第30話.志田真太郎「父親失格だ」
【志田真太郎】
息子を置き去りにして、階段を駆け上がった。
酷い父親だ。僕ではどうしようもないし足手まといになるとはいえ、息子を見捨てるなんて。
疲れた身体に鞭打って戦闘をしてしまったせいで、体調は最悪だ。さっきから頭が痛くてたまらない。
「はぁ、はぁ……くそっ」
階段を上り切ったが、思わず力が抜けて膝をついてしまった。
三華が待っているのだ。こんなどことも分からぬ世界で、家族が離れ離れになるなんてことだけはあってはならない。
数秒息を整えて、膝に力を込めて立ち上がった。膝がずきりと痛む。
僕ももう四十近いし、一樹たちのように若くない。あまり無理したら身体を壊すだろうが、今日ばかりは無理を通さねばならない。
階段を上がってすぐの部屋は倉庫になっていた。酒樽や木箱の他には何もなく、人の気配はない。
二階には部屋が二つあるから、もう一つの部屋に影兜のボスであるダイダル・ボアーグがいるのだろう。
「ふぅー」
息を吐き、逸る鼓動を落ち着けてから、僕はダイダルがいるであろう部屋の扉の前に立った。
ダイダル・ボアーグ。職業は『爆弾魔』であり、使う魔法は爆発系。
普通に戦っても僕に勝ち目なんてない。爆発なんて強力な魔法には僕の魔法じゃ太刀打ちできないだろうし、その上僕は疲弊し切っている。
だが、その爆発が火薬による爆発であれ粉塵爆発であれ水蒸気爆発であれ、そこに高温状態を発生させることには変わりがない。僕に勝ち目があるとしたら、そこにしかない。
懐から液体の入ったペットボトルを取り出し、蓋を開けた。中身は灯油だ。作戦は至って単純である。
覚悟を決めたら、思い切って扉を開けた。
中には、ドレッドヘアーの筋肉質な男が酒をグラスで煽っていた。浅黒い肌に強面だが整った容姿。テライドから聞いている特徴と一致している。ソファに座ったこの男がダイダル・ボアーグで間違いないだろう。
「ああ? 何だてめえ」
「ふぁふぁ!」
ダイダルが座っているソファの後ろには、手と足、それに口を縄で縛られた三華が転がっていた。顔や手足には赤黒いあざができている。僕を見て安心したのか、目には涙が浮かんでいた。
許せない。胸の中をどす黒い怒りの感情が塗り潰す。
「おいおい、こんな夜中にお客さんたぁな。しかもこんなおっさんかよ。せめて美女でも連れてこいや」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながらダイダルはグラスを置いた。手には複数の装飾品が付いていてジャラジャラと鳴っている。隣の娼館とやらで稼いだのだろう、身なりは良かった。
油断している様子のダイダルに近付き、後ろ手に隠していた灯油を振りかける。
「冷たっ、ああ!? 何しやがんだてめ――」
「黙れ。においで分かるだろう、今お前に浴びせたのは灯油だ。この部屋で爆発でも起こしてみろ、その灯油に引火してお前は焼け死ぬ。そして僕の魔法は『ファイア』だ。お前が少しでも変な動きをしたら、お前を燃やす」
努めて冷静に説明する。三華を速やかに助け出すには、この場の主導権を握らなければならない。
「いきなり現れたと思ったら――」
「黙れと言っただろう。次何か喋ったり変な動きをしたら容赦なく魔法を放つ。大人しく両手を上げろ」
そう忠告してダイダルに向けて手を翳した。
ダイダルは「ちっ」と舌打ちをして、ゆっくりと両手を上げる。
僕は彼に手を向けたまま、部屋の奥の三華の元へと向かった。
肉弾戦になった時のことも考えて胸に忍ばせておいた短剣で、三華を縛っていたロープを切る。手足にはロープの跡がくっきりと残っていて、とても痛々しい。
「パパ! パパ! こわかった、こわかったよぉ、うぅ、ぐすっ、うぇ、うぇええん!」
三華が僕に抱きついて号泣し始めた。頭を優しく撫でる。柔らかくさらさらで、心地良い。
「パパが来たからもう大丈夫だよ。いっぱい嫌な思いさせちゃって、ごめんな、三華」
「うぅ……うん、こわかった……こわかったぁ……」
落ち着かせるために背中をさする。涙が止まらなかった三華も段々と落ち着きを取り戻した。
「ぐす……あっ、お姉ちゃん、お姉ちゃんが……!」
「うん、二葉にはママがついてるから大丈夫だよ」
「そっかぁ……良かったぁ……」
安堵の表情を見せる三華に、僕の胸は苦しくなった。
こんな世界で、攫われたり姉を殺されかけたり、十歳の女の子が向き合うにはあまりに残酷すぎる現実だ。僕でもこんなに心の整理に戸惑っているのに。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
三華の手を引いて立ち上がらせる。抱っこでもしたいところだけど、生憎そこまでの余力は残っていない。
警戒してダイダルに手を向けたままだが、ダイダルは「へへへ」と不気味に笑い、すっくとソファから立ち上がった。
「ちょっと待てよ、そいつを連れてかれちゃ困るんだよなぁ」
「おい、動くな。魔法を放つぞ」
だが奴は僕の脅しを無視してこちらに振り返る。
その目は完全に据わっていた。酔っているせいもあるのか、ニヤニヤと変な笑みを浮かべて不気味だ。
「撃ってみろよ。だがそんときゃてめえらも道連れだぁ。燃やされたって一発は魔法を撃てる。親子なんだろお? ガキを殺されちゃマズいよなぁ。俺を殺したら絶対にそのガキも殺すぜ?」
まずい。完全に覚悟が決まってしまっている。
三華を後ろに隠して、じりじりと迫るダイダルに手を向け続ける。
どうする。三華を庇って爆発を受け切ることができるか? 肉弾戦になったとして勝ち目は薄い。短剣があるといっても僕はほとんど素人だ、刃物の扱いになんか慣れていない。
元々は部屋を出る際にファイアでダイダルは殺すつもりだった。許すつもりなど毛頭ない。だがこれでは、逃げられるかどうかすら怪しい。
それ相応の怪我は避けられない。最悪の場合、三華だけでも……。
「おいおい、ガキが震えてんじゃねえか。ビビっちまったか? ああ!?」
三華の手をギュッと握る。この状況じゃ仕方ない。
「違うよ、三華震えてないもん」
だが、その言葉の通り三華は震えてなどいなかった。建物が震えているのだ。
「地震か……?」
ガチャンとグラスが落ちて酒が溢れた。グラグラと結構な強さの揺れのせいで、立っているのがやっとだ。疲れで足に力が入らないこともあって、この中で動くのはかなり厳しい。
――突如、落雷のような轟音が鳴り響いた。
下の階からだ。元々の地震のせいもあってか、ぐらりと大きく足元が揺れた。
踏ん張り切れず、よろけてしまう。
「へ、死ねよ」
――クソ。
ダイダルがその機を逃さずに殴りかかってきた。崩れた体勢では避けることが叶わず、まともにその拳を受けてしまう。
魔法も何もない殴打であったが、元々の筋肉量の差が違いすぎる。世界がぐるりと一回転した。
「あー、スッキリしたぁ。こっからは俺の時間だ。生きて帰れると思うなよヨレヨレのおっさんがよぉ!」
「げぼっ!」
「パパッ!」
腹部に強烈な蹴りが入る。最初の一発で口の中が切れていたのか、吐いた唾には血が混じっていた。
まずい。意識が朦朧としてきた。そもそも体力が限界近いのだ、殴り勝つなど不可能。
いちかばちかだ。このままでは僕は負けて死ぬだろうし、三華は攫われるだろう。その先でどうなるかは分からないが、良い扱いをされないだろうことはあざだらけの三華の様子を見れば明らかである。
最後の力を振り絞り、手のひらをダイダルに向けた。
「お、おい、てめえ何して――」
「――『ファイア』」
僕に唯一使えるその魔法。ただ火球を放つというだけの魔法だが、この場においては唯一彼を殺せる手段だ。
かくして、僕の魔法は――不発、だった。
魔力切れだ。ドルー戦にさっきの戦闘。完全にエネルギー摂取量を超えてしまっていたのだ。
「は? おいおい、てめえビビらせやがって! 危うくガキを爆破しちまうところだったぜ。良かったなぁ、俺がお人好しで、よぉっ!」
「ぐぁっ」
重い蹴りが再び腹部を抉る。
グラグラと地震は続いているのに、相当バランス感覚が良いのだろう。体勢を崩す様子すらない。
腹部の鋭い痛みと魔力切れによる鈍い痛みが同時に走り、脳の神経が焼け切れそうだ。
どうやら、もう僕は駄目らしい。身体の限界が近いのが自分で分かる。
「やめてよぉ! パパをいじめないで!」
三華が僕の身体に覆い被さり、庇うようにして両手を広げた。
「三華……、僕はもういいから、逃げなさい」
「やだ、やだよぉ! パパ!」
涙と鼻水を流しながら、それでも三華は動かなかった。
駄目だ、僕は君が傷つくのが一番辛い。だから、だから早く逃げてくれ。
嫌いなトマトを食べなくても、歯磨きをしなくても、勉強をしなくたって、次は許そう。だから、今回だけは僕の願い聞いてくれ、三華……。
「ちっ、お前は殺せないんだよクソガキィ。そこをどけ!」
「きゃあっ!」
三華の身体はダイダルの蹴りによって軽々と床を転がっていく。
最悪の形ではあるが、僕の願いは叶った。
「逃げ……ろ……」
「いや……パパ、一緒じゃなきゃヤなの!」
嬉しいけど……駄目だよ、三華。君にはまだ桜や一樹、二葉がついているんだ。逃げてくれ。
そう思うのに、もうまともに喋ることすら出来なかった。
「誰が逃がすかよ。おいガキ、お前が逃げたら親父を殺す。……さて、おっさんてめえ、さっきは随分と調子に乗ってくれたなぁ。おっとぉ、身体検査だコラ」
屈んで僕の懐をまさぐり、短剣を取り出す。鋭利な刃先がギラリと光った。
――地震が止まった。
ダイダルは短剣をうっとりと見つめて、ニヤリと口端を上げた。
「ガキ、さっきおれぁ逃げたら殺すと言ったなぁ。ひひ、もちろん、逃げなくても殺す!」
そう嬉しそうに声を張り上げて、奴は両手で短剣を振り上げた。
短剣は真っ直ぐに僕の胸元に向かっている。
ああ、僕はここで死ぬんだな。
二葉も守れなかったし、さっき一樹は見捨ててきたばかりだ。その上、三華を救うことすらできなかった。
父親失格だ。
桜、本当にごめん。僕たちの子供たちを守れなかったよ。君にこれから重荷を背負わすことになっちゃうね。本当に、ごめん。
時の流れをゆっくりに感じる。死ぬ直前というのは、本当に時間をゆっくりに感じるものなんだな。残念ながら走馬灯は見えないけれど。
最期に、みんなの笑顔が見たかったな。
「――パパに手を出さないで!」
しかし、短剣が僕の心臓を貫くその瞬間は、一生来ることはなかった。
気付いたらダイダルはソファまで吹っ飛んでいる。
突如として聞こえたその声と同時、大人びた少女がそこに立っていた。
年齢は十五歳ほどだろうか。柔らかそうな髪は肩ほどで切り揃えられていて、少し太めの眉に大きな二重の目が活発的な印象を与える。
どこか二葉に似ているような……。
そして、気付いた。口元にあるほくろ、あれはまさか……。
「――三華、なのか?」
「パパ! 会いたかった! やっと、やっとパパに会えた!」
三華らしき少女はギュッと力強く抱き付いてくる。
会いたかった? いったい、何がどうなって……。
「――三華はね、未来から来たの」
それから、僕たちの物語は加速していくことになる。
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