第135話 歴史の中の必然


 



 港町は一転、地獄へとなりかわっていた。少し変わった衣服を纏う男達が港を闊歩しながら思い思いに銃火器を撃ち込んでいく。町は悲鳴の渦に飲まれ、多くの人が倒れていった。


「サゾー!!」


 ベルフの大声が響く。佐三が腹に銃弾を食らったことは一目で分かった。ベルフはすぐに敵の方へと牙をむき、今にも反撃せんと足に力を入れる。体がビキビキと音を立て変化し始めた。


「止めろ、ベルフ」

「っ!?」


 佐三の言葉にベルフの体の変化が止まる。


「仕返しは後でいい。とにかく盤面を落ち着かせたい」


 佐三は至って冷静にそう言った。


「俺はどうすればいい?」


 ベルフが尋ねる。


「俺をかついで下がれ。そして一段落したら止血……いや、すまない。これを借りるぞ」


 佐三は先程商人が魚を焼くために使っていた七輪のようなものに手を伸ばす。中の炭を動かすための鉄の棒だろうか。火にかかっていたその棒を取り、熱されていた部分を自らの傷口にあてた。


「ぐあっっ……」


 肉が焼ける匂いがする。見よう見まねであり、正しい処置かも分からなかったが、結果的に傷口が塞がった。焼灼止血法である。


「サゾー、何して」

「見りゃわかんだろ、焼いて塞いでるんだ。とにかく消毒がしたい。ベルフ、動けるか!」


 アウォォォォオン!


 佐三の言葉よりも早く、ベルフは吠えていた。服を破りながら、その体は大きな銀狼へと姿を変えていく。佐三はハンカチを傷口に当てた。


「これは……いったい……」

「商人!あんたも身を隠していろ。俺たちは失礼する!」


 佐三が手早くベルフに乗ると、ベルフは一目散に駆けだしていく。


 佐三は痛みに堪えながら騒動の元凶の方へと振り返る。そして遠ざかっていくその地獄のような景色を自らの目に焼きつけた。
















「何だったんだ、あれは?」


 近隣の村で一息付けると、ベルフが呟く。佐三は小さな酒場で小瓶一つ分程度の強い酒を購入する。そしてそれを患部に当てることで消毒し、歯を食いしばって痛みを堪えた。


「大丈夫か?」


 ベルフが心配そうに聞いてくる。


「なんだ、お前。こんな時に随分と献身的じゃないか」


 佐三が茶化すように言う。しかしベルフはその真剣な表情を崩そうとはしなかった。


「ところでさっきの質問だ」


 佐三が話す。


「あれは少なくとも賊じゃない。多分……軍隊だな」

「っ!?」

「それも領主とかそういうちんけなものじゃない。れっきとした国家の軍隊だ」


 佐三の言葉にベルフの目つきが鋭くなる。


「俺が撃たれたのは、多分ピストル。短銃だ。お陰で未だに死んではいない」

「……笑い事ではないぞ。柔なお前の体では、それでも十分に致命傷になりうる」

「確かにな。それに、死ぬほど痛いことには違いない」


 佐三はそう言って笑う。しかしその額には脂汗が流れ、とても余裕があるようには見えなかった。


「だが問題はあいつらの格好だ」

「格好?」

「ああ」


 佐三が続ける。


「あれを見ただろ、全員が統一した服装をしていた」

「それがどうした?」

「いや、ね。どうも俺が知っている服装に似ているのよ。もっとも教科書でしかみたことないけど」


 佐三はそう言って彼等の様子を思い出す。彼等は鎧など身に纏わない。その代わりに軍帽と、灰色の軍服を着ていた。


(俺の嫌な予感が当たれば、あれは近代式の軍隊だ。官僚制による合理性と効率性が追求された集団。装備から見るに19世紀ぐらいのレベルか?奴らがもっていたのはこの土地で主流の単発式の銃みたいなちんけな代物じゃない。俺に撃ち込んだものはピストルと呼べる代物だったし、普通にその後何発も連続で撃ってた。……ライフルを撃たれなかったのは不幸中の幸いだってのか?)


 自然と乾いた笑いが出てくるのも無理はなかった。だが、それも無理はない。佐三自身、この世界で時計の針を進めているという高揚感があったのだ。自分が歴史を動かしているという言い難い興奮。それに酔っていた。


 だがしかし、現実は甘くは無い。蓋を開けてみれば、別の土地ではさらに時間が進んでいたのである。自身の試みがどこか空虚なものに感じられた。


(産業革命に宗教改革。そんなことを言っている間に他の地域では帝国主義が始まったってか。周回遅れにも程があるぜ)


 勿論この世界の情勢がどういった形で動いているかは分からない。しかし少なくとも海の向こう側で一世紀ほど技術が進んでいることは間違いなかった。時代の麒麟児を気取っていたつもりが、とどのところつまり井の中の蛙であったのである。


(とんだ黒船だよ……クソッ)


 佐三は痛みに堪えながらこれからのことを考える。いずれにせよ戦禍が来る。というよりは一方的な侵略だろう。戦いになんてなるはずがない。装備を少し見ただけでそれが理解できた。


「サゾー……」


 ベルフが心配そうに聞いてくる。きっと自分が珍しく気の沈んだような表情をしていたからだろう。トップの不安は瞬く間に周囲に伝播する。佐三はまた一つ自分の中で反省した。


「いずれにせよ。これで一時的な処置は済んだ。お前も服を破っちまったし、その姿で帰るほか無い」

「わかった」


 ベルフはそう言うと姿勢を低くして佐三が乗れるようにする。佐三はゆっくりと痛みに堪えながらベルフの上に乗る。ベルフの上に乗ると佐三は大きく深呼吸をして心を落ち着けた。


「さあ、頼む」


 ベルフは黙って動きだす。いつもよりその動きは静かで、揺れが少ないように感じられた。


(しかし考えてみれば、必然的なことか)


 佐三は荒れる息の中でどこか達観したように口角を上げる。これまでの歴史において、戦争のなかった時期の方が圧倒的に短いのだ。現代が、そして日本が平和であっただけである。常に世界は弱肉強食であり、その最たる例が暴力、つまりは軍事であった。


(しかし起きたことは仕方ない)


 佐三は思考を切り替え、今後のことを考える。まず最優先事項は町に帰り、処置を施すことだろう。この世界でも外傷に対する対処はそれなりに進んでいる。後は佐三の知識を駆使して、なるべく感染症を起こさないようにすれば良い。見たところ出血はかなり収まっているし、銃弾が当たったところも急所を外れている。


(銃弾は貫通していないみたいだな。まあ弾が体に入ったまま何十年も生きたって奴もいるし、それに……)


 佐三はここに来る前に訪れたあの遺跡を思い出す。あの門を開き、その先に行くことができるのだとすれば佐三にとっての全ての問題は解決する。銃弾の件も、戦禍の件も。平和な日本で、最新式の医療をもって弾を取り除いてもらえば良いのだ。


 しかしそれは問題の本質的解決ではなかった。それはあくまで佐三の話であり、この世界の問題は解決などしない。おそらくこの国はあっというまに飲み込まれるだろう。その先に待つのは植民地という名の隷属か、はたまた国そのものの滅亡か。いずれにせよ町や住人が今まで通りとはならない。


(……馬鹿野郎!何考えてやがる!)


 佐三は軽く自分の頬を叩く。


(クソッ。一瞬戦禍に飲み込まれる町の姿を想像しちまった)


 佐三は頭を振り、自分の懸念を打ち消していく。そんなことはどうなるかは分からない。それに佐三の知るところでもない。自身はもとより、この世界の住人ではないし、この世界に拘泥する理由さえもないのだから。


 だったらそんな余計な想像をする必要などない。経営者に必要なのはリスク管理であり、悲観することではないのだから。


(商人としての合理性すら失いかけてたとはな……。ある意味ではこの不始末も当然の結果かも知れない)


 佐三はそんな風に考えながら自らの甘さを噛みしめる。傷口が少し開いた気がした。


 しかし痛むのは腹部などではない。佐三はその程度の痛みは我慢できた。


 ただ胸の部分、心臓の奥の部分が、不思議と締め付けられる気がしていた。










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