第136話 予想と想定







「サゾー!」


 勢いよく医務室の扉が開かれる。息を切らしながらこちらを見るイエリナの様子から、彼女が相当に焦っていたのがよく分かった。


「なんだイエリナ。外に出ていたと聞いていたのに随分と早かったな」


 佐三は笑いながら言う。しかし医者が消毒をすると「痛てて」と悶えていた。


「まあ、そこに座れ。サゾーも無事だ」


 扉付近の壁際で椅子に深く座っていたベルフが隣の椅子を指さす。イエリナは黙って腰を下ろした。


「どこまで聞いた?」


 ベルフが尋ねる。


「港町で、撃たれたと」


 イエリナが小さい声で話す。しかし先程よりかは落ちついており、呼吸も整っていた。


「事実だ。だが最低限の処理は済んでいる。見ての通りだ」


 ベルフはそう言って顎で佐三の方を指す。佐三は「痛てててて」とわめきながら医者の治療を受けていた。


「実際のところ、どうなのですか?」


 処置が一段落すんだところでイエリナが医者に尋ねる。イエリナも昔からお世話になっている町一番の医者だ。猫族でありながら王都の方に出向いて勉強もした。


 この医師は既に50を超えていたが町の誰よりも精力的に働いていた。


「おそらく、今すぐにどうこうなるということはないでしょう」


 医者の落ち着いた声に、イエリナもほっと息をつく。佐三の態度だけでは彼が我慢している可能性もあったが、彼が言うのであれば安心できた。


「しかし、銃弾を取り出せていません。できるだけ早く手術したいのですが……」

「……なにか問題が?」


 イエリナが不安そうに尋ねる。すると服を着終わった佐三が口を開いた。


「俺が話そう。イエリナ、落ちついて聞いてくれ」


 佐三が一呼吸置いて続ける。


「……戦争がはじまる」

「へっ?」


 イエリナはその言葉の意味を飲み込めず、ただ呆然としていた。
















「これはあくまで、俺の考えでしかない。それを踏まえた上で聞いてくれ」


 佐三はそう前置きを置いた上で説明をはじめる。ベルフも医者もイエリナも、ただ黙って聞いていた。


「まず東の港町が襲われた。これは確定事項だ」


 佐三がベルフの方に視線を送る。そして佐三の視線受けてベルフが証言する。


「ああ。俺も見た。見知らぬ銃をこれでもかと撃っていた」

「だが何故いきなり撃ったのか、その必要があったのかはわからない。合理的じゃない行動だが、その説明ができるわけでもない。ただ幾つか特徴的なことがあった」


 皆がついてきていることを確認して、佐三は話を進める。


「まず統一された制服だ。彼等は全員が軍服を着ていた。この辺の兵士が着ける鎧のようなものではない。次に新型の銃だ。ベルフも言っていたが、この辺で見かける質の悪い銃とはわけがちがう。威力も連射性も桁違いだ」


 佐三の言葉にそれぞれは黙り込む。ネガティブな情報に対して、すぐに何かを言うことは難しい。


「それで、これからどうしますか?」


 イエリナが尋ねる。佐三は顎に手をあてながら答えた。


「まず相手の動向を予想しよう。多分……多分だが、あいつらは内陸部にも侵略はしてくる」

「そんな……」

「王都に連絡用の早馬を送った。一応王都軍や大領主の軍が動きはするだろうが……実際は分からない。それに彼等の軍団で勝ち目があるとも思えない」

「それほど、強力なのですか?」


 イエリナが心配そうに尋ねる。


「強力……かどうかはさておき、王都の軍団では勝ちにくいだろう」

「……」

「まず武装の違いがある。相手の方が、武器が強力だ。だがそれは決定的な差にはならない。基本的に防衛側は攻撃側よりも有利だし、それに向こうもそんな大人数を連れてきてはいないだろう」

「じゃあ……」

「それでも此方の国軍は弱すぎる」

「っ!?」


 佐三の言葉にイエリナは口をつぐむ。


「しばらく戦争もしていないだろう。フィロを王都から連れ去るとき、追いかけてきた王都軍はベルフに傷一つつけられなかった。その程度の練度じゃ勝負にならない。……まあ、フィロの母親の親衛隊はけっこう手練れだったがな」

「…………」

「それに領主も協力するか分からん。王都があの体たらくじゃ、領主も好き放題やるだろう。となると向こう方に寝返る連中もいるかもしらん。だとすれば大した人数がいなくても、支配することは可能だ」

「………」

「それで最初の質問だが、これからどうするって話だったな?まず、手術は延期だ。そんなことをして侵略された日には逃げることもおぼつかない。事が落ち着くまで最低限の処置で済ます。……まずは情報収集をしよう。ベルフ、頼めるか?」

「分かった」


 ベルフの返事を聞くと、佐三は次にイエリナの方を向く。


「イエリナ」

「はい」

「お前は町の皆が不安がらないようにしてくれ。もうすぐ噂が広まるだろう。俺が今言った話も、他言はなしだ。あくまで可能性だし、人はどうしても最悪のシナリオを想定してしまう。それじゃパニックになるばかりだ」

「分かりました」

「それと、ハチが戻ってきたら俺の所に来るように伝えてくれ。最低限の準備をしておきたい。アイファとフィロ、チリウには……また俺から詳しく話す」

「……いや、その必要はなさそうだぞ。サゾー」


 ベルフの言葉に佐三が顔を上げる。ベルフはおもむろにドアの所まで歩いて行くと、素早くドアを開けた。


「「「うわぁあ!」」」


 政務室の面々がなだれ込むように入ってくる。入るというよりかは倒れ込むと言った方が正確だが。


「……まったく、お前達は」


 聞き耳を立てていたのだろう。アイファ、チリウ、フィロそしてハチまでもが倒れ込みながら恥ずかしそうに笑っている。佐三は呆れながらそれぞれをみつめた。


「私もいるよ!」

「わかった、わかった。だから聞き耳をたてていたことを誇るんじゃない、ナージャ」


 ナージャは「えへへ」と可愛らしく笑いながら佐三が腰掛けているベッドに近づき、隣に腰を下ろした。


「サゾー様、大丈夫?」

「ああ。問題ないよ」


 佐三はそうやってナージャに笑いかけ、頭をくしゃくしゃと撫でる。他の女性陣もそれを見てほっとした表情を浮かべた。


「しかし何だって聞き耳を?入ってくれば良いものを」

「だって、何か入りづらそうで……って、ハチさんが」

「わ、私は言ってないぞ、アイファ!」

「まあ、良かったじゃないの。サゾーも無事なんだし、それに撃たれたぐらいだし」

「チリウさん。人間は撃たれたら、普通ただ事じゃないんですよ……」


 一転して賑やかになる医務室。佐三はそれを見て笑いながらも、喧噪をよそに別のことを考えていた。


 最悪の想定は人間をパニックに導く。しかし経営者はそのリスクを直視しなければならない。


(杞憂に終わればいいが……、もしもの場合は……)


 佐三は窓の外へと視線を移す。今日もこの町は賑やかに華やいでいた。






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