第25話.志田一樹「これはゲームでもなんでもなく、泣きたくなるほどに現実で」
【志田一樹】
――なんて。
そんな虚勢を張らないと、今すぐにでも逃げ出したくなる。自分の失態のせいで母さんが致命傷を負ってしまったという、現実から。
昔からそうだった。学校で人見知りで友達作りがうまくできない俺は、次第に孤立していった。スクールカーストでは底辺だし、数少ない友達だってお互いに完全に一人きりにならないために利用しているだけだ。
そんな現実に俺が取った行動は、漫画やアニメ、ゲーム、小説の世界に逃げた。それに後悔はしていないし間違っていたとも思わないが、現実は変わらなかった。
別に、それでよかった。あと数年たてば高校も卒業するし、こんな面倒くさい現実と向き合わなくて済む。また新しい現実がやってくるかもしれないけど、それはその時考えればいい。
だけど、今、この現実からだけは逃げてはいけない。
父さんの魔法では威力が足らな過ぎてこの鬼は倒せそうにないし、母さんは重傷だ。母さんの魔法なら恐らく治癒できるだろうが、あの傷では時間がかかるだろう。その間に攻撃されては一貫の終わりだ。
けど俺なら、やれるかもしれない。
『魔視眼』で魔力が見える俺なら、魔法は光で判断できる。それ以外の攻撃は……気合で避ける。セラに鍛えられた俺なら、不可能ではないはずだ。
「父さん、援護頼んだ! 『武器強化』」
俺の身体から出てきた光が剣に纏わりつく。強化完了。
「一樹!」
あの鬼――少し前に見た魔物図鑑によると、名はドルーだったか――の現在の狙いは母さんだ。早めにこっちにヘイトを集めないと、また魔法で攻撃されてしまう。
「おい! 俺が相手だ!」
のそのそと母さんに向けて足を引きずりながら歩いているドルーに斬りかかる。ぶよぶよした肌だが表面はゴムのようで、なかなか刃が深く入らない。
「はっ、くそ、らぁ!」
何度も斬りつけるが、大したダメージはなさそうだ。
ドルーは蠅でも追い払うように雑に腕を振った。しかしそれでも俺からしたらすごいスピードだ。
「っしょおお!」
その腕を咄嗟に屈んで避け、そのまま足を思い切り伸ばして下から斬り上げる。一か月前とは体の動きが違う。毎日雷ビリビリ少女の攻撃を避け続けたのは無駄ではなかった。
傷は浅いものの、刃物である以上多少の傷はできている。出血も微かだがしているので、このまま続ければ無視はできないだろう。
「ゴアッ!」
「ぬおお!」
うざったそうにドルーが巨大な腕を叩きつけてきたので、横に跳躍。くるりと回転して立ち上がる。
そのタイミングで飛来した火の球がドルーの横っ面を弾いた。父さんの支援だ。これは好機。
「くらえぇっ!」
「グガッ」
顔を押さえているせいで開いている脇を切り裂いた。思った通り他の部位より肌が薄く、血液が散る。傷は深くはないが、痛みは与えられただろう。
続けざまに父さんの火球がヒットする。これにはさすがによろめいたみたいだ。
このままいけばもしかして――。
「ウゴアァアアァアアッ!!」
――なんて、思わずフラグを立ててしまった瞬間、ドルーの黒い角がまばゆく光を放った。そしてほぼ同時に足元が薄く光を帯びる。
きた。
「っしゃらああ!」
咄嗟に両足で地面を蹴りだし、空中に身を躍らせた。両足の間、股のすぐ下を土の棘が通る。数瞬遅れたらどうなっていたかを想像してしまって、背筋に悪寒が走った。
セラの魔法を避け続けてきたおかげもあって、回避能力だけはかなりのものになっている。この程度の攻撃なら避け続けることが出来るはずだ。
前転して体勢を立て直し、ドルーに向け剣を構える。
俺の攻撃は当たるが傷は浅く、ドルーの一撃は強力だが俺には当たらない。事態は泥沼の様相を呈していた。
▽
十分後。
身体には限界が来ていた。避け続け、剣を振りまくったおかげで力が入らない。更には魔力切れなのか変に身体に疲労感が溜まってきた。これ以上長引かせるわけにはいかない。
父さんも魔力切れが近いのか、さっきから火球に勢いがなくなっている。
対して、ドルーは多少体力は減っている様子ではあるが、まだまだ倒れそうにない。一発当たったら負けという状況下では、明らかにこちらが不利だ。
「『回術』」
すぐ後ろから、優しい光が飛んできて俺の身体を包んだ。母さんの魔法だ。身体の痛みがすっと消える。
一瞬後ろを確認すると、母さんの傷は完全に塞がっているようだった。消耗してしまった魔力や体力は元に戻らないだろうが、多少動けはするようだ。ここまで回復力の高い魔法だとは思わなかった、そもそもここまで深い怪我を誰も負ったことがなかったから、確かめようがなかったのだ。
「――母さん、父さん。少しだけ、時間を稼いでくれない?」
父さんに加え母さんがいるなら、可能なはずだ。何よりドルーは母さんを明確に警戒すべき相手として見ている。無視して俺を攻撃してくることはないだろう。
「分かったわ、母さんに任せなさい」
「何か策があるんだね、一樹?」
剣を構えて、深く息を吐き出す。そして、肺いっぱいに空気を吸った。血の匂い。
「うん。とっておき」
俺の言葉を聞くと、母さんが横を通ってドルーの前に立ちふさがる。最初はあった動きのキレはなさそうだが、ドルーも傷を負っているので動きは鈍い。
不釣り合いなほどに大きい腕の薙ぎ払いをメイスで受け、瞬時に『回術』で回復し攻撃に転じる。母さんが頭を下げたタイミングで後ろから火球が飛んできて、ドルーの顔面に直撃した。ノーガードで受けたせいで、短く「ゴアァ」と声を上げて体勢を崩す。
さすが夫婦だけある。息がぴったりだ。
――やるか。
自分の両親を信じ、目を瞑り、深呼吸を数度繰り返した。
『神官』であるシリアさんが職業の託宣の前に俺たちにやらせたこの行為が、魔力の流れを静かに正しい方向に促すためのものだと気付いたのは、一週間前のことだった。
息が乱れていたり感情が荒ぶっている時は、人の魔力も乱れることが多い。それでも魔法を使うのにはあまり支障がないのだが、今回俺がしようとしていることは違う。
『魔力の操作』。極度の集中と繊細さが必要な技術だ。
本来ならかなり魔法の経験を積んで自身の魔法を自在に使いこなせるようにならないとできないそうだが、俺にはこの『魔視眼』がある。魔力が見えるのなら、魔力のコントロールも他の人より感覚として捉えやすい。
目を開ける。
集中すると、体内を魔力が循環しているのが見える。まるで電子機器の回路のように複雑に絡み合っているのまで確認できる。
いい集中だ。これまでで一番かもしれない。
次に、魔力を操って胴体から腕、手を伝って剣に集める。ここまでは難しくない。
問題はここからだ。
一旦剣に移った魔力をゆっくりと動かし、片側だけに集める。一旦剣に移った魔力は動かすのが非常に難しいが、少しずつ移動させる。しばらくして、片側に集中させることが出来た。
でも、まだだ。
今度は更に集中して、魔力を細い切っ先だけに集中させる。敵に触れるところだけを強化し、その部分に当たった時の切れ味や威力を格段に跳ね上げる。それが魔力操作だ。
ましてや普通に使えば剣全体に薄く伸びた魔力を、剣先にだけ集中するのだ。その攻撃力は計り知れない。
まあ、こうして時間を取ってもらわないとまだ実践で使えたものじゃないけれど。
「――『武器強化』」
準備は整った。ここで決める。
「母さん、父さん、いくよ!」
声を張り上げて、俺はドルーと戦う二人の元に駆けた。
「甘いんじゃオラァ!」
母さんが巨腕の一撃を受け流し、脛をメイスで殴った。
「ゴアアッ!」
そこに父さんの火球が当たり、一瞬ドルーは俺を見失った。
――駆ける。力の限り速く。足の筋肉に限界が来ているのが分かった。空気を吸う度に肺が痛む。
左足で跳躍し、右足でドルーの巨腕を蹴って、空中――ドルーの頭の横にジャンプした。風が髪を後ろに流す。必死で、頭の中は沸騰しそうなほど熱かった。
「うおおぉぉおおおおおっ!!!!」
気合と共に、魔力操作で強化された剣を振り下ろす。
あれほど硬いゴムのようであった肌が一切の抵抗を感じさせず、まるで豆腐を斬るようにあっさりと刃が通った。
――ゴトッ。
黒い角の生えたドルーの首が地面に落ちた。目は驚愕で見開かれている。
胴の方からは噴水のように血液が噴き出して、ゆっくりと倒れた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
無様に着地し、ぺたんと座る。気が緩んだのか、身体から力が一気に抜けた。剣を握る手だけが強張っている。
木々の間から覗く青い空を見上げた。
勝った。
どこかからBGMが流れてレベルアップするでもなく、強敵を倒したからと言って新たなスキルや魔法を習得することもない。
これはゲームでもなんでもなく、泣きたくなるほどに現実で。
――でもそれが、なぜだか泣きたくなるほどに嬉しかった。
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