第4話 一歩目は和気藹々

 「あのさ、折角ポスター貼ってても活動場所書いてないんじゃ意味がないと思うんだけど」

 「あっ……そっか、もしかしてそれで誰も来なかったのかも!?」

 綾を連れたまま校舎をほぼ一周した誠二がようやく演劇部の活動場所を見つけた頃には、すでに帰りのホームルームを終えてからそれなりの時間が過ぎていた。

 わざわざ自分の足で歩かなくとも、職員室に顔を出して、適当な先生をひっ捕まえて村上先生の演劇部ってどこで活動してますか、と訊いたほうが圧倒的に早かったろうが、それに気がついた頃には誠二の引っ込みがつかなかったおかげでずいぶん無駄に歩く羽目になった。

 なぜかくだらないところで負けず嫌いで意地を張るのは悪い癖だから気をつけよう、と誠二は強く自戒したが、こういう性分はきっと他人に言われるまで直らないだろう。

 「まあ、活動場所がわからないから来なかった、ってのも無くもないんじゃないかな。場所自体もちょっと分かりづらいし、まだ練習してるわけでもないんだろ?」

 ポスターの不備を指摘されて狼狽える由紀に、誠二は答えた。

 演劇部──厳密に言えば、まだ部活動として成立していないので演劇同好会でもと言うべき集まりの活動場所は、東西高校の多目的教室だった。

 この多目的教室というのがいくらか曲者で、校舎に昇降口から入り、二階に続く東階段や職員室、図書室を無視して、体育館へと伸びる廊下を西へ進んで途中で曲がり、西階段と放課後には片付けを進めている購買部も通り過ぎて、さらにもう一度曲がったその先という妙に奥まった場所にある。

 普段の教室と比べると倍近く広い教室ではあるが、その実授業で使うことがどれだけあったかと言えば、入学前の体験授業の時には使ったな、というくらい影の薄い教室である。

 「演劇って言うからステージでやってるのかと思って体育館まで行ったよ」

 「別に体育館で練習してもいいけど、練習中にボールがガンガン飛んでくることになるよ。はい、これ保護者の署名も必要だから、用意できたら持ってきて」

 誠二と綾に無記入の入部届を渡しながら、演劇部顧問の村上恵梨香先生が誠二の失敗談を軽く笑い飛ばした。

 それに追随して敦も笑う。

 「ボールだけじゃなくてバドミントンのシャトルも飛んでくるかもしれねえよな。反射神経が鍛えられるんじゃね?」

 「わ、わたしは、鍛える前にケガする……かな……」

 綾はスポーツについては不得手なのだろう。女子の体育の成績までは誠二は当然把握していないが、その反応を見ればすぐにわかる。

 「バスケはまだしも、バドはちょっといきなりだと避けられないかな―」

 「バドでそんな明後日の方向に飛ぶ?初心者なら兎も角」

 由紀の運動神経については全くわからないが、この発言を見る限り極端にダメということはないようだ。

 誠二と敦に関しては少なくとも同年代で比べればかなり良い方だという自負が誠二にはある。勿論、スポーツで全国レベルの猛者どもを計算に入れなければ、の話だ。

 「高校から始めましたー、なんて珍しいことじゃないよ。大体ここ、畑沢以外は高校から演劇始めるって集まりだろ」

 アタシまで含めてね、と村上先生はフレンドリーに言う。誠二たち四人のブレザーとズボン(もしくはスカート)のいつもの制服姿に対して上下白いジャージの村上先生は非常に目立つ。

 もし東西高校の指定のジャージと同じ色のものを着ていたら、ただの先輩後輩に見えるかもしれないと誠二は思った。

 「ところで、先生のクラスでは演劇部に入ってくれそうな人、いましたか?」

 「ああ、興味がありそうな子はいたよ。入学した時から演劇部があったら入ったのにー、なんてのもいたけど、とりあえず一人は親の許可さえ得られれば来てくれるとさ」

 質問に対して前向きな答えを得られた由紀はやった、と胸の前で拳を握って小さなガッツポーズを見せた。由紀と敦に誠二と綾、ここにあと一人入部が確定すれば堂々と演劇部として動くことができるわけだから、当然である。

 しかしこの四人に一人を加えて演劇をするというところに、誠二としては初心者ばかりであるということとは別のところに一抹の不安を覚えないでもない。

 この四人は、誠二から見れば全員友人という、ある種の閉鎖的なコミュニティだ。

 転校してきたばかりの由紀からすれば誠二を除いた三人はそれほど身内という感覚が強いわけではないかもしれないが(実のところ久々に会う誠二もさほど身内と思っていないかもしれない。そうだとしたら、誠二は少し寂しい)、逆に由紀以外の三人は中学生時代からの付き合いになる。

 勿論、新参者を排斥しようなんて考えは四人全員持ち合わせていないだろうが、すでに人間関係が出来上がっているところに新しく入って来るとなると、相応に面倒事が起きることも考えられるだろう。

 そういう思考をしてしまうことが既によくないことだろうかとは思いつつも、誠二はその辺りの人間関係にはそれなりに気をつけることを意識するよう脳味噌に覚え込ませることにした。英単語を覚えるよりは、容易いだろう。

 「まだ決まったわけじゃないけどね?大体、大原と西之木だってまだ正式に入部したわけじゃないんだから」

 「うちは大丈夫だと思いますけどね。姉貴に死ぬほど笑われるかもしれないけど」

 村上先生の冷静な言葉に、誠二は姉の話で返す。

 入部届に両親どちらかのサインを書いてもらおうとする時に見つかるか、そうでなくても部活動で家にいる時間が短くなれば、いずれ演劇部に入ったことは姉にもわかるだろう。

 その時姉は誠二にどんな反応を見せるか……入部を決めてからの短い間にも何度か考えたが、まあ笑うだろうな、としか誠二には思えなかった。やましいことでもないし、誠二も大学で姉が今まで何の縁もなかった演劇を始めると言われたらもしかしたら笑うかもしれないことも踏まえて、笑われること自体をどうこう思うこともないが。

 「うちのお父さんも、たぶん、大丈夫」

 「そう思っても、案外一筋縄じゃいかない可能性もあるぜ?女子の帰りが遅くなると不安だー、とか言ってくるかもしれねぇよ?」

 「そ、それは……ある、かも……」

 敦がからかうように笑いながら綾にそう言うと、綾はまるで消え入りそうな声で冗談半分の台詞を肯定した。

 軽い男のいつもの軽口にそんな真面目に返す必要もないのだが、わざわざこういう返答をするということは、一筋縄ではいかない可能性も考えられる親だということか。

 「西之木さんのお父さんって、その……えーっと、ちょっと過保護な感じの人?」

 「由紀、ちょっと失礼じゃないかなそれ」

 一応は釘を刺しておいた誠二も、由紀とほぼ同じ疑問は覚えた。見ず知らずの人の話を本人のあずかり知らぬところでするのはあまり好きではないが、好奇心そのものには抗い難い。

 「だ、大丈夫。その……うち、父子家庭だから……他に弟はいる、けど、わたしも、子供のことが心配になっちゃうのはわかるし……」

 「ごめんね……ええっと……大変だよね、そういう状況だと。ウチもお父さんが海外出張でいないからさ、家のこととか結構大変なんだよね、だから……」

 どうにも声をかけにくい話題をなんとかフォローしようとして躓いた由紀を見て、誠二はやはり他所の家の事情に好奇心だけで首を突っ込むべきではないなと強く実感した。

 「よしやめようこの話!俺の家族の話にしよう!うちの姉貴の話とかどうだ!一昨年東西高校で生徒会長やってたって言ってたんだけど村上先生なら知ってるんじゃないか?」

 「誠二、お前話題変えるの本気でヘタクソだな」

 ほっとけ、と敦に返しながら周りを見渡せば、由紀は声に出さないまでも目線と表情で誠二に助かったと伝え、村上先生は自分が東西高校に赴任したのは去年の話だからよく知らない、と答える。

 仕方がないので敦は誠二の幼馴染の一人としての目線で誠二の姉についてとついでに誠二について面白おかしく語り、それに由紀と村上先生が乗っかって盛り上げる。

 当の綾は自分の家族から無理矢理に話を変えられたことには不満の意を示すことはなく、敦と由紀の語りを楽しんでいるようだった。

 ──俺一人だと、微妙な雰囲気をさらに微妙にして終わりだっただろうな。




 まだ部活動ですらないことあって早々に切り上げられた放課後の活動の後に帰宅した誠二は、家族四人での夕食を終えた後に入部届へのサインを父親に求めることにした。

 入部を希望するのが演劇部であることと、大原誠二の名前は既に記入済みの入部届を父に差し出すと、父はあっさりと二つ返事でボールペンを握ったが、一瞬だけペンが止まったのを誠二は見逃さなかった。

 「何やんの?結局また野球?」

 声をかけたのは大原家の長女だ。一美と誠二は姉弟仲が悪いわけではないが特別に良いかと問われると、普通、と答えるしかない程度の仲だと誠二は自分では思っている。

 幼い頃はまだしも、最近では喧嘩らしい喧嘩も特にないが、なにぶん共通の趣味もあまりない高校生と大学生では、大した話の種がない。

 「……演劇部」

 「はい?演劇部?あんた演劇なんか興味あったっけ?」

 「全くなかったけど、由紀が演劇部を立ち上げて、初心者でもいいっていう話だから。何もやってなくて暇だったしさ」

 誠二の言葉に一美はふーん、とだけ返すと食事中からつけっぱなしにしていたテレビに目を移す。映っているバラエティ番組に興味を示すことはなく、リモコンに手をかけた。笑われなかったのは、正直なところ予想外だった。

 「興味を持つきっかけは何だっていいじゃないか。だが、友達に誘われて始めるなら、友達を裏切るような真似だけはするんじゃないぞ」

 「わかってる……つもり」

 応援してくれる父への、誠二の答えは歯切れが悪かった。

 由紀が誠二にどれほどの期待をしているのかは別としても、ここでまたやっぱり辞める、などと言い出すようでは誠二はもう二度と由紀の幼馴染などは名乗れないだろう。

 とはいうものの、やはり目下の問題は初心者の自分に何ができるのか、というところではあるが。

 「それに母さんも昔演劇やってたんだ。いいじゃないか」

 「え?」

 「そうなの?」

 姉弟が同時に父親に疑問の声を投げかけて、そして同時に食器を洗い終えた母親を見る。当の母親は随分昔の話をするねと苦笑いを浮かべていた。

 誠二の両親は随分昔からの付き合いだったと聞いている。父曰く高校時代に初めて会い、たまたま同じ大学に進学し、就職と同時に別れるも気がついたら結婚していたとのこと。

 それは別れたとは言わないだろ、と昔の誠二はツッコミを入れたりしていたが、多少歳を重ねてくると、別れると一言で言っても喧嘩別れでなければそういうこともあるのかもしれないな、なんて考えもする。

 「あたしが演劇やってたのなんてそれこそ高校の時だけだよ。何年前の頃だと思ってるんだい」

 「ギリギリ平成くらい?」

 「あたしはいつも18歳だって言ってるでしょうが」

 「どこの世に大学生の娘がいる18の母親がいるんだよ」

 よく咄嗟にまともな切り返しができたな、と誠二は胸中で自画自賛しながら笑った。関係ないが、由紀が転校していくくらいの頃まで、誠二は自分の母親は本当に18歳なのだと思っていた。純粋無垢な子供だったのである。

 しかしまさか身近に演劇経験者がいたとは誠二は想像だにしなかった。なにせ、母の学生時代の話は父ののろけ話の中で時折出てきた程度、それも大学時代の話が殆どで、その中で演劇の話は聞いたことがない。

 とすれば、母が経験していたのはまさしく誠二がこれから挑戦する高校演劇と考えるのが自然か。

 「歳の話はともかくとしてさ……何か、こう、初心者へのアドバイス的なものを一つ、何か無い?」

 それなら何か少しでも教わることができればと思い、誠二が母へそう尋ねたところ。

 「ないね」

 一刀のもとに切り伏せられた。

 「あたしの高校なんて、どの部も地区予選が精一杯みたいな高校だよ?そんなところのゆるい演劇部にいた人間がアドバイスできるようなことなんて、何にもない」

 つまるところ、東西高校の演劇部よりはマシというような環境だったということか。

 それも『部活動が成立している分マシ』というどこまでも低次元な争いで。

 「お母さん厳しいねえ」

 「厳しいとかじゃなくて本当にないんだっての……ま、せいぜい後悔のないように堂々とやんなさい」

 母が息子に贈ったその言葉が、何故かはわからないがとても大事な台詞であるような気がして、誠二は素直にうん、と頷いた。

 入部届には、演劇部への入部を希望する文言の下に、大原誠二の名前が、そして父親の署名がしっかりと記入されていた。

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