1章 3話 日常の終わり
伊吹直哉は全速力で走っていた。何が何だかわからない。
最初はストーカーに狙われているのだと思っていた。だが、自分を狙っていた連中はストーカーなどではない、複数人の誘拐犯で、誘拐されかけた正にその時、今、自分の目の前を走っている少女に助けられた?
「大通りまで行くからそこまで全速で走って」
謎の少女が直哉にそう話しかける。直哉は有無を言わさずただうなずくことしか出来なかった。
大通りに出るには今走っている道を真っすぐ300m程行けばすぐそこだ。直哉がそう頭の中で計算を終えた時、後ろの脇道から先ほどと同じ姿をした人間が飛び出してきた。あれも誘拐犯の仲間なのか!?誘拐犯は何人いるんだ!?
直哉は自分が誘拐されるほど価値がある人間だと今まで一度足りとも思った事はなかった。誘拐というのは金銭目的などが主であって、一般家庭、しかも自分の様な身寄りもない一人暮らしの男子学生をターゲットにする誘拐組織などニュースでも見たことがなかったからである。
ところが今はどうだ。何人もの連中が自分と前にいる少女の事を追いかけてきている。本当にあいつらは誘拐犯なんだろうか……?そんな思考が直哉の頭を過った。
「前からも来る」
少女の声が直哉の耳に届く。目の前の大通り側から2人の人間がこっちに向かってきていた。挟み撃ちにしようというのか。この道は細い路地だ。挟まれたらどうしようもない。
このまま追手につかまるという最悪の未来が目の前に浮かんだ。だが直哉の目の前にいる少女は走るスピードを落とさず、腰に下げたカイデックス製のホルスターから拳銃を取り出す。
チェコスロバキア製のCZ75自動拳銃のコンパクトタイプであるCZ2075自動拳銃だ。彼女はそれを前方の追手に向かい何のためらいもなく発砲する。住宅街に2発の銃声が響く。倒れる追手。少年の目は驚愕で見開かれていた。
「それ……!本物……!?」
「大丈夫、元から死んでるから」
少年の声に冷静に答える少女。自分が射殺した追手の亡骸を軽々と超えていく。少年は亡骸を避けようとしたが少女に手を取られている関係上、どうしてもその上を通らなければならない。
少年は勢い余り、地面に倒れた身体を踏んづけてしまった。ぐにゅっという何とも言えない不気味な感触が靴の裏から脳天まで伝わってくる。そして直哉と少女は大通りに飛び出た。
買い物客や会社帰りのサラリーマン、クラブ活動が終わり、帰宅する学生連中などの間をすり抜けながら走る。ふと歩道の横、片側3車線の大きな車道を見るとこちらに向かって黒いSUVが近づいてくる。
これも誘拐犯の一味か……!?思わず身構えた直哉だが、少女はそのSUVを見て足を止める。直哉たちの横に停車するSUV。フォルクスワーゲンのタイグンだ。タイグンの後部座席が自動で開く。
「乗って」
少女の声に従い直哉は車両の後部座席に乗り込んだ。運転席を見ると白人で短髪に筋骨隆々とした男性が座っている。直哉が後部座席に座ったのを確認した少女が助手席に乗り込んだのと同時にタイグンは発進した。道路の車線の流れに乗り、徐々にスピードを上げていく。
直哉が後方を確認してみると、先ほどの誘拐犯らしき連中の姿は見えなくなっていた。車は5分ほどそのまま幹線道路を走ると、やがて首都高速湾岸線へたどり着いた。そこまで来てようやくさっきまで激しく鼓動を鳴らしていた心臓が少し落ち着いたと同時に、次は違う懸念が直哉の脳内を支配するようになっていた。
助手席に座る少女の指示通りにここまでやってきたが、そもそもこの人たちは何者なんだ……?まさかこの人たちも誘拐犯の一味で今までのは自分を信用させるための罠だったのでは……?一度噴出した不安はたちどころに脳内の隅々にまで浸透していく。そんな直哉の不安を悟ったのか、ハンドルを握る白人の男性が口を開いた。
「いや、こんなやり方になって済まない。伊吹直哉くん」
流ちょうな日本語だ。名前を呼ばれた直哉が男性の方を向く。
「心配しなくても大丈夫だ。我々は一種の……政府機関だと思ってくれればいい。最もこの国の組織ではないが。我々は君を保護する為に来た。この子もだ」
男性は助手席に座る少女を顎で指しながら言葉を続けた。
「とにかく君に危害を加える様な事はしない。安心してくれ」
男性がそう言うと、再び車内は沈黙に包まれた。車内に響くのはカーラジオから流れる音楽とエンジン音のみ。直哉は今の言葉を信じるべきかどうか判断が付かないでいた。政府機関……?政府機関がどうして自分の様なただの高校生を何のために保護するのかが検討がつかない。自分は今、『何』に巻き込まれているんだ……?
ぐるぐると脳内を疑問が駆け巡っている。危害を加えるのではないというが、確証はあるのか。いっその事自分から何か聞いてみるか。意を決し、運転席に座っている男性に向かい口を開こうとする。
「後ろから付かれてる。3台後ろ。黒のセダン」
直哉より早く、助手席の少女が口を開いた。
「マジか、クソ……しつこい連中だ。諦めってものを知らねえのか」
運転席の男性がそう口にすると後ろを振り返り直哉に向かってこう言った。
「あ~……済まない伊吹くん。君の座席の後ろにある大きい黒いケースを取ってくれないか?」
その言葉を聞いた直哉が座席の後ろのトランクスペースに目をやる。確かにトランクには長方形の黒いトランクケースが置かれていた。今ここで彼らに逆らってもロクな事が起こる気がしない。
直哉は言われたとおりにしようと後部座席からトランクに身を乗り出し、ケースを持ち上げた。重い。想像以上の重さだ。ケースの中に何が入っているんだ?5㎏か6㎏ぐらいはあるのではないか。片手では持ちきれないので両手を使い、それを前の座席にやる。
「ありがとう」
運転席の男性が直哉に感謝を告げた。しかしそのケースは直哉に声を掛けた男性ではなく助手席の少女が受け取った。少女がロックを解除しケースを開ける。
中に入っていたのはドイツ、ヘッケラーアンドコック社製のG36Kアサルトライフルだった。ドイツ連邦軍が正式採用している小銃のカービン版。分解された状態でケースに入っていたそれを少女は慣れた手つきで組み立てていく。
弾丸が目視出来るように半透明となっているマガジンを本体に差し、コッキングレバーを引く。これでこの鉄の塊は殺傷力を持つ「武器」となった。
後部からそれを見ていた直哉は思わず息を呑む。本物なのだろうか?いや、さっきの拳銃は本物だった。ならばこれも……今まで直哉に取って「銃」とは映画やドラマの中にしか出てこないどこか非現実的じみたモノと考えていた。では今の状況は夢?それとも現実?
「今から少し揺れるからシートベルトしておいてくれよ?」
男性の言葉を受け、我に返った直哉はシートベルトを着用する。屋根のルーフが開き、少女がそこから半身を乗り出した。手にしているG36はすでにセーフティーが解除され、セミオートの一にセレクターがセットされていた。ストックを肩に付け、ハンドガードに左手を添える。
「おい、やるぞ!民間車を撃つなよ!」
男性が声を張り上げた。次の瞬間、サイドブレーキを重いっきり引きタイグンの車体を180度スリップさせる。車内の直哉の身体は激しい横Gに襲われた。車体の向きが逆転した。
それと同時に運転席の男性はギアをバックに入れ、そのままの状態で走行を続ける。車体の向きが180度回転したことでルーフ上の少女が持つG36の光学照準器に追手の車両が入り込んだ。
少女はふっと息を吐きだすと同時に軽く引き金を引く。轟音と共に銃口から5.56㎜NATO弾が追手の車両に向かって飛び出す。放たれた弾丸は車のフロントガラスを突き破り、運転手の眉間に命中した。自らの主を失った車両はその2m程横にいた仲間の車両に向かって突進する形となり、2台が高速の壁に叩きつけられる。
2台やった。最後の1台に少女は銃口を合わせる。引き金を引く。銃口から熱気が溢れ、空薬莢がルーフの上に転がり落ちる。やがて最後の1台も先の車と同じ運命を辿った。
3台の哀れな車両の末路を見届けたタイグンは再び180度回転し、元の状態に戻る。車両の向きが元に戻った。男性はギアをドライブに入れ何事もなかったかの様に運転を再開する。
ルーフから少女が助手席に戻り、G36を直哉に渡す。銃口の辺りから熱気が漂ってくる。やはりまぎれもなく本物の銃だ。思わず息を呑む。日本で民間人が銃を持つには相当な手続きが必要なはずだ。しかもこんな、連射が可能なライフルは所持が不可能なはず。この人たちは一体何者で自分をどうしようというんだ......
「しかし君は凄いな」
運転席の男性の声が車内に響く。
「え……?」
直哉は一瞬、運転席にいる男性が誰に話しかけているのかわからなかった。だが男性はそんな事お構いなしとでも言うように言葉を繋ぐ。
「正直俺が君の立場なら今頃泣きわめいてると思うんだがな。いきなり拉致られた挙句銃撃戦にまきこまれるなんて。この状況で冷静でいられるなんて『フォート・ブラッグ』だと成績優秀者間違いなしだ」
冷静……?違う。理解できていないだけだ。人は理解の範疇を超える現象に遭遇すると自らの思考を停止させ、脳内のキャパシティが溢れないようにする。ただそれだけの話だ。
直哉がそう考えると、途端に脳裏に学校から出た後に起こった出来事がフラッシュバックした。誘拐組織らしき人物たちに追われていると思うと、謎の少女に助けられ、その少女が目の前から走ってくる人たちを射殺した……射殺?人が殺された?目の前で?
そうだ、そのあと自分はその死体を踏んづけて……直哉の脳裏にあの何とも言えない感覚が蘇る。その瞬間、心臓が跳ねた。吐き気が身体を襲う。
殺人事件を目撃してしまった挙句あろうことかその死体を踏んずけてその場から逃亡してしまった。今まで生きてきた中で『殺人』という社会における最大のタブーなど一度も関わった事が無かったのに。
本能的な忌避感と罪悪感が直哉の心を締め付ける。やがて直哉の視界は徐々にぼやけ、最後には何も見えなくなってしまった。
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