど……」
「ねぇお兄ちゃん……私、悲しいよ……」
そう言いながら、真っ直ぐに兄の姿を見つめるナタリー。今にも涙が零れ出してしまいそうだ。
「ほ、ほら……さっきのは……」
「分かるよ、私……生まれてからずっと、お兄ちゃんの妹なんだよ……?」
「ナタリー……」
彼女にそう言われ、アイザックは半ば腹を括った。
「ナタリー……ごめん、兄ちゃん、隠し事してる」
「うん……」
「けど……」
続けようとして、アイザックの頭の中で声が呼び起こされる。
『こっちの人間にも、あっちの人間にも、絶対にバレちゃ駄目ッスよ。この、妹さんにもね』
ピンク髪に白衣を着た、あの憎たらしい声だ。
「けど……?」
「ごめん、言えない……言えない理由があるんだ……」
「そんな……」
「けど、信じてほしい! 全部、全部父さんや母さんを助けるためにやってることなんだ! 嘘じゃない!」
「それは……」
アイザックは必死の形相でナタリーに訴えかける。二人とも非常に凛々しい、未成年とは思えない表情で対峙する。が、しばらくの後、ナタリーの顔が綻んだ。
「それは、嘘じゃないね……」
言いながら、自分で涙を拭うナタリーの顔は、優しい笑顔に変わっている。
「分かるよ、お兄ちゃん……」
「ナタリー……ありがとう……ごめん、今は、これだけしか……」
「うん……全部、お兄ちゃんに任せていいの……?」
「あぁ……お願いだ、全部任せてくれ」
「分かった……じゃあ私は、お兄ちゃんのサポート役だね……!」
「あぁ……! ほんと、ありがとう……ごめん……」
「もう、何回謝るの!」
「あっ、すまん……」
「あー、また謝った!」
「あっ……」
「ふふっ、おっかしー!」
いつの間にか二人の笑い声に包まれていく、オルブライト家の食卓であった。
夜、ナタリーが寝静まった後、ベッドの上で考え事をするアイザック。どうにも先ほどの彼女の話が気にかかっているらしい。
「吟遊詩人か……確か王都に行ったって話だったな……」
今後の予定を思い返してみるが、残念ながら明日からは午後まで授業だ。
「念のため早めに処理しないとな……今週末にでも、行っとくか」
一体何の処理をするのだろうか、一人で週末の予定を考えるアイザック。しかし次の瞬間、彼はあちらの世界の事を考える。
「吟遊詩人って……向こうにもいるのか……?」
剣士は剣道という形で文化が残っている。魔術師はそもそも魔法が使えないのだから存在しないだろうが、ナタリーのような農民はあちらの世界にもいるはずだ。となると、吟遊詩人はどういった形で存在しているのか。
「明日調べてみるか」
実際の所は渡されたスマホで今すぐ調べられるのだが、情報社会に慣れていないせいだろう、そこまで気は回らないらしい。
こちらのベッドに寝転がりながらあちらの世界の事を考えるなど、彼にとっては初めての経験であるが、そんな何気ない変化にアイザック自身は一切気がつかないのであった。
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