第22話.志田桜「あなた、誰か……?」

【志田桜】


 おたけびの山はグレニラーチから歩きで数時間の場所にある、標高五百メートルほどの小さな山だ。過去に鬼種の魔物が住んでいて、周囲の魔物や人間を大きな声で威嚇していたことからその名前がついた。

 しかし今では鬼種はおらず、出現する魔物も強いものは少ないため、比較的安全な場所とされている。


 そのためこの山では初級の採取依頼も多く、新米組合員が依頼に慣れるためによく依頼を受けに来る。かくいう私たちも最近まで初級だったので、何度かこの場所での依頼を受けたことがあった。

 だから出現する魔物や戦いやすい場所、普段の様子などはある程度分かっているつもりだ。


 やっぱり、何かおかしい……。心がざわつくのだ。



 山の様子がおかしいと思い始めたのは、遭遇したレモンキーを数頭、討伐した時だった。


「こいつら、変じゃなかった?」


 一樹は黄色い毛の猿型魔物であるレモンキーの死体から角を採取している。角は硬く、武器強化ができる一樹でないと採取に時間がかかってしまうのだ。


 一樹が言った通り、レモンキーの様子は尋常ではなかった。レモンキー自体はもともと頻繁に討伐が依頼されるほど好戦的な魔物である。人間を見つけると襲い掛かってくることが常だ。


 しかし、先ほどのレモンキーは違った。襲い掛かるというよりは、何かから逃げてきたようにこちらに来たのだ。反射的に一樹と真太郎さんが攻撃して倒してしまったが……。


「考えてみると、レモンキー以外にもおかしなところがあるね。普段だったら鳥くらい鳴いていそうなものだけれど、全く聞こえない。ここに来るまでに動物や魔物も見ていないし」


 真太郎さんが顎に手を当てて呟いた。たしかに山はとても静かで、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。


「どうします? レモンキーの討伐は最低限終わりましたから、帰ります?」


 レモンキーの討伐依頼は五匹以上がノルマだが、討伐数がそれに達しない場合、必要最低限倒していれば少額だが報酬がもらえる。今回の下限は三匹なので、今倒した分でちょうどだ。


「……そうだね。報酬が低くなるのは痛いけど、山の様子を少し調べて、帰ろうか。組合に言えば調査してくれるだろうし、ヒヅキ草の群生地だけ確認しに行こう。初級の人たちにも早く帰るよう促した方が良さそうだしね」


 ヒヅキ草の採取依頼は初級組合員御用達の依頼だ。年中依頼が出ているうえに報酬も悪くないので、毎日複数のパーティが依頼を受けている。きっと今日も山の半ばにあるヒヅキ草の群生地には初級組合員がいるはずだ。


 魔物の討伐依頼で必要となる角を一樹が取り外すのを待って、私たちはその場を後にした。



 やっぱりおかしい。


 警戒のために腰に差してあるメイスを握っていた手を下ろす。

 ヒヅキ草の群生地には、誰もいなかった。こんな時間にそんなことは、今までなかったのに。


「今日はヒヅキ草の依頼なかったっぽいね」

 一樹は拍子抜けな様子で、手を付けられていないヒヅキ草たちを眺めながら言った。


「うーん、考えにくいけどなぁ、ヒヅキ草採取の受注者がないなんて」

 顎に手を当てる真太郎さん。彼も怪しく思っているのだろう。


 そうだ。私たちがグレニラーチに来て一カ月と少しではあるが、そんなこと、今まで一度もなかったではないか。毎日誰かがその依頼を受けていた。

 この時間にここにいないはずがないのだ。


「やっぱり……やっぱり何か、おかしくありませんか? そういえば朝から、変なことが多かったです。下級の依頼もこの依頼以外は報酬が少なかったし、私たちが困っているときに突然都合のいい依頼がされるし、ここに来るまで魔物にも人にも会いませんでした……それに、毎日あるはずのヒヅキ草の依頼に受注者がいないなんて」


「たしかに、言われたらそうかも」

 一樹が思い返すように上を見て同意する。


「うーん……それもそうだね……」

 頷いて、真太郎さんは側頭部をトントンと叩いた。考えている時の彼の癖だ。


 私は真太郎さんの腕を引っ張った。

「何か嫌な予感がするんです、真太郎さん」


 彼はそう訴える私の目を見て、眼鏡をくいっと押し上げた。

「考えすぎな気もするけど……そうだね、帰ろうか」

「母さんは心配性だしね」


 一樹はそう言って笑った。

 心配性、だからだろうか。こんなに気になるのは。


 緩やかな坂道を、グレニラーチに向かって一樹が歩き出す。ここから数時間歩くことになるから、まだ警戒は怠っていない。


「偶然だといいね」

 私に優しく微笑んで、真太郎さんも歩き始めた。私を気遣ってくれるのはとても嬉しいんだけど……。


 やっぱり、何かおかしい気がする。不自然だ。

 この気持ち悪さは何なのか。私の心が不安を告げてくる。おかしい。なにかがおかしいのに、なぜそれが気付けない……?


 立ち止まって動こうとしない私を二人が振り返る。


「母さん?」

「桜、どうかしたのかい?」


 心配そうな声。いつも通りの二人だ。真太郎さんは眼鏡の奥から理知的な瞳で私を見つめている。何もおかしいところはない。なのに、何故……。


「何か……おかしい気が、するんです……」

「うん、依頼のことや山の様子だよね。たしかに変だけど、偶然かもしれないし、とりあえずは――」


 ――頭に電気がバチッと弾けたような感覚。

 そうだ、何故気付かなかったのか、こんな簡単なことに。


「……ありえない」

 ありえるはずがないのだ。研究者である彼は、その言葉をひどく嫌う。


「いったいどうしたんだい、桜――」

 心配そうに眉間に皺を寄せる彼。白々しい。


「ありえないの。真太郎さんが、『偶然』なんて言うはずがない。あの人はその言葉を使わないの。科学に偶然はありえないから」


 息を吸って、武器である細身のメイスを構えた。

「――あなた、誰……?」


 真太郎さんだと思っていた彼の表情が、ストンと抜け落ちた。

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