1章 2話 ハジマリ、デアイ

どこかで大勢の誰かが戦っている。剣を振りかざし、相手を切り裂き、命を奪う。辺り一面血と贓物で溢れ、呪詛の様な叫び声と悲鳴が耳を打つ。ここはどこだろう。自分は何故ここにいるのだろう。周りで起きている殺戮をよそに自分はぽつねんとその場に立ち尽くしている。するとその瞬間、視点が変わった。自分は誰かに抱きかかえられているようだ。


自分を抱きかかえている人は誰?その人間の顔を覗こうとするが逆光になりよく見えない。やがて視界が徐々にぼやけだす。待ってくれ、あなたは一体誰なんだ。ここは何処なんだ。


次の瞬間、伊吹直哉は目を覚ました。身体を起こし、辺りを見回してみる。自分の部屋のベッドの上にいるようだ。またあの夢を見てしまった。


いつからこの夢を見るようになったのかはよく覚えていない。幼少期の記憶さえ定かではないのだから当たり前といえば当たり前なのだが。幼少期に両親を事故で無くし、孤児院で過ごすうちにこの夢を見始めたのは覚えている。


だが一体何の夢なのかがさっぱりわからない。孤児院を退所し、国からの孤児支援を受けながら慣れない一人暮らしに没頭する中でこの夢の正体を気にすることはいつの間にか無くなっていた。今では自分の生活のサイクルの一部と化してしまった。


直哉はそのままベッドから降り、学校へ行くための支度を始める。洗面所で顔を洗い、タオルで顔に付いた水滴をふき取る。ふと鏡を見ればそこには黒髪の平凡な顔つきに、やせ型の男が立っていた。友人から「お前の特徴は特徴が無いこと」と言われたことを思い出す。


持っていたタオルをそばにあった網かごに放るとそのままキッチンへ向かう。昨日買っておいた食パンをオーブンで焼き、トーストを作った後に学校の制服に着替える。眠気覚ましのコーヒーと共にトーストを齧るとようやく1日の始まりといった気持ちになる事が出来る。簡単な朝食を終えたのちに、財布や携帯、教科書とかつて母が自分にくれたというお守りを入れた学校指定の黒い鞄を持ち玄関に向かう。


途中一人暮らし用の部屋の隅に小さく置かれた両親の仏壇に手を合わす。両親は写真嫌いだった為に2人を写した写真は殆ど無く、結果的に仏壇の前に両親の写真は置かれていない。


「行ってきます」


学校指定の革靴を履いた後、仏壇に向かい心の中でそう挨拶をする。彼は玄関を出た。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


2023年 8月9日 日本 東京都 八王子市


伊吹直哉の日常は平凡だ。かといって全く面白くないという訳でもない。至って普通の学校に通い、普通の友達付き合いをする。孤児院を出て今の高校に入学した当初はその事情ででクラスメイトから遠回りに質問などをされたりもしたが、時が経つにつれ彼の存在は自然と受け入れられていった。人並みに勉強し、人並みに遊ぶ。クラスメイトと一緒にカラオケやボーリングにも行くなど、直哉は今の日常がそれほど嫌いではなかった。少なくとも朝起きた瞬間に学校に行きたくないなどと考える事が無いのが何よりの証拠だろう。


そうして今日も学校での授業を終え、平凡な1日が終わろうとしていた。今日は学校のクラブ活動がある日だが、クラブに入っていない直哉は友人を待つことをせずにそのまま帰る事を選択した。今日は自分が好んで購読している漫画雑誌の最新号が発売される日だ。帰りに本屋に寄って入手し、そのまま家でゆっくり読もう。そんな事を考えながら直哉は教室にまだ残っているクラスメイト達に別れの挨拶をする。


「んじゃ、今日は先に帰るわ」


「あれ、直哉もう帰るんだ。クラブ終わるまで待っててくれよ~」


「今日は本屋に寄って帰ろうと思って。んじゃお先!」


『俺たちゃ本屋以下の存在かよ~』と冗談めかして言ってくるクラスメイト達を背に直哉は教室を出た。学校から最寄りの本屋までは歩いて4.5分という所だ。スーパーマーケットと100円ショップ、そして本屋が1つの建物に固まっているその場所は一人暮らしにおける強力な味方としてよく利用している。


『あの雑誌何円だったっけ……』


などと心の中で考えながら暫く歩いていると奇妙な違和感に襲われた。


自分の後ろから足音がする。それだけなら大した事ではない。学校から下校途中の生徒かその辺を散歩している人間かといった所だろう。


だが、その足音は自分の足音と同期していた。つまり自分が歩けばその足音は前進し、自分が信号や交差点などで足を止めるとその足音も止まる。さっきから付かず離れずの距離で聞こえてくるその足音はまるで自分を追いかけまわしている様だ。


横目で後ろの様子を伺ってみると、後方の電柱付近に人影の様な物が見えた。ふと直哉の脳裏に今日のホームルームで先生から聞いた話が蘇る。


最近学校付近でストーカーの被害が多発している。女性などが襲われた他、一人暮らしの人間の家を捜索し、そこに忍び込んで金品等を強奪していく性質の悪い犯行らしい。警察もパトロールを強化しているが皆も気を付けるようにとの事だった。



背筋が凍った。冗談じゃない。そんな奴に目をつけられてたまるか。直哉はそう考えた瞬間、ダッシュで走り出した。


体力には自信がある。後ろにいる奴を振り切ってやる!そのまま200mほど走り、後ろの様子を伺うとどうやらストーカーらしき人物はこちらの急激な行動に焦ったのか付いてこれていないらしい。


良し、いいぞ。次の交差点を右に曲がって大通りに出たところで一旦止まろう。そう思いながら交差点を曲がった瞬間、何者かに腕を掴まれた。


「うわっ!」


自分自身でも情けないような声が出る。ストーカーに追われているという恐怖感の中から出た叫び声は辺りの住宅街にエコーしていく。


自分の手を掴んだのは黒いシャツを着て黒い帽子をかぶった長身の男だった。男の冷たい体温が制服越しに伝わってくる。まるで死人の様な顔をしている男がこちらをじっと見つめていた。


「な、なんですか……?」


直哉がそう問いかけたと同時に、直哉の後方から同じような恰好をした人間が数人やってくる。


こいつらが自分を追いかけまわしていた奴らなのだろうか?ストーカーが複数人いるなど芸能人以外ではありえないと思っていたが……すると次の瞬間、目の前で自分の手を掴んでいる人間がポケットに手を突っ込んだ。男がスタンガンを取り出すと同時に後ろにいる男たちも直哉を羽交い絞めにした。


まずい。直哉の頭の中では警鐘が鳴り響いていた。こいつらストーカーなんてものじゃない。誘拐だ。とっさに腕を振り払おうとするが男の力は強く振り払えない。そのまま身体に電流が走るのを覚悟したその瞬間、目の前にいたスタンガンを持った男の姿が宙に浮いていた。


「え?」


いや、宙に浮いたのではない。正確には投げ飛ばされたのだ。投げ飛ばされた男はそのまま頭から地面に落ちる。どしゃっと何かが潰れるような嫌な音がした。次の瞬間、直哉の横を何かが通り過ぎた。


あまりに速度が速く影のようにしか見えないそれは直哉を羽交い絞めにしていた男たちの後ろに回り、首筋に鋭く手刀を入れる。土くれの様に倒れる男たち。直哉の身体は男たちの拘束から急に解放され、地面に前のめりに倒れた。


「うわっ」


何とか両手で体を支える。助かったのか?そう思ったその時、頭上から呼びかけられた。


「ねえ、君。伊吹直哉?」


「え?」


凛とした声だった。その声に釣られて顔を上げ、自分の前に立っている人間の顔を見る。多少野球帽に隠れているが、銀髪の長い髪は腰の辺りまで伸びている。端正な顔立ちと琥珀色の瞳は見るもの全てを魅了するほどの美貌を携えていた。綺麗だ。そんな声が出そうになるほど直哉は目の前にいる同年代程の少女の顔にくぎ付けになっていた。


「ねえ」


「は……?」


彼女の声で現実に引き戻される。そうだ、自分は今ストーカーから逃げてて、でも誰かに助けられて……助けてくれたのはこの子?この子は誰なんだ……?


「返事して、君は伊吹直哉?」


「は、はい!」


有無を言わせないような彼女の声にとっさに返事をしてしまう直哉。すると彼女は1つ頷いて直哉の手を握ると


「じゃ、行くよ。手、離さないで」


自分の手を握りしめたまま大通りに向かって駆け出した。さっきの男とは違い、きちんと血が通っているような温かさを感じた。何もわからない状況だが、ただその手を離さずにいることしか出来ない直哉はそれに釣られ目の前の少女と大通りに向かって駆け出した。


こうして伊吹直哉の平凡な日常は、突如終わりを告げた。


~続く~

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