ボクの正体は、AIだ。

越山嘉祈

プロローグ 僕の正体は、AIだ。

第1話 僕の正体は、AIだ。 前編

 カツカツと、真新しい革靴の音を響かせて、桜が舞い散るアスファルトの道を歩く、一人の少年がいる。その足取りは非常に軽く、意気揚々と短い黒髪の奥にある茶色い瞳を輝かせて、自らの新たな門出を祝福するかのように何やら小さな声で呟いていた。


「僕の名前は指宿いぶすき空蓮あれん。鹿児島県出身。両親の仕事の都合で、この春に引っ越してきた。好きな食べ物はカレーライス。趣味はゲーム。特にモリオカート11が好き」


 本日は4月5日の月曜日。

 新品のワイシャツとブレザーに袖を通し、ネクタイには今年度の一年生の証である緑のピンを挟んでいる。彼の正体は、私立 英愛えいあい高校の新入生である。


「身長は167cm、体重は62kg。父さんが忙しくて、家では母さんとほぼ二人暮らし。ボーダーコリーを飼っている。名前はアン」


 学校までの道のりの最中、同じ調子で自らのプロフィールを唱え続ける。おおよそ、新学期の自己紹介で喋るべき内容ではないところまで差し掛かっているのだが、彼の独り言は止まる事を知らない。

 周囲には同じ色のネクタイピンをした生徒が複数見受けられ、その多くは集団で登校している。新入生といえど、中学生時代からの知人が存在し、その知人同士で高校最初のグループが何となく構成されるというのはよく見る光景である。

 しかし、この指宿空蓮は独りで歩いていた。それもそのはず、この町に出てきたばかりの彼に、知人など存在するはずもない。ここまで念入りに整えられた自己紹介も、全く新しい環境に対する意気込みの表れだろうか。

 そんな独りぼっちの彼に、突如として最初の出会いが、出会い頭に訪れる。交差点に差し掛かった時、猛ダッシュしていた何かにぶつかってしまった。


「わぁ!」

「あっ、ごめん!」


 独り言の自己紹介をようやく終了し、謝罪を述べる空蓮。客観的に見て、『猛ダッシュしていた何か』の側が悪い状況だが、咄嗟に出た言葉だ。


「こ、こちらこそ! ごめん!」


 見ると、目の前で謝罪を述べるのは一人の少女であった。空蓮と同じブレザーに袖を通しており、胸元のリボンに入った緑色のラインから察するに、彼と同じ新入生である。

 深々と頭を下げる少女。すらりと伸びた綺麗な茶髪が、彼女の顔を隠してしまう。謝罪のセリフが少しばかり聞き取りにくかったのが気になり、その口元を軽く覗き込むと、なんと彼女は食パンを咥えていた。

 空蓮が再び何か言い返す前に、その少女はさらに言葉を重ねる。


「あっ、えっと……私、急いでるから! ごめんね!」

「あ、うん……」


 言い残すと、彼女は学校の方向へと大急ぎで走って行ってしまった。同じ新入生だろうに、何を急ぐ事があるのだろうか。そういった至極当然な疑問よりも強く、空蓮の印象に残った映像があった。


「こっちの人は、食事を取りながら登校するのか……?」


 フィクションでどれほど使い古されたシーンだろうか、食パンを咥える少女という光景に、しかし彼は新鮮な反応を見せるのであった。



 十数分の登校を終えて、彼は英愛高校の体育館へと向かう。この学校では体育館の壁に最初のクラス分けが掲示され、そのまま入学式を始めるという形式らしい。

 空蓮のクラスは一年A組。周囲では仲良し同士のクラス分けに対する悲喜の声が飛び交っているが、彼には関係のない話である。

 そのまま出席番号順に並べられたパイプ椅子に座ると、直後、右隣に男子が腰かけた。


「ここか……よっこいせっと」


 顔の角度を変えずに目だけでその姿を確認すると、綺麗な金髪頭に小さなピアスを開けた、見るからにチャラそうな風貌だ。先の発言から察せられた通り、空蓮よりも大柄な、良い体つきをしている。隣に座ったという事は同じクラスが確定するわけだが、特に顔色は変えず、こんな人間もいるのかといった風な反応の空蓮であった。

 流石に指定席に座るとなると親しい人間も周囲にいないのか、生徒たちの声は自然と聞こえなくなる。沈黙のまま十分ほど経過した頃、スピーカーのハウリング音が鈍く鳴り響き、入学式が開始された。ここで一点、気がかりな事がある。空蓮の右手に金髪のチャラ男が座ったのは良いのだが、左の一席が空席のままなのである。他の席は全て埋まっているらしく、席には番号が振られているので特に間違いがあったという訳でもないらしい。初日から欠席だろうか、可哀想にと空席を一瞥する空蓮であった。

 先輩方の校歌斉唱や、生徒会長の歓迎の挨拶、校長の無駄に長いスピーチを適当に聞き流し、入学式は新入生代表の挨拶へと移る。


「暖かな春の訪れと共に、私たち新入生は英愛高校の1年生として入学式を迎えることが出来ました――」


 その声を聞いた途端、入学式を適当に流していた空蓮の意識は一気に体育館中央へと吸い寄せられる。と同時に、通学路で抱いた印象のうち、弱かった方の疑問が解決された。新入生代表は、身内の一切いない空蓮にとって唯一見覚えのある、あの食パン少女だったのだ。何故あんなにも急いでいたのか疑問だったが、おそらく挨拶を行うにあたって学校側とのやりとりがあったのだろう。

 こうして公の場に立つ姿を見ると、すらりと腰まで伸びた茶髪に、美しく成長した胸部と綺麗なスタイルが目を引き、端正な顔から発せられる美声は非常に耳心地のよい物であった。とても食パンを咥えながら登校する御転婆娘には見えない。


「――9年4月5日 新入生代表 岩淵いわぶち夏弓なつみ


 締めの挨拶の後に深々と一礼する新入生代表少女に対して、体育館は大きな拍手に包まれた。

 その後、新入生学年主任らしき先生からこの後の流れについて説明があるのだが、食パン少女を目で追っていた空蓮はある違和感に気が付いた。彼女が、最初に座っていた席に戻らないのである。挨拶前に座っていた、先生方の隣に置かれた特別席はスルーし、新入生たちが並んで座るパイプ椅子群の方へと足を運んでくるのである。

 そんな彼女と一瞬目が合った時、空蓮はふと全てを察した。自分の隣に空いている、出席番号が一つ後ろの席をちらりと見て、自分の指宿という名字と彼女の岩淵という名字の五十音順を指折り確認する。間違いないと両手の指を見つめながら確信した時、彼の目の前をふわりと、無数の綺麗な茶色の髪と、爽やかな柑橘類のような香りが通り過ぎる。直後、その美少女が彼の隣へちょこんと座った時、何故か彼の心臓は自動車のエンジンの如く爆速で脈打っていた。



 入学式が無事に終了し、新入生一同は教員の誘導で教室へと案内される。英愛高校の教室棟は三階建て、一年生の教室は一階という非常に分かりやすい造りだ。

 これから一年間お世話になる教室へと身を投じ、入学式の開始前と同様に生徒たちは思い思いに会話をしていた。中学の頃のグループで話しているというよりは、席が近い人物同士で自己紹介が進んでいるのだろう。

 騒がしい教室の中ではあるが、空蓮は特に誰とも会話をすることなく、自分の席に着く。目の前には、彼より一回り大きい背中の、綺麗に染まった金髪がどっしりと腰を下ろしていた。

 彼が目の前にいるという事は、後ろには……と思い至った瞬間、後方から声がかかる。


「ねぇ君!」


 明らかに自分の方向へと語りかけられたのであろう声に反応して振り向くと、例の食パン茶髪美少女が口元に手を当てて空蓮をじっと見つめていた。


「あっ、えっと……新入生代表の……」

「岩淵夏弓。よろしく!」

「よろしく。僕は指宿空蓮」

「指宿くん! 珍しい苗字だね」

「そ、そうかな……?」


 朝と同じ調子で元気に話す彼女に、空蓮はタジタジといった様子である。こちらに出てきてからあまり人と話していないのだろう。


「えっと、僕に何か……?」

「あー……その、今朝の事なんだけど……」

「今朝って……食パン?」


 もっと他にも聞き方があっただろうに、一番印象に残っていた物がとっさに口をついてしまった。


「そ、そう、それ……あの、できれば皆には内緒にしておいてもらえない?」

「内緒……? いいけど、なんで?」

「ほら、私って新入生代表だし……一応そのイメージを大事にしたいというか……」


 言われて空蓮は彼女の人柄を何と無しに理解する。おそらく本来の彼女は、今朝見たあの姿なのだ。それを、きっと入試の成績が良かったが故に取り繕おうとしているのだろう。これも一種の高校デビューというやつか。


「あぁ、なるほど……東京の人ってみんなあんな感じなのかと思った」

「いや、そんなわけないでしょ……っていうか、指宿くんは東京出身じゃないの?」

「うん。最近引っ越してきたばかりで、前は鹿児島にいたんだ」

「鹿児島! そっか、指宿だもんね。ずいぶん遠くから来たんだね」

「そ、そうだね! 大変だったよ」


 朝から予習していた自己紹介を踏まえつつ、当たり障りのない返事をする空蓮。どこか、相手の反応を伺いながらといった様子だ。

 何か続けなければと口を動かそうとするが、同時に教室の扉が開いて周囲がしんと静まり返る。


「おっ、行儀のいいクラスだな。助かるよ」


 言いながら元気に入室してきたその女性は、一本にまとめた長い黒髪をゆらゆらと揺らしながら教壇に立つ。


「初めまして。このクラスの担任の、中島なかじま由芽ゆめだ。担当教科は英語。女子陸上部の顧問をしている。一年間、よろしく頼む」


 生徒一同、新しい空間で緊張しているのもあるのだろう、みな声は出さずにこくりと会釈をするばかりである。と、思いきや、クラスの端の方で一人の力強い拍手が鳴り響く。音の主は、指宿空蓮であった。

 彼はパチパチと担任の挨拶に称賛を送るが、5回ほど手を鳴らしたところで周囲との差異に気が付き、まずいといった様子でとっさに両手を机の下に隠した。

 やってしまったと言わんばかりの表情である。周囲の人間、特に席の近い者たちから、同情とも取れる視線が集まっていた。

 が、不思議な空気の沈黙を、再び拍手の音が破る。音に気付いて空蓮が振り向くと、彼の後ろの席で、岩淵夏弓がにこやかな表情で、彼よりも力強く、何度も拍手を繰り返していた。

 自信に満ち溢れた拍手は、次第に周囲へと伝染していく。数秒と経たずして、教室は拍手の大喝采に包まれていた。


「はは、ありがとう。まさか挨拶で拍手してもらえるとは思わなかったよ。いいクラスだな」


 先生は、目の前の様子を見てにこやかに微笑んでいる。クラス一人一人の様子を見るように目線を動かすと、彼女は右手を挙げて拍手の制止を促した。


「それじゃ、雰囲気のよくなったところで、このままアイスブレイクをしよう。全員、簡単に自己紹介してくれ。順番は、そうだな……1番、上城戸あげきど!」

「えっ」


 空蓮の目の前の席から、入学式の「よっこいせ」と同じトーンの野太い驚きが発せられる。流石の大男も新しい空間に緊張していると見える。


「と、35番、好本よしもと!」

「あ、はい!」


 声の方へと目をやると、空蓮や大男の反対側、教室の右端の一番後ろの席に、綺麗な艶のある長い黒髪に小さな眼鏡が特徴的な、線の細い少女がちょこんと座っていた。


「よし、二人ともじゃんけんしてくれ! 勝った方から出席順に自己紹介だ! 皆から見やすいように、起立してほしい」


 彼女に言われ、クラスの全員を挟んで対面する大男と可憐な少女。空蓮からの距離感もあってか、二人の身長差は二倍ほどにも見える。


「あ……えっと……」


 歯切れの悪い金髪大男。起立して数秒間、二人の間には何とも言えぬ空気が流れた。


「ん? どうした? こっちで音頭取った方がいいか?」

「あ、お願いします」


 諦めの良い大男であった。見ると、反対側の少女もコクコクと頷いている。


「よーし! それじゃ二人とも、両手を高く上げて! 最初はグー! じゃーんけーんぽんっ!」


 先生の合図に合わせて、指先を操作する二人。目の前の大男は、固く握りしめた拳を天井まで届かんという勢いで掲げていた。対する少女は、小さなピースサインを頭の上で作っている。大男の勝利だ。


「ありがとう。それじゃ、上城戸から順番だな」


 先生の合図により、好本さんは席に座りなおし、目の前の大男の自己紹介が始まる。


上城戸あげきど獅子れおです。苗字が苗字なので、出席番号はだいたい1番です。金髪でたまにビビられるんすけど、ヤンキーとかじゃないので仲良くしてください。よろしくお願いします」


 再び教室中から、ぱらぱらと拍手が上がる。と、ここまで来て空蓮ははっとした。次、僕の番だと。拍手のひと騒ぎのせいで完全に心の準備を忘れていた。

 先生もぱちぱちと拍手を送り、上城戸は着席する。そのまま彼女の視線は空蓮の元へと送られた。


「はい、それじゃあ次!」

「は、はい!」


 遅れを取ってはまずいと、勢いよく起立する空蓮。少々声が裏返っている。


「えっと……指宿空蓮です。出身は鹿児島の方で、最近引っ越してきました。趣味はゲームです。よろしくお願いします」


 緊張もある中だが、自己紹介の練習が功を奏したのだろう、すらすらとセリフの出てくる空蓮であった。

 軽い拍手の後、自己紹介は彼の次へと順が変わる。


「岩淵夏弓です。理系科目が得意です。よろしくお願いします」


 先の二人と比較すると、いくらか素っ気ない挨拶のみで彼女は席に座ってしまった。拍手が上がると同時に、教室からはひそひそと軽い話し声が聞こえる。皆、生徒代表の存在に気が付いたのだろう。

 その後も、先生の誘導もあって自己紹介は滞りなく進み、ついに35番、最後の自己紹介となった。


「はい、それじゃあ最後! よろしく頼むよ!」

「は、はい!」


 か細い声で言いながら、彼女はすっと起立する。


「えっと……好本よしもと真理まりです。ど、読書が好きです。よろしくお願いします……」


 少し躓きながら、小さく華奢な発声で彼女は自己紹介を終える。その声には、弱々しさと儚さの中にも、どこか美しさの籠っているような、そんな響きだった。

 最後の拍手が上がり全員の自己紹介が終わると、再び先生がホームルームを進行する。


「ありがとう。簡単な自己紹介だったけど、なんとなく周囲の人間の人となりは分かったと思う。高校生の人間関係ってのは大変かもしれないが、皆、仲良くするように!」


 再び教室中の顔を眺めながら、元気な声で先生は続ける。


「よし、それじゃあ自己紹介も終わったところで……小テストするぞ!」

「えっ……」


 ガタっと椅子をずらし、驚きのあまり立ち上がってしまう空蓮。


「ええええええええええええええええ!?」

「お、どうした指宿、そんなに驚いて? さては、配布資料ちゃんと読んでこなかったな?」


 先生に揶揄され、クラスでは軽い笑いが起こる。おそらく他の皆は小テストを覚悟していたのだろう。


「安心していいぞ。5科目各1ページずつの簡単なテストだ。入試に合格した君たちなら、全て60点は固いだろう」


 入試に合格した君たちなら。なぜかその言葉が、空蓮の脳内では反復されていた。

 そのまま無慈悲にテスト用紙が配られ、90分の試験が始まる。単純計算で1科目18分。選択問題も多く、大した問題量でもないのだが……空蓮の筆は一向に進んでいない。

 まずい、全然分かんねぇと言いたげな表情で、彼はプリントを送っていく。数学、理科、社会と順に、中学一年生でも解けそうな問題も入っている中を、彼はスルーしてしまう。しかし、国語の問題を見た所で、良い意味で手が止まった。

 古文漢文の問題群は相変わらず珍紛漢紛のようだが、小説の問題にある主人公の気持ちを答えなさいの文字に目が行ったらしい。これなら解けると、すらすらと筆を走らせる空蓮。その間約10分。国語の解けそうな問題を解ききってしまった。

 やれる事は以上だろうかと、最後のページを開いてみる。残り時間は約80分。最後に残されたそのページは、英語の問題だ。


「あれ、この言語……」


 隣の席にも聞こえないような小声で、空蓮はそう呟く。まるで見覚えがあるといった様な反応だが、高校一年生で英語に見覚えがあるのは当然だろう。少し不思議そうな顔をしつつも、彼は英語のページをすらすらと解き始め、なんとか全て埋め尽くした。完全に白紙で終わった先の3科目と比べると、大きな進歩である。

 よし、以上かな。と、愚かにも満足げな表情を見せると、彼はそのまま机に突っ伏してしまう。潔く諦め、残りの試験時間60分を有効に使うべく、昼寝の体勢に入ったようだ。その姿をしっかり捉えた夏弓は、呆れともとれるような同情の表情を浮かべていた。

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