第5話 委員会
「ちょっとツラ貸してよ」
そう言った岩淵夏弓は、何やら真剣な相談があると言いたげな雰囲気である。
「えっ、何……? いいけど……」
訝しげながらも了承の返事が取れたことに安心し、夏弓は空蓮の向こう側へと目線をやる。
「ごめん、ちょっと指宿くん借りるね!」
「あぁ、お前確か……」
周囲の事を良く観察している獅子の事だ、彼女が昨日の新入生代表である事にも気が付いたのだろう。
「昨日の朝、食パン咥えて走ってたやつか!」
その言葉に、三人の空間が一気に凍りつく。と同時に、彼女のオーラが赤く燃え上がっているのが感じられた。
「指宿くん……? あなた、もしかして……?」
あなたもしかして、全部喋った? そう圧力をかけてくる夏弓に対して、空蓮は言葉も出ず、ただ一生懸命に首を横に振ることで抗議する。こういう人は下手に刺激しない方が得策だ。
「へぇ……? じゃあどうして、上城戸くんが、私の食パンの事を知っているのかしら……?」
少しずつ、ねっとりと、空蓮の顔に距離を詰めてくる夏弓。その回答は、獅子の方からあっさりと説明された。
「どうしても何も、朝普通に見たからだが……」
「えっ……あっ……」
言われると、夏弓は急に顔を引いて赤面する。
そんな単純な可能性を考えていなかったのだろうか。空蓮は少し不思議に思うが、よくよく考えると昨日の朝といえば入学式より前のタイミングである。一瞬会話をした空蓮はともかく、ただ走り去る少女の顔を覚えている獅子の方が珍しいのかもしれない。きっと彼の観察力が成せる技なのだろう。
「そ、その……上城戸くん、誰か他の人に話したりは……?」
「ん? いや別に……」
「そっか……ちょうどいいわ、あなたたち二人とも付いてきなさい!」
ビシッと決める夏弓だが、最早目の前の二人に対して新入生代表の威厳など残っていない。何となく和やかな雰囲気で、空蓮と獅子は夏弓の後を付いていくのであった。
人気の少ない階段の踊り場に到着すると、夏弓は改めて二人に向き直り順序立てて話を始める。
「この後のクラス委員決めで最初に先生から発表があるんだけど、私がA組のクラス委員長に指名されたわ」
なるほど、一年生だけの特別措置だろうか、クラス委員長は先生からのご指名が入るらしい。確かに、新入生代表である彼女にとってこれ以上ない役職であろう。
「でね、副委員長は私の方から指名しても問題ないって言われたんだけど、あなたたち、興味ないかしら?」
「あ、僕そういうのパスで」
右手を肩の位置まで上げて即答する空蓮。彼には複雑な家庭の事情という物がある。クラス委員などと言う拘束時間の長そうな役職はごめんだ。
「ちょっ……早いわね……まだクラス委員がどういう役職かも説明してないんだけれど」
「あー、こいつどんだけ説得しても無駄だと思うぜ。部活もやらないみたいだしな」
空蓮と並んで話を聞いていた獅子から補足説明が入る。特に彼女は驚く様子は見せず、空蓮に対してなるほどそういう人間かと納得したような表情を見せた。
「わかったわ……じゃあ上城戸くん、あなたはどう?」
「そうだなぁ……クラス委員って、結構忙しいだろ? 俺は普通に部活やるつもりでいるから、両立できる自信はあまり無いんだが」
「何なら部活ある日は普通にサボってもらってもいいわよ」
「お、おう……そうなのか……なんだ、幽霊クラス委員ってやつでいいのか?」
「えぇ、構わないわ」
少し得意げに、ふんすと構えて返答する夏弓。獅子からの好感触な返事に、満足しているらしい。
「まぁ、それなら別に指名してもらってもいいけど、何で俺たち二人に声かけたんだ? 普通に立候補してもらったらもっと適任がいるかもしれねぇのに」
獅子から投げられた至極真っ当な疑問に、夏弓は再び少し赤面して答える。
「こ、これ以上私のボロが出ないようにするためよ……」
「あ……? ボロ?」
「い、一緒に委員会なんかやろうもんなら、何かやらかすに決まってんでしょうが!」
今までで一番大きな声で、非常に悲しいセリフを言い放つ夏弓。自己肯定感が低すぎやしないかと可哀想になる空蓮であった。
「なあ空蓮、こいつ……」
おそらく昨日の空蓮と同じように、彼女に対する印象を受けたのだろう。皆まで言うなといった表情で、空蓮はこくこくと頷くのであった。
「ほーん……ははっ、そういう事か」
彼女の人となりを理解し、どことなく表情が柔らかくなった様子の獅子。昨日空蓮と話した時よりも、人との距離を掴みやすくなっているのかもしれない。
「あんま気にすることでもねぇと思うけど、まぁ俺でよかったら協力するぜ」
「そ、そう……ありがとう……」
真っ赤な顔を少し俯かせながらも、しっかりと獅子を見据えて感謝する夏弓。何となく甘酸っぱい気配を感じてしまった空蓮は、気まずさからか久しぶりに声を上げた。
「なぁ、そろそろホームルーム始まるぞ」
「おぉ、もう時間か」
「そ、そうね! 戻りましょ!」
かくして、無事に副委員長の席も決まり、夏弓のお茶目な秘密を共有するアンバランスな三人は、肩を並べて教室に戻るのであった。
「というわけで、副委員長は上城戸獅子くんを指名したいと思います!」
教壇に立ち、ホームルームの進行をする岩淵夏弓委員長。獅子からの軽い挨拶に、クラスからは拍手が上がる。精一杯去勢を張っている彼女は、教師もびっくりの牽引力を持っているようだ。中島先生も教壇の脇で感心していた。
「それでは次に、各クラス委員の担当を決めていきたいと思います。これが、今季のクラス委員のリストになります」
彼女は黒板に委員のリストを列挙し、順に簡単な説明を入れていく。
英愛高校では、全員何かしらの委員会に所属し、その責務を一年間果たす事が義務付けられている。空蓮はこの委員会においても、可能な限り楽ができるものを選択しようと考え、夏弓の説明をしっかりと聞いていた。
ふとそのリストの中に、一つ目を引く物がある。
「次が図書委員会。主な仕事は、当番制で回ってくる図書室の司書です。お昼休みや放課後に仕事が回ってくるので、本が好きな人は是非立候補してください!」
夏弓の説明に、クラスでは少しざわつく声が上がる。「仕事多そうなのはちょっとな……」だったり、「放課後だと部活行きにくいんじゃない……?」といった声が多いようだ。
しかし、空蓮の頭の中では、昨日あちらの世界で聞いたセリフが反復されていた。
『なんとかしたかったら、いっぱい本を読むといいッスよ。まずは向こうの常識を完璧にする所からッス』
常識の習得。今の空蓮にとって、早急に仕上げなければならない課題である。試験の成績を上げるためには、まず下地からだ。思えば、向こうの世界でも幼い頃、両親がたくさんの本を読んでくれた。それと同じような事を、こちらの世界でも行えばいい。
仕事中に沢山の本を読める可能性を考慮すると、図書委員会に所属するのは悪くないだろう。どうせ何かしなければいけないなら、時間は有効活用するべきだ。
考えているうちに、全ての委員会の説明が終了した。夏弓の号令によって、最初の委員会から順に立候補制で担当を決めていく。人数が溢れた委員会はその場でジャンケンをし、足りなかった委員会は最後に残った者が話し合って割り当てられるという、非常に合理的な決め方だ。この辺りが手慣れているのも、家で必死にシミュレーションしているのだろうかと考えると、夏弓の努力が微笑ましく思えてくる。
「それじゃあ次、図書委員会! 立候補する人はいますか?」
あまり他生徒からの人気も無さそうだったため、彼女の合図で空蓮はぬるりと手を挙げる。が、彼よりも素早く、そして意外な事に勢いよく、その手と声をあげる者がいた。
「は、はい!」
その声は、教室の一番遠い所から聞こえてくる。昨日聞いた声の中でも比較的印象に残っている声。しかしながら、昨日受けたか細い印象とは違う、確かに芯の通ったその声に、空蓮は教室の反対側を振り向く。
見ると、好本真理がその手をピンと伸ばし、キリッとした表情で夏弓を見つめていた。
意外と人気なのねといった表情で、夏弓はクラスを確認する。
「それじゃ、図書委員は指宿くんと好本さんで――」
「待って、私も!」
夏弓の声を遮るようにして、今度は教室の前方から声が上がる。元気な声に反応して空蓮が前に向き直ると、そこでは鮮やかな赤髪が、ゆらゆらと揺らめいていた。
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