第31話.志田一樹「天才なもんか」

【志田一樹】

 

 集中を切らすな。目を凝らせ。常に次を意識するんだ。


 その場で腕を振るうだけであらゆる場所を切り裂けるジョンジョンミンの場合、ドールの時とは異なり少しでも体勢を崩したら終わりだ。


 今までのように身体を宙に浮かせて無様に胴体から着地などすれば、一振り目はかわせてももう一本の『ジャックナイフ』が俺の首を掻き切るだろう。

 失敗は許されないが、避けるのは最低限だ。致命傷さえ避ければ、すぐに死にはしないのだから。


「『ジャックナイフ』」


 魔法が発動するのと同時に、首の真横に光の刃が現れる。


「くっ!」

 咄嗟に首を後ろに逸らす。


 ジョンジョンミンがナイフを横に振るうと、そのナイフと全く同じ軌道を光の刃がなぞった。

 光は微かに首の皮を通り、その箇所がパックリと裂ける。まるでナイフで切られたのと同じように。


 奴はもう片方のナイフを振りかぶった。

 光の刃は――下だ。


 ジョンジョンミンが斜めに振り下ろすと、光は下から斜め上に向かって走る。


「っぶねえ!」

 急いでバックステップ。脛は軽く切られたが、何とか回避した。


 待て待て待て、この魔法、ナイフと同じ軌道と言っても上下左右が反転できるのか?

 だとしたら厄介過ぎるぞ。斬撃の始点である光を見つけられなかったら避けようがないし、光を見つけてもその軌道がどちらに向かってくるかは分からないということになる。


 え? てかそれって詰みじゃない?


「これも避けるなんて、すごいですごいですゴイスーです! じゃあ次はちょこっとちょこちょこ難易度上げちゃいますもす!」


 嬉しそうに笑って、ジョンジョンミンはナイフを振り回す。


「っざけん――」

 視界の端に光が映った瞬間に距離を取る。ナイフを振るスピードが上がり、もう軌道を気にしていられない。


 ナイフは二本だが、どうやら同時には『ジャックナイフ』を放てない(もしくはわざと放っていない?)ため、首を振って二つ目の光を確認する。


「――な!」


 もう一振りの『ジャックナイフ』は、避けた先にあった。

 無理だ。思い切り身体を動かしたせいで勢いを殺しようがない。身体が光の方へと流れたまま、光の刃は振り下ろされる。


「ックソ!」

 咄嗟に光の刃と自分との間に剣を潜り込ませた。


 ――ガキィッ!

「やややっ!」


 光の刃が弾かれた。そしてジョンジョンミンの腕も跳ね上がっている。俺はジーンと衝撃が鈍く響いている自分の手を見つめた。


 なるほど、そういうことか。光の刃は魔力だから防げないと思っていたが、魔力を帯びた武器なら防げない道理はない。


 きっとトーランドさんは鎧の下から直接『ジャックナイフ』で攻撃されたのだろう。光が見えない状態では気付きようがないから、きっとなす術もなかったはずだ。


「おそろしやおそろしや、まさかまさかまさかと思いましたがやっぱりぱりぱり、見えてるんですね?」

「いや、見えてないよ」

「なるほど、見えてないこともないこともないんです?」


 会話をしながら終始動かし続けた身体を少しでも休ませる。


「ああ、全くたくたく見えてない」

 ジョンジョンミンは腕をだらんと伸ばし、目を細めてジッと俺を見た。


「えー、ホントですです? 嘘ついてないですです?」

「ああ、嘘なんてついてな――」

「――えいやぁ」


 俺には全く捉えられない速度で、ジョンジョンミンがナイフを振るった。


「ぐあぁ!」

 思わず喉から声が漏れる。痛い! 最悪だ。背中をやられた。額から脂汗が滲み出る。


「あらららららら、後ろからだと避け避けできないですねすね。これはやっぱり見る見るで避け避けってことですます?」


 くそ、そりゃバレるよな。光刃が死角にあったら避けようがないのだ。


 背中からポタポタと血液が垂れる。即戦闘不能というほど深くは切られていないようだが、だからと言って浅くもない。元々体力が限界近いから、この傷は絶望的だ。


「――おろおろおろ?」


 突如、地面が揺れた。地震だ。元々場はめちゃくちゃだったこともありこれ以上部屋が荒れることはないが、単純に足場が揺れるのはマズい。


 思うように移動できないと、現状ではそれだけで詰みかねない。


「これこれまさか、チャンスチャンストリプルチャンス」

 揺れる地面にお構いなしに、ジョンジョンミンは刃を振るう。


「くそったれ!」


 もう立てないなら転がるしかない。割れた皿や木のジョッキが転がる床を思い切り転がる。破片が顔を傷付けたが、気にしていられない。


 光の刃を一本かわし、二本かわし、三本目は何とか剣で受け止める。ギリギリと、力強く頭を切断しようとする『ジャックナイフ』を押し返す。見た目通り、力はそんなに強くないらしい。


「あなた、もしかしてして、天才なの?」

 ナイフを振り下ろそうとしながらジョンジョンミンが言った。


「天才なもんか。雷娘の技を避け続けたら、誰だってこうなる」


「雷娘――?」


 ――ドオオオオオオオオオオン……。

 思いがけずその瞬間に雷鳴が轟く。空気が震え、視界が真っ白に染まった。耳鳴りで何も聞こえなくなる。


 剣から伝わってくるナイフの感覚は消失していた。


「――待ってたぜ」


 音も光もない時間が終わった後そこにいたのは、もちろん彼女だった。


「危なすぎだよ、もう。まだカズたんが戦うには早すぎる相手だ」

「カズ君だ」


 手を掴まれて、立ち上がった。こんな血なまぐさい戦場で、シャンプーの香りがフワッと匂う。

 輝く白銀の長い髪に、同じく白く透明な肌。ヒラヒラとした天使のようなドレスに身を包んだ小柄な少女。紅い宝石の瞳は、真っ直ぐに俺を見ていた。


「いててて、助かった」

「うわ、よく見たらすごい怪我じゃないか」

「ああ、正直もう限界」


 剣を杖のようにして姿勢を保つ。背中はズキズキと痛む。


「うん、じゃあ休んでて。お義母さんから話は聞いてるよ。まさか、奴がこんなとこにいるなんてね――」


 吹き飛ばされた体勢のまま、瓦礫の中で沈黙しているジョンジョンミンに目を向けて、セラは言った。


「――『ジャック・ザ・リッパー』」


「…………『雷神』ちゃんは遠ざけたとボッスンから伺っていたですが」


 ガラガラと音を立てて、瓦礫から現れたジョンジョンミンは、先程までのふざけた様子ではなくなっていた。右腕はあらぬ方向に折れ曲がり、骨が突き出ている。あれでは思うようにナイフを振るえまい。


 しかし、『ジャック・ザ・リッパー』か。恐らく固有職だろう。世紀の大犯罪者が職業名なんて、そんなパターンもあるのか。


「あんなトカゲで僕を足止めしたつもりかい? どうやら君のボスは僕を舐めてるみたいだね」

「ボッスンですです」

「どっちでもいいよ」


 そんなやり取りをしている間に、いつの間にか地震は収まっていた。


 セラの手元に光が集まる。光は電気に変わり、バチバチと音を鳴らした。

 いくらジャンジャンミンでも、雷の速さで攻撃されたらナイフを振るう前に殺されるだろう。下手に動けないはずだ。


「さて、君には幾つか聞きたいことがあるんだジャック」

「ジャックじゃなくてジャンジャンミンですます」


 ジャンジャンミンの指摘を無視してセラは質問した。


「じゃあ、一つ目。思考誘導魔法を使ったのは、君たち『八星十字団』のメンバーなの?」


 思考誘導魔法は俺たちが朝かかっていた魔法のことだろうが、八星十字? 何だか随分と芳しいネーミングセンスだ。


「むむむむ、なかなかなかなか良い勘かんしてます。ピンポンポンです」


「二つ目。シリウスはどこ?」

 ジャンジャンミンのテンポには一切付き合わず、セラは淡々と続ける。


「知ら知らないです。シリシリに限らず、団員の居場所はお互い知り知りできません」


「じゃあ三つ目。君たちの目的は何?」


 その問いに、ジャンジャンミンはニンマリと口を弧にした。


「それはもちもちろんろん、世界を救うことで――ぎぎゃああああ!」

「殺すよ?」


 セラの雷がジャンジャンミンを襲う。電気でビクビクと身体が震えている。

 電撃が終わった後、ジャンジャンミンはドサリと倒れた。


「院のみんなを殺したくせに…………僕の新しい家族を傷付けたくせに…………世界を救うだと? ふざけるな!」


 セラは激昂した。今まで我慢していたものが爆発したように、感情をぶちまける。バチバチと電気が身体中に走り、長い髪が浮いていく。


「お前らは、シリウスは殺したんだ! 僕の家族を! 殺す、絶対にシリウスは僕が殺す! 絶対に許さない!」


 セラの目には熱い涙が溜まっていた。彼女の過去の絶望や怒りが一気に押し寄せているに違いない。どんなに今が幸せでも、過去の傷は消えたりしないのだから。


 あまりに圧倒した強さを持っているから勘違いしそうになるが、彼女はまだ俺と同じ十代の少女なのだ。感情は中々操り切れるものじゃない。


「まずお前を――」

「――バカ!」


 光の刃がセラの首横に現れた。熱くなって俺の声にも全く気付いていない様子のセラを突き飛ばす。


 光は俺の腹を斜めになぞった。慣れてきた背中の痛みに重なって、鋭い痛みに襲われる。


「一樹!」

「カズ君……な……」


 意識が途切れた。

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