第138話 強い組織
「そんな……」
佐三がひとしきり説明すると、イエリナが呟く。佐三はじっとイエリナをみつめている。
「嫌よ、絶対に嫌」
「……イエリナ、落ち着け」
「落ち着けるわけない!」
イエリナが大声で言う。彼女が感情的になるのも無理はなかった。
「どうして?町を放棄する?そんなことできるわけがない」
「イエリナ様……」
鋭く佐三を睨み付けるイエリナに、ナージャがそっと袖を引っ張った。しかしイエリナはそんなこと気にする余裕もなく、怒りを露わにする。
「どうしてそんなすぐに諦められるの?この町を……」
「……イエリナ」
佐三が静かな声で名を呼ぶ。しかしその低く強い一声は鋭くイエリナの耳に届き、イエリナを一瞬にして黙らせる。
「今話しても埒があかない。……後で俺の部屋に来い。そこで話し合おう」
佐三はそうだけ言うと立ち上がり政務室を後にする。ベルフは黙ってその後ろを歩き、女性陣だけが政務室に取り残された。
「イエリナ様……」
アイファが黙ってイエリナの手をとる。その強く握りしめた手はかすかに震えていた。
「サゾー、本気でこの町を放棄するつもりか?」
廊下を歩く最中、ベルフが質問する。
「別に反論する気もないが……。これだけ発展させた町をむざむざ捨てるのはどこか勿体ない気がしてな」
ベルフの思いは十分理解できる。むざむざ放棄するにはあまりにも惜しいほどにこの町は発展した。発展を目にしてきた身として、何よりその発展に多大な貢献と努力をした者として、ベルフに思うところはあるだろう。
それにこの町は地理的に重要な位置にあった。川の合流地点のそばにあり、交通網の要所でもある。南北には森があり、北方は森の先に山脈が、南は非常に深い森が広がっている。戦争の防衛的観点から言えば、重要拠点になることはまず間違いない。
「だが問題はこの国が勝つ気があるのかって言う話だな」
サゾーが説明する。
「この国はあまりにも国としてのまとまりに欠けている。皆この国を守るために戦おうなんて思っていないだろう。それはきっと領主レベルでそうだ。どの領主も自分の命をかけてまで戦う気はない」
「それは……そうだな」
「集権化ができていないこの国のシステムは、そもそも国家戦争において致命的だ。それに先程王国の軍隊は馬鹿みたいに兵を減らした上に、同時に国全体の戦意を下げてしまった」
「負けたことで兵士達の士気が下がったと言うことか?」
「そうだ。もっと言うならばこの国の国民全員のだ。誰だって死にたくないし、強い相手に挑みたくもない。生かしてもらえるなら、戦わずに降伏する」
「なるほどな」
ベルフ自身、佐三の指摘には同感であった。かつて故郷で狩りをしていたととき、連携と言うものが如何に重要かを身をもって理解している。
集団の意識が同一されていなければ、人数が多くても大した成果を出すことはできない。ベルフが率いていた十数頭ですらそうなのだから、それが何百、何千となれば当然である。
「ではサゾー、この町の人間で戦うというのはどうだ?」
ベルフが尋ねる。
「王国の軍隊、それは最早役には立たないだろう。しかしこの町にいる連中で戦えば、守ることはできるのではないのか?」
「命を賭けてまでか?」
「いずれにせよ殺されるのだ。関係はあるまい」
ベルフの言葉に佐三は静かに首を振る。
「問題はそこだ」
佐三が続ける。
「殺されるのは獣人だけだ。ハチの報告にもあった」
「……そういうことか」
「そうだ。この町には人間だっているし、最近はその割合も増えた。となれば獣人と人間では戦いに対する意識が違う」
「必然的に殺される獣人と、降伏すれば命が保証される人間……下手をすれば裏切る人間が……」
「その通り」
佐三は頭をガシガシとかきながらそう肯定した。企業組織のありかたは、その組織の目的にしたがって自由にあってもいい。しかし戦争は違う。これまでの戦争の歴史から、強い軍隊というものがどうなのかはある程度科学的に証明されていた。
(強い軍隊に必要なもの。色々あるだろう。鉄の規律、迅速な意思伝達、統一された思想……いずれにせよ集団凝集性は高い方が良い。集団がまとまり、一人の個人のように動ければ、それは最早最強の軍隊だ。だがこの町にはそれを作りだす要素が何一つ無い)
佐三はこの町の属性を思い起こす。多民族どころか他人種があつまる町だ。獣人と人間が入り交じるこの町に、統一された動きなどできるはずがない。
加えて賊退治の経験はあっても、戦争の経験は無い。自分よりも強い相手に立ち向かうのはそれだけでも難しい。だからこそナショナリズムというものはあれだけの力を持ち得たわけだし、世界最強のアメリカ軍は世界屈指の愛国者達の集まりなのである。
(イエリナのリーダーシップがあったとしても、人間達がついてくるかと言われると難しいしな)
佐三はそんな風に考えていた。
「しかし放棄したとして、獣人はどこへ逃げるのだ?」
ベルフが尋ねる。それは至極まともな意見ではあった。
「北にあるタルウィの拠点、あそこは一つの候補だ。森の中で見つかりにくいし、何より備蓄がある。何割かは助けてくれるだろう」
「他の連中は?」
「後は森の中に逃げるか、もしくは更に西へと居住地を動かすか」
「何だ、考えていないのか」
「そんな何でも答えを出せるほど、俺は便利じゃねえよ」
「今回ばかりは随分と気弱だな。しかしいずれにせよこれまでのような生活はできぬわけか」
ベルフの言葉に佐三はお手上げとばかりに両手の平を見せる。死ぬよりはマシだ。佐三はそのぐらいに思っていた。
「なあ、サゾー。もう一つ聞いて良いか?」
「なんだ?」
「もし仮にだが、この町が一致団結して戦ったら、お前は勝てると思うか?」
ベルフの質問に佐三は窓の外をみながら考える。広場ではアイファの弟を始め獣人と人間が入り交じって遊んでいた。
「分からん」
佐三はそう言って再び歩き出す。そもそもそんなことはできっこないのだ。考えるだけ無駄である。
平時にできることが、緊急事態においてもできるわけではない。いや、むしろできない確率の方がはるかに高い。それは企業であっても軍隊であっても、一つの町であっても同じ事である。
(もしできるとしたら、何か根底で信じることのできるものがあったときぐらいだろうな)
佐三はここで企業理念の重要性を再認識する。いつか無事あの世界に帰ったら、そこを教訓にしよう。佐三はそう思った。
しかし結局の所、松下佐三がかつての企業を再び率いることはなかった。
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