第2話 僕の正体は、AIだ。 後編
4月上旬、昼前の時間。ぽかぽかと暖かい日差しの差す窓際の席は、絶好の昼寝スペースである。決して寝心地の良いとは言えない学校の机での浅い眠りにおいて、人は高確率で夢を見る物だ。指宿空蓮も例に漏れず、不思議な夢を見ていた。
「父さん! 母さん! どこだ! 返事してくれ!」
赤く燃え上がる町の中、声を荒げて走る青年の姿がある。否、この青年の視点から、夢の世界は再生されていた。
「ナタリー! いないのか!」
焼け落ちた家だろうか、瓦礫を拾い上げ一つ一つ中を確認する青年。炎の中から拾い上げたのは、一枚の割れかけた手鏡だった。柄の部分に”Natalie”と綴られている。
「やっぱりここだ……くそっ、ヴォルフガングめ……どこまで下衆な魔王なんだ……」
鏡の中では、炎に照らされた綺麗な金髪の下に、紺碧の瞳がギラギラと輝いている。
他に何か無いかと歩みを進めた青年の足元に、コツンと鈍い何かがぶつかった。恐る恐る足元を確認すると、そこに横たわっていたのは、一人の人間の体であった。
「父……さん……?」
その体格から察したのだろう、しゃがんで顔を確認するまでもなく、青年にはその人間の正体が分かったらしい。視線を床にやった事で、そのさらに奥に横たわっている人影も確認できた。
「そ……そんな……父さん……母さん…… !」
青年は叫びながら、崩れた建物の一番奥に横たわる、一際小さいシルエットに駆け寄る。
「俺は……俺は……」
目の前の現実が受け入れられず、齢十三の青年は、赤く照り返る空を見上げて叫ぶ。
「ナタリーーー!!」
一瞬にして、周囲の空気が凍りつく。周りの視線が全てこちらに向けられているのが分かる。そして彼の隣には、怒りのボルテージが一気に上がった女性が一人、こちらを向いて立っていた。
「指宿くん……居眠りはまだしも、試験中に立って叫ぶのはよくないね……」
「あっ……えっと……声、出てましたか……?」
「あぁ。ナタリーちゃんにもよろしく言っておいてくれ」
周りからクスクスと小さな笑い声が聞こえる。状況を理解し、急激に赤面する空蓮であった。
何も言わずにスッと席に座ると、授業終了のチャイムが鳴り響く。
「よし、そこまでだ! 回答用紙を前に流してくれ!」
用紙の回収を終えると、先生は再び教壇に立って話し始めた。
「今日の予定は以上だ。みんな気をつけて帰るように! あぁそれから、もしかしたら配布資料をちゃんと読んでない生徒がいるかもしれないので、念のため明日の予定を確認しておく」
中島先生は、明らかに空蓮の方へと視線を送りつつ続ける。
「明日は朝からクラス写真の撮影がある。卒業アルバムにも載る予定の物だから、くれぐれも寝坊するなよ! 撮影が終わったら教室で今日のテストの返却とクラス委員の選抜だ。また、放課後は部活動の見学期間になる。資料に全ての部活とサークルのリストが入っているから、興味のある人は確認しておくように。以上だ!」
連絡事項を言い終えると、先生は教室を見渡して続ける。
「あー、挨拶は……そうだな、岩淵、頼めるか?」
「はい!」
空蓮の後ろから、透き通った声が響く。
「起立!」
彼女の合図によって、クラスの全員が席から立ち上がる。その動作に、少し遅れて付いていく空蓮。まだ寝ぼけているのだろうか。
「礼!」
再び岩淵さんの合図で、全員深々とお辞儀をする。やはり空蓮の動作はワンテンポ遅れていた。
「はい、お疲れ様! 気をつけて帰るように! 岩淵さん、話もあるから、プリント運ぶの手伝ってもらっていいか?」
「あ、はい! わかりました!」
心地の良い返事をすると、岩淵夏弓はプリントを抱えて教室から出て行った。
特にやることもないので、机の上に散らかったままの文房具を片付けて帰り支度をしていると、前の席から声がかかる。
「なぁお前、話しかけても大丈夫か?」
「え? あ、あぁ」
気の抜けた返事をして顔を上げると、目の前の金髪、上城戸獅子が座ったまま体を捻ってこちらを見ていた。突然の声かけに少々戸惑いながらも、空蓮は言葉を続ける。
「どうした?」
「いや、どうしたはこっちのセリフだよ……何ださっきの叫び声……」
「あっははは……いや、なんか変な夢見ちゃって……」
「あぁ、居眠りしてたんだったな」
「うん。ほんと、何でもないから、気にしないでくれ……」
「おう……お前、俺の事見て何とも思わねぇのか?」
「ん? 何ともって?」
何かおかしな事があるのだろうかと、空蓮は首を傾げる。
「いや、髪とか瞳とか……何か反応されるもんだと……」
よく見ると、髪が金髪なばかりでなく、彼の瞳は綺麗な翡翠色に輝いている。
「あー……えっと……珍しいよな!」
「いや、そりゃ珍しいのは珍しいんだけどよ……」
「なんだよ、そんなに気になるなら染めなきゃいいじゃねーか」
「あぁいや、地毛なんだ」
「へぇ」
金髪が地毛だという上城戸の発言に対し、それがどうしたと言わんばかりの空蓮である。
「……その……ハーフなんだ」
「ハーフ?」
「あぁ。日本人とアメリカ人の」
「あー……ハーフね……」
「あぁ……その……骨格とかも日本人とだいぶ違うけど、お前ビビったりしねぇのか?」
「えっと……それは普通ビビるもんなのか?」
「あぁ、いや……」
終始歯切れの悪い二人。数秒の沈黙とともに微妙な空気が流れるが、それは上城戸の小さな笑い声で破られた。
「くっ……ははは! 悪い、なんか面白くなっちまった!」
「えぇ……僕全然追いつけてないんだけど……」
「いや、なんでかな……はは、すまん。てっきり高校に入っても容姿でビビられるもんだと思い込んでたから、お前の反応見て馬鹿らしくなっちまったわ!」
「あぁ……他の人たちはそうなのか」
「かもな……お前が地方の出身で、助かったかもしんねぇや」
上城戸獅子は、再びしっかり空蓮の方へと向き直り、その右手を差し伸べてくる。
「改めて、上城戸獅子だ。一年間よろしくな」
「あぁ。指宿空蓮だ。よろしく」
その手をぎゅっと握り返し、空蓮は軽く微笑む。こちらに出て来てから、初めて出来た友達であった。
昼下がり。桜の舞い散る町を歩いて、空蓮は真っ直ぐ帰宅する。
学校から歩いて十五分程度の場所にある、住宅街の中に佇む一軒家。指宿と表札の掲げられた、比較的立派な建物だ。
空蓮は玄関へ入る前に、庭の隅に配置された小さな小屋へと足を運ぶ。彼の匂いに気が付いたのか、その中から中型サイズのボーダーコリーが姿を表す。
「よーしよしよし、アンちゃんお疲れ様~。いい子にしてたか?」
「アン!」
アンちゃんと呼ばれた犬は、元気に一度返事をすると、再び小屋に戻りすやすやと眠りにつく。
「はぁ……帰りますか」
彼は玄関を開けて家に上がる。そのまま、洗面所に向かうでもなく、着替えるでもなく、彼が向かったのは寝室に備えられたベッドであった。
このまま昼寝をするのだろうか、制服のまま布団に入ると、彼は枕元から充電ケーブルの様なものを引っ張り出す。そのまま、あろうことか、そのプラグを自らの後頭部に突き刺した。
2049年4月5日。人類の電波技術は5G、6G、7Gを超えて8Gの時代。一人の青年の、新たな物語が始まる。
「僕の正体は、AIだ」
一言呟くと、彼の体はそのまま、まるで電源が落ちるかのように動かなくなってしまった。
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