第167話、理由

 一瞬、視線を感じた。ただの視線ではなく、敵意の籠った視線を。

 その感覚に従って顔を上げて気配を辿ると、謁見の時に見たお爺さんが居た。

 ただし今は私に目を向けておらず、その視線はリーディッドさんに向いている。


「―――――」


 ただその目は、敵意どころじゃなかった。あの目は殺意の目。

 何度も何度も見た事の有る、私を食らおうとした魔獣達と同じ目だ。

 謁見の時も厳しい目をしていたけれど、今日の彼の目からは正気を感じない。


『随分な表情だな。謁見の時はあれでも抑えていたという事か』


 ガライドの言う通り酷い表情だ。

 そんな目で彼女を見ている。つまり、あの人は、敵だ。

 でも落ち着け。同じ失敗を何度もしちゃいけない。


 お爺さんが何もしていない以上、私は手を出しちゃいけないんだ。

 もし勝手にお爺さんを倒してしまえば、きっとみんなに迷惑がかかる。

 だから抑えよう。私の中のこの気持ちを。あの人が、間違い無く、敵だとしても。


「・・・グロリア嬢、どうし―――――なるほど」


 撫でる手を止めた私を不審に思った様で、メルさんが顔を上げて声をかけて来た。

 ただその言葉は途中で途切れ、私の見ている物を理解した言葉を口にする。

 つまり彼の目から見ても、あのお爺さんが敵に見える、という事なのだろう。


「父の前では多少抑えているが、父以外の前では隠す気が無いな」

「・・・そうなん、ですか?」

「ああ。父は魔獣領を国にとって必要な場所だと思っている。魔獣領を治める家も。だからこそ手放す気は無いし、最低限の義務を課している。それ以上は離反すると考えてな。故に利の通らない意見や感情論は全て切り捨てられる。平静を装わなければ話を聞かんのさ」

「国王様は、リーディッドさん達を、必要と思ってるん、ですね」

『この男の言い分が正しいのであれば、だがな。本人の言でない以上、真実は解らんぞ』


 確かにガライドの言う通り、本人の言葉じゃ無い以上違う可能性はある。

 けどメルさんが言うのだから、ある程度信じられる言葉だと思う。

 いや、私がそう思いたいだけかも。きっとガライドの言葉が正しいのだろうな。


 何て思っていると、リーディッドさんがふと私の視線を追った。

 そしてお爺さんと目が合うと、お爺さんの顔は更に険しくなっていく。

 少ししてお爺さんは視線を外し、いかにも怒っている様子で去って行った。


 姿が見えなくなった所で視線を戻すと、リーディッドさんはつまらなさそうな表情だった。

 彼女の眼には敵意の類は無くて、ただただ下らないものでも見ている様子だ。

 けれど私と視線が合うと、何故か気まずそうな様子で目を逸らした。


『グロリア。少し気になる事がある』

「気になる事、ですか?」

『ああ。リーディッドにあの男との関係を訊ねてくれないか』

「わかり、ました。メルさん、ちょっと、離れますね」

「ああ」


 メルさんに声をかけてから、ガライドの指示通りにリーディッドさんの元へ。

 彼女は近付くと少し首を傾げ、けれど一瞬ガライドを見て何かに気が付いた様子を見せる。


「あのジジイとの関係性でも気になりましたか?」

「あ、えと・・・はい。ガライドが、聞きたいと」

「そうですか。まあ、そうでしょうね。あのジジイの言い分をもし聞いているのであれば、私の事を信用出来なくなるでしょうし。私の言い分も聞いてくれるのは助かりますよ」


 彼女はガライドを見つめながらそう言って、小さな溜息を吐いてから私に目を向ける。

 リーディッドさんを信用できなくなるなんて、そんな事絶対ないと思うけどな。


「これから話す事は・・・私にとっては事実で真実です。ですがあのジジイにとっての真実は違います。そして終わった事である以上、どれが真実かを証明する術は有りません」

「真実の、証明、ですか?」

「ええ。人の話す事なんて、幾らでも詐称できてしまう。真実を話しているつもりでも、そう思い込んでいるだけの事もある。だからこれは、あくまで私にとっての言い分です」


 彼女にとっての言い分。お爺さんにとっての言い分。

 それは同じ事を喋るのに、別の意味になってしまうのだろうか。

 少し難しい。事実は事実で同じ事のはずなのに。


「ふふっ、混乱させてしまいましたか? すみません。ですが語る事が必ず真実とは限らない、嘘をついているか思い込みかもしれない可能性がある、という事を覚えておいて下さい」

「はあ・・・わかり、ました」


 何となく納得は行かなくて、でもそれを上手く説明出来ないので頷いて返す。

 彼女はそんな私をクスクスと笑いながら、少し冷たい目をお爺さんの去った方向へ向けた。


「私にしてみれば、あのジジイの恨み事はただの逆恨みです。本人の身から出た錆で被害を被っただけだというのに、目の敵にして攻撃して来る面倒臭いジジイです。いやまあ、それ以前から面倒臭いジジイではあったんですけどね?」

『逆恨み、か。ふむ・・・』

「あのジジイの息子孫は魔獣領で亡くなりました。亡くなった方を余り悪く言うのは気が引けますが、彼等は亡くなって当然の事をしたんです。それをこちらのせいにされても困りますね」

『死んで当然とは、どういう意味でだ。悪事か、それとも行動自体か』


 リーディッドさんの言葉に、ガライドは更に問いを投げかける。

 とはいえ聞こえていないので、同じ事を私が聞いた。


「簡単な話ですよ。自分が連れて来た兵士を伴って魔獣領の森に入った。溢れの時期ではないとはいえあの森にです。私達は止めましたよ。けど言う事を聞かず、帰らぬ人となっただけです。むしろこっちは捜索で怪我人を出したので、私の方が文句を言いたいぐらいですよ」

『・・・ふむ。確かにそれならば、逆恨みとも取れるが・・・』

「ただジジイからすると、息子孫を罠に嵌めて魔獣領で殺し、証拠隠滅として森に捨てて魔獣に食わせた。そう思ってるらしいですよ。そんな面倒な事をする理由なんてこっちには一切無いんですけどね。迷惑にも程がありますし、逆恨みも甚だしい」


 確かにリーディッドさんの言い分だけを聞くと、物凄く逆恨みな感じがする。

 けれどお爺さんにとっては、家族を殺した相手という事なのだろうか。

 そう考えると、さっきのお爺さんの殺意の意味を理解し、少し敵意が薄れてしまう。


 私には家族は良く解らない。けれど大事で大切な人の事は解る。

 きっとお爺さんにとって、息子さん達はとても大事な人だったのだろう。

 そんな人が死んだ。それは、きっと、感情が、上手く処理できなくなると、思う。


「因みに連中が来た理由が魔獣領への査察でして。あんな砦の維持が本当に要るのか、どこかに利益を隠してないか、本当に魔獣領の森はそんなにも危険なのか、という感じでしてね。我々が入って帰って来れる程度の森であれば、今後を考えねばとか言って入ってったんです」

『・・・ああ、つまり査察の人間を殺したが事故にして有耶無耶にした、と思っているのか』

「結果は哀れ魔獣の餌に。そしてそれを知った孫は最初は呆然としていたけれど、夜中に滞在していた砦を抜け出して森へ。ここでの不幸はその子の身体能力が高かった事ですね。見つけた兵士に掴まる事無く森へ入れてしまったので。兵士は追いかけるより報告を優先しました」


 リーディッドさんはさっきから、多分魔獣領は悪くない、と言っているのだと思う。

 実際彼女の言い分が正しいのであれば、きっと彼女は何も悪くない。

 あの森に勝手に入って、魔獣に勝てもしないのに入って、そして食われたのだから。


「・・・ただまあ、息子は兎も角、孫に関しては責められても仕方ないとは思います。制止を振り切って入って行ったのは本人の責任とも言えますが・・・それでも子供は救うべきでした」

『・・・そうか』


 そこで彼女は少し暗い顔を見せた。目を瞑って痛ましい事を思い出す表情を。

 ただそれはほんの一瞬で、ちゃんと見ていなければ気のせいかと思う程だった。

 多分ガライドもちゃんと見て気が付いていたんだと思う。


「あのジジイは当然魔獣領を責めました。処分を下すべきだとね。勿論こちらも正式な報告書を国に提出して、身の潔白を主張しましたよ。結果我々はお咎めなし。それはジジイにとって絶対に許す事の出来ない、認められない結果だったでしょうね」


 子供と孫が死んで、それが殺されたと思っていて、けど殺した相手はお咎め無し。 

 そう思っているのであれば、その想いはきっと、とてつもなく深い物だろう。


「とはいえ最初に言った通りそんなの逆恨みですからねー。なら自分の子供なんて送り込まず、他の連中送ってきたら良かったんですよ。しかも元々言いがかりを色々つけて来ていたのは自分のくせに、それを恨んでの犯行だとか言い始めるし。馬鹿馬鹿しい」


 おじいさん本人の話になると、彼女の目はとても冷たい。

 余りに下らないものを見つめる様な、人を見つめる目とは思えない目。

 なぜ子供達の話になった時と違って、お爺さんの事になるとこんな顔になるのだろう。


「・・・まあ、そんな訳で、元々仲が悪かったんですが、最悪も最悪にこじれたって感じです」


 最後に彼女はニコッと笑い、けれどその笑顔は笑っている様に見えなかった。

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