第一章 二つの世界
第3話 一つ下の世界
薄暗い闇の中、ぼんやりと灯された松明だけが周囲をちらちらと照らす。どうやらここは、洞窟の最深部のようだ。一寸先は闇を体現したような空間であるが、突如として、太陽よりも眩しい光が差し込む。誰かが電灯を点けたわけでも、洞窟が割れたわけでもない。何もなかったただの瓦礫の上に、突如として光が、形を持って現れたのだ。
その光は徐々に細長く収束し、人間の姿を取る。直後、光は弾ける様に霧消し、中から一人の人間が姿を表した。
「戻ったか……」
自分の両手をじっと見つめて、青年はぽつりと呟く。その姿はというと、綺麗な金髪の下に、紺碧の瞳が松明を反射してキラキラと輝いていた。
これだけ見ると西洋の人間とも取れる容姿だが、服装に違和感がある。まるで動物の皮を
「帰りますか」
言いながら、洞窟の暗闇へと歩みを進めようとすると、闇の中から女性の物と思しき声が聞こえる。
「お帰りなさいッス!」
場の雰囲気には一切そぐわない、あっけらかんとした能天気な声だ。きっと知り合いなのだろう、青年からその姿は見えないが、歩みを止めて返事をする。
「ただいまとは言わないぞ。あんたは家族じゃない」
「冷たいッスねぇ~。そんな態度じゃ、新生活で友達できないッスよ――」
彼女は言いながら、青年の方へと歩みを進める。松明の薄明かりに照らされて、その容姿が確認できた。彼よりも一回り小さな体で、サイズの大きな白衣を引きずっている。綺麗な薄ピンク色の髪を
「指宿空蓮くん」
何か含みを持たせるように、彼女はニコっと笑ってみせる。
「やめろ。こっちでその名を呼ぶな。僕の名前はアイザック・オルブライトだ」
「いいじゃないッスか~! これからしばらく、空蓮くんで生きてもらうんスから!」
「こっちに帰ったらアイザックだ。あっちの世界に慣れあうつもりはない」
「またまた~、そんな事言っちゃって! ホームルーム終わってから、上城戸くんと仲良さそうにしてたらしいじゃないッスか!」
女はアイザックの周囲をぐるぐると回りながら、彼の体を観察するようにして話し続ける。
「友達ってやつなんじゃないッスか?」
「お前……あっちの体にカメラでも仕込んであるのか?」
「ははっ、まさか! 『してたらしい』って言ったッスよ!」
「……学校にも、組織の関係者がいるって事か」
「そうッス。それに、そんな酷いことするわけないじゃないッスか。ウチらは、君の人権を主張する組織ッスよ」
「はぁ……言ったろ、その部分には興味ない。そっちで勝手にやってくれ」
言われると、彼女は少し寂しそうな表情で、アイザックの背中に向かって返事をする。
「そッスか……現実世界で人と触れ合ってみても、その意見は変わんないッスか?」
「あぁ。僕は家族が元通りになればそれでいい。僕にとってはこっちが現実世界だ」
「ま、そッスよね……分かったッス」
彼女は納得の返事をすると、白衣の袖にすっぽり収まった両手をぽんと合わせて話題を変える。
「ところで、報酬の話なんスけど、ホントにいいんスか?」
「いらないよ。向こうの技術で自動生成された料理なんて、美味しくても精神的に食べられたもんじゃない」
「そッスか……野生のモンスターも、原理的には一緒なんスけどね」
「とにかく、こっちの生活には極力干渉しないでくれ。ちゃんと高校は卒業するから」
「頑張ってください! 留年なんかしたら、即アウトッスからね!」
「お前……だったら試験の話ぐらいしとけよ! 大変だったんだぞ!」
「あれ~? 資料全部渡したッスよねぇ?」
「それは……」
「なんとかしたかったら、いっぱい本を読むといいッスよ。まずは向こうの常識を完璧にする所からッス」
「まぁいい……とにかく、何としてでも卒業はするから、約束は守ってくれよ」
「はい。それはもちろんッス」
話が終わると、アイザックは彼女を置いて洞窟の出口を目指し歩き始めた。遠ざかる彼の背中に向かって、彼女は最後の言葉をかける。
「今は半日だからいいッスけど、キツくなったらいつでも言ってください! 高校生って、案外大変なんッスから!」
青年は何も言葉を返さず、右手をひらひらと振ってその場を後にした。
十数分ほど歩き続けると、入口の光が差し込んでくる。洞窟を抜けると、そこは草木が鬱蒼と茂る森の中であった。
「まだ昼過ぎだったな……探してみるか」
周囲を軽く見渡すと、彼は木の陰にしゃがみ込み、地面に手をついて目を閉じた。
「サーチ……」
一言そう呟くと、目を閉じているはずの彼の視野が一気に拡張される。モノトーンの世界ではあるが、まるで自らの体から離脱し、俊足で森の中を駆け巡っているような感覚だ。視界の移動は、彼から数百メートル離れた位置にいる一匹の動物の前で止まる。そのまま彼は立ち上がり、今見た物を分析していた。
「600……いや、700メートル西か……中型のウルフ一匹だったな……」
視界が戻ると、彼は木陰から離れて再びしゃがみ込む。
「逃げ足が早そうだ……ちゃっちゃとやりますか」
そのまま、足と左腕は陸上のクラウチングスタートの体勢をとり、右手は背に携えた大剣の
「アクセル!」
勢いよくそう唱えると、彼の身体が風と共に消える。否、移動したのだ。人間の目では追いきれない速度で。
先ほど拡張した視界で見た、中型の狼までの700メートルもの距離を、彼はほんの十数秒で詰めてしまう。そのまま、狼が反応したかどうかも確認できない速度で背中の大剣を抜き、その首を一刀両断してしまった。
「っし! 上手くいったな!」
身体から切り離された狼の首に向かって手を合わせると、彼は慣れた手つきで身体の血を抜き、内臓を処理し、不要な部分を全て埋葬して狼の身体を片手で背負いあげた。
地面に飛び散った血痕を見て、アイザックはふと先ほどの彼女の顔が脳裏を
「これも……全部ただのデータだってのかよ……」
少し気を落としつつも、彼は歩みを進めようとする。が、ほんの数歩だけ歩いた所で、彼の背中に薄い影が差した。太陽から彼を隠すようにして、高い木の枝から粘液状のそれはにゅるりと落ちてくる。
気配を察したのか、アイザックは狼の身体を地面に放り投げ、振り向き様に左手を
「ウィンド!」
彼の腕から、まるで刃の様に研ぎ澄まされた無数の風が粘体に向かって発射される。その風は見事に命中し、対象が細切れになってあたりに飛び散るが、アイザックの警戒は解かれない。
「しまった! スライムか!」
見ると、散らばった粘体の破片があちらこちらでにゅるにゅると集まり、十体程の小個体を形成している。
小さなスライムに囲まれてしまったアイザックは、右手で取った剣を後ろに、左手を前に構えて相手の出方を伺う。
「さぁ……何してくる……」
スライムたちはしばらくアイザックを中心にじりじりと
直後、スライムたちの足元の草木が一斉に肥大化し、その根が地面を突き破り、触手の様にうねうねと飛び出してくる。
「なるほど、草属性か……だったら!」
スライムの性質を見極めてか、相手がさらなる動きを見せる前にアイザックは動く。その右腕から赤い炎を燃え上がらせ、次第に彼の握る剣へと伝播していった。
「フラム・ルード!」
そのまま、彼は炎の勢いに任せて、右足を軸に全身を回転させる。炎の塊となった彼の右腕は、周囲の草木を巻き込んで、半径数メートルを一瞬で焼け野原にしてしまった。周囲にはスライムの影すら残っていない。全て蒸発してしまった様だ。
「ふぅ……危なかった……」
ふと彼は、自分の足元でちらちらと燃えている何かに気が付く。
「ん……? あっ……あああああああああ!」
先ほど討伐した狼が、足元でこんがり肉になっていた。
「保存用にしようと思ったのに……しゃーない、今晩はパーッとやりますか」
美味しそうな匂いのする肉を抱え上げ、森の出口を目指して歩き始めるアイザック。
一連の光景を経て、最早説明は不要であろう。そう、ここは、剣と魔法の世界である。
昼下がりの町はずれ。周囲に人の気配の無い小さなログハウスの中で、鼻歌を歌いながら台所に立つ一人の少女がいた。
「ふんふんふ~ん、ふっふふ~ん」
頭の高い位置で両サイドに作った綺麗な金髪のバードテールをぴょこぴょこと揺らしながら、上機嫌に二人分の皿を準備している。パンを敷き、ベーコンをスライスし、瑞々しいレタスとトマトを添えて、棚の小瓶に手を伸ばす。
「今日の調味料は~、マ~ヨネ~ズ!」
瓶の中に詰められた薄黄色の調味料を塗りこみ、最後にもう一枚のパンで蓋をする。今日のお昼はサンドイッチの様だ。
具が崩れないよう、ぎゅっとパンを抑え込むと、同時に家の玄関扉が開いてカランコロンとベルが鳴る。
「あ!」
少女は勢いよく、手も洗わずにドタバタと玄関へ駆け出して行った。
「お兄ちゃんお帰り!」
先ほど事故でこんがり焼けてしまった狼を抱えて、彼は帰宅する。
「ただいま、ナタリー。お腹ぺこぺこだ!」
初登校から帰宅したアイザックを出迎えたのは、彼の実の妹、ナタリー・オルブライトであった。
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