第20話.志田真太郎「言葉は、時にナイフより人を傷つけるんだよ」
【志田真太郎】
――この街で暮らし始めてから、はや二週間が過ぎた。突然の異世界転移から始まり、魔法を覚えたり魔物と戦ったり、三十九歳にして初めての経験だらけだ。未知のものと出会う感覚は、子供の頃に戻ったような気分になれる。
生活の方は段々安定してきた。依頼により収入も安定してきたし、この街での暮らしにも慣れてきた。領主であるエイモアと仲が良いということもあって、街の人たちも僕たちによくしてくれる。
まだ諸々不安は残るが、こういう暮らしも案外悪くはない。
――だが、父として、僕には家族を連れて日本に帰る責任がある。「日本に帰れない」のと「帰れるがこちらでの生活を選ぶ」とでは大きく違う。
子供たちにだって友達がいるだろうし、桜や僕だって知り合いや家族が日本にいるのだ。このままでいいわけがない。
しかし、日本に帰る目処がまるで立たない。このまま依頼をこなしていくのでは日々の生活に追われるだけであるし、第一王女に会いにいくのなんて夢のまた夢だ。それに第一王女に会えたからといって日本に帰れるのかなんて分からない。魔法は原理が不可解なことも多い。信じすぎるのは危険だ。
僕自身も、帰る方法を模索しなければならない。
グレニラーチには図書館がある。依頼のない日、その図書館でこの世界のことについて調べてみた。
驚くべきことに、世界地図にはアメイジア大陸しか載っていなかった。つまり、この世界には大陸が一つしかないのだ。はるか昔のアメリカ大陸のように発見されていないだけなのかもしれないが、少なくともこの大陸が地球にはないほど大きなものであることが分かる。
縮尺が本当だとすると、まるで地球の全ての大陸を一つにしたかのような大きさだ。果てしない。
これは研究者としての勘だが、この世界には何か秘密があるような気がしてならない。
人間の身体の中で、解糖系とは異なる方法で生み出されるエネルギーである魔力。必ず魔力生成器官と呼ばれる角を持ち、強力な身体能力や魔法にも似た能力を持つ魔物。巨大な大陸。前時代的な文明。そして、異世界転移。
これらはまだ単なる点だが、きっと一本の線として組み立てることができる。
この世に『偶然』なんてありえない。時間や気温、大気圧、全ての原子に至るまで同じように配置すれば、必ず同じように世界は動く。それが科学だ。世界には必然しか存在しない。
それならばきっと、僕たちが異世界転移した理由もあるはずだ。
僕は必ずそれを解き明かす。研究者としても父としても、ただ待つなんてのは許されない。
僕は、神を信じない。
▽
トライデントと呼ばれる三又の長い槍による一撃が、トーランドの巨躯から放たれる。たったそれだけなのにかなり強力だ。
その上、『王の盾』という魔法によりこちらの攻撃は衝撃を軽くさせられる。現状、有効打がない。
「ハアッ!」
二葉の鋭い上段蹴りがトーランドの側頭部を狙うが、左腕で軽々と防がれてしまう。
「まだまだぁっ!」
二葉はそのまま片足で跳躍し、左足で空いた脇腹を狙った。
「ム……!」
虚をついたのか脇腹に蹴りが入ったものの、やはり衝撃が和らげられ大したダメージにならない。
「『攻』」
後ろに控えるラナールが手をトーランドに翳してそう唱える。『付与術エンチャント』だ。文字に応じた対象の能力を上昇させる。
「二葉、下がって!」
一旦トーランドと二葉の距離を開けさせ、牽制に『ファイア』を放つ。
「むん!」
しかし僕の放った火球は、トーランドの槍に簡単に掻き消されてしまう。もちろんそうなることは予測済みだ。僕の魔法は弱い。
だが火球の影に隠れて、一樹が接近している。
「どっこいしょお!」
一樹の強化された両手剣が捉えたのは、トーランド自身ではなくその槍だ。槍自身には『王の盾』の効果は及ばないため、衝撃が和らげられることはない。
「ぬ……!?」
初めてトーランドに動揺の色が見えた。槍の柄に刃が食い込んだのだ。
「二葉っ!」
「りょ!」
二葉はグッと膝を曲げると、跳躍し一樹の頭を飛び越える。そして天空から勢いを付けた踵落としを一樹の剣に叩き込んだ。
ガギンッと鋭い金属音と共に、トーランドの槍が半ばから折れた。
「よっしゃ! 今だ!」
二人が武器を失ったトーランドに猛攻を仕掛ける。
「『守』!」
しかし、ラナールの援護により防御力を高めるトーランドは、もはや要塞と化した。二葉の攻撃は僅かに通っているようだが、一樹の剣による攻撃はまるで意味を為していない。
トーランドも折れた槍で応戦しているが、槍がない状態では攻め手に欠けるらしく、防戦一方になっていた。
事態の拮抗。どちらにも打つ手がない。
――だがもう、思考実験は終わっている。後は予定通りに行動すれば、勝てるはずだ。
まずは懐から大きめの布を取り出す。もうボロボロになったバスタオルを繋げたものだ。全長は五メートルほど。長さとしては十分だ。
「一樹、二葉! 父さんに考えがある! これで彼を巻くんだ!」
必死に泥沼の戦いに興じている二人にタオルを投げつける。
「え、何なわけ? イミフなんだけど!」
「いいから!」
「父さん、これでどうにかなるんだね!?」
「予定ではそうなる!」
分かった、と答えて一樹はバスタオルの端を拾う。二葉もトーランドの短くなった槍の攻撃を凌ぎながら、何とかタオルを拾った。
「よし! 頼んだ!」
二人はタオルを持って、剣撃や殴打を交えながらクルクルとトーランドの周りを回っていく。
「『こ――』」
「――『ファイア』」
「っ! 『速』!」
ラナールが援護しようと手を構えた瞬間、火球で牽制する。この戦いではラナールに直接戦闘に参加されては厄介だから、ずっと火球で距離を取らせていたのだ。彼女自身の戦闘能力はそこまで高くないため、それでも十分な牽制になる。
ラナールは自分自身に『速』を付与し、素早い動きで火球を避けた。
彼女の『付与術』は一つの対象にしか付与できない。つまりラナール自身に付与するとトーランドの防御は薄くなる。まあそれでも、『王の盾』だけで脅威なんだけど。
「パパ! 巻いたけど、どうすればいい!?」
トーランドの前腕に掌底を加えながら、二葉が尋ねてきた。防御は薄くなったものの、未だに大したダメージは与えられていないようだ。
「よし、二人とも退くんだ!」
指示の後、二人が数メートル距離を開けたのを確認。
「『ファイア』」
火球が放たれる。
トーランドは右腕でそれを薙ぎ払い、火球は呆気なくかき消えた。
――が、トーランドの全身鎧の胴に巻かれたバスタオルに、引火した。油を染み込ませたタオルは、良く燃える。こっちまで熱気が押し寄せるほどだ。
つまりこういうことだ。
トーランドの能力は、衝撃の緩和。熱の緩和ではないため、熱による攻撃なら通るはずだ。その上全身鎧のせいで熱の逃げ場はない。
火球を連打することで熱を与え続けることも可能だけれど、僕の体力が続かない。油をかけることも考えたけど、ちょっと死んじゃいそうだったからやめた。
これなら、一樹のタオルで剣を切れば炎は止められる。
うん、何とか予測通りにことが進んだな。
「父さん…………ないよ。これは」
「ちょ、パパってサイコパス?」
何故か息子たちからの視線が痛い。ラナールも燃えたトーランドを見て焦っている。
「ム……熱い……」
そう言い残して、トーランドは倒れた。
▽
「いやー、手を抜いていたとはいえ、まさかうちらが負けちゃうとはねー」
「うむ……天晴れだ」
「いやあ、ははは……」
ラナールとトーランドから称賛の言葉を頂くが、一樹と二葉はどこか不満気だ。さっきから仏頂面でまともに話してくれない。困ったものだ。
今日は二人が特訓をつけてくれる最後の日だった。
アメイジア組合の昇級テストも兼ねて、模擬戦をして実力を測るということだった。準備は怠らないようにと言われたから、勝つ算段をつけて来たつもりだったのだが……。
「パパの卑怯者」
「あんなのじゃ、勝った気がしないよ」
どうやらあの勝ち方は二人の不平を買ったらしい。正々堂々あの防御力を打ち破りたかったのだろう。
しまった。父としては二人の気持ちを優先させるべきだったか。
「こーら二人とも。大人になりなって。シンタロの作戦は見事だったよ。力の弱いものが強いものに勝つためには工夫が必要。魔物との戦いでは弱者であることが多いウチら人間は、常に策を練ることで対等に戦ってきた。実際こんな作戦でもなきゃ、トーランドは倒せなかったでしょ」
「うむ。良い策だった。してやられたぞ」
二人が困った僕をフォローしてくれる。
「うー、でも、なんか釈然としない!」
二葉は納得のいっていない様子で、腕を振り回している。この二週間、二葉はトーランドに一度も勝てなかったみたいだから、今回こそは倒したかったのだろう。悪いことをしてしまった。
トーランドは、駄々をこねる二葉の頭に、ぽんと大きな手を乗せた。
「二葉が強くなったら、またいつでも相手しよう。それまで、研鑽を積むんだ」
「……分かった」
「二葉が初めて魔物を倒した時の気持ち。それを忘れるな。それさえできれば、お前はどこまででも強くなれる。……あの、『殲滅のゴア』よりもな」
「殲滅の、ゴア?」
二葉が首を傾げる。
「セラと同じ、特級組合員の一人。職業は二葉と同じ『魔闘士』だ。お前がこのまま強くなれば、いずれ必ず会うことになるだろう」
「そっか……うん、オッケー!」
力強く、二葉は頷いた。トーランドはその笑顔を優しく見守っている。
「何だか、パパよりパパみたい!」
「二葉。言葉は、時にナイフより人を傷つけるんだよ。憶えておくように」
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