第11話



11


 昔のことを夢に見てしまった。


 うなされていた俺をマリルが起こしてくれたらしい。


 俺が隠居生活をはじめてから、おそらく二年近くが経った。このままこんな日が続くのだろうと思っていた。


 しかしふとした時、たとえば町にいって親子を見た時に自分の家族のことを思いだす。


 大衆食堂で料理を食べている時、俺はそのことを考えてマリルにも聞いてみた。こいつは妖精の里に帰れずに、ここに身を寄せているはずだ。


「なあマリル。お前のふるさとの妖精の里、帰らなくていいのか」


「だってどこにあるかわからないもん」


「なら、探しに行くか」


 俺の提案に、マリルもモスもおどろいていた。


「タクヤはあそこにいたいんじゃないの? 隠居するって、いっつも言ってるじゃん」


 マリルが聞いてくる。


「それはちょっとちがうな。前も話しただろ。……俺はむかし働きすぎたんだ。だから……自由でいたい。取るって決めたんだ、一生分の休暇を」


 それに、と俺は言い淀む。俺の心のなかにはある懸念がある。


「でも、どこから行こう? あてがあるの?」


「ないな」


 マリルの質問に、即答する。


「ま、あてもなくうろついてみるのも悪くはない」


 食事を終え、外に出る。

 いつものように薬を売っている商店に行くと、いつもと店主であるヒエラさんの様子がちがった。


「よかった。実はあんたの腕をきいて、遠方のコットス国からわざわざ診てほしいって人がきてるんだよ」


「コットス? かなり遠くからきてるんですね」


「ああ、なんでもかなり重い病らしいんだ。地図を渡すから、宿に行ってくれないかい。必死にたのまれちゃってね」


「ヒエラさんの頼みですから。受けますよ」


「ありがとね。あんたならきっとできる」


「やってみます」


 頭を下げて、地図に書いてある場所に向かってみる。


 やけに豪華な宿で、泊っている人も貴族やきらびやかな服装をした貴婦人が多い。身なりのみすぼらしい子供と角の折れた一角獅子では悪目立ちしてしょうがない。


 ヒエラさんからもらった紹介状を受け付けの人間に渡すと、部屋まで案内された。豪華な屋敷で、すこし歩いた。


 ノックしてから部屋に入ると、すでに先に医師がきていた。修道服のような一般人とは微妙に異なる服装をしていたのですぐわかった。だが患者の状態がかんばしくないようで、眉を下げて首を振る。


「すみませんが私では……」


 そう言って、年配の医師は出て行った。

 

「あの、ヒエラさんから頼まれ来たものです」


 俺画がそう告げると、立派な服装の男が必死の形相でこちらを見た。しかし俺の姿を見て、顔をゆがませる。


「君は……なんだね?」


「薬をつくってるものです」


「君があの薬を? ……君みたいな子供が? ……いやこのさいなんでもいい。私の娘を見てもらえないか。君がつくったという薬を飲んでからすこし良くなったんだが、治ってはいないのだ」


「とにかく、診てみましょう」


 俺はカバンを置き、手に消毒液をかけてから患者のねむるベッドへと近づく。


 俺よりもさらない幼い、4つか5つの少女だった。顔色が緑色で、かなり具合は悪そうだ。


 まず女の子のお腹のあたりから見ようと手を伸ばし、めくりかけたところで止める。


「女の子だし、背中をみましょうか……」


 女の子を横にさせ、背中が見えるようにする。


「こ……これは……」


 思わず俺はつぶやいた。そこにあったのは、奇妙な症状だった。


 背中にびっしりと黄色や赤いイレズミのような模様が走っている。よく見るとそれらは魔法陣のようにパターンがあり、文字などもある。

 しかしこれは古代遺跡の碑文などではない。人体だ。なぜ人の身体にこんなものがあらわれているんだ。


「とある医者が言うには、魔力化現象の一種だそうです。しかし普通のとはちがい、どこにいっても良くならず……」


 ハンカチを貴人は目元にあてながら言う。


「魔力化現象……たしか、まれに強い魔力を持つ子供が、うまくコントロールができずに自らの魔力で自分を消滅させたり殺してしまう病ですね」


「この子は生まれた時から魔法がつかえるような、特別な子供だったんです。しかしそれが災いして、こんなことに……」


「魔力化現象には、魔力を鎮静化させる抗魔剤の投与が最適です。……しかし、ふつうのもので効かなかったとなると……。どうするか。下手に回復薬を与えると、魔力まで暴れだす可能性もある……」


「どうにかならないのかね」


「……モス」


 俺はモスを呼ぶ。


「まず患者の身体を回復させるから、お前はこの子が放出した魔力を吸い取ってみてくれないか」


「わかった」


 薬剤を投与したあと、俺が出せる全力の治癒魔法をかける。顔色はよくなったが、やはり陣痣(じんあざ)はさらに赤みを増して浮かび上がり、患者の少女の顔にまで埋め尽くすように出る。


 モスが魔力を吸い取ってくれて落ち着いたが、これでは患者の体力を一時的に平常状態に戻しただけだ。根本的な治療にはなっていない。


「だめだった?」


 モスが不安そうにたずねる。


「いやよくやってくれた。これは本人のコントロールの問題なんだ。いくら吸収したところで元の病気をなおさないと解決にはならない」


 患者の少女が、目を開けた。そして寝返って、こちらを向く。


「……お医者さま?」


「……はい」


「ありがとうございます……ずいぶん楽になりました」


 なんだ、この違和感は。この子、目をあけていても焦点が合っていない。俺の声が聞こえる方を向いているだけだ。


「魔力化の影響で、視力を失ってしまっているようなのです」


「……視力を」


「アエリシア。名医と名高い人にきてもらったよ。なんとアエリシアより6つかそこらしか変わらないんだぞ」


「まあすごいですわ。……私なんて、こんなありさまなのに……。あ、ごめんなさい……つい」


「……いえ。とにかく治せる方法を考えてみます。安静になさってください」


 俺はいったん、席をはずす。


 廊下を歩き、ひと気のない物置のようなところで物思いにふけった。

 つまり解決法のことをだ。俺が今までつくってきた薬でも、あの子を治すのは難しい。


 ――神格の力をつかえばあの子は助かるかもしれない。


 だが、俺はどうなる。


 俺の心のなかにずっとあるひとつの懸念……。社畜の化身の能力。これは働けば働くほどにあがっていく。だからこそ身に着いたものだ。


 だが、神の力……これは危険だ。前に自分の力の限界を越える魔法を何度か使ったとき、制御できないほどに魔力の強さがふくれあがってしまった。

 自分が人間から遠のくのを感じた。いや、あいまいな考えで自分をごまかしてもしょうがない。

 はっきり言おう。おそらくこの神格の力は、使えば使うほどに神に近づいていく。


 冗談じゃない。神になってまで働くなんて。


 しかし俺の薬学では、あの子を治すことはできそうにない。


 とてつもない無力感と、自分への怒りが俺を襲う。


「くそぉっ!」


 俺は壁を思い切り殴った。


 俺がやってきたことは……通用しないと言うのか。


 来る日も来る日も働かずに、あいつらと一緒に薬草のことを研究してきた。今では専門の学者と同じかそれ以上の知識があると自負していたんだ。


 なのに、神の力に頼らないとなにもできないっていうのか!


 目を閉じ、あまりの悔しさに力んで強く歯をくいしばった。


 いったい、どうすればいい。何度も自問自答する。


「タクヤ、だいじょうぶ?」


 マリルが声をかけてきた。モスも心配そうにしている。


「ああ。……すこし話がしたい」


 宿を出て、裏路地にたむろする。日の当たらない場所で、会議をはじめる。


「どうしたのタクヤ。いつもみたいにお薬出して、はやく妖精の里をさがしにいこーよ」


 マリルが言う。


「……いつもみたいにはいかない。俺の薬では……。……あの病気は治せない」


「そんなぁ」


 モスが悲しそうに言った。


「はあ、冗談はよくないぞタクヤ。お前にはものをつくる魔法があるだろう。それでちゃちゃっと病気をなおせる魔法やらを出しちゃえばいいんだぞ。うん、さすがは大妖精にして美麗秀才のマリル様のアイデア。名案なのだ」


「……そうするわけにはいかない」


「あの力を前につかったとき、魔力が暴走して、自分が自分じゃなくなるような感じがあったんだ。たとえばマリルのフェアリーアイからヒントを得て作った『神眼』なら、使っても問題はない。どうも俺自身の魔力の限界をこえたことをしてしまうと、そうなるらしい」


「体に異変がでるってこと?」


 モスがきいてくる。


「そんなところだ。それがいやで……とにかく、あれは使えない。俺の治癒魔法はすべて効かなかった。つまり……あの病は、俺が治せる範囲を越えている」


「そんな。じゃああの子は……」


「あきらめることはないぞ! 私の仲間に、病気を治すのが得意な妖精がいるぞ! それに、薬がないなら、タクヤが作ればいいのだ」


「……無理だ。探すのも、薬を一から作るのも、とても時間が足りない。……あの子の命は、……たぶんもって一週間。長くてそのくらいだろう。……あしたの朝には、息がないってこともありうる。どうにか延命できるよう回復薬は飲ませるが……」


「じゃあ、治せないの……?」


「できる限りの延命治療をほどこそう……。それに一応薬もつくってみる。時間が足りないが……お前らにも手伝ってもらえたらありがたい」


 そうして、患者の様子を時々見に行きながら、丸一日かけて薬を精製する作業に入った。作業場にはヒエラさんの店の屋根裏を借りた。

 幸い体力がもどったことで患者の容態はその日は安定していた。

 しかし、試しに作った薬では、やはり効果がなかった。


 薬の効果を見るため、二日目はモスの吸収と回復薬投与で様子を見る。しかし、時が経つごとに、状態は悪くなっていった。


 俺はほとんどあきらめかけていた。

 ヒエラさんの店の屋根裏で、木箱の上に座り、窓の外の空を見上げる。


 あの子どもを治してあげたい。神格の力を使えばたやすくそれができる。けどもう社畜はいやだ。働くのはいやだ。神になんてなりたくない。


「自分を責めないで。タクヤ」


「……ああ、わかってる」


「なんて言ったらいいか、わからないけど、タクヤに元気でいてほしいよ。今の僕があるのはタクヤのおかげだから。タクヤが作ってくれた薬が、僕の病弱な体を治してくれた。それに魔力を高める薬のおかげで、魔法も使えるようになった。感謝してるんだ。だから……」


「ああ……そんなこともあったな。でも今回ばかりはどうにもできそうにない。それこそ、神様でもないと……」


 モスが膝の上にのってきて、ネコみたいに丸まる。


「なんだ?」


「前に言ってたよね、タクヤ。昔いやな思いをして、だからおもしろおかしく自由に暮らすんだって……。だったらもっと明るくしててほしいな」


「おもしろおかしく……か。そうだったな。ありがとう」


 俺はモスの背中を撫でてやる。


「あれ? お前角が再生してきてないか」


「え、そう? 一度折れたらそこからは生えないと思うけど……」


「いや、あきらかに伸びてるぞ」


「そっか。じゃあタクヤの作った薬のおかげだよ。ペイルにも仕返しできたしね!」


「ああ、ありゃ良かったな。たしかにずいぶん強くなった。魔法も……」


「タクヤ?」


「魔法も……。モス、お前ずいぶん魔力があがったよな」


「うん……そうだけど……」


 モスの身体全体を、じっと見る。


 黒の毛色も、肌の状態もいい。魔力がみなぎっている。


「……そうか!」


 俺は声をはりあげ、思わず立ち上がって両手でモスを天にかかげた。


「ど、どうしたの」


「降りて来た……いや、こんな近くにあったんだ」


「なにが?」


「神がかり的なアイデアさ」


 困り顔のモスに、俺はにやりと笑って言う。


 それから丸二日、屋根裏にこもり続けた。そうしているとある時、あの患者の父親が怒声とともにヒエラさんの店に姿をあらわした。


「タクヤどの、ここ数日こもってばかりじゃないか。いつになったら薬ができあがるんだ!」


 俺は一階で応対し、冷静に説明をする。


「今作っている薬は……お嬢さんの病気を治すものじゃありません」


「な、なんだと……」


「俺自身に使うものです」


「なにを言っている……! まさか、あきらめろと言うのか! ほかの医者と同じように!」


「いいえ違います。聞いてください。……俺にはあの子を治す魔法があります。でも今のままじゃ使うことができない。だから……俺の魔力を急速に上げるんです。そのための薬を……つくっています。俺はまだ、俺たちはまだ、あきらめていません」


「魔法を……!?」


 俺はうなずいてみせる。

 貴人はうずくまり、両手の指をからませて祈るようなかっこうになる。


「……君が最後の頼りなんだ。どうか、頼む……!」


「あと少しでできます。お嬢さんの具合が悪くなったら、すぐに呼んでください」


 その日はなんともなかったものの、やはり最初の見立てどおり、次の日少女の容態は急激に悪化した。

 急いで部屋にいくと、少女の魔力が暴走し、ベッドやまわりのものを切り裂いたり揺らしたりしている。まるでポルターガイストだ。少女本人も、気を失いながら呼吸を荒げている。すでに発作のアザが出続けていた。


「はじめよう」


 俺はカバンから薬を取り出す。


 思いついてしまえば、シンプルなことだった。


 魔力の限界を越えた魔法を使うと神に近づいてしまうのならば、魔力の限界を大幅に越えればいい!


 薬瓶の液体を一気に口に入れ飲み干す。


 くっ、かなりまずい……。いや味はこのさいなんだっていい。

 俺を見て、マリルが声をあげた。


「すごいよタクヤ! 魔力値がどんどんあがってる! もともとありえないくらいの量だったのだが倍ちかくになってるよ」


「ああ。自分でもわかる気がする。集中するから、すこし静かにしていてくれ」


 俺は少女のもとへと向かう。彼女のお腹のあたりの上で手を向かい合わせ、意識を集中させた。

 じんわりとあたたかい感触が手をつつみこむ。


 自分なの中で上昇した魔力を、一点に集中させる。『魔力化を治療する』という魔法をつくりだし、少女の身体に力を流し込む。このくらいの小規模の魔法であれば神格の反動が来ることもない。


 手を尽くし、俺は患者から離れる。気づけば息が切れていた。


 少女の顔からアザは消え、彼女はむくりと起き上がる。不思議そうな表情をしたあと、父のほうを見た。


「お父さん……?」


「おお……! アエリシア! 見えるのか!」


「うん、まだうっすらとだけど……もどってる! それに身体も痛くないの」


 たしかに少女の瞳は以前とはちがい、ちゃんと人物の顔を見ている。

 そうして親子二人は泣きながら抱き合う。


「神よ……! 感謝いたします……!」


 ふ、家族か。そういえば俺の父と母はどうしているんだろう。手紙も出していないが……。


 ――あれ?


 俺の身体から力が抜け、視界が暗くなっていく。体がゆっくりと後ろに倒れていくのがわかった。

 ああ、これはまるであの時と同じ――あの道路に倒れたときの。


 これで俺の休暇は終わりなのか。……だがまあ悪くはなかった。


 そのまま、完全に気を失ってしまった。



 気が付くと、なぜかクワルドラ山の、アトリエ兼自宅のなかにいた。


 俺が寝ているベッドのそばに、モスとマリルがいた。

 モスとマリルがここまで運んできてくれたらしい。


「あの子は治ったのか」


 俺はたずねる。今回のことは、薬学研究者としては薬でどうにかできなかったことにすこし悔いは残る。とはいえ神格の力の扱い方に気づけたのは大きい。

 まずはあの魔法が成功したのかを知りたかった。


「走り回れるくらいになってたよ」


 モスが答えてくれる。


「ちょっと元気になりすぎだろ」


 俺は思わず笑った。


 窓の外を見ると、月が出ている。どれくらい眠っていたのかわからないが、どうやら真夜中らしい。


 俺は家の外に出て、数えきれないほどの星が光る夜空を見上げる。

 そして月にむかって手をのばし、つかむように握りしめた。


「どうだ……俺はぜってえ神になんかならない。ぜったいはたらかないぞ」


 だれかに言うように、高らかに宣言した。



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