残された命
……あのバカ女、本気で殴るとは思わなかった。
「そりゃあ目の前で彼氏を殴れば激怒すンのは当たり前でしょ? あれはアンタが悪いし」
タージアの作ってくれた湿布を鼻の上からおでこからぺたぺたと。ジールも呆れ顔だ。
「でも、一切殴り返したりしなかったもんね。ラッシュのそういうところは大好きだよ」
「当たり前だ、アイツだって一応は女だしな」
そうだ、親方にはそこのところだけはきちんと言われた思い出がある。
『いいか、女っていうのは柔らかい生き物なんだ。軽く殴っただけであっという間に死んじまう。だから絶対暴力は振るうんじゃねえぞ』
な。俺はその教えはきちんと守ってるさ……とはいえ、マティエは俺とほぼ同じくらいのガタイだしな。チビが泣いて止めに入ってくれなかったら無抵抗のまま撲殺されていたかもしれない。
…そんな俺たちは今。一日目のキャンプを張っている。
身を隠せる岩場なんてほとんどない荒野のど真ん中。もちろんこういう場所は危険極まりないっていうことくらい俺たちは充分に分かっている。とりあえず火を絶やさずに。そして寝ずの番は俺。女性が多いからきちんと寝かせておかねえと……あの暴力女は別としても、だ。
なにを話すわけでもなく焚火の前で時は過ぎ、屋根が満点の星々になるころにみんなは眠りについた。
だめだ、見上げると急に涙っぽいのがこみあげてくる。だから上なんて向けない。
エセリアと見たたくさんの流れ星……まだあれから数日しか経っていないんだよな、って思うと余計思い出がいっぱい呼び起こされてきて……
そんな柄にもない感傷に浸っていたら、いつの間にかそばで寝ていたルースがいないことに気が付いた。
トイレか? なんて思ったのもつかの間、馬車の影から、重苦しい咳の声が……うん、ありゃルースだ。
ゴボゴボとヤバそうに聞こえる咳。そのあと全く物音が聞こえなくなっちまったんで、俺は急いであいつの元へと走った。
「ルース、お前……」
見るからにヤバそうな光景。星が明るいし、俺らの夜目でもはっきり見えるその姿。
あいつの足元には大量の血が飛び散っていた。そしてあいつの口元にも、両掌にもおびただしい血が。
「誰も……呼ばないでいいから。収まった、から」
しゃべるたびに口からヒュウと笛のような音が漏れる、胸でも病んでいるのだろうか……
「大丈夫……じゃねえよな、お前」
「分かってるでしょ、僕のことは」簡単な言葉の中にもルースの容態の重さが伝わってくる。そうだったな、確かこいつ……
「マティエがこの前話したっけ。白毛は短命だってこと……けどそれ以外にもある」
呼吸を整えながらルースは俺に話してくれた。あいつは幼少のころからあらゆる毒物に対する知識を、その身体で、身をもって知るために……ああ、タージアがやってきた実験のことだ。
それは耐性を得るのと同時に、自らの身体をも蝕んでいたとも、あいつは語った。
「命の代わりに知識と毒物の耐性を得る……すでに僕の身体の中はボロボロ。今の吐血もいい例さ……ときおりこんな感じの発作が起きてしまうんだ」さっきとは全然違う、疲れ切った笑顔を見せるルースが、今の俺には辛すぎて。
「治す薬とかはねえのか?」
「……今のところはね。それに言った通り、白毛としての寿命も迫ってきている。あとは死を受け入れるしか……」
「諦めてンのか、お前?」
「え……?」なんて一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまたかぶりを左右に振った。
「何とかしたい。とはタージアにも話したけどね。正直自分自身も期待はそれほどしていないかも。それに……」
「生きる道を探すんだろ? 生きたいんだろ? なにバカなこと抜かしてんだ」
足元に広がる血の固まりを俺は見つめた。ルースのこの小さな身体がこんなにも血を吐いただなんて……あり得ねえほどの量だ。
分かるさ、これだけ吐いてしまえばそれだけ命だって縮まるってこと。だけどあの時、こいつは生きたいって言った。仇を討ったらあの女と結婚もするって。けどボロボロな身体のまま幸せを送りたいのか? この時点で俺に諦めを打ち明けてどうする?
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