第6話 セーラー服姿の僕は見たくない

 僕の実家では、第一次世界大戦が終わる頃まで狐が人を化かしていた。

 ある時、お寺の住職が檀家の法事でお酒を振る舞われて、すっかり帰りが遅くなってしまったという。雨がしとしと降っていて、蛇の目傘を差してお土産を手に、ふらふらと闇夜の家路を急いでいたが、目印にしていたお寺の燈明が一向に近づいてこない。恐ろしくなって傘を投げ出し、お土産を放り出し、草履も脱いで駆け出すと、半狂乱になって走りだした。ようやくお寺にたどりつくと、布団に潜りこんで寝てしまったが、夜が明けてこっそり道を逆にたどってみると、蛇の目傘は高い木のてっぺんからぶら下げられ、草履は木の根元に揃えられ、お土産はその傍に、油揚げだけを食い散らかされて放り出されていたという。


 僕は子どもの頃から、お爺ちゃんお婆ちゃんからそんな昔話を聞いて育った。少し年をとって知恵がついてくると、そんな話が残っている田舎暮らしのハンデをつくづく感じたものだし、だからこそ親とケンカしてまで都市の私立高校に進んだのだ。

 だからこそ、絶対に実家へ帰るのはイヤだった。みっともない。

「僕だけじゃダメかな?」

 ムダなあがきを、冷ややかなツッコミが粉砕する。

「岬さんが行かないと意味ないでしょ」

 それはそうだけど、僕ひとりだって格好がつかないのに、ましてや岬さんなんか連れて帰ろうものなら、人目には着くわ親父には面目ないわ、それこそ授業料までも止められてしまうおそれがある。そうなれば、2年後には掟破りの成人高校生になるのを覚悟で、地元の公立高校を受け直すしかない。

 それが嫌なら、軍から奨学金を貰ってお礼奉公だ。紛争地の最前線などに送られた日には、命がいくつあっても足りない。

 もちろん、進路指導に来る国防軍の人たちがそんなことを言うわけがない。でも、実際に高校なり大学なりを卒業して入隊した先輩が奨学金の宣伝に来るときは、後輩たちの間や職員室の中で必ず、こっそりと囁いていく。

 今日のニュースになったアフリカの内戦だって、明日は我が身ということにもなりかねない。対立する勢力の背後にいる大国がそれぞれに動き出したら、同盟国の軍隊が駆り出される。

 もちろん、日本だって例外じゃない。

 だが、妖狐のヨウコにとって、そんな人間たちのいさかいなどは、知ったことではないらしい。

「ふたりきりになるチャンスなんだけど」

「お前がいるだろ」

 僕のいくところ、ヨウコはどこにでもついてくるのだから、正確に言えば岬さんとの二人きりはあり得ない。

「邪魔はしないから」

 大真面目な顔をしているところを見ると、一応、自分の立ち位置を気にはしているらしい。

「本当だな」

 こっちは顔をしかめてみせたが、実を言うと、特に問題にはしていなかった。いや、むしろ、それはそれで面白いような気がしていて、何が起こるか楽しみでさえあった。

 だが、僕の期待はさらりと肩透かしを食らわされた。

「アタシはやることがあるから」

「何?」

 興味津々で聞いてみたけど、ヨウコはにやにや笑って答えようとしなかった。

 仕方がないので、とりあえず、岬さんにメールしてみる。


〈いつ、空いてますか?〉


 返事はすぐ返ってきた。


〈来週の日曜〉


 他の休日は、向坂との予定が詰まっているのだろう。

「電話はしないの?」

 こっちの質問には答えなかったヨウコが、メール画面を覗き込んで、人のやることに口を挟んできた。

「番号聞いてないから」

 男女間の電話とメールにどれだけのハードル差があるか、狐には分からなくても仕方がない。

「人がせっかく」 

「狐だろ」

 大げさなためいきと共に恩を着せてくるのを途中で遮ると、ヨウコはぷうっと膨れてそっぽを向いた。

「知らない」

 それには構わず、僕は岬さんにメールを送った。


〈バイト空けてみます〉


 そこですかさず電話した先は、バイト先の店長だ。

「休みが欲しいんですけど」

「シフト入れたのお前だろ」

 間髪入れずに、もっともな一言が返ってきた。もちろん、そんなことは分かっている。

「代わってもらいます」

 僕も即座に答えたが、店長の反応は冷ややかだった。

「誰と?」

「……やってみます」

 短いが、いちいちもっともな返答に、僕はいささか腰砕けになって電話を切った。いつのまにか側にきていたヨウコが、心配そうに見つめていた。

「ダメだった」

 肩をすくめてみせると、詰問が返ってきた。

「どうすんの?」

「断るしか」

 実のところ僕も困り果てていたが、ヨウコに情けないところは見せたくなくて、努めて冷静を装った。だが、いささか感情的な追及は止むところを知らなかった。

「あのね、アタシと狐ネットワークは」

「契約は破ってないぞ、むしろ」

 どうにもならないことを責められるのがイヤで、僕はヨウコの言葉を途中で押しとどめた。

 他の女に気をとられるどころか、好きな相手に近づくチャンスを自分から棒に振らなくてはならない。もちろん、今までの好意を無にしてしまうのだと思うと、胸が痛む。

 セーラー服の妖狐は、唇を噛みしめてうつむいた。

「知らない」

 その拒絶の言葉に、急に胸が苦しくなった。喩えでも何でもなくて、もう、立っていられないくらいだった。僕は膝をついて、ぜえぜえと喉の奥で息をした。

「お兄ちゃん?……才! 」

 床に倒れ伏しそうになったところを、ヨウコが小柄な体で抱き留めた。その細い腕に抱えられながら、僕は薄い胸に頭をもたせかけた。そうしないと、全身で押し倒してしまいそうだったのだ。

 僕を見下ろす形になったヨウコは、ゆったりとした、しかし厳しい口調で尋ねた。

「アタシに隠し事してない?」

「まさか」

 思いもよらないことだ。去年の高校生活の半分を、誰とも話さないで過ごしてきたのが僕だ。年末年始も実家に帰らず、一緒に年越しそばと餅を食べてじゃれ合いながら暮らしてきたヨウコとの間で、隠し事は何の意味もない。

「まさか、他に女が……」

 あり得ない。岬さんのほかに女性がいたとしたら、恋に悩みながら艱難辛苦の生活を送ることもなかったのだ。


 ……ヨウコと共に、半年間もの間。


 なんにせよ、ここでやるべきことは1つしかない。僕の実家へ連れていくより他に、岬さんの願いを叶える方法はないのだ。 

「バイトやめるかな」

 それで済むことだった。ヨウコと狐たちが探してくれた手掛かりが何だか知らないが、僕の予定さえ空いていれば、岬さんが大学院生の向坂とどれだけ忙しい日々を過ごそうと関係ない。

「ガッコどうするの」

 当然の心配だった。いや、ヨウコがそこまで気にかけてくれていることが、今はうれしかった。もちろん、恋のために人生を棒に振る気はない。

「奨学金」

 みんなやっていることだ。いや、現在の日本で、それをやらないのはむしろ、贅沢といえるかもしれない。知と学問と立身出世というのは、血と汗と涙で勝ち取るものなのだろう。

 だが、僕の答えにヨウコは一瞬だけ息を呑んだ。

「戦争行って帰ってきたの見たことあるけどさ……」

 語り始めたときは、いわゆる復員兵のことかと思った。その手の話は、歴史教育や道徳教育という名目で散々聞かされてきたのだ。だから、僕たちの世代は、どれだけショッキングな事件を聞かされても、「戦争はいけないと思います」でその場のオチをつけるよう訓練されている。

 むしろ、女子中学生の口からそんな話が出ることのほうに違和感があったが、考えてみれば100年間を生きてきた妖狐なのだから、そんな事件を直接に見聞きしていたとしても不思議はない。

 だが、聞き終わってみると、決してそんなステレオタイプの話ではなかった。


「……そんな出来事を、人々は狐の仕業だと噂しあいましたとさ」

狐としての特異な経験を一気に語り終えたヨウコは、苦笑してつぶやく。

「仕方ないか」

「何する気だ?」

 果てしなくイヤな予感がして尋ねてみたところ、それを上回るような爆弾発言が飛び出してきて、僕を愕然とさせた。

「アタシがバイトする」

 言うなり、ヨウコはその場で軽々とトンボ返りを打ってみせた。

「どう?」

 そこには、つんつるてんのセーラー服を着た僕が、ヘソと毛脛を出してセクシーポーズを取っていた。

「絶対にやめろ」

 思いっきり不機嫌に言ってみせたが、もちろん、そんなことを聞くヨウコではない。

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