第32話.志田真太郎「僕も大好きだよ」

【志田真太郎】


 力いっぱい僕を抱き締めながら、成長した姿の三華は静かに涙を流した。


「――本当に良かった、間に合って……」

「ウッ、ごほっ、ごほっ」


 圧迫感により蹴られた箇所が痛む。肋骨でも折れてしまったのか、やけに痛みが身体に響いた。


「あ、ご、ごめんパパ! そうだ、早く治療しないと……」


 三華は慌てて僕から身体を離した。心配そうに眉間に皺を寄せ、何やら腰につけたポーチをゴソゴソとまさぐり始めた。


「いや、それより……ダイダルは……」

「お姉ちゃんのSUTで思い切り殴ったから大丈夫! 気絶してるはずだよ」


 ダイダルに視線も向けずに彼女はそう言った。

 SUT……? 聞きなれない単語だ。


「僕は大丈夫……その、いったい――」

「大丈夫じゃないの! このままじゃパパが死んじゃうかもしれない! パパを助けにきたのにそれじゃ意味ないよ!」


 真剣な様子で訴えてくる三華に、僕は口をつぐんだ。


 僕が死ぬ……? 確かにさっきは死を覚悟したけれど、それはいったい……まさか、未来で僕は死んでいるのか?

 いや、それもそうか。三華が助けてくれなかったら僕は今頃短剣で刺し殺されていたに違いない。


「っつぅ……」


 痛みは治まるどころか、ズキリズキリと次第に増してくる。魔力切れの影響で頭痛もするし、何だか脳が上手く回らない。色々と三華に聞かないといけない気がするが、痛みが気になって仕方がなかった。


「あった、コレだ!」


 三華がポーチから取り出したのは、金属製の箱だった。鉄でも銅でもない、見慣れない赤っぽい金属。


「ママみたいにうまくできるわけじゃないから、動かないでね」


 三華は箱を持って目を瞑り、深呼吸を始めた。何をしているのか理解できないが、大人しく彼女を見ていることにした。

 三華が成長したらこうなるのか。何だか感動する。すらっとした手足に少しだけ大人びた顔。身長はもしかしたら、二葉より大きいのではないだろうか。


 さっき死んでいたら、こんなふうに娘たちが成長していく姿は見れなかったんだろう。覚悟はしていたが、本当に生きていて良かったな。


「あれ、痛みが……」


 感傷に浸っていると、痛みが薄れていることに気付いた。脳の鈍痛は変わらないけれど、腹の方は大分収まってきている。これはもしかせずとも、三華が治療してくれているのだろう。


 まるで桜のような力だ。三華の魔法は『時渡り』ではなかったのか? 魔法を二つ獲得することができるのか?


 いや、さっき二葉の『SUT』でダイダルを殴ったと言っていたな。……この箱が、その『SUT』なのか?


「……っはぁ、はぁ、はぁ……三華の力じゃこれが限界。……どう? パパ」

「ああ、痛みが引いたよ。ありがとう。で、これは何だい? SUTとはこれのことかな? 桜の魔法が使えるようになるのかい?」


 僕が尋ねると、三華はおかしそうに「あはは」と笑った。大人びたけれど、笑顔はやっぱり幼い三華のままだ。


「……何か変なこと言ったかな」


「あはは、違うの。こんな時なのにいきなりSUTのことに食いついてるから、やっぱり変わんないなぁって思って嬉しくなっちゃった。パパってば昔から気になることがあるとずっと考えてるんだもん」


 職業病というのか、確かにそう言われることは多々あった。まさか娘に懐かしがられるとは思わなかったが。


 三華はポーチの中からもう一つ、同じような箱を取り出した。今度は深緑色の金属だった。


「パパの言う通り、これがSUT。Simplified Universe Technologyを略してSUTだよ。赤っぽいのがママので、緑がお姉ちゃんの」


「簡略化された宇宙技術……か。ということは、僕たちの魔法がUTに当たるのかな?」

「そうだよ。魔法がUTで、魔力がUE。Univerese Energyなの」


 なるほど……ということは、やはり……。


「SUTはね、パパの研究ノートを見てお兄ちゃんが作ったの」

「僕の研究ノート?」


 まさか、魔法やこの世界についての考察をつらつらと書き記したあれのことか? とても研究と呼べるようなものではなかったが。


「うん。パパの部屋の引き出しにあったノートだよ。お兄ちゃんがね、何も知らない状態でここまで気付いたのはすごいって言ってた」


「待ってくれ。何も知らない……? 三華たちは未来でいったい何を知ったんだ?」


 そう訊くと、三華は少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「全部話したいけど、時間が足りなそうだね……。今回は三華のUEだけで来たからさ……大事なことだけ話すね」


 三華がそう言うのと同時に、地面が揺れ始める。地震だ。

 地震と共に三華は現れた。そして地震と共に帰るのだろう、未来に。


「パパの研究ノートにも可能性として書いてたと思うけど――――この世界はね、『異世界』なんかじゃないの。歴とした、地球だよ」


 ああ、やっぱり――。


 考えてはいたのだ。地球と同じ二十四時間周期の一日に、見慣れた星たち。星に詳しくはないが、北斗七星やオリオン座くらい分かる。地球だと思った。ただ、文化や魔法があまりにも僕たちの住む地球とはかけ離れていた。


 だから考えたのは、僕たちとは次元の違う場所だってことだ。言うなれば、『裏の地球』とでも言うのか。だがこれも、今一つしっくりこなかった。そんなもの、証明のしようがない。


 ここが何なのか、考察する要素はずっと近くにあった。ただ、それを認めきれなかっただけなのだ。


 肝心な部分の解明はしようもないが、ある程度理論付けられる魔力の仕組み。一様に『角』の生えた魔物たち。そして、巨大なアメイジア大陸。


 研究者の友人に聞いたことがあったのだ。ユーラシア大陸やアメリカ大陸、アフリカ大陸は毎日ほんの少しだけ近付いていると。そして、遥か未来には地球上で大陸はたった一つになる。

 その名が――アメイジア。


 ああ、やっぱり、この世界は――

「――未来の世界、なんだな」


 認めたくはなかった。


 だって僕たちには職業が存在し、魔法が使える。人間に元々そんな機能は備わっていないはずだ。そんなことができるとしたら、後天的に身体を作り替える手術をするか、遺伝操作でその機能をDNAに刻むしかない。


 そう。つまり僕たちは、未来人なのだ。この世界の住人と同じように。


 だから、日本に僕らの帰る場所など、初めからないのだ。寧ろ、僕たちはこの世界に『帰ってきた』のだろう。


「ホントに、少し言っただけで何でもわかるんだね、パパは」


「なぁ、教えてくれ三華。僕は、僕たちの記憶は……偽物、なのか?」


 大学のゼミで桜と出会い、恋に落ちたことも。二人の間に子供ができて、大喜びしたことも。一樹とキャッチボールして突き指したことも。二葉が自転車に乗れるようになるまで練習に付き合ったことも。一生懸命演技をする三華の発表会を見たことも。


 全て、偽物だったと言うのか?


 なら僕の家族を想う感情も偽物だと……そういうことなのか?


 三華が僕の震える手をそっと握った。暖かい。


「三華たちの記憶はね、三華のUTを使った時に世界にすり替えられちゃったの。ごめんね」


 三華のUT、というのは『時渡り』のことだろう。つまり僕たちは、『時渡り』で日本にタイムスリップしていたのだ。偽物の記憶に作り替えられて。


「いや……今更言っても仕方ないことだ……そうしなければいけない、理由があったのかもしれない」

「うん。…………ごめん」


 三華が再び謝る。

 それから少しの間、地震で建物が揺れる音だけが部屋に響いていた。


 振動で机から酒瓶が落ち、バリンと割れる。俯いていた三華はガバッと顔を上げた。


「三華のいる世界では、パパだけじゃなくてママもお姉ちゃんも亡くなっちゃったの。志田家は三華とお兄ちゃんだけ。だからね、パパ! みんなを守って! 世界なんて救えなくたっていい! だからみんなを守って、それで――」


 桜や二葉が死んだ? 何で……。


「――『三菜』を、三華たちのもう一人の家族を、助け出して! パパがいるなら、きっとできるから! 私たちじゃ……もう……」


 何だ? 何を言っているんだ? 三菜? 誰だ、それは。


「いったい――」

「エルフの里に行って。そしたら、全部分かるはずだから。エルシーも仲間に加えて。彼女がいないと、三華とお兄ちゃんはここまで生きてこれなかった。後は――ダメ、もう時間がないみたい」


 一気にそう告げると、三華は僕に抱きついた。ギュッと強く抱き締められるが、もう傷は痛くない。

 恐る恐る、僕も彼女を抱き締めた。


「パパ。三菜から伝言。忘れてると思うからもう一度言うね」


 そう、耳元で囁かれる。


「『パパ、研究ばっかりでママを困らせちゃやだよ……パパにこの前抱っこしてもらったとき、恥ずかしかったけどうれしかったよ』」


 何故だろう。


 三菜なんてどこの誰かも知らないのに、僕の目からは勝手に涙が出ていた。鼻の奥が熱くなる。まるで、三菜本人に言われているようにすら感じた。三華と三菜、違う人物のはずなのに。


 ――三菜。今は何も分からないけれど、君の伝言、しっかりと受け取ったよ。


「それと、これは三華からね。――パパ、大好き! 会えて良かった! ほんとにほんとに、三華を育ててくれて、大切にしてくれて、ありがとう!」


 明るくそう告げた三華は、グスっと鼻を啜った。彼女も泣いているのか、僕の首元に水滴が落ちた。


「――バイバイ」

「三華っ!」


 思わずギュッと抱き締めようとした腕は、空を切った。


 地震は、止まっていた。


 彼女自身もSUTも、彼女のいた痕跡は何一つしてなかった。僕の腕の中に残る、この温かい感触以外は。

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