冥竜探偵かく語りき

@ravenwood_09

雷竜輪切り事件

被害者は雷竜、性別は雄、年齢は今日で五百才になるはずだった。

死因はそう、まるで東方で作られるというチクワの如く、全身が輪切りにされた事によるものだ。


「彼の生誕を祝いに来たらこれとは何と因果な……」


私は自身の黒曜石の如く艶めく分厚い鱗を軋ませながら、二人で食べるはずだった甘酸っぱい竜珠果のケーキを彼の遺体の前に備えると静かに黙祷する。


「ケーキは私一人には幾分多いが致し方ない、後程一人で食べるとして……問題は殺害方法か」


同族のそれとは比べるべくもない、自身の鈍い爪で我が友ゴルオーンの金色の鱗を掻くも、やはり傷一つつかない。


「劣後した、という訳でもないと」


続いて彼の古くからの住居である、この洞窟を見回す。天井は高く、幅も広ければ人間からしたら巨大な我々でも充分ゆったり暮らせるスペースがある。


「雷撃による焦げ、煤、さらには爪による斬撃痕や尾による殴打も無し」


これはつまり、戦闘の結果として彼が死亡したという訳ではないと考えられる。真っ向からの勝負で、何も抵抗せずに一方的に彼がやられるというのは少々考えにくい。


「だとすると、魔法、魔術、呪術の類による遠隔殺傷……?」


しかし、私の知見の範囲では竜種を一方的に遠隔殺傷出来るほどの魔法なんて聞いたことがない。少なくとも既存の技術の話ではあるが、人間のもたらす超自然の現象程度では、貧弱な部類に入る私の鱗ですら傷一つつく事はないはずだ。だが現に、彼はここでバラバラ死体となって転がっている。


「はてさて、これは謎、だな。そこに隠れているお嬢さん、貴女は何かご存知ではないかな?」

「ひゃ、ひゃい!?」


ここに幾らでも転がっている岩陰に隠れていた、人間族の女性に声をかけると彼女は飛び上がっては縮こまった。


おっと、彼女の事を話すより先に、私の事を説明しておこう。

私は冥竜シャール・ローグス。口さがない同族は、私の事をこう呼ぶ。

『看取り屋シャール』などと。


私にとって、その呼び名は余り愉快なものではない。どちらかというと誰も彼もが無謀な生き方をした結果、私より先に逝くのだから。書物より伝え聞く、因果応報という概念だ。


とはいえ、今ここで輪切りになってしまっている我が友。彼は私の記憶している限り、ここ100年ばかりは穏当な暮らしに専念していたはずだ。いわく、暴れるのには飽きたのだと。せめてもの弔いに、彼の死因だけは明らかにしておきたい。私の好奇心の竜炉がうずく、というのもあるが。


「お嬢さん、どうか落ち着いて出てきて欲しい。私には君を傷つける思惑はないんだ」


身を起こして、両前腕を上に掲げて敵意がない――という事を表現してみせる。もっとも、竜の身ではどうやっても、脅威ではないと知らしめるのに無理がある。幸いにも、彼女はおずおずと岩陰から顔を出してこちらの様子を伺ってくれた。


「本当でしょうか……?」

「我ら竜の始祖の栄誉において。私が襲う気なら、君の命運はとっくに尽きているとも」

「確かに、そうです」


何とも複雑な表情で彼女は遮蔽物から姿をあらわす。

彼女が何か手がかりを持っていると良いのだが。


「私はワトリア・ファム・エーデリッテ、王立学院医療学部、多種族治療科に所属する学生です」

「ふむ、君は我が友に盟約があってここに来た。けれども友はあの惨状かつ、会ったことのない私とかち合ったために身を隠した。それで合ってるかな?」


私の指摘に、彼女、ワトリアは目をパチクリさせて問い返してきた。


「あ、合ってます――でも私何も説明してないのに、どうして」

「簡単な推理だよ、ワトリア君。医学を志す君が、一人で雷竜の住処を訪れるのは、間違っても竜狩りではないだろう?考えられる理由で最も可能性が高いのは、竜種素材の医療活用だ。最近は我が友も大分丸くなったもので、事前に送られた書状の一つもあれば、面会くらいは受け入れただろう。それが危険のない医学生であれば、なおさらだ。こんな事態になってしまったのは、誠に残念であるがね」

「納得、しました。けれど貴方は一体……」


おっと、相手に名乗らせておいて自分が名乗らない、というのは少々失礼に当たるというものだ。


「これは失敬。私はシャール・ローグス。竜族の末端にひっそりと位置する一介の本読みだ」

「あの告死竜の……!?」


私の名乗りを聞いた途端、ワトリア君はへなへなと腰を抜かしてへたり込んだ。全く、私の預かり知らぬ所で、いくつ物騒な通り名を増やせばゴシップ屋の連中は気が済むというのだろうか。


「ひとつ、訂正させていただくと私の通り名は、いずれも私の意志と因果関係はないのだよ。死に場所に出くわす事が多いのは事実だが――完全なる偶然だとも」

「ほ、本当ですか?」

「冥竜、という冠位を同族からいただいているのは事実だけどね。それも半ば当てつけの様なものさ」


音がたたないことが自慢の鱗をうごめかせて肩をすくめる。とにかく、私に殺意や悪意がない、という事を彼女になんとしてでも納得してもらわなければならない。


「信じます」

「本当かい?」

「シャールさんの話し方、優しい先生みたいで悪い方には思えません。私を殺すつもりならこうして話している必要もきっと無いですし」

「ありがとう、感謝する。そして私の推測が正しければ、友の死因を確定するには君の協力が必要なはずだ」


協力して欲しい、という私の申し出に彼女はキョトンとした、中々愛らしい所作を見せた。


「あの、その、私、医者としてはまだまだ未熟で……竜である貴方のお役にたてるかどうか」

「君の医師としての知見も間違いなく大事だ。だがそれよりもさらに重要なのは……聞き込み役なんだ。私はなにせこの図体だからね、竜種が素知らぬ顔で約束も取り付けずに人里を歩き回ったら、それこそ大騒ぎになってしまう」


一つ断っておくと、私は竜種としてはまだまだ若輩で、体格もかなり小柄な部類に入る。とはいえ、それはあくまで同族を基準とした場合の話だ。ワトリア君と比べたら、地に伏せた私の頭だけでも彼女の背丈よりずっと大きいのだから。


「わかりました、私でお役にたてるなら――でも、ゴルオーンさんの死因は、誰かと戦った事によるものではないんですか?」

「結論から言えば、違う。順を追って説明するとしようか。まず、彼はそもそも戦闘はしていない。それどころか高いびきで寝ていた可能性が高いね、洞窟の中をよく見てご覧」


自身の指先を使って、竜が複数居座れる程度には広大な洞窟の中を指摘してみせる。雷竜の住処としては、ろくろく何もないがさりとて破壊の痕の一つすらない。実にきれいな物だ。


「彼の力であれば、尾の一撃を振るっただけでも大穴があき、いかづちを震えば焼け焦げた跡がつくのは不可避だ。だがこの洞窟内にはその様な傷跡はほとんどない。これが意味することは、彼は今まで寝込みを襲われた事すら一度も無いということだね」

「納得です。でも、寝込みを一息に襲われて抵抗できず……という可能性はないのでしょうか?」

「確かに、今述べた証拠だけでは君の指摘する通りに、寝込みを一息で切り刻まれた可能性は残る。そんな芸当が出来る存在は少ないが、皆無ではないのだから。しかし、今回はその事を否定出来る明確な証拠がある。ここを見て欲しい」


そう言って私が指差したのは、未だ血溜まりに沈む我が友の無残な亡骸だ。今日はじめて見た時と同様に、ヘビのぶつ切りとしか言いようがない有様で冷たく横たわっている。だが、彼の亡骸には一点不可解な点が残されていた。


「鋭利な刃物、そう、仮に達人の振るう刀であれば――切断面は滑らかなもので、両面を寄せたらぴったりと隙間なくくっつくはずだ。だがこの傷跡は違う。断じて斬撃によるものではない」

「あ……っ!まるでゴルオーンさんの体が一部切り抜かれ、持ち去られたみたいになっています」

「その通りだ。切断面も荒々しいものだし、まるで3つに切って真ん中だけを持ち去ったかのように不自然なんだ。しかも、本当に持ち去ったのであれば、本来あるべきものがここにはない」


私の指摘に、聡明な彼女はすぐにあるべきはずの、無いものに気づく。


「引きずった跡、でしょうか?」

「そう、我が友の亡骸はこの通り、血しぶきにまみれてどこもかしこも紅く染まってしまっている。だが、遺体の一部を持ち去ったのであれば、血の跡も、重い肉塊を引きずった跡もつくはずだ。でも、ワトリア君も見ての通り、この洞窟内にはそんな跡は全くついていない」

「だとすると、やっぱり一体どうやって……」

「その『謎』を、私は解き明かしたい。犠牲になった彼のためにも、個竜的な好奇心のためにもね。いくつか推論はあるが、まだ現場の証拠だけでは確証には至らない。だからこそ、君の力を借りたいんだ」


我ながら大きな図体を縮めて頭を下げると、ワトリア君は胸を張って私の依頼を受け入れてくれた。


「任せてください、シャールさん。私もゴルオーンさんにはちょっと恩があるので、何がどうしてこうなったのか、知りたいです」

「ありがとう、ワトリア君」


幸いな事に、ワトリア君との間に協力関係を築くことが出来た。

竜族や他の魔獣、魔術躯体といった存在だけが相手ならいざしらず、今回の事件についてはそういった連中が相手ではない。人間族を主に聞き込みを行うのであれば、彼女の協力は必要不可欠だ。


ワトリア君もその事は疑問に感じていたのか、すぐに追加の質問を出してきた。可愛らしい挙手と共に。


「シャールさん、もう一つよろしいでしょうか」

「人間に対して聞き込みが必要な理由かな?」

「はい、シャールさんは既に犯人の種族の目星がついているのでしょうか」

「ある程度はね。少なくとも同族である竜や、他の強大な存在ではないだろう」


一呼吸おいて、その理由を付け加える。


「彼が抵抗しなかったことや、奇妙な遺体の状態から、犯人はこの場には来ないままに遠隔地からの魔術や神秘、あるいは奇跡を用いて彼を殺害したと私は推測している」

「あの、それでは何でもありになってしまわないでしょうか?」

「いや、例え神秘を用いても、竜を殺害するのは容易ではない。それは医学を志す君にも想像がつくと思う」

「確かに――竜族の方々の生命力、肉体の堅固さは千年城にも例えられるほど。破城級の神秘であっても、傷一つつかなかった例は枚挙にいとまがありませんでした」


彼女の言葉の通り、この世界において神霊や魔王に類する存在ですら持て余す絶対暴君。それが竜だ。そして竜の中でも、私やゴルオーンが属する『真竜』は生半な事では滅ぼすことは出来ない。そう、末席に座する私でも、一応は、ね。


「その通り。神秘のたぐいで簡単に私達の命が奪えるのなら、とうの昔に私達は滅んでいるだろう。だが、今回の事件においては違う。犯人は恐るべき執念で、困難とも言えるゴルオーンの殺害方法を実現したんだ。それは元から強大な力を持つ存在には発想として出にくい、非力な者だからこその積み重ねによるものだね」

「なるほど……シャールさんは、今回の事件が人間族による大規模な仕掛けによってなされた物だと推理されていらっしゃるんですね」


彼女にぶつからないように細心の注意を払って首を縦に振ってみせる。


「うん、人間族か、あるいは人間族に親しい存在だと見立てを立てているよ。もちろん、現実というものはしばしば論理を逸脱した事象を引き起こす物だが……最初は、仮設を証明する方向で調査を進めたい」

「わかりました、引き受けます。それで調べた内容はシャールさんにお伝えすれば?」

「いや、毎回私の住居まで来ていただくのは君に負担を強いすぎる。ちょっと眼鏡を掲げて、じっとしててくれるかな?」

「はい」


私のお願いに、彼女はその精緻な造りの眼鏡をこちらの鼻先へと掲げてみせる。ともするとちょっと爪がかすっただけで壊してしまいそうな彼女の眼鏡へ、自身の指先を向けて意識を集中する。


まるで多弁の花の様な三次元構造の、小さな小さな魔法陣でもって眼鏡を包み込むと、彼女の眼鏡に銀の縁取りが新たに刻み込まれた。


「これで、君がその眼鏡を掛けている時に見聞きした物は、私の単眼鏡を通してこちらにも伝わるはずだ。おっと、プライベートの時間帯は、そのツルに付けたボタンを押して機能を止めて欲しい。君の事を四六時中見つめているのは、少々失礼に当たるというものだから」

「はい、ありがとうございます」


かち、かち、とボタンを押すたびに薄っすらと色づく眼鏡を確認すると、彼女はほがらかに微笑んでみせた。


―――――


彼女の眼鏡を通して、人間族の街の様子が私の視界に映る。

今私は、自分の住処に戻った状態で、彼女の調査を見届けていた。普段私が目にする人間の領域という物ははるか上空から見下ろすばかりのもので(それですらむやみやたらに街の上を飛ぶと、彼らをやきもきさせてしまうのだが)こうして人間族の視点で間近から彼らの建築物を観察するのはとても新鮮な心持ちだ。


ワトリア君が住んでいる『アルトワイス王国』は現代において、煉瓦造りの建築物にカレカ銅製の黒ずんだ蒸気機関が随所に組み込まれている。各所に設置された蒸気機関は、常に白い蒸気を霧のように吐き出しており、生み出された動力は製粉、紡績といった多大な労力を必要とする産業へと活用されていた。


知識の上では知っていても、こうしてつぶさに観察出来るのはまた違った楽しさがある。王都は確か円状の城壁都市で、内部は四分割されており、それぞれ北は統治区、東は学府区、西は産業区、そして南は居住区として整理されていたと記憶している。もっとも、利便性の都合から完全に分割されている訳ではなかったはずだ。


ワトリア君に今向かってもらっているのは、アルトワイス王立学院。そこは王国を下支えするに足る英才達を教育するための、肝煎りの教育機関だ。つまるところワトリア君は相当に優秀な学生、ということでもある。


「ええと、本当に学院で良かったんですか?魔術協会でも」

「学院で問題ないよ。理由は三つ、まず大規模な魔術儀式を行うにあたって、事前の設計自体は学院側も協力している可能性が高い。もちろん、事件を行ったのが彼らだとしたら、だけどね」


蒸気に煙る中をゆっくりとしたテンポで歩く人々の中を、ワトリア君だけが足早に進んでいく。眼鏡を通して、一際背の高い学院の姿が既に私にも視認出来ていた。


「あと二つはなんでしょう」

「魔術士達につてがない君が魔術協会に行くよりも、学院の図書館の方がまだ情報を引き出せるチャンスがある。最後の一つは、仮に魔術によるものでなかったとして、別の可能性を探るためにも学院内の図書館には行っていただきたい」

「わかりました。確かに私がいきなり魔術協会に行っても、門前払いですよね」

「なに、調査に肝要なのは、必要な情報を拾い集めることさ。そこさえ達成できれば魔術協会に頼らずとも推理は出来る。そこは任せてくれたまえ」

「はい!」


勢い込んで返事してしまったワトリア君を、同じく学院に向かうであろう学生達が怪訝な顔で視線を送るも、彼らは彼らで勉学に励んでいるゆえか早々に視線を学院の方向に戻して歩んでいく。


「失敗しました……」

「そんなに大きな声でなくても拾えるから、どうか安心して欲しい」

「はい、了解です」


私の視界にも、学院の敷地を内外に隔てる塀が見えてきた。それは人間族、あるいは同様の形態の種族に向けたものにしてはやけに背が高く、ワトリア君のおおよそ四人分の高さがあった。


自分の職務に熱心ではない様子の守衛に挨拶を交わし、私にとっては初めての学院体験がはじまった。


例えば、図書館という存在の重要性をあなたは感じたことがあるだろうか。

竜族において知の伝承や蓄積という概念は往々にして軽んじられがちだが、(もちろん、その重要性を認識し、知識の保存を重視する竜は私以外にも存在する)それは竜が長命かつ、自分自身への知の累積能力に秀でているからだ。


加えて、生来の種としての強靭さが、勉学の必要性を甚だしく引き下げている。竜とは生まれながらにして他種族に対して、絶対者であると言って良いのだから。必要がなければ努力を怠りがちなのは何も人間族に限ったことではなく、竜族も同様だと言えるだろう。


もっとも、個体としての差を知恵で埋めてきた私にとって、他者がその叡智をしたためた蔵書が山と保存されている図書館は、積み重なる黄金や魔具神器の類いを遥かに超える魅力を持つ施設と言えた。


アルトワイス王立学院に設立された図書館は、王国随一の教育機関に付随する施設とあって、国内ではここ以上の書籍の情報源は無い。流動的な情報であれば、魔術協会、各ギルド、あるいは場末のバーなども候補にあげられる。だが今回はそれらの施設の優先順位は低いと私は見ている。


図書館の室内は世代を経て艶の出た木材で設えられており、高い天井に至るまで本棚がそびえ立ち、隙間なく分厚い表紙に覆われた学術書や本来は読み捨てであろう文庫に、果ては巻物といった種々様々な『書』が収められていた。


「そんなに気になりますか?」

「もちろんだとも。私が長年収集した蔵書も、ここに比べたらほんの一部に過ぎない。ぜひ丸一日入り浸って片っ端から読み漁りたいものだが……いかんせん、竜、だからね。私は」


今の一言に、暗にちょっとスネたニュアンスが含まれてしまったかもしれない。我ながら大人げないことだ。ワトリア君にも伝わったのか、フォローを入れてくれた。


「事件が解決したら、私の名義で何冊か借りましょうか?」

「本当かい!?あ、いや、まずは目の前の事件解決に集中しようじゃないか」

「ふふ、わかりました」


ついはずんだ声色で返事してしまったのを反省しつつ、当座は事件解決に集中することを約束する。


「私にとっては知識だけの情報だが、専門ではない分野を自分で探すよりも司書の方に協力を申し入れた方が適切だと考えているよ。こちらの図書館にも司書を担当している方はいらっしゃるのかい?」

「はい、先程受付をのぞいた時にはいらっしゃらなかったので、館内を探しつつヒントになるような本を……」

「了解したよ、それでは今から指定する条件に該当する本を探して欲しい。司書さんには、直近で行われた大規模な魔術儀式による実験履歴のレポートについて提示を依頼して欲しい」

「ええ、承知しました」


図書館の中はまるで本棚で仕切られた迷宮のようで、棚の列ごとに、魔術、科学、医術、農学、経済といった専門書が詰め込まれていた。アルトワイス王国がこの様な学術を重視することになったのは、交流国の統治者である不死王の働きかけに寄るものだと伝え聞いている。


「フェッフェッフェ、そこの君、確か医学部の学生じゃろう。何故魔術書の棚を調べておるんかの?」

「あ、これは、その」


不意にかけられた老人の声に、ワトリア君が後ろへと振り向く。振り向いた先に居た人物を見て私はつい眼を細めてしまった。


声をかけた老人は、端的に言って半裸だ。着ている服といえば、七分丈の麻製ズボンだけで、後は靴くらいしか履いていない。頭頂部までつるりと禿げ上がっており、口元には豊かなヒゲを蓄えている。付け加えておくと、この様な格好はこの国では標準ではない。非常に特殊な風体と言っていいだろう。


「個人的な、好奇心でして」

「ほう、ほう。ま、ええがの。素質のある学生ならいつでも学部転向を歓迎するとも。ほいで、何を知りたいんじゃ?」


学部転向、それを歓迎できる立場にいるということは、この老人は服装に反して責任ある立場のようだ。肌を晒しているのは大気中の魔力要素『マナ』を察知するためだろうか。


「ここ最近の大規模な魔術検証の実績について……」

「そいならワシが一言で答えられるぞい。ここ一ヶ月はなーんも、しとらん」

「何か確かめられる履歴はありますでしょうか?」

「司書に聞けば、何の記録も追加されておらんことがわかるじゃろーて。満足かの」

「はい、ありがとうございます。フェート学部長」


学部長。その事実に私は少々眼を丸くしてしまった。人は見かけによらないとはいうが、この人物は特に見た目の実際の立場のギャップが激しい。


「おっと、ちなみにウソはついとらんぞ?ワシ一人がここでウソかました所で、三桁人は動員せにゃならん魔術儀式なぞ、隠しようがないというもんじゃ。口の軽い参加者が口を滑らすか、カネの流れをたどるか、あるいは目に見えた事象が発生するかでどっちみち露見するじゃろて」

「確かに……」


老人の眼が、ワトリア君ではなく眼鏡の奥の私を見た様な気がしたが、ここで反応を返すとなおの事怪しまれるだろう。ぐっと口を閉じて彼の講釈を聞き受ける。


実際の所、彼の回答は私の推理のパターンのうち、魔術儀式については正確に否定材料を提供してくれている。ブラフである可能性も考えられるが、彼の言う通り少し深堀すれば実体が露呈しうるのも事実だ。


「そういう訳じゃて、また何か知りたい事があればワシに連絡を入れるとええ」

「よろしいんですか?」

「学部が違おうと、生徒の知的好奇心に答えるのが教師の努めじゃからの」


そう言うと彼は、本棚よりタイトルの無い古めかしい巻物を引き出して丁寧に抱えた。そして、こちらに振り向いて一言付け加える。


「おっと、そうそう。余りウチの学生に危ない真似はさせないでくれたまえよ、物好きなドラゴン君?」


やはり、とっくに看破されていたらしい。察知されているのに黙りこくっていても仕方がないと判断し、私からも返答を返す。


「その点については、お約束いたします。しかし何故私の存在に?」

「フェッフェッ、そんな精緻な魔術式を仕込んでおいてこっちが気づかなかったとあっちゃー、学部長の名折れっちゅーもんじゃ。そじゃろ?」

「おっしゃる通りです、こちらの完敗ですね」

「謙虚なやっちゃ!よしよし、君らの謎解きが上手く行くのを祈っとくとしようかの」


そう言って、奇妙な老学部長はその場を去っていった。

しかし、彼のくれたヒントは実に有用だったと言っていいだろう。初めの推論こそ、間違ってはいたがここに来てもらったのは無駄ではなかった。


「ここ一ヶ月の間に行われた魔術儀式の記録については、追加されていません」

「わかりました、ありがとうございます」


礼儀正しく会釈する彼女に合わせて、私の視界も床へと移る。裏取りのため、見つかった司書に履歴の方を改めてもらったのだが、結局の所、私の最初の推理は少々あてが外れた。といったところだ。


場所を図書館内のひと気のないエリアへと移し、彼女と次の算段を練る。


「無駄足になってしまって、すまないねワトリア君」

「いえ!大丈夫です。それより次はどちらを調べましょう」

「うむ……少し待っていて欲しい」


フェート魔術学部長の示唆から、少なくとも人間の魔術が絡んでいない可能性が高まった。もちろんブラフである可能性もまた、同時につきまとう。だが、ブラフであることを明確に否定できる根拠もある。


「まず、フェート学部長の回答だが……彼は白だろう。理由は明白で、竜殺しの魔術を作り上げたのなら、彼を始めとする魔術の徒にとって王国内にも隠蔽する理由はほぼ無い、と考えられる。竜である私になら隠すのはまだわかるが、その場合はワトリア君の眼鏡にかけた私の魔術は、彼によって解除されたはずだ」

「では、人間の魔術による殺害ではない……と」

「うん、その線は優先順位が大きく落ちたのは間違いない。他の手段を探った上で、やはり無いのであれば再度検討しよう」

「わかりました!」


人間に寄る魔術ではなし。だとすると、次に考えられるのは神霊による神秘か、魔族による魔道か。だが、天地創造から悠久の時を経た結果、大地における彼らの影響力は、はなはだしく低下していた。どちらも平時の力では人間には勝りこそすれど、竜を害するには人間族と同様に力を集約する必要がある。


ここで、一度現代における各種族の標準的なパワーバランスについて述べておこう。基本的には、現行の世界においてもっとも強大なのが竜種だ。これは自種族に対するひいき目などではなく、単なる事実である。


次に神霊と魔族が来る。彼らは長年の闘争による衰退が激しく、伝承に謳われた時代からすれば見る影もないといっていいだろう。もちろん、人間一個人からすればよっぽど強大だし、個体によってはまだまだ竜種の上位に匹敵する力を持つものもいる。


最後に、人間族を始めとする人型の種族だ。種族によって個性はあるが、種としての個体スペックは、どの種族であれ上位種族に及ぶのは難しいのが実情といったところだ。


だが、各種族間での闘争は小康化して久しい。どの種族も、滅びそうになれば必死に抵抗するのは自明の理だ。例え竜でも、暴虐が過ぎて死にものぐるいとなった他種族に敗北した例はいくつもある。神霊や魔族も例外ではなく、近年は各種族間の領域を侵さず不戦状態となっていた。


長くなったが、深手を負うリスクを背負ってまで他種族を攻める理由はどの種族にも少なく、静観しているのが現代の実情だ。平和、とも言っていい。


各種族間にて熾烈な争いが起こらなくなったのは、ひとえにかの不死王の統治による影響が大きく……と、これ以上は今回の調査には関係がないのでここまでにしておくとしよう。


重要なのは、神霊、魔族といえど竜を滅ぼすのは一筋縄ではいかない、という点だ。


「次は、神霊をあたってみよう」

「はい、理由をお聞きしてもよろしいですか?」

「もちろんだとも、実際に足を運んでもらうのはワトリア君なのだからね」


彼女に、アルトワイス王国内を含めた近隣地域における、祭事の記録についてあたってもらうよう頼みつつ、推理について説明を続ける。


「ワトリア君は、神霊と魔族の力の源については知っているかな?」

「はい、神霊は森羅万象の精気と、人間の信仰を。魔族は人間の怯懦、怒り、嫉妬と言った感情を主な力の源とする、と学びました」

「よろしい。彼らの実情もまた、人間族に伝承されている内容からかけ離れているわけではないんだ」

「はい、でもどうしてその事が神霊を優先する根拠になるのでしょうか?」


種明かしをすればシンプルな理由なのだが、さりとて出し渋る理由もない。なにより、こうして自分の知識を熱心に聞いてくれる者がいるというのは知の学徒として非常に喜ばしいことでもある。


「天地創造のみぎりより、神霊と魔族は互いにこの世界を求め、人間族を始めとするその他の種族を巻き込み争いを続けていた。当初は強大な力を誇った両種族だが、度重なる戦乱は着実に彼らの力を削いでいった。何が言いたいのかというと、現代においては、神魔といえどちょちょいのちょいで竜を滅ぼす、というわけにはいかなくなってしまった訳だね」

「確かに……両種族とも、見かけた、という事例すらかなり希少にさえなってしまっています」

「その通り。事ここに至って、神も悪魔も力を高めないと竜に相対出来ない点は、人間と同じ、というわけだね。そしてようやく力の源が何か、という点が重要になってくる」


推理の要点に差し掛かったタイミングで、ワトリア君の手が『アルトワイス王国祭事目録』にかかる。まだまだ信仰篤いこの国においては、大小問わず神を祀る祭事は重要なイベントだ。何せ神霊はちゃんと人々の前に姿をあらわすのだから。それが希少な機会であっても。


「力の源を、用意することが可能かどうか、でしょうか」

「大正解。魔族にとっては、人間を脅かせば力は高まる一方で、人間による反抗を余儀なくされる。数を減らしてしまった今の彼らでは、得られる力より減る同胞の方が多くなりかねない。これが、おいそれとは魔族が力を集約出来ない理由だね」

「わかりました。神霊の方は、まだ可能性がありそうです」

「うん、人間が隆盛している現代では、信仰さえ集められれば衰退した神霊でも十分な神通力を得られる。だが、一つ気がかりな点があってね」

「なんでしょう?」


会話を続けつつも、彼女が本を開いて1ページから順番に祭事の記録を私にも見せてくれる。書自体がかなりの分厚さだが、私の推論が正しければこの書の情報と照らし合わせることで、犯人はかなり絞られてくるはずだ。


「信仰を集めるのは、一朝一夕ではいかない。さらには人の心は移ろいやすいものと歴史が証明している通り、信仰もまた儚く消えやすい物だ。果たして犯行を実行可能にする様な祭事があるかが鍵だね」

「とすると、結構絞られてきます?」

「ああ、期限としては長くても一ヶ月前まで。といっても、儀式の実行と結果に若干タイムラグを作れるとしても、精々一週間以内ではあるかな。さっきも言った通りに、信仰とは移ろいやすい物。祭事が終わった後には徐々に減衰していくんだ。それを考えると、機会は限られている」


彼女の手元で、ページが踊っていく。まず、索引から年月ごとの逆引きを開き、さらには直近の祭事をたどっていく。大小様々な祭り――小さな村の年に一度のお祭りから、街道に寄り添う縁日、そこから中規模の街の祝祭となって、条件に見合う祭事はあっさりと見つかった。


「シャールさん!これは如何でしょうか?」

「見せてくれたまえ。行われたのは、例年通りなら三日前。場所は国内随一の規模を誇る奉神都市アラクトルム……ここは確か、泉の神霊を奉じて発展した街だったはずだ」

「はい、近年では豊富な水源を生かした水車機関があちこちに設置されていて、観光地としても人気がある所です。しかし……こんなに栄えている所の神性がわざわざ竜に手を出すのでしょうか?」

「仮に、ここだとしたら逆の事が考えられる。この都市の縁起は、元々祀られている神霊の復讐のために発展したんだとしたら、どうだろうか。ワトリア君、今度はこの都市がある地域の歴史を探ってみよう」

「はいっ!」


『アルトワイス王国祭事目録』を脇に抱えたまま、今度は歴史書の列へと移っていく。歴史もまた、重要な知識であることには疑いの余地はないだろう。この図書館は歴史の重要性についてはきちんと理解しているらしく、国家の成り立ちだけでなく地方の歴史についても十全な品揃えを誇っている。


そして資料が充実している分、探すのにも時間がかかってしまう。山のような微に入り細に入り、村々に至るまで歴史を残している本棚の奥底。司書殿の協力もあって、その中からなんとか関連資料を探り出してもらうことに成功した。


「……結構分厚いですね」

「都市だけではなく、地方の歴史である以上はこの厚さにもなるだろう。まずは都市の起こりからたどってみようか」

「はい。ええと……かの都市の起こりは今からおよそ百年ほど前の事、元々は森の中にひっそりと存在していた泉が、森が焼き払われた事で露呈。その事により泉の神霊と人間族が邂逅した後は、神霊より水源の加護を賜り豊富な水を得た事で交易地の中継地点として発展が進んでいった……とのことです」

「ありがとう。ここまでは条件を満たしている。であれば、後は肝心要の殺害方法だ。こっちについてはある程度見立てがついているが、祭事の内容を私の推理と照らし合わせることでより確度が高まる」


ゴルオーンへの殺害方法は、非常に特殊な手段を採ったと言っていい。

そして、神霊がもたらしうる神秘、奇跡は数あれど、その多くは恵みをもたらす物だ。果たして、私の推測している神秘は当てはまっているだろうか。


「まず、実際の祭事の流れ、それから街の構造について調べてみよう」

「祭事の流れは神秘を呼び起こす儀礼、街の構造は陣を維持する為のものかもしれない、ということですね?」

「そうそう、ワトリア君は理解が早いね。素晴らしい」

「ありがとうございます♪」


心なしか、上機嫌な反応を返す彼女と共に、アラクトルム市最大の祭事について調査を続行する。幸いにも、ここにある書物の範囲で求めている情報についてはある程度把握することが出来た。


「まず、アラクトルム市の祭事は7日間の準備、前段期間を持つようです」

「前段期間中においては、街の飾り付け、水門の開閉や噴水による水量調整が行われ、より華やかに水の街を彩ると」

「はい、その間に街路の清掃と整理が行われ、本番日のパレードの為の下準備が行われるみたいですね」

「加えて、街の人々もその間は正午に祈りを捧げると……ここまでは神霊を対象にした祭事としてはそこまで異常な行為ではない。神霊の維持の為に祈祷するのも真っ当な話だが、問題はパレードの方か」


資料を読み進めると、パレードの規模と進路についての情報も確認することが出来た。当初は数十名ほどの小規模なパレードであった物は、街の発展と共に規模を増していき、今では一万人規模にも登る壮大な内容へと進化したとある。人員については、街の内外から信仰心篤い希望者がこぞって参加を表明するため、年々列の維持に苦労するようになってきた、という話もある。


「問題になるのは、進行順路なのだが……」

「ありましたよ!シャールさん!」

「ありがとう、どれどれ……」


パレードの進行順路については、祭事初期から祭神より厳密な指定があったとの記録が残されていた。その内容を街の構造と合わせて確認する。


「アラクトルム市その物の構造は、アルトワイス王都と同様、真円上の城壁に囲まれ、いくつかの区画に分割されている、と」

「こっちがパレードの順路、そしてこちらが市街地図です」

「うん、それでは君の眼鏡に2つを重ね合わせた図を表示してみよう」

「お願いします!」


眼鏡に映った像を一部を切り出して透過、重ね合わせる程度なら遠隔でも簡単に行える操作だ。一筆書きで描かれた進行順路は、まるで高度な魔法陣の様に複雑な図形を描き出した。中心には女神を祀る人口泉と神殿が存在しており、パレードは市街地外縁部から全区画を巡回して神殿にたどり着くルートを通っている。


「シャールさん、これではまるで……」

「そうだね、人間の操る魔法陣のようだ。もっとも魔術の起源は神霊の操る神秘の再現から来ているので、順序が逆になるけれど」

「竜族の魔術もですか?」

「竜族については、起源をやはり神秘の再現においているものの、竜族独自の発展を経由した、というのが適切かな」

「なるほど……話を戻しますと、やはり泉の女神が犯人なのでしょうか」

「焦らない焦らない、判断材料は集まってきたけどまだ確たる証拠には結びついていないからね」


そう、早とちりは良くない。物事を判断するためには情報が必要だ。今は判断材料を集めるための時間は十分にあるのだから。


「さて、ここでようやく殺害方法についての推論が出せると思う。それに莫大な数の神秘について、学生である君を引き止めて延々掘り返させるのは申し訳ないからね」

「えっと、シャールさんはもうどんな殺害方法を実行したのか推測出来ているんですか?」

「ああ。順を追って話そうと思う。その前に神霊が操る神秘について記した資料を探してもらえるかな。伝説的な物が網羅されていれば問題ないはずだから」

「わかりました」


彼女には苦労をかけてしまうが、さりとて私が直に行って本を漁るのはあまりにも問題が多い。一度本気で本を閲覧するためだけの術式を、研究しても良いかもれないとさえ思う。今までは遠隔閲覧をした所で、大騒ぎになってしまうのは眼に見えている。そう考えていたのだが、施設管理者の理解さえ得られれば、あるいは利用させていただける可能性はある。


今度は神霊研究についてまとめた資料列へと移ってもらうと、一際古めかしい書物から、ピカピカの新品と思しき書までこれまた様々な書が満載されていた。創世期にまつわる研究などは、私にとっても垂涎の書なのだが、今回はぐっとこらえておく。今度ワトリア君に借りれないか相談してみよう。


「しかし、犯行方法は研究されるような、伝承に残る神秘なのでしょうか?泉の女神なのだから、圧縮した水流なども考えられると思うのですが……」

「その線は薄いと考えている。何せ、女神の拠点とゴルオーンの住処は離れすぎているからね。種々の問題を考慮しても、住居自体には目立った破損が無かったことから、それは否定できると思うよ」

「なるほど……では、どんな方法なんでしょう」

「まず、根拠から挙げていこうか」


ワトリア君が、『神秘と奇跡』と表題された率直な書を引き出す。


「並大抵の事では破損しない、竜種の鱗を切断する事象。しかして周辺には一切の痕跡を残さないという相反するような特徴。さらには持ち去られたかのように見える彼の遺体の断片。一見すると矛盾しか無いような内容だが、私には一つ思い当たる手段がある。それは、空間転移だ」

「空間転移……!確かに、危険すぎて滅多な事では使用されないその事象なら。あ、でも竜相手だと術式が成立させるのは、難しいんじゃないですか?」

「そう、そこが懸念だった。魔術であれ、神秘であれ、対象の存在が強固であるほど変質させるのは難しくなる」


魔術も神秘も、自然な状態を不自然な状態に変質させる、という点においては共通している。その時問題になるのが、存在の強固さだ。存在強度が高ければ高いほど、対象に干渉するのは失敗しやすくなる。同じ現象でも、人間族と竜族では全く異なる規模の術式構築が必要となるだろう。


「だが、条件さえ満たせれば、存在強度をある程度無視し、なおかつ相手の意向も無視して実現出来る神秘がある。私の思い当たる限り、それは『英雄召喚の儀』だ」

「『英雄召喚』……全く別の世界から、優れた人物を救世主として呼び出す大儀式、お伽噺かと」

「君がそう思うのも無理はないよ。そもそも記録をたどっただけでも、最後にその奇跡が行われたのは、確か私も生まれるよりずっと前の話だったからね」


異なる世界より召喚された英雄。彼らは時に猛威を振るい、時にはさしたる成果も残せないままにこの世界に散っていったという。


遥か古代においては、神々の尖兵として幾度となく英雄達が徒花として、呼び出されては数奇な運命を辿っていった事実。それらは今や伝承の中のおとぎ話として民間に語り継がれているのだが……もちろん、資料としてはちゃんと残されていた。


「シャールさん、一つ質問したい事が」

「召喚では、こちらに存在する生き物に干渉出来ないのでは、であってるかい?」

「はい、英雄召喚は全く異なる異世界から、こちらの世界へと召喚を行う儀式とのことです。殺害方法だったとして、一体どの様に応用したのでしょうか」

「何、シンプルな話だとも。呼び出したのであれば、当然――やり遂げた英雄達を元の世界に送還しなければならない」

「あっ、今回は送還だけを応用すれば良かった、そういうことですね?」

「その通り。召喚と送還の二行程では、莫大な信仰、神通力が必要となったのだろう。だけれど、今回は送還だけ行えばそれで良かったんだ」


ワトリア君に、『神秘と奇跡』を紐解いてもらう。

一般には既におとぎ話扱いではある。しかしてその実、この世界の歴史に大きな影響を及ぼした大儀式であることは疑いの余地はない。神秘の研究者達には欠かす事の出来ない題材であった。実際、書の中にも可能な限り伝承を書き記したと思しき、詳細な記述が残されていたんだ。


「シャールさん、これを」

「ああ、送還の儀において敷かれる陣地だね。アラクトルム市の祭事パレードのルートと重ねてみよう」


彼女の眼鏡の中で、二つ、正確には三つではあるが、その図形を重ね合わせてみる。はっと、ワトリア君の息を飲む音が私にも伝わってきた。


「一致して、います――!」

「アラクトルム市の地形、年に一度の祭事のパレードのルート、そして英雄送還の儀の陣……ここまで見事に一致するのは、偶然ではありえないことだ。アラクトルム市は最初から――ゴルオーンに女神が復讐するために用立てた街だったんだ」

「一体、どうしてここまで……」

「彼の過去の暴れん坊っぷりたるや、それはもういつ、誰から復讐されるかなんて、さしもの私も推理できない位だったよ。でも一つ、心当たりがある」


図書館のデスクに、開かれたままの歴史書に向かってレンズ上に矢印を表示してみせる。


「アラクトルム市の起こりは元々、森が焼き払われた事によるものだったね。ちょっとそこの辺りの話に、詳しい流れが無いかもう一度読んでもらえるかな」

「わかりました。ええと、森が焼き払われたそもそもの原因は――多数の雷が降り注ぎ、山林が炎上。火がついた後も絶え間なく雷が落ち続け、辺り一面真っ白な灰に覆われるほどに燃え盛った――とのことです」

「彼だね。おそらくはタチの悪いことに、彼には全く悪気なんてなかったと思うよ。虫の居所が悪い頃合いに、たまたまその地域を通り過ぎてしまった――そんな所じゃないかな」


そんな事で犠牲になってしまった何者かも気の毒であれば、ちょっと不機嫌なままに散歩した意趣返しで殺されてしまったゴルオーンの方も残念な事だろう。だが、この様な行き違いは往々にして起こってしまうのが現実というものであった。


「それにしても一体どうして、こんな形で悪用することを思いついたんでしょうか……成功するとは限らないのに」

「おそらくは、神霊達には儀式が失敗するとどうなるかまで、伝承されていたんじゃないだろうか。実行者からすれば、必要なリソースさえ集められれば多少失敗した所で、思惑通りにゴルオーンを抹殺できる。正確に成功させる必要性は一切ないのだから、犯行手段としては比較的低リスクに思えるね」


手元の資料には、儀式の詳細と起こりうる結果については書かれていた。だが、流石に失敗するとどうなるかまでは記載がない。まったく異なる世界へと強制的に呼び出され、命懸けの戦いを強いられた挙げ句に、帰れる時も失敗したら命を落としかねない。まったくもって、我が世界は他所の英雄殿に、それほどの負担を強いる資格があるのかどうか。


「送還の儀が失敗した場合は……完全な送還は行われず、対象者の一部だけが送り返されてしまう、と」

「その通り。今頃は、他所の世界に彼の断片が転がっていて、そちらの住人を困惑させているのではないだろうか」

「ううん、ゾッとしませんね……次はどうしましょう?」

「決まってるさ、確たる証拠を持って、女神様にお目通り願わないとね」


ワトリア君に、関連資料を借り受けてもらうようにお願いする。私の推理が正しければ、泉の女神殿は今は神秘の反動で拠点を離れられないはずだ。


「はい、わかりました」

「貸し出しが済んだら、城壁の外から離れた郊外で合流しよう。詳しい場所はまた後で知らせるよ」

「了解です」


―――――


眼下に、見慣れた白と緑のコントラスト。視界を上に上げると一片の曇りもない青空に、太陽がまばゆく輝いている。遥か彼方には峻険なるレアラート山脈が、その岩壁を見せつけ、また別方向には未だ紅く染まる永久火山ダルバントの姿があった。ヴォルギア君はまだ元気にしているだろうか、彼も元気にしすぎて早死しそうなタイプではあるが……


「あああああ、あの!これ落ちたら私死んじゃうんじゃないでしょうか!」

「間違いなく一巻の終わりだね。でも大丈夫。君が乗ってる辺りに力場を張ってるから、君が手を離しても壁に阻まれて落ちる事はない。何だったら、お昼寝しててもいいよ?」


神殿都市アラクトルムは、王都から南西の方角に位置している。徒歩ではおよそ十日はかかってしまう道のりだが、竜の飛翔をもってすれば半日程度もかからない。となれば、私がワトリア君を乗せない理由もないというものだ。


「うわーっ!たかーい!こわーい!」

「うむん、聞いてないか……」


はしゃいでいるのかおっかながってるのか、いまいち判別がつかない。どっちにしてもここで滞空しているのも、意味がないので王都を背にして飛翔する。遠くの方にわだかまる雷雲を見れば、かつてゴルオーンと共に飛んだ日さえ思い出す。彼と一緒に飛ぶと、稲光が私の鱗まで叩いて大層シビシビしたものだ。


私の脳裏を、在りし日の彼との会話がよぎる。


「ゴルオーン、その様に飛び立つたびに、辺りへ稲妻を落としていたらいつか、痛い目に遭うんじゃないかい?」

「ハッ、シャールのよく言う『インガオーホー』ってヤツか?くだらねぇな」

「ゴルオーン、私は君を心配してだね……」

「わかってるわかってる、だからよ、一つ賭けをしようじゃねーか」

「賭け?」

「おうよ」


そう言って彼は夕闇の中、細長い身体をくねらせ、こちらを向いていた。もっとも、細長いと言っても人間からすれば巨木の様に太い、圧巻のサイズだったが。最高品質の黄玉ですら遠く及ばない、そんな美しさの瞳が私を見る。


「どっちが先に逝くかの賭けだ。口約束よりは、お互いに守る気になるだろう?」

「ふむん、良いだろう。だが賭けると言ってもお互い、死後に譲れるものなどあるだろうか。君は私の蔵書には、一切興味がないだろう」

「そうだな、まったくもって興味ない。だが、お前の形見になるんだ。賭けに勝ったら、精々大事にしてやるさ。それが嫌なら、お前も精々長生きするんだな」

「言われなくても、そうするとも。死ぬのは怖いからね。それで、君は何をくれるんだい?君は財宝を溜め込むタチでは、なかっただろうに」

「ハッハ、そうだな……万に一つでも、このオレサマがお前より先に死ぬ、そんな間抜けな事があったら……そうさな、俺の亡骸をくれてやる」

「嬉しくないよ、そんなの」

「そういうなって、オレならまあ、仮に人間どもに売れば、それなりの額にはなるだろう。その金とやらで好きなだけホンを買えばいい」

「わかったよ、一応それで賭けは成立だ」

「フフン、結果が楽しみだ」

「ずーっと先になることを祈ってるよ」


そう、あの時に話していた頃は、なんだかんだお互いに、そうそうあっさり死んだり殺されるなんて事は……ないだろうと思ってたんだ。死は私達にとって、まだまだ遠い未来の話……そんな風に考えていたことは否定できない。当時、既に竜殺の英雄が輩出されることもなく、人間族の領域を侵さなければ、特段の危険も無かったんだ。


「シャールさん!通り過ぎちゃってます!」

「おっと……すまない、少々考え事をしていてね」


ワトリア君の呼び声で、自分がいつしか目的地を通り過ぎてしまっていた事を認識する。本当は警戒されないように、離れたところに降りるつもりがとんだ失態だ。ワトリア君には申し訳ないが、このまま一度距離を取って、私が神殿都市に興味が無い様に見せねばならないだろう。


―――――


「伝聞で聞くより、ずっと綺麗な街ですね。シャールさん」

「ああ、一神霊の加護で出来た街としては、かなり大規模な物だ」


白亜で統一されたカラーリングの町並みに、磨かれた宝石の様に透明度の高い水が、縦横に張り巡らされた精緻な水路を辿っている。その様は貴婦人のドレスを飾り立てる刺繍のようで、竜である私の眼から見ても、美しい町並みであることには、疑いの余地はない。


「でも、簡単に神殿内に入れるものでしょうか?」

「祭事の後だから、一般の参拝客として中に入れるはずだよ。元々、観光地化しているから」

「了解です、行ってみましょう」


いざとなれば、術式を施した眼鏡を介して、彼女を守る手段の一つや二つはある。それが共同調査を持ちかけた側の、責任というものだ。

しかして、穏便に話が進むのであれば、もちろんそれに越したことはない。


神殿は、この街の中心地、陣としても中核をなす地点に存在した。縁起を思い起こすと、この街は元々、女神の住まう泉を中心として、発展した経緯がある。であれば、神殿が中央にあるのは何ら不自然ではない。不自然ではないが……それすらも、女神の復讐を果たす上での、通過点だったといえる。


朗らかに笑い合いながら、町中を観光していく旅行客達の中をすり抜けながら、ワトリア君は真っ直ぐに、神殿へと向かっていく。神殿へと向かう大通りは、観光客向けの華やかな商店街だ。黙っていても商売になるがゆえか、店員達は呼び込みなどは行わずに、のんびりと客待ちしている商店が多い。


「あんまり……警戒されたり、してませんね」

「それはそうだとも、君は一介の学生だし、私は警戒されないよう十分に離れてから、大地に降りたんだから。今の君は、この街の住人からすれば、タダの観光客にしか見えないだろうね」

「安心しました、その……喧嘩とか、戦闘とか、私はからっきしですので」

「うん、私としても無用なゴタゴタは避けたい。これまで、さして害の無い竜として振る舞ってきているし、その築いた信頼を崩したくはないのでね。といっても、君に何か危険が迫った時は、話が別だが」


そうこうしているうちに、神殿が目の前まで迫ってきた。神殿と言っても、他地域に存在するような、白亜の建築物ではない。ほぼ円状の泉に向かって、足場がせり出した様な舞台。そして舞台を天蓋の様な構造の建物が、奥ゆかしい荘厳さを付与していた。ここの女神が泉にまつわる神性である以上、人間の様な住まいは不要という訳だ。


一大イベントが終わった後なので、流石に参拝客もまばらで、豊かな神殿都市の信仰対象とは思えないほどに閑散としている。もっとも、神前には装甲鎧を着込んだ神殿騎士が二人、微動だにせずはべっていた。


「あ、あの!」

「なにかね?我らが女神への参拝であれば、我らに許可を得る必要はないとも」

「うむうむ、刺客であればいざしらず、君はその様な人物には見えないな」

「ありがとうございます、決して失礼な事はいたしませんので」

「なあに、少々品のない話をするなら、こうして参拝者が訪ねてきてくださるおかげで、我らもこうしてふんぞり返っていられると言うものよ。ハハハハ」


心のゆとりゆえか、左右どちらの騎士も、フランクな感じでワトリア君に応対してくれた。流石に魔術の徒ではない故か、私がこうして眼鏡越しに覗いているなど、予想だにしていない様子である。


そのまま、彼らはワトリア君に中に入るよう促してくれた。


「そういう訳だ、残念ながら年に一度のお祭りは、終わってしまった。それでも参拝される方は、歓迎するよ。おっと、言うまでもないと思うが、神殿内での不審な行動は謹んでもらいたい。我々の仕事が増えてしまうのでね」


明るく笑ってみせる神殿騎士の表情は、俗にバケツなどと呼ばれる、フルフェイスの兜に覆われて容易に伺い知ることは出来ない。人当たり良く振る舞っているが、彼ら二人の装備はどこもかしこも、フルプレートアーマーを隙なく着込んでいる。この様な重装甲の装備は、そもそも一個人で着るのも難しく、彼らには補佐役となる侍従も居ると見て間違いないだろう。それは少なくとも、この街が非常に富んだ環境であることの証左だ。


「重ねてありがとうございます。参拝させていただきますね」

「どうぞ、礼儀正しいお嬢さん」


ちょっとした階段を上がって、いよいよ神殿内部へと足を進めていく。ここは現代においては数の限られる、神霊と対面が可能な聖地ということだが、果たして私達はすんなり話をさせていただけるだろうか。


―――――


まるで砂時計のすぼまった口の様な、そんな入り口の扉をくぐり抜けると一気に視界が広がった。森の中の泉、にしては随分と広大な水源。そのサイズは私でも余裕を持って沐浴出来る。もっとも水深が浅かったならば、水たまり遊びをする少年少女の様になってしまって、どうにも格好がつかないのだが。


こういった神殿は、類型的なものであれば白亜に金の装飾と相場が決まっている。しかして、この神殿は白ベースではあるが、コントラストを添えるのは淡い水色と紺碧による彩りだ。神殿を設計したものが、かなりの美意識の持ち主だったのか、行き過ぎた過度の装飾や、ありがちな偶像がそこかしこにあるといった事もない。全体の曲線造形そのものが、水という生命に欠かせない存在への敬意をあらわしていた。


「祭壇は、あちらですね」


ワトリア君が視線を向けた先には、事前に把握していた通りに、泉の中央に向かって針の様に突き出した足場が存在していた。形状で言うと、水泳遊戯施設の飛び込み台を、低くして台を優美に伸ばした、といったところか。もっとも私では、人工の台では強度もサイズも足りないので、同じ事をするなら崖から飛び降りる他ないだろう。


「他に参拝客の方はいるかい?」

「いえ、やっぱり祭事の後のせいか、私達だけです」

「それは行幸だね。万が一私達の推理が外れていたとしても、無用の風評被害をたてずに済む」


確信は、ある。状況証拠が主ではあるが、証拠もある。だが絶対は無いのが調査というものだ。外してしまった時の影響までは、考えておく必要がある。


と、恐る恐る祭壇にあがった所で、怪談の展開めいて、私達の入ってきた扉が閉まってしまった。この場の神秘は、先日の大儀式の反動で枯渇しているのが私にも認識出来る。とはいえ、いつでも彼女を救出出来るよう、今も私は神殿の遥か上空に待機しているのだが。


「ごめんなさい!私はどうなっても構いませんので、どうか街の人々には手を出さないでください!」


ワトリア君の動きが、一瞬硬直する。まあ、無理も無いことだ、いきなり全力謝罪をぶつけて来られては――襲ってこられるよりは、良いのだが。彼女の眼鏡を通して、土下座と呼ばれる謝罪の意を示す姿勢をとっている、女神殿に語りかける。


「お顔をお上げください。私達は貴女に復讐しに来たのではありません」

「ほ、本当ですか……?」


彼女が顔を上げると、淡い水色の長い髪がはらりと舞う。女神殿の服装は、天衣無縫の表現が相応しい一枚布をまとった姿だ。人間に近い体裁を取っているのは、その方が親しみやすく、信仰の獲得に強みがあるがゆえだろう。


「お目にかかれて光栄です、女神様。私はワトリア・ファム・エーデリッテ。アルトワイス王立学院医療学部、多種族治療科に所属する学生です。眼鏡を通して女神様に声をかけたのは、冥竜のシャールさんです」

「そのぅ、どうして人間族の方と竜族の方が一緒に?」

「私達はどちらもゴルオーンに縁がありまして、彼の死因を解明するにあたって協力体制を組んだのですよ」

「そうですか……申し遅れました。私はアルラ・クート・ルース。この水源を根源とした、この地域一帯を司る神霊です」

「存じております」


アルラ神は見た目のみならず、神霊としての強さの面でもかなり華奢な存在だった。本来であれば、森の奥にひっそりと存在していたはずの水源の神なのだから、もっと強大な自然現象や事象を司る者たちに比べれば、自然ではある。


「それで、その、復讐しにきた訳ではない、というのは本当に……?」

「ええ、そもそも竜族の死生観では、仇討ちの概念が非常に薄いものでして。私自身、彼を失った事に対する哀しみはありますが、さりとて復讐に手を染めたいとは考えておりません」

「寛大なお言葉、ありがとうございます。シャール様。貴方様がこの地に姿を見せた時より、この街の民のことだけが気がかりでした」

「貴女の復讐に、知らず知らずのうちに手を貸していたが故に、ですね?」

「はい……私は、愚かにもやり遂げた後の事までは、考慮出来ていなかったのです。竜族の方に把握されれば、この街を守る術はないといいますのに」


うつむくアルラ神。そもそも復讐というのは、他者の存在を重んじる者が手を染める行為だ。そんな彼女が、人間に関しても同様に考えているのはおかしなことではない。彼女は元々慈悲深い性質なのだろう。


「他の者であれば、怪訝に思いこそすれ、死因を探るとまでは思い至らないでしょう。死んだらそれまで、が竜の標準的な死生観です。その点、私は同族の中では、非常に変わり者に入りますので」

「この街が襲撃されることは、ないとおっしゃいますか?」

「絶対にないとは言い切れませんが、ほぼほぼ起きないと考えています。そもそも、貴女にたどり着いたのは私と、ワトリア君だけですし、事件の真相を公言する気もありませんので」


竜族には、法を持って罰するという概念はない。そのため、死者が出たら首謀者に罰を下すことも余りない。もちろん、私達も私情からの報復を行う事が、まったくないとは言い切れないのだが。


「ありがとうございます……」

「一つだけ、お伺いしたい事がありまして。貴女の動機は、かつてこの泉を取り囲んでいた森林が焼け落ちた事で、親しい方が巻き添えになった事によるものですね?」

「もう、そこまでお察しでしたのですね――あなた様が復讐者でない事を感謝しなくてはなりません。はい、おっしゃる通り、当時の炎上こそが、私がかの雷竜に報復を誓ったきっかけです」


女神殿は、当時を懐かしむ様な顔で、彼女の動機について語り始めた。


「深い森は、当時私の同胞である森の女神の領域だったのです。来る人もほとんどいない、深奥の地では、彼女だけが私の友人でした。とても長い時間、二人で過ごしてきた私にとっては、姉妹の様な関係だったかもしれません」

「けれど、そこをゴルオーンが嵐を伴って通過した事で……穏やかな日常は破壊されてしまった」

「ええ。私達神霊は、森羅万象の現れです。拠り所としている森林が焼失した事で、彼女は私の目の前で消失してしまいました。あの時の、雷竜の姿と消えていく彼女の姿は、今でも忘れられません」


果たして彼は、この事を知っていたら、森林の上空を通ることを避けただろうか。過ぎた事を問い返してもせんの無いことだが、丸くなった頃であれば、避けて通る位の事はしたように思う。存在するだけで、周囲に災禍をばらまくというのも実に考えものだ。


私は自分が、その様なタイプの竜では無いことを幸運に思う。雨竜ベラカクトラ君などは、常に強酸の雨をばらまいてしまう為に、友達さえ作るのもままならず、今も死の砂漠で誰にも迷惑をかけないようにひっそりと暮らしているとのことだ。


「私は悩みました。非力な神でしか無い私にとって、かの雷竜の力は全く手の届かない存在に思われたのです。でも……」

「神霊に伝承される、『英雄召喚』の儀を転用することを思いついた、ということですね」

「その通りです。私達では対応出来ない危機を解決するため、あの儀礼については末端の神霊である私にも伝承されていました。失敗した時に何が起こるかについても、詳細に」


そこで言葉を切った後、間をおいて彼女は語り続けた。


「本当に実現できるか、半信半疑ではありましたが、残された私にはそれくらいしか出来ることがありませんでした。時間をかけて、信仰を集め、街を作っていただき、儀式を行える下地を整えたんです」

「もう一つ、お聞きしましょう。復讐を果たした今、貴女はどうなっても構わないと本当にお考えでしょうか?」

「いいえ、シャール様。許されるなら、この街と住まう人々を守護していきたいと思います」

「よろしい。では私達は、ここで聞いた事は我々の胸にしまっておきましょう。構わないね、ワトリア君?」

「私は構いません。でもシャールさんはいいんですか?」

「ああ、もちろんだとも。私は常々、彼には自らの行動は自分に返ってくると諌めて来たんだ。その私が、愛される女神殿を、この街の人々から奪ってしまうのは如何な物かと思う。しいて言えば、彼女の行為を許すことが、私の報復という事にしておきたいね」


きっと、彼も納得してくれるはずだ。そう私は、胸中でつぶやいた。


―――――


「良かったんでしょうか、ゴルオーンさんのご遺体を私達が預かってしまって」

「大丈夫さ、彼の遺言だからね。朽ちるに任せておくよりは、彼も納得してくれるはずだよ」


空を駆けながら、ワトリア君の疑問に答える。

結局、ゴルオーン君の亡骸は、王立学院にて保管していただく事になった。

竜の遺体が完全に朽ち果てるには、途方も無い時間がかかるし、良からぬ輩に持ち去られて、悪用されるのも良い事とは言い難い。医療の発展に役立つのならば、彼の死も多少は報われるだろう。


青空のコントラスト下には、いっそうに鬱蒼とした樹海が広がっている。ここは、私とはまた別の竜種の領域だ。彼女とは旧知の中であるため、私が立ち入ったからと言って、いきなり攻撃してくる事はない。というよりも、よほどの無作法、それこそ森に火を放つ位の暴虐でもしなければ、どんな種族であれ見逃してもらえるはずだ。


「さ、着いたよ」


滞空を維持したまま、ゆっくりと下降していく。場所は深い樹海の中にぽっかりと空いた、広場のごとき空間。その奥側には、奇妙な形の樹がそびえ立っている。樹というよりは、滑らかで太いつる草が束ねられており、根本の辺りは真白の色合い、そして先に伸びるほどに深い緑の色合いに移り変わる。樹は、私達が着陸すると鎌首をもたげて声をかけてきた。


「ああ、ご機嫌よう、シャール。うちに来たってことは、またぞろ、誰かの死に立ち会ったんだね」

「そんなところだよ、ティアン。今回は、ゴルオーンだった」

「ふうん、アイツか。どう考えてもボクよりは長生きしそうな竜だったのに、世の中わからないものだね」


そう、樹ではない。彼女は樹竜ティアン・ラーカ。私の数少ない友人の一人であり、事件を解決した折には必ず立ち寄ることにしている訪問先だ。

ティアンは、その身のつるを巧みに操って、樹海の中に隠れていた竜サイズの食器棚から、コップやら皿やらを広場中央にある、大樹の切り株のテーブルへと並べていく。


「ん?今日はシャール、君だけじゃないんだね?」

「ああ、彼女はワトリア君、アルトワイス王立学院の学生で、今回の事件解決に手を貸してもらったんだ」

「はじめまして、ティアンさん」

「君、事あるたびに変なコネクション増やしてたけど、意外にも人間族の協力者は初めてだね。はじめまして、ワトリア。ボクはティアン・ラーカ。竜族の菓子職人担当さ」


うやうやしく頭をさげる合間にも、彼女はせわしなくあまたのつる草を操り茶会の準備を整えていく。竜族でも支障がない、深い紺碧に金の装飾がなされたティーカップ、そちらに同じ意匠のポットから、紅茶が注がれる。


「困ったな、ボクの所に人間族が食事に来るなんて、普段はないから、見合う茶器がないよ?」

「食器の類は、彼女に持参してもらったから問題ないよ」

「おっと、気が利くね」


つる草が、ワトリア君の差し出したリュックを受け取ると、するすると食器を取り出し並べていく。ティアンからすればミニチュアとしか言いようがないサイズだが、彼女は何ら戸惑う事なくそれらをセッティングしていった。


最後に、深い紫の果実が盛り付けられたタルトが遇されると、茶会の準備が整った。


「はい、召し上がれ。ああ、もちろん人間族が食べても、大丈夫なの選んだから」


気が利くだろう?と言わんばかりの彼女にウインクで答えると、ワトリア君と一緒にティーカップを持ち上げた。


「それでは、事件解決お疲れ様、ワトリア君」

「お疲れさまです、先生!」


湯気を立てて揺れる紅茶を、ちびちびと口腔に垂らす。

この事件が、私とワトリア君の長い付き合いの始まりだったのだが、当時の私達には、知る由もない話だったんだ。


【雷竜輪切り事件:終わり】

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