第2話 誠二と友人と演劇部

 「ちょっと中途半端な時期なんですけど、東ヶ丘西高校に転校してきました、畑沢由紀です。よろしくお願いします!」

 そろそろ温かいというより暑いという言葉に変わってくる、強めの朝日が差し込む教室の、朝のホームルームの時間。

 転校初日の簡単な自己紹介を済ませて、担任が指した席へと向かう幼馴染を、誠二は目で追った。

 窓際の席へ向かいながら誠二に向かって軽く手を振った由紀に、誠二も机に肘をついたまま、笑顔を浮かべつつ手のひらを向けて応えた。


 関東地方の某県、東ヶ丘ひがしがおか市に誠二が通う東ヶ丘市立東ヶ丘西高等学校がある。東だったり西だったり紛らわしい校名は、地元では東西高校と略されることが多い。結局東なのか西なのかわからないのはご愛嬌だ。

 特別これと言った売りはなく、どの部活動も全国大会には届かないが県大会までは手が届くことも珍しくはないような中堅どころで、学力の方も進学校ではないが一部のやる気のある生徒はレベルの高い国公立の大学に進学したりもするという、名前以外は何のことはない普通の市立高等学校である。

 誠二たち、つまり今の一年生が入学する前に大規模な改修工事があったらしく、学校の設備だけは充実しているが、それを有意義な投資と言われるか、それとも金の無駄と言われるかについては、ひとえに生徒たちの意識次第というところだろう。

 なお、東西高校が東ヶ丘市の西側にあるかと言われればそういうわけではなく、むしろ地図の上では東ヶ丘市の南側にある。

 これは元々あった「東ヶ丘高校」から見たら西にあるからというだけの理由で「東ヶ丘西高校」になったのだという話を誠二は誰かから聞いた。誰だったかは記憶にない。

 

 授業の合間の休み時間を迎える度、幼馴染の席の周りにはクラスメイト達が集まっていた。

 前の学校はどうだったとか、趣味はなにかあるのかとか、部活動は決めたのかとか、連絡先を教えてくれとか、そういう話を次々にぶつけられているのだろう。

 それで由紀が何か苦労をしているようなら、助け舟の一つも出そうかとも思ったが、当の由紀はそんな質問攻めの状況も楽しんでいるようで、誠二の心配は杞憂に終わったようだった。

 「おい誠二、なにボーッと転校生眺めてんだ?惚れたか?」

 「何言ってんだ」

 四時間目の授業が終わり、教科書を鞄に放り込んで代わりに弁当を取り出しながら、ほぼ真上に近い角度から見下ろす目付きの悪い親友からの軽口を、誠二は軽口で返す。

 「それはそれとして……お前は由紀の事覚えてるか?」

 「覚えてないことはない、って感じかね。誠二とよく話してたのは覚えてるが、オレはあんまり話したことないからな」

 「あれ、そうだっけ?」

 誠二は、本来の持ち主が不在である前の席の椅子にどんと座り、コンビニの菓子パンを齧り始めたクラスメイト、野々村ののむらあつしに改めて疑問を投げかけた。

 彼は誠二がかつて野球を始めた頃からの付き合いで、リトルリーグからシニアリーグまでずっと、誠二が投手としてマウンドに立つ時にはその女房役たる捕手を務めてくれた友人だ。

 しかし彼も今は野球部には所属していない。誠二が野球から離れた時に、お前が辞めるならオレも辞める、と、本当にあっさりと野球を手放してしまったのだ。

 高校一年生の時点で既に身長180センチ近い恵まれた体格で運動神経も良い敦が、野球に限らず何のスポーツもしていないというのは、誠二としては自分よりも余程勿体ないと思うのだが。

 とはいえ、実際に敦本人が何をするのかは誠二ではなく敦が決めることだろう。

 「お前と畑沢は小学校入る前からの仲だろ?オレがお前と知り合ったのはもうちょっと後だからな」

 「言われてみればそうだったような気もするけど」

 弁当に箸をつけつつ誠二は返す。弁当箱の中身は、片側に白米、もう片側には冷凍食品のおかずが詰め込まれた、ごく普通の弁当だ。

 自分の分だけでなく会社勤めの父と、大学生の姉の分まで毎朝ちゃんと弁当を準備してくれる母には頭が上がらない。

 ……時々、レシート見せてくれたら払うから適当に済ませて、と言われることもあるが偶にはそういう日もあっていいだろう。

 「だから、オレの畑沢に関する記憶の九割九分はお前と話してる時の畑沢だ」

 「お前は一体どれだけ俺を見てるんだ?」

 九割九分は大げさとしても、確かに友達の友達なんてそんなものかもしれないな、と思いつつ、弁当のおかずを口に運ぶ。

 再び由紀の方にちらりと目をやると、数人の女子と机を向かい合わせて和気あいあいと昼食を取っていた。

 演劇部が東西高校に無いことを伝えた時の衝撃はなかなかのものであったが、それでも由紀は立ち直って転校初日を楽しんでいるようで誠二は安堵した。

 「大原くん」

 「ん、西之木?どうした?」

 隣の席に座りつつ誠二に声をかけたのは、敦とは真逆にかなり小柄なクラスメイトの女子。中学時代からの誠二の数少ない女友達である西之木にしのぎあやだ。友達の友達ということで敦とも高校に入る前から面識がある。

 長く伸びた前髪と黒縁の眼鏡がトレードマークの物静かな女の子──そう表現すれば聞こえは良いが、言ってしまえば地味な存在、あえて殊更突っ込んだ言い方をするなら、俗に言う陰キャである。

 「おう、西之木は転校生のところには行かないのか?」

 元々周囲より一回り背の高い敦が綾に話しかけると、なんとなく大型犬が小動物に興味を持つような取り合わせだな、などと思いながら、誠二は二人を眺めながら箸と口を動かす。

 「わ、わざわざ人が集まってるところで話しかけに行かなくても、いいかなって」

 「同じクラスなんだし、話す機会はいくらでもあるからな」

 知り合いでこそあるが、敦と話すのがあまり得意でないらしい綾に、誠二が助け船を出す。

 今は昼食を食べながらということもあり座ってはいるが、立ち上がると綾の身長は誠二の頭一つ下、敦が相手だと肩くらいまでしか届かない。正確な身長は知らないが、おそらく30センチくらいは違うだろう。

 「朝の自己紹介の後、畑沢さんが大原くんに手を振ってたから、知り合いなのかなって」

 そう言われて初めて、そういえば自分も手を振り返したっけな、と思い出す。

 お互い特に理由があってやったことではないだろうが、特定の人間に向けてやっていたと気づいていれば、気になりもするか。

 「ずいぶん昔に転校してしばらく会ってなかった幼馴染なんだよ。引越しの手伝いもしたし、来ることは知ってたんだけど流石に同じクラスとは思わなかった」

 「そ、そうなんだ……」

 綾はそう答えると、売店で買ってきたのであろうサンドイッチを持ったまま黙った。

 一応中学三年間それなりに友達付き合いをしてきたが、相変わらずあと一歩会話が弾まない相手だなと感じてしまう。誠二としては割と仲が良い友人の一人だと思ってはいるのだけれど。


 「誠二ー!」

 本日の最後の授業を終え、さて家に帰ってどうしようかというところで由紀が誠二の元へ向かってくるのに気づき、誠二は立ち上がりかけた腰をもう少し椅子に落ち着けさせることにした。

 「由紀、転校初日はどうだった」

 「いやあ、流石にちょっと大変だったね。まあ明日になったらもう静かになってると思うけど」

 「思ったより冷静だな」

 「転校するのも初めてじゃないしね」

 由紀を囲んで質問攻めにしていたクラスメイト達も、放課後ともなれば大部分が部活動や委員会、もしくは学習塾なんかに向かって足早に教室を後にしていく。

 つまり、今教室に残っているのは、誠二たちのような帰宅部で尚且つやることのない暇人たちということになる。

 入りたかった部活がなかった由紀を一緒にするのはどうかというところもあるが、少なくとも現状、予定がないことに変わりはない。

 「……って、誠二は部活とか入ってないの?野球とかやってなかった?」

 いずれどこかで言われると思っていた。

 「高校入る前に辞めたよ。なんというか、まあ……才能なかったから」

 それはねぇだろ、と、まだ教室に残っていた敦が呟く声が聞こえたが、聞こえないふりをする。大体お前だって辞めたじゃないか。

 由紀はといえば、ふーん、と興味があるのかないのかわからないリアクションだけ返して、じゃあ今は何もしてないんだ、と続ける。

 「じゃあ誠二、演劇やってみない?」

 「は?」

 前後の脈略がなさ過ぎて思わず思考というフィルターを一切通さず誠二の口から感動詞が飛び出してしまっていた。

 「……ごめん、びっくりしすぎて滅茶苦茶失礼な反応したと思う」

 「いやー、私も突拍子なかったかなーとは思ったし」

 とりあえず逆鱗に触れてはいなかったことにひとまず安心して、誠二は一呼吸を置く。

 由紀は誠二に、一緒に演劇をやってみないかと誘ったということで間違いはないらしい。話の流れを脳裏で整理してみたが、いいも悪いも何もない。

 「由紀、演劇やるも何も、東西高校には演劇部が」

 「無い、って話でしょ?勿論知ってるというか、誠二に聞いて私も調べたら、やっぱり無いって」

 二人とは多少距離を置いて眺めていた敦と綾も、話の雲行きがおかしな方向に行き始めると、わざわざ誠二の席の近くまで来て聞き始める。

 敦はともかく、綾まで野次馬根性を見せてきたのは誠二としては少々意外なところではあったが、一応綾の方も誠二のことを友人として見てくれてはいるのかな、などと場違いなことを思ったりもした。

 「それで私考えたんだよね。演劇部がないんだったら、自分で作ればいいじゃん、って」

 由紀が言うことは確かに道理ではある。

 道がないならば作ればいい、という台詞だってある。

 「まあ、それはわかった。新しく部活作ろうとしたら色々必要な手続きとかあるだろうけど、そういうのちゃんと踏んだうえでならいいと思う。むしろ応援するし、できる範囲でなら手伝いもしていいし」

 手伝ってもよいというのは誠二の本心ではある。友人が困っているのならば無理をしない程度には力を貸すのが友人の務めだというのが誠二の考え方である。だが。

 「でも俺は演劇は全くやったことないぞ?部員が必要ってのもわかるけど、名前だけの幽霊部員ってのもどうかと思うし……」

 舞台の経験など全くない誠二が、いきなり演劇部員となっていざ全校生徒の前で演技しろ!と言われてできようはずもない。

 これはちゃんと断ろう、そう思った時だった。それまで口を挟まなかった敦が、オレやってもいいぞ、と由紀に向かってはっきりそう言った。

 「本当に?いいの!?」

 「帰宅部ってやっぱ暇でな。折角だし今までやったことないものに挑戦してみるのもいいだろ」

 「ありがとう!ええーっと……」

 「野々村敦。一応小学生の頃に会ってはいるけど、まあ覚えてないよな」

 誠二の目の前でトントン拍子に話が進んでいく。中学までは自分と一緒にずっと野球一筋でやってきた大男が、次に選ぶのがまさかの演劇?スポーツじゃなくて?

 「ちょっと待て敦、お前、演劇なんてやったことあったのか?」

 「ねぇよ?お前だって知ってるだろ?小学校の学芸会ぐらいだ」

 誠二が問うと、あっけらかんとした顔で答える敦。誠二の記憶に何の間違いもなかったようだが、尚の事問題である。

 「でも案外本気でやってみたら、自分でも気づいていなかった隠された才能が開花して、ものすごい俳優になったりするかもしれないだろ?」

 「……いや、絶対あり得ないとまでは言わないけど、それはないと思う」

 楽観的どころか妄想まで入っている敦の返答に、誠二は思わずため息までつきながら一応ツッコミを入れておく。

 「まあそれは冗談だけどよ」

 本気で言っているのだとしたら、流石に正気を疑う。

 「曲がりなりにもずっと一つのことやってきてよ、やることがないのって結構寂しいんだよ。わかるだろ?」

 「だったらなんで野球辞めたんだよ」

 そう言われた敦は、一瞬だけ眉を顰めたが、すぐさま元の笑顔に表情を戻すと、まぁいいだろ、と流す。

 確かに野球に関してはとりあえず今話す必要もないだろう。

 「大原くん、あまり口を出すのも、良くないと……思う」

 まだ敦に口を開きかけた誠二を止めたのは、ずっと静観していた──というより、口を挟めなかったであろう綾だった。

 綾が言ったことは正しい。敦が演劇を始めるというのだって、別に誠二が文句を言えるような話ではない。誠二が敦に演劇なんかやめとけというなら、それこそ余計なお世話という他ない。

 黙る誠二をよそに、敦は由紀と話し始める。曰く、部活として認められるには部員が何人必要だとか、顧問の先生も探さなきゃいけないよねとか。

 「あの、大原くん、たぶん……元々演劇部あるわけじゃないし……初心者でも、そんなに」

 「わかってるけど」

 おそらく、そもそも演劇部が成立していない状況であることを別としても、由紀は自分が誠二を誘った上で、初心者だから下手であることを必要以上に咎めたりはしないだろう。

 由紀は昔から元気が余っていて、ちょっと強引なところはあっても、基本的には思いやりのある子だった。まだ再会してそれほど経ってはいないが、そこはあまり変わっていないように感じた。

 「だからこそ、どうせ初心者だからってそれに胡座をかくような真似もしたくない」

 ひどい言い訳だと自分でも思った。どうせ何を始める誰だって、最初は初心者からのスタートだろうに。

 演劇部の活動開始を目指して盛り上がる二人と、もう少し誠二になにか言いたげな綾を尻目に見やりつつ、誠二は鞄を掴んで教室を後にした。

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