第3話、迫る恐怖

「がっ・・・あっ・・・!」


 首が、首輪が締まる。苦しい。息が、出来ない。

 同時に魔道具が私の体に激痛を与えて来る。

 主人の命令に逆らった罰だと。奴隷の首輪が光り輝く。


 何で、私何も、逆らってないのに。ちゃんと言われた通り勝ったのに。

 全身に激痛が走るのは、私が命令に逆らった時だけのはず。

 言われた通り勝って、勝ったから食べようとしただけなのに、何で。

 喉を抑えながら通路を見ると、主人が楽しそうに口元を歪めているのが目に入った。


「ふん、保険をかけておいて正解だったな。苦しそうに喉を抑えおって」

「あの様子なら全身に激痛も走っているかと」

「だが発動が遅かったのではないか。どうも血を飲んでいた様に見えるが」

「おそらく『勝てば食べて良い』という指示を『飲む』事は除外して認識したのでは」

「ちっ、相変らず融通の利かん魔道具だ。忌々しい」


 主人と使用人の声がやたらと鮮明に聞こえる。

 奴隷の首輪のせいだろう。激痛と呼吸困難な状態でもはっきりと解る。

 保険って何だろう。ううん、何でも良い。とにかく痛みが消えるまで我慢しよう。


「あぐ・・・ぐうううぅうぅぅ・・・!」

「なんだ、苦しんでるのか?」

「グロリアァ! どうしたぁ!!」

「魔獣に毒でも仕込まれてたのか?」


 苦しいけど、痛いけど、少し耐えればその内収まる。

 私が主に攻撃しなければ、逆らわなければ長続きはしない。

 その予想通り首輪が緩まり始め、むせながら呼吸を整える。


「ふんっ、相変らず化け物め」

「本当に。他の奴隷なら激痛で気絶しております」

「まあ良い。今回ばかりは意識がある方が好都合だ。痛みに耐えられても、回復はしていないだろうしな。立っているなら一応は闘える体を保っているだろう。全く面倒くさい」


 好都合。何の事だろう。いや、何でも良いか。私はただ指示に従うだけ。

 ただ勝てば食べて良い。私にされた指示はたったそれだけのはず。

 けど実際に食べようとしたら、主人に逆らったと魔道具が動いた。


 ・・・なら、まだ何かと戦って勝てという事だろうか。


「どうしたぁグロリアァ! 俺はお前が血みどろになる所を、対戦相手をぐっちゃぐちゃにする所を見に来たんだぞぉ!」

「そうだ、ただ血を被っただけじゃ満足できねぇ!」

「おい、どうなってんだ! 何で紅蓮は動かねえんだ!!」


 観客が私の行動に不満を持っている。何時も応援してくれる人達が。

 食べて良いとあの人達は言ってくれてるけど、主人の許可が無ければ私は食べられない。

 私は奴隷だから。この首輪がある限り、私は主人の指示に逆らえない。


「・・・何に、勝てば、いいんだろう・・・けほっ」


 ケホケホとむせながら、闘技場を見回す。けれどやっぱり誰も居な―――――。


「っ!」


 ぞくりと、背筋に悪寒が走った。体が無意識に震える。

 猪が出てきた門の向こう。そこからゆっくりと、何かが向かって来てる。

 怖い。凄く怖い。こんなに怖いのはあの時以来だ。


 始めて闘技場に連れて来られて、戦わされた、あの時以来の。

 もう何があったか殆ど思えていない。けれど怖かった事だけは良く覚えている。

 殺される。そう、思う、怖さ。怖くて、体が、上手く動かない。


「おい、何か出て来るぞ! フード被ってっけど、人間、だよな?」

「あん? なんだ、もしかして紅蓮は連戦の予定だったのか。つーか人間って、珍しいな」

「グロリアが人間とやるのなんて、久しぶりじゃねえか?」

「確か出て来た頃の二回だけだったはずだぜ。素手で剣を受け止めるわ、へし折るわ、鎧も盾も砕くわで、対戦相手がビビッて棄権したんだよな。んでそれが続いて大ブーイング。急遽魔獣と対決になって、それから段々強い魔獣にあげて行った感じだな」

「しかも魔獣を倒したと思ったらその場で食らいつくと来たもんだ。闘技場で全部食って出てった姿は今でも覚えてるぜ。まあそのせいで誰もグロリアとやりたがらなくなっちまったが」

「久々に勘違いした野郎が出て来たのかねぇ?」

「誰が出てこようと関係ねえよ。グロリアアアアア! ミンチにしてやれえええええ!!」


 門から出て来たという事は、きっとアレが私の対戦相手。

 けど、上手く足が動かない。向かっていく気が起きない。

 近付けば、殺される。そんな予感がする。


『えー、ご紹介いたします! ただいま入場された方は、わが国の英雄と呼ばれる方! 将軍でありながら前線を常に駆け抜ける若き英傑! 内紛を瞬く間に収めた我等が新皇帝の片腕、ベルエルス・G・グインス様です!』

「「「「「「おおおおおおおお!?」」」」」」


 英雄。そう呼ばれた人は、ばっとローブをはぎ取った。

 冷たい目が、私を捉えている。遠いのにはっきり解る。


「マジかよ!? 何でそんな奴が闘技場なんかに出て来てんだよ!!」

「おいおいおい、まさか本当に英雄の戦いが見れるってのか! って言うか本物なのか!?」

「おいベルエルス様よー! ここがどこか解ってんのかぁ!? 戦場と違って守ってくれる部下は居ねえんだぞぉ! 今のうちに逃げた方が恥かかなくて済むぞぉ!!」

「てめえ、誰に向かって口きいてやがんだ! 国の英雄だぞ!!」

「ああ!? 知った事かよ、闘技場に出てきた時点でただの挑戦者だろうが!! 大体てめえ、あのグロリアに勝てると思ってんのかよ! あいつは拳一つでアレ倒すんだぞ!」

「てめえこそ、あの方の逸話を知らねえのか! あの方も同じような事してんだよ! そもそも戦場でもなぁ!!」

「はっ、知らねえな! 俺は目で見た事しか信じねえよ!」

「ああ!? てめえふざけんなよコラァ!!」

『観客席の皆様落ち着いて下さい! 落ち着いて下さい! どうかその熱は闘技場に向けて下さい! でなければ試合を中止せざるを得ません!!』

「「「「「・・・ちっ」」」」」


 観客席の人達は、私とあの人の戦いが見たいらしい。喧嘩は司会の言葉ですぐに収まった。


『グロリア、闘技場の中央へ! ベルエルス様もお願い致します!』


 戦わないと、勝たないと、生き残れない。

 ここはそういう所。だから私は何度も何度も何度も何度も殺した。

 殺して、食って、飲んで、生き残った。それしか許可されていないから。


 物心ついた時には、ここで戦う事を決められていたから。

 その頃にはもう首輪が付いていて、私は命令に従うしかない。

 この首輪がある限り、私は指示に従うしか、生き残るすべがない。

 俯きながら、無意識に震える足で中央へと向かう。


「・・・小さいな。近付くと尚の事そう感じる」


 闘技場の中央に立つと対戦相手の呟きが耳に入り、俯いていた顔を上げる。


「―――――っ」


 そして目を見た瞬間、恐怖で息を呑んだ。目が、私を見下ろす目が怖くて。

 笑っているのに、笑顔なのに、その笑顔が怖くて仕方がない。


「グロリア、君の事は良く知っている。私は君のファンなのさ。いやはやその体躯で本当に素晴らしい。本当に・・・とても、可愛らしい。その紅い髪も、目も、血にまみれた姿も」


 とても静かに声を掛けられているはずなのに、悪寒が止まらない。

 笑っているはずの目の奥が、まったく笑っている様に見えない。

 吐きそうな程の威圧感。せっかく血を飲んで喉を潤したのに。


「何時も何時も目立たない様に、君を見ていた。生き残る為に、食らう為に、飲む為に、魔獣を屠り続ける君の姿を。赤黒く血で染まる君はとても素敵で、見惚れていた」


 けれど私の様子など意に介さず、目の前の人は喋り続ける。


「生きたいと強く願い戦う君は美しく・・・そして壊した時はどれ程美しいかと」

「っ・・・!」


 そしてとても楽しそうに笑う。笑っているはず。笑顔のはずなのに・・・殺意しか感じない。


「良い顔だ。私が強いと君は解るんだね。ああ、そうだろう、でなければおかしい。君はその体躯でありながら、魔獣を屠り続けていたのだから。君には、力が有る」

「―――――え」


 血が、噴き出る。私の右腕から、血が。ボトリと落ちて、何で、今、光が煌めいて。


「ああ、この速度だと反応出来ないのか。もう少し抑えるべきだったかな」

「あ、ああ、あああああ、ああああああ!?」


 静かに呟く対戦相手の手には、いつの間にか抜かれた剣があった。

 斬られた。腕を、落とされた。あの光、ただ光が煌めいた様にしか見えなかった!


「ああ良いね、その顔。恐怖と困惑に歪む顔。その顔が見たかった。主に無理を言って闘技場に出して貰った甲斐が有る。でも失敗したな。この程度なら防ぐと思ったんだが」


 彼はそう言うと、光る何かを私に飛ばした。多分魔法だと思う。

 何時だったか似た様な物を見た。

 反射的に大きく後に飛ぶも、その光を避けられない。

 光は腕に吸い込まれる様にぶつかり――――――右腕の血が止まった?


「簡単に死なれてはつまらない。私は君が壊れる所を見たくてここに居る。さあ、遊ぼう」

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