舞台に上がろう!

みくりや

第1話 帰ってきた幼馴染

 大原誠二おおはらせいじはその日、連休前に出された最後の宿題を片付けると、貴重なゴールデンウィーク最後の一日を惰眠を貪るのに費やすべく、自室のベッドに身を横たえていた。

 我ながら自堕落なことだ、と自嘲しつつも、誠二は寝転がったままスマートフォンの画面に指を滑らせる。が、暫くするとスマートフォンは枕元に放り出され、持ち主は何をするでもなく仰向けで自室の天井を眺めていた。

 どうにも今の誠二は熱中できるものがない。友人の薦めで流行りのスマホゲームなんかにも触れてはみたものの、少しやったらすぐに飽きてしまってアンインストールだ。だから折角のスマートフォンも、SNSで家族や友人と連絡を取る以外は、精々天気やニュース、軽い調べ物をする程度の端末でしかない。

 今年の四月にめでたく高校生になったというのに、部活にも所属していなければ、学校の外で夢中になれるような何かがあるわけでもない。

 自室の本棚には教科書や参考書の他に、漫画や雑誌なども並んでいたが、何度も繰り返して読もうという気にはならない。中にはカバーに手垢がついてページもいくつか破れているようなものもあるが、それは昔のものだ。

 とはいえ彼も、昔から無気力に過ごしていたわけではない。

 誠二の部屋を見渡せば、ベッドや本棚、クローゼットの他に、野球の道具が鎮座するラックがあり、定位置に置かれた黒いグローブはもう随分使い込まれていながらも、きっちりと手入れされたものだ。

 小学校二年生の頃に仲間を誘って始めた野球は、少なくとも中学校を卒業するまでの七年間はずっと続けていたし、同年代のチームメイト達よりも熱心に練習に取り組んでいたことは、仲間達も監督も家族も、果ては誠二自身でも認めるところだった。

 「誠二ー、誠二―!」

 誠二を呼ぶ姉の声に、誠二はのそりと起き上がる。窓ガラスに反射して見えた自分の顔は、まさしく暇で暇でしょうがないという表情を浮かべたままだった。

 あれほど必死になっていた野球を辞めてから伸ばしていた髪も、スポーツ刈りの頃と比べれば寝癖も目立つ程度には伸ばしっぱなしでだらしない。

 ──なんだか、情けない姿だな。

 「ちょっと誠二!寝てるの!?」

 「聞こえてるよ!何?」

 ベッドから飛び降りてドアを押し開けると、ちょうど誠二の四歳年上の姉である大原一美おおはらかずみが階段を一段飛ばしで誠二の部屋に向かってくるところだった。手には、電話の子機が握られている。

 端正な顔に機嫌の良さそうな表情を貼り付けたまま、彼女はほら、と誠二に向けて子機を差し出した。

 「あんたの友達から電話」

 「友達?あつしか?」

 「出ればわかるわよ、早く代わんなさい」

 電話の向こう側の『友達』が誰なのか、今でもそれなりに付き合いがある相手なら、家の電話よりも携帯の方で連絡を取るよな、と考えつつ子機を受け取り、耳に当てる。

 「もしもし?」

 「あ、もしもし、大原誠二君ですか?」

 聞こえてきたのは、女性の声だった。歳はそう離れてはいないだろうから、女子というべきか。

 誠二は男友達はそれなりにいても、女友達は数えるほどしかいないから、知り合いの女子から電話が来ているならすぐにわかるはずだと思ったのだが。

 「えーっと……大原誠二です。その……どちら様ですか?」

 「由紀です!覚えてないかな、畑沢由紀はたざわ ゆき!」

 自分に電話をかけてきた相手が久しく会っていなかった幼馴染だとわかると、すぐさま誠二の表情も姉にどことなく似た笑顔に変わった。


 小学校の高学年になるくらいの頃に転校していった幼馴染が今になって誠二に連絡を寄越した目的は、家庭の都合で再び地元に引っ越すことになったという報告のためというのが一つ。

 「俺が由紀の荷物開けちゃって大丈夫か?」

 「いいよいいよ、頼んでるのは私だし」

 もう一つは、引っ越しの荷物の荷解きの手伝いをしてほしいということだった。

 畑沢由紀本人は昔から健康と元気を絵に描いたような子供であったが、五年ほどの時を経て再会した彼女は多少静かになったものの、相変わらず明るい子だと誠二は思った。

 最も、相手が昔から仲良くしていた、勝手知ったる相手だからというのはあるかもしれないが。

 「しかし、高校入って一ヶ月そこらで転校だろ?大変じゃないか?」

 前の転校は三月の終わり頃に父親の転勤で、というごくありふれたタイミングでの引っ越しだったな、と思い返しつつ、誠二は段ボール箱に張り付いたガムテープを剥がしつつ問いかける。

 「大変というか、びっくりしたかな。高校に慣れてきたと思ったらお父さんの海外出張が決まってね。ほら、うちのお母さんは脚が悪いからさ」

 由紀も段ボール箱の中に詰め込まれたものを取り出しながら答えた。あちらの箱は、衣類が入った箱らしい。

 「それで遠出するよりはお祖父さんがいるこちらに、ってわけか」

 「一悶着あったみたいだけどね。お母さんに無理させるくらいなら別の仕事探してやる!なんてお父さん言ってたし」

 「はは……まあ、相変わらず夫婦仲が良いみたいでよかったよ」

 誠二が開けた段ボール箱は、本が詰め込まれた箱だった。隙間なく入れられた分厚い参考書や辞書、小説に新書の表紙を眺めつつ箱から取り出し、なんとなくで種類ごとに分けてみる。

 「小説とかは、机の隣の本棚でいいか?」

 「うん、細かい整理は後で自分でするから、教科書だけ机の方にまとめておいて」

 「了解」

 箱の中の本で、何か気になった本があったら自分でも買ってみようかと思いながら、種類分けした本を本棚に収めていくと、ふと、一冊の新書の背表紙が目に留まった。

 (現代語訳、かぜ、すがた……なんて読むんだこれ)

 『現代語訳風姿華伝』と書かれたそれの正確な読み方がわからず、タイトルがわからないものだから内容にも想像がつかないが、現代語訳というから古い漢文かなんかだろう、由紀はもしかしたら同い年と思えないくらい博識かもしれないと思いつつ、ちらりと幼馴染を振り返る。

 由紀はちょうど、洋箪笥に丁寧に衣類を片付けているところだった。彼女が動くたびに、背中まで伸ばした長い髪が揺れる。

 ぱっちりした目と、ちょっと小さめの顔の幼馴染は、身内の贔屓目を差し引いても美少女と呼んで差し支えないくらいには可愛くなったんじゃないかと、誠二は思った。

 そして、そんなことを思ったことが理由もなくちょっと恥ずかしくて、段ボール箱に残した本に目を戻した。ふと、表紙の文字が目に入る。

 「『高校演劇・創作脚本名作選』?」

 「どうしたの?演劇興味ある?」

 「あ、いや、その」

 おそらく演劇が好きなのであろう由紀に対して、面と向かってはっきり「興味ないです!」とは言いたくなかった誠二は、継ぐ言葉が咄嗟に思いつかず、挙動不審になっていた。

 「えーっと、これ演劇の台本?が書いてある本なんだろ?だから、なんていうか、ちょっと珍しいなあって思ってさ」

 誠二自身ちょっと苦しい言い訳かなとも思ったが、ウソはついていない。少なくとも自室の本棚には並んでいないジャンルの本ではあるし、おそらく中学と高校をテニス部で過ごした体育会系の姉の部屋にも置いていないだろう。

 ともかく件の一冊を本棚に立てて、本が入った段ボール箱を空にしたタイミングで、次の指示を仰ぐべく誠二は由紀を見た。

 由紀はちょうど、肩にハンガーが通った新しい高校の制服を、これは洋箪笥よりもこっちのほうが良いかな、とハンガーラックにかけたところであった。

 思わず誠二はそこで動きを止める。問題だったのは、由紀がハンガーラックにかけた制服が、今年の春から一ヶ月、誠二にとってはよく見慣れたブレザーとスカートだったことだ。

 「なあ由紀、由紀って部活決めてたりする?」

 「うん、中学で演劇やっててね、こっちの高校でも演劇部のつもり」

 「……由紀、新しい高校ってさ、東ヶ丘西高校?」

 「そうだよ。制服でわかったの?もしかして誠二も同じ高校に通ってるの?」

 うん、と頷きながら、誠二の胸中は由紀とまた同じ学校に通うことの喜びよりも遥かに重い空気が渦巻き始めていた。

 自分の口から、転校した先の学校生活を楽しみにしているであろう彼女に水を差すような言葉を伝えるのはとても気が引ける。だが、どうにせよ学校に行けばいずれわかることだ。

 であればとっとと言ってしまった方がきっと良いだろう、でもそれを言われたらどう思うか、いや先生に言われたりするよりは今伝えたほうがいいだろう……。

 誠二の脳味噌はぐるぐるとフル回転して、そうしてようやくまともに口を開いた。

 「あのさ、由紀、申し訳ないんだけど、いや、俺が悪いわけじゃないんだけどさ……その、うちの高校、演劇部ないよ」

 「……え?」

 由紀の動きが止まった。誠二も二の句を継げなかった。

 ああ、やっぱり言うべきではなかっただろうかと誠二は頭を抱えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る