第10話 串焼き
「すみません、隣の者ですけど~」
やわらかい声が空気をふるわせる。
七虹さんの声だった。
「は、はい。今、あけます!」
俺はそういって、ドアを開けた。
よく、ドアの向こうの七虹さんに怪我をさせなかったと思うくらい勢いよく。
運良く、ドアが七虹さんにぶつかることはなかったけれど。
「な、七虹さん……タッパ-ありがとうございました!」
俺は七虹さんの姿を見るなり(ニューバランスのスニーカーにレースのついたソックスの足下を確認)、頭を下げながらタッパーを差し出した。
「いえいえ。おそまつさまでした」
だけれど、七虹さんは俺のタッパーを受け取らない。
俺の手は七虹さんのタッパーを持ったままだった。
えっ……? 俺、なにかやばいこと言った。
それとも、俺が使ったタッパーなんて気持ち悪いからいらないとか。
それとも、タッパーのお礼は言ったけれど、料理のお礼を言ってない。「おいしかった」って先に伝えるべきだったかもしれない。
ああ、なんで俺はこんなにダメなんだろう。
まずはちゃんと美味しかったって伝えるべきだったのに。
タッパーのお礼だけいうなんて、まるで料理の味については触れたくないみたいじゃないか。
俺がぐちゃぐちゃと考えていると、頭上から声がふってきた。
「あのー、カイさん。すみません。ちょっと、これもってもらえますか?」
顔をあげると、七虹さんが困った顔をして両手になにか白っぽいものをもっていた。そして、なにやら異国風な美味しそうな香りがした。
「あっ、はい!」
慌てて、七虹さんが差し出しているものを受け取る。結構、重い。
皿だった。
白い皿の上に串に刺さった肉がのっている。
こんがりといい色にやけていて、なにかスパイスがまぶされていた。
俺が皿を受け取ると、七虹さんは俺の手からタッパーを受け取った。
タッパーを受け取った七虹さんはちょっと不思議そうな顔をした。
どうやら怒ってないみたいだ。
というか、七虹さんは笑い始めた。
「カイさん、どうしてそんないつまでも小学生が賞状をうけとるみたいな格好でいるんですか?」
そう言って笑っている。
怒っていないなら良かった。
そう思って俺も一緒に笑った。
ひとしきり笑ったあと、七虹さんは続けた。
「あの、今日も作り過ぎちゃったので良かったら食べませんか?」
「あ、ありがとうございます。あの、昨日の引越祝い、すごく美味しかったです!」
「ええ、食べきってくれたみたいで安心しました」
七虹さんは嬉しそうだ。
ところで、俺が今もっているお皿の料理はなんなのだろう。
串に刺さっているけれど焼き鳥とは違う。たぶん肉も鶏肉じゃないし、すごくスパイシーな匂いがする。だけれど、そんな異質に感じる一方でどこかで嗅いだことのあるような匂いだ。
「ところで、これって?」
「ああ、気づきました? とうとう買っちゃいました。ここらへん、サイゼリアないんですもん。テイクアウト用にスパイス売ってるの知って我慢できなくなっちゃいました」
そういって、ペロリと舌をだす。
苺のかき氷なんて食べていないのに、七虹さんの舌は綺麗なピンク色だった。
どうやら、知っている匂いだと思ったら本当に知っている匂いだったみたいだ。
大手チェーンのファミレスでちょっと前に評判になった羊の串焼き用のスパイスだ。
出始めのころはあまりにも評判で品切れになったという。
俺もあのファミレスは好きで何度か食べたことがあった。
そういえば、この街にはサイゼリアがない。
ドリアやらドリンクバー、ティラミス。
美味しかったそれらのメニューを思い出して、俺のお腹がぐうーとなる。
「じゃあ、良かったら食べて下さいね」
そう言って、七虹さんは小さく手を振って帰っていった。
「あ、あの。お皿、返します」
俺はそういうのが精一杯だった。だけれど、こう言えば明日も七虹さんに会うことができる。ちょっとだけ勇気を振り絞った甲斐があった。
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