幼少時代ー1

«最古の記憶»

まずは幼少期の自分について記していきたいと思う。記憶は朧げで、特に幼少の記憶は更に曖昧である。断片的にしか覚えておらず、そのイメージも抽象的なものである。プラスチックでできた飛行機とミカンとか、古い冬服を着た両親が何やらアーティスティックな建物の前でカメラに向かってポーズをとっているもの。古いこたつに、古代から生き残っている昆虫の出る家。(つまりはGである。)家族で笑顔で正月に届いた年賀状を眺める姿。これの記憶のいずれもが冬の記憶であり、なぜか夏の記憶は少ない。自分が覚えている限り、一番昔の記憶はたぶんこれであろう。

その日はたしか夏の夜だった。家族とどこかへ外出した帰りに私はカブトムシを眺めていた。緑色のかごに入った黒々とした昆虫はてらてらと家の玄関灯に照らされもぞもぞと動いていた。昆虫ゼリーもあまり食べず、ただこちらを見つめているようでもあり、虚空を見つめているようでもあった。どちらにせよ、そんなことはお構いなしにただひたすらに、私は目を奪われていたのだ。あの頃の何がそんなにひきつけられていたのか、今はわからないが(今は虫が触れないのである。)カブトムシや石のうしろにもぞもぞと群れるダンゴムシ、その姿に良く似たワラジムシや夏になったころに良く取れたセミの抜け殻などに夢中であった。そんな私はカブトムシを見つめていたら、次の瞬間には天井を見つめていた。天井にはシミがいくつもあり、年期を感じさせるものだった。なぜ急に天井を見上げることになったのかは、私のカブトムシを見つめている位置が階段の上がった踊り場であったからである。その年期の入った天井をはじめとする私の住居は例にもれず年期が入っているのだが、階段と玄関との間が狭く、というか全体的に狭いのである。三階建てであったと思うが、その狭い空間でカブトムシを見つめていると疲れからか原因は定かではないが急に頭が後ろに、まるで釣り師がサカナと格闘するときの釣り糸のごとく引っ張られたのである。結果、ごろごろと階と階とをつなぐ中間の場所まで落っこちてしまった。その落っこちる間はまるでスローモーションのごとくゆっくりと感じ、まるで痛みは感じなかった。痛みは「落ちた」と転がり落ちたすえ、認知してからやってきた。このとき、親は心配してくれたが、そこに「何をやっているんだ」という呆れと怒りの感情がこもっていた気がしないでもない。その後、家に入りキッチンにたむろしていた、おそらく逃げ遅れたであろう哀れなゴキブリの右往左往する姿をおもしろおかしく見つめていながら、親の丸めた新聞紙に残酷に命を刈り取られる様を覚えているくらいには丈夫に私はできていた。そんな濃密な一夜が、おそらく私が覚えている最古の記憶であろう。

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へびで、ねこで、にんげんで、 三石 警太 @3214keita

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